25.アルドとルーツィンデ
人生が変わったあの日。
その日もルーツィンデは迫ってくる社交界デビューに向けて努力していた。当日のドレスに合わせるアクセサリーを決めたり、ダンスの練習をしたり、重要度の高い参加者の顔と名前や趣味を覚えたり。
正直もう嫌だと叫んですべてを投げ出してしまいたくなる。けれど今まで民たちのおかげで贅沢な暮らしができていたのだ、ここで逃げ出すことはできなかった。
「ルツィー様、そろそろ休憩になさいましょう」
日も沈み始めた時刻。ダンスの練習をしていれば教師がそんな声を発してきた。
もうちょっと練習したいけれど、「……わかったわ」と言ってパートナーを務めてくれていた騎士――アルドから離れる。騎士という職務柄鍛えてあるのか、彼は汗一つかくことなく涼しい笑顔を浮かべていた。
「ありがと、アルド。相手してくれて」
「いえ。ルツィー様のためなら、これくらいいくらでも」
その言葉に胸がぽかぽかと温かくなる。
ゆるりと頬を緩めれば、アルドが手を差し出してきた。
「ではお部屋までエスコートいたしましょう」
「じゃあお願いするわ」
そう言ってルーツィンデは彼の手を取った。
この日まで、ルーツィンデにとってアルドは誰よりも頼りになる存在だった。
元々乳兄妹でそれなりに親しかったのだが、彼が成人を迎えて専属騎士に任命されてからはより多くの時間をともにするようになり、しかもルーツィンデのことを気遣ってエスコートをしてくれたり、なにか困ったことがあれば即座に動いてくれるのだ。これで頼りにしないほうがおかしい。
エスコートをしてもらって自室にたどり着くと、アルドの手がするりと離れた。そのことにどうしようもない寂しさを感じてしまう。
彼ともっと一緒にいたいのに。こうしてエスコートをしてもらいたいのに。
そんなことは許されなかった。
「ルツィー様? どうかしたのですか?」
「……なんでもないわ。アルドはこれから帰るの?」
彼がそばに控えてくれるのはなぜかいつも日暮れまでだった。そのため今日ももうすぐお別れかと思ったのだが。
「――いえ、本日は夜まで担当しております」
その言葉に思わず目を見開いた。じっと彼を見つめていると、くすりと笑われる。
「そんな顔なさらなくとも」
「いえ、だって……あなたがこんな時間までいるのって初めてじゃない?」
「そんなことありませんよ。騎士になったばかりのころは何日か夜の警護を担当しておりました」
その言葉に首を捻る。記憶を探るが、そんなことはなかったような気がする。
「……そうだったかしら?」
「そうですよ。ルツィー様はひどいですね」
「うっ……ごめんなさい」
居心地が悪くて視線を逸らせば、「大丈夫ですよ」と言ってアルドが微笑む。
「そういうこともありますから。それよりもルツィー様、侍女が待っておりますよ。よろしいのですか?」
ハッと我に返る。確かに彼と話している場合ではない。これから家族と夕食を摂るのだから、その前に色々と準備をしなければ。
「そういえばそうね。ありがと、アルド。じゃあまたあとで」
「はい、ルツィー様。こちらに控えております」
そう言って一礼するアルドから視線を外し、ルーツィンデは部屋の中に入っていった。
両親と夕食を摂ったあと、ルーツィンデはのんびりと王城の中を歩いていた。王族のプライベートスペースであるため周囲に
それらを堪能していると、後ろで付き従っているアルドが声を発した。
「ルツィー様、そろそろお部屋にお戻りになったほうが……」
どことなく焦りを感じさせるその言葉に、ルーツィンデは首を傾げる。
「そう? もうちょっと歩いていたいんだけど……」
「ですが、そろそろ戻ったほうがよいですよ。お体も冷えてしまいますから」
アルドに言われるとそうしなければ、という気持ちになる。「わかったわ」と頷くと、ルーツィンデは少しだけ足を早めた。
背後でアルドが胸をなでおろす気配がする。
……最近のアルドはなんとなくおかしい気がする。今まではルーツィンデの好きにさせてくれていたのに、たまに注意をしてくるようになった。たまになにか話したそうにしているけれど、こちらから尋ねれば「なんでもありません」と言って拒絶することもある。いったい彼はどうしたのだろう?
そんなことを思いながらも直接訊く勇気はなく、ルーツィンデは無言のまま自室へとたどり着いた。「それじゃあおやすみなさい」と挨拶をし、部屋に入ろうとしたまさにそのとき。
どこからかかすかな悲鳴が聞こえた。
(……なにかしら?)
途端、部屋の中から甲高い悲鳴が聞こえた。反射的に中に入れば、カーテンが開かれていて外が見えるようになっている。そこには。
「……え?」
庭で火の手が上がっていた。
轟々と燃える木々に本能的な恐れを抱いていると、「ルツィー様」と声をかけられる。
そちらを向けば、アルドが厳しい視線を窓の外に向けていて。
「ア、アルド?」
「……念のため避難いたしましょう。こちらです」
ぐいっと手を引っ張られ、ルーツィンデは歩き出すことしかできなかった。
侍女たちが大混乱に陥っているにもかかわらず、アルドは一人、ルーツィンデを連れて進んでいく。「ねえ、アルド――」と呼びかけようとすれば、「今は黙っていてください」と言われた。
「敵に見つかってしまうかもしれませんから」
(て、敵?)
物騒な言葉に目をぱちくりさせながらも彼について足早に進んでいると、すぐ目の前の曲がり角から何人かの騎士が現れた。
彼らはルーツィンデとアルドに気がつくと、にぱっと笑みを浮かべた。
「アルド! よかったな、王女様を確保できたのか!」
「……ああ。確保したよ」
一人の言葉にアルドがぶっきらぼうに答える。
確保とはいったいどういうことだろう? そんなことを思っていれば騎士の一人が告げた。
「あっちで閣下が待っておられる。早く行けよ」
「言われなくとも。……おまえたちも頑張れよ」
「ああ、もちろんだ。ぱあっと燃やしてやるぜ」
意味不明な二人の会話に混乱していると、アルドがぐいっと手を引っ張って歩き始めた。
そのとき背後でなにか音がしたため振り返れば、先ほどの騎士たちがなにやら液体を撒いていて。
(なにが起こってるの……?)
もやのような不安が胸の内で急速に膨れ上がっていく。なにかが起こっている。ルーツィンデにとってよくないなにかが。
「ね、ねえ、アルド……どういう、こと、なの? なにが起こってるの?」
「…………」
アルドは答えない。王城の回廊を、ただひたすら進む。
ふと暑いと思った。まだ春なのに、やけに暑いと。
もしかして、と思っていると、アルドが曲がり角を曲がった。
その先には、轟々と燃える回廊。
「なに、これ……」
信じたくなかった。けど信じるしかなかった。
先ほど出会った騎士たち。彼らのような人たちが城中にして、おそらく火をつけて回っているのだ。なんのためかはわからないけれど。
そして、そんな騎士たちと気安く会話をしていた、目の前の彼は――
「ルツィー様、こちらへ」
「アルド」
強く手首を引かれたけれど、その場に踏みとどまって抵抗する。
アルドが非難するような眼差しを向けてきた。
「ルツィー様」
「なんで、こんなことするの?」
「今はそのような場合では――」
「答えて!」
叫び、睨みつける。怒りや悲しみ、絶望。様々な感情が混ざりあって、心がぐちゃぐちゃだった。
じんわりと滲む視界。火がすぐそこにまで迫っているからだろうか、アルドは焦ったような表情を浮かべていた。
でも、ルーツィンデは答えてくれるまで動く気はない。むしろここで死んでしまってもいいような気がしていた。
それくらい、彼の裏切りが悔しくて。悲しくて。
「ルツィー様、このままでは――」
そのときどこからか声が聞こえてきた。あちらこちらから火の手が上がる中、誰かが近づいてきている。
アルドが小さく舌打ちをした。
「この手は使いたくなかったけど……」
そう言うとアルドは懐からなにか小箱のようなものを取り出した。そして強引にルーツィンデの手にそれを与える。
「アルド、なにを――」
「ルツィー様、どうかお元気で」
彼の姿が薄れていく。
そして――一瞬後には、ルーツィンデはなぜか森の中にいた。
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