27.恋心と魔女

「離れたくない、ねえ……」


 カルラはからかうような視線を向けてくる。

 どうしてそんなことされるのかわからず首を傾げていると、彼女は言った。


「やっぱ恋してるのね〜」

「…………こい?」


 こい。来い。濃い。故意。……まさか、恋?

 そう認識した途端、どきりと心臓が一際強く脈打った。全身が一気に熱くなって、ルーツィンデは口元を押さえつつぷいっとそっぽを向く。


「そ、そそ、そそそんなわけないじゃない! ここ、恋だなんて!」

「あら〜? 顔真っ赤にしちゃって。まったくそうは見えないけど?」

「うるさい!」


 手近にあったクッションでぽこぽこ叩けば、「ちょっ、暴力はんたーい!」とカルラが叫ぶ。


「いいから! 黙って! サンドバッグに! なりなさいよ!!」

「理不尽!」


 やがてクッションがくたびれ始めたころ、ルーツィンデは静かにそれを抱きしめた。ちらりと横目でカルラを見れば、彼女は残念そうな顔をしながら髪型を直している。……ちょっとやりすぎたかもしれない。

 とりあえずカルラが別のことに気を取られている隙に、先ほどの彼女の言葉に思いを馳せる。


 恋、と言った。恋をしていると。流れからして、しているのはアレクシスに対してだろう。というより今現在彼以外に親しい異性はいない。

 彼と離れたくない。そう思うことは恋なのだろうか?


(うーん……わからないわ)


 なにせ三百年以上前までは王女として生きており、恋とは無縁だった。その後はそもそも年頃の異性とは関わらないし、あまり人と親しくなっても置いていかれるだけだから好意を抱かないようにしていた。


 つまり恋というものがどういうものなのか、物語の中でしか知らないのだ。

 今抱いている感情が恋かどうかだなんてわかるはずがない。


 うんうんうなっていると、髪型を直し終わったカルラが「どうしたの?」と声をかけてきた。


「……ねえカルラ。恋ってなに?」

「知らないわよそんなの。あたし恋したことないし」

「意外ね」

「そー? ま、だけど、ルーツィンデが恋をしてるってことはちゃーんとわかるわよ」


 恋をしていると言われてなんとなく恥ずかしくなり、ルーツィンデはそっと目を逸らした。


「……なんでよ?」

「ほら、その反応! ものすごく『恋してます!』って言ってるみたいじゃん!」

「そ、そうかしら?」

「うんうん。それに心臓がドキドキしたりしない?」

「…………するわね」

「だったら絶対に恋でしょ!」


 カルラは嬉しそうにそう言う。

 こい。恋。そう自覚した途端ぶわっと顔に熱が集まった。羞恥心から思わずうつむく。

 なぜだか無性に胸がむずむずして、そわそわして、落ち着かなかった。


「それで、告白はするんでしょ?」


 キラキラとした瞳を向けながらカルラが尋ねてくる。思わず視線を逸らせば、「えっ、しないのっ!?」と驚かれた。


「いや、だって、そもそも彼が私のことどう思っているのか、いまいちわからないし……」


 三百年以上前、アルドとしての彼と最後に会ったときの行動だってよくわからないし、今現在どうしてルーツィンデの元に現れたのかもよくわかっていないのだ。そんな相手に告白をするのは、正直勇気が出ない。

 するとカルラはあからさまにため息をついた。


「もー……。当たって砕ける気はないの?」

「無理」

「即答……。あー、大丈夫、自信持って。少なくともかなり愛されてると思うから。じゃないとわざわざあなたの前に現れるわけないでしょ?」


 確かにそうなのかもしれない。でもやはり好感を抱かれている自信はあまりなかった。


 それに。


 ルーツィンデは眉根を下げると、きゅっと手を握りしめた。


 私は魔女。永遠の命を持つ存在。

 いくら恋したところで、アレクシスとずっと一緒にいられるわけではない。

 アレクシスはやがて一国の王になる人物だ。政務に忙しくていずれここに来る可能性が高いし、彼が死んでからもルーツィンデは生き続けなければならない。

 その事実がつらかった。


「ちょっと、急に黙り込んでどうしたの?」

「……別に、なんでもないわよ」

「なわけないじゃない。今自分がどんな表情しているのかわかってる? 泣きそうな顔よ」


 そう言われて自分の顔に手を当てたけれど、どんな表情をしているのかはよくわからなかった。そんな表情をしているのだろうか? だとしたら思っていたより彼と離れるのが悲しいらしい。


(……恋、しているからかしら?)


 ぼんやりとそう思っていると、カルラに両方の頬を挟まれてぐいっと顔の向きを変えられた。

 至近距離で見つめられる。


「ねえルーツィンデ。話して」

「でも……」


 この不安を彼女に伝えたところで、彼と一緒にいられないという事実が変わるわけではない。それなのに今の気持ちを話して、彼女を巻き込んでもいいのか。

 そんなことに悩んでいると、カルラはなにかに気づいたかのような表情を浮かべた。


「……もしかして、魔女であることを懸念してるの?」


 その通りだ。

 気まずくて必死に視線を合わせないようにしていると、カルラの手がそっと離れていく。「ごめんなさい、ルーツィンデ」という声は静かなもので。

 どうして彼女が謝るのかよくわからず首を傾げると、彼女は沈鬱な表情を浮かべて口を開く。


「あなたに黙っていたことがあるの」

「……急になに?」


 しかしカルラはルーツィンデの言葉には返事をせず、真剣な眼差しで告げた。


「――魔女でなくなる方法があるの」


 ひゅっと息を呑んだ。

 魔女でなくなる方法。もしそれを以前から知っていたならば、ルーツィンデは――


「あなたに教えたらきっとその方法を取るだろうって思ってたから、ずっと言えなかったの。ごめんなさい。あたしは……あなたといられる時間が楽しかったから……」


 そっと目を伏せ、痛みをこらえるような表情を浮かべるカルラ。


「……別に、いいわ」

「ルーツィンデ」

「だって私も、カルラの気持ちわかるもの。知り合いの魔女にその方法を伝えて、どんどん自分が置いていかれたら……たぶんすごく苦しい」


 魔女だから。永遠の命をともにする数少ない仲間だから。喪失が大きくなるのは目に見えていた。

 カルラは驚いたように目を見開いたあと、ふわりと笑って「ありがとう」と言った。


「でも……教えてくれるの? いいの? 私、魔女じゃなくなるつもりだけど」

「もちろんよ。あなたが幸せになるためだもの。協力は惜しまないわ」


 そう言うとカルラは嬉しそうに、けれどほんの少しだけ寂しげに笑った。


「……ありがと、カルラ」


 ルーツィンデも微笑みを浮かべる。

 親しい人に置いていかれる悲しみはルーツィンデ自身理解している。だからこそ、そんな気持ちをカルラに味わわせてしまうからこそ、幸せにならなければと強く思った。

 するとカルラは満面の笑みを浮かべた。


「いいってものよ。……なんだかちょっとアレな雰囲気になっちゃったわね。もっと明るく行きましょ」

「……そうね。じゃあ教えてくれる? 魔女じゃなくなる方法」

「もちろんよ」


 カルラは頷くと、ルーツィンデも知らなかった魔女についての知識を口にしていく。


「この世界は魔力で構成されているのよ。だけどそれは放置していると四散してしまうようなものなの。えーっと……たとえば砂のようなものだと考えて。砂を両手ですくってもすぐにこぼれ落ちるでしょ? そんな感じ」

「へえ、そうなのね……」


 ルーツィンデは目をぱちくりさせる。

 この世界が魔力で構成されている。そんなこと考えたこともなかったが、確かに思えばその通りなのかもしれない、と納得する。


 魔法とは基本、自身の体内にある魔力を放出し、具体的なイメージによってその効果を定義するものだ。火を出したいと願いながら魔力を放出すればなにもない空間に火が出せるし、光が欲しいと願えば光を灯すことができる。

 そうやって魔法が使えるのは、火や光などが魔力でできているからではないだろうか? そうでなければ魔力とイメージだけでそのような効果が出るわけがない。


 ルーツィンデが理解したことを察したのだろう、カルラは続ける。


「魔力は四散しやすい。だからこそこの世界にはくさび……また魔力を砂にたとえると、水のようなものね。ほら、砂に水を含ませると粘土みたいになって形が固まるでしょう? そんな感じにこの世界を維持するためのものが必要なの。それが魔女」


 なにも言うことなくルーツィンデはカルラの言葉に耳を傾ける。


「魔女になると魔力が減らなくなるでしょう? あれはたぶんこの世界に漂う魔力を使えるようになるからだと思うのよね。確証はまだないけど……。あ、えーっと、とにかく、魔女はこの世界にとって楔みたいな存在なのよ。その楔が埋め込まれているのは……魔女のいる場所は、感覚になるけど、一定の距離を置いて点在しているのよね」


 それは様々な魔女の元へよく訪れるカルラだからこそ気づけたことなのだろう。

 そこまで聞いてルーツィンデも、魔女でなくなる方法をなんとなく察した。一定の距離を置いていかれる点在する魔女。ならば。


「だから魔女でなくなる方法は簡単。ただその地から離れることなのよ。以前、ほかの魔女に協力してもらって実験したから確実よ。今まで住んでいた地から離れると、楔としての役割を果たせなくなった魔女は魔女ではなくなる。その後ほかの人と同じように年をとっていくの」


 ルーツィンデはふっ、と笑った。まさかこんなに簡単なことだったなんて。


「よくこのことがおおやけになってないわね」

「昔からこうして魔女ではなくなった人は多いでしょうけど、誰も話さなかったのよ。だって魔女は必要な存在だもの。それなのにどんどん魔女になった人が魔女ではなくなったら、この世界は崩壊するでしょうね」


 世界の崩壊。その言葉が重くのしかかってきて、ルーツィンデはぎゅっと手を握りしめた。

 アレクシスと一緒にいたい。そのために魔女ではなくなることを望んでいる。

 それは私情で世界を崩壊に近づけることと同義ではないだろうか?


(それに、私がこの地の魔女でなくなったら、別の人が魔女になるのよね?)


 魔女になると与えられる永遠の命。それを望まない人もやはり多いのだ。もしルーツィンデのあと、そんな人が魔女になってしまったら……。


「ちょっとルーツィンデ。あなた変なこと考えてない?」

「……変なことって?」

「自分が魔女でなくなったら世界が崩壊に近づくとか、後任の魔女が苦しむことになったらどうしようとか」

「うぐっ。……なんでわかるのよ?」

「何年一緒にいたと思ってるの? 三百年よ? それにこういうときになるとほとんどの人がそんなこと考えちゃうもの」


 ふふっと一瞬だけ笑うと、カルラは真摯な瞳をこちらに向けてくる。


「そんなの気にしなくていいわ。あなたはこれまでちゃんと魔女としての役割を果たしていたし、元々こうやって世界はまわってきたのよ。大丈夫。あなたは幸せになってもいいの」

「……ありがと、カルラ」

「どーいたしまして」


 にっこりと満面の笑みを浮かべると、カルラは立ち上がった。


「じゃ、あたしはそろそろ行くわ」

「ええ。本当にありがと」

「いいのよいいのよ。あたしだっていろいろと黙ってたし……」


 ちょっとだけ気まずそうにそう言うと、カルラは小屋の扉へ向かって行く。そして扉に手をかけると、今日一番のとびっきりの笑顔を浮かべて言った。


「ルーツィンデ、幸せになってね」


 その言葉に、胸が幸福感で満たされる。


「……っ、ええ。私、幸せになるわ。……振られるかもしれないけど」

「結構な確率で振られないから。安心して。……じゃあね」


 そう言い残し、カルラは小屋を出ていった。パタリと扉の閉まる音がやけに大きく響く。

 ルーツィンデはしばらく扉を見つめていたけれど、気持ちを切り替えて立ち上がった。


(さて、私も行かなきゃ)


 アレクシスの元へ。

 そう思い、手早く出かける準備をしていると、小屋の扉がノックされた。

 カルラは先ほど来たばかりで、商人が来るのはまだ当分先。


 となると残っているのは。


 もしかして、という予感を抱きつつ、ルーツィンデは跳ねるような足取りで扉の前へ向かった。

 一回深呼吸をして心臓をなだめたあと、ゆっくりと扉を開ける。そこにいたのは――

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