23.命日
「あー……また負けたわ! なんでよ!」
「なんでと言いましても……」
苦笑するアレクシスに、ルーツィンデはムスッとした表情を浮かべる。
数日前に初めてチェスでアレクシスに勝ったものの、それ以降はずっと負けっぱなしだった。あれはまぐれだったのではと思ってしまうくらいの見事な負けっぷりで、正直かなり悔しい。
じとーっとアレクシスを見つめていたが、彼は苦笑するだけだ。このままでは埒が明かないということで気持ちを切り替える。今度勝てばいいだけのことだ。
(勝てるのかはわからないけど……いえ、こんな気持ちじゃダメね。勝つのよ、絶対!)
改めてそう決意していると、ふとカレンダーが目に留まった。六月十七日。師匠の命日は明日に迫っていた。
「……ねえ」
「はい、なんでしょう?」
アレクシスがそっと首を傾げる。
……正直、これを告げるのはあまり気乗りがしなかった。彼といるのは心地よいし、少し前まであまり会えない日が続いていたのだから少しでも一緒にいたいと思う。
でも。それと同じくらい、師匠の命日は一人きりで穏やかに過ごしたいと願っていて。
きゅっと手を握りしめると、ルーツィンデは口を開いた。
「――明日はちょっと用事があるから、来ないでくれる?」
「……どうしてでしょう?」
それまで笑みを浮かべていたアレクシスが、すっと真顔になって尋ねてきた。
「……師匠の命日なのよ。いつも一人で過ごしていたから……お願い」
「……わかりました。魔女様がそれを望むのならば」
「ありがと」
ほっとしたような、落胆したような。不思議な気持ちになりつつも、ルーツィンデは口角を上げてお礼を告げた。
アレクシスは淡く微笑んでいた。
翌日。
ルーツィンデはぱちりと目を覚ますとカレンダーをめくる。六月十八日。師匠の命日だ。
(師匠……)
今でもあの人のことが無性に恋しくなる。もしそんなことを知ったら、師匠のことだから「もうそろそろ独り立ちしなさい」とやんわり言われるだろう。
そう思うと胸の奥がじんわりと熱を持った。
「――さて、やるわよ」
そう呟いて気持ちを切り替えると、ルーツィンデは手早く朝食を摂った。いつもならばそのあとはひたすら魔道具をいじくって研究するのだが、今日ばかりは違う。師匠の好きだった紅茶と作り置きしていたクッキーをカゴに入れて小屋を出た。
庭で簡単な花束を作ると、あとはひたすら歩く。道なき道を進み、向かうのは師匠お気に入りの場所。
しばらくして木々が途切れた。ざあっと風が吹き、ルーツィンデは慌てて髪を手で押さえる。
視界に飛び込んできたのは小さな湖だった。晩年、歩くのが難しくなっても師匠が通いつめた場所。
そっと視線をさまよわせる。少し離れた湖のほとりに、膝よりも低い墓石がひとつ、湖の方向を向くようにして置かれていた。
あそこが師匠の墓だった。
ルーツィンデはそこに近づくとその場にしゃがみ込み、そっと花束を置く。
「師匠……」
風が髪をもてあそぶ。けれどそれを押さえようともせず、ルーツィンデはじっと、なにも刻まれていない墓石を見つめていた。
少しして地面にハンカチを敷いて座ると、カゴの中からクッキーと紅茶を取り出す。紅茶のカップは二人分。ルーツィンデと、師匠の。
「はい、師匠が好きな紅茶」
そう言って墓石の前に置く。風が吹き、紫色の花弁が乗った。
そのときふと思った。もし師匠がここにいたら、紅茶を淹れるのが上手くなったと褒めてくれるのだろうか、と。
(……ま、そんなことありえないけど)
ルーツィンデは自分用の紅茶をそっと口に含んだ。師匠が好きで、よく飲まされていた紅茶。今となってはもう飲むのが日課となってしまい、商人が来たときは毎回大量購入している。
そっと視線を上げた。清々しいほどの青空の下、さわさわと揺れる梢の音が耳に心地よい。
「――ねえ、師匠、聞いてくれる?」
静かにルーツィンデは墓石に向かって語り出した。今どんな研究をしているのかとか、ここ一年の間に起こった失敗談とか。
それと。
「……あとね、ここ最近ずっとある人がやって来ているの。クレメンティアの第一王子」
きゅっとティーカップを持つ手に力を込める。
「魔女になりたいんですって、王子なのに。最初は拒絶したのよ? でもなんとなく、ほぼ毎晩一緒にいるようになっちゃった」
くすりと笑う。彼のことを語っていると、どうしてか胸が温かくなってきて、きゅうっと切なくなる。
「――私、彼のことが大切なのよ。いずれ別れが訪れるのは怖いけど、一緒にいたいから、これからもできる限り一緒にいるつもり」
そうしたいと思ったから。
でも。
「……師匠は、これでいいと思う?」
いずれ傷つくとわかっているのに彼のそばにいる。それが愚かなことだと理解しているからこそ、やはりまだ迷いがあって。
そっと目を伏せる。ざっ、と風が吹き、どこからか花びらが舞ってきた。くるりくるりと身を翻し、どこかへと飛んでいく。
ふっと笑った。なんとなく、師匠が背中を押してくれた気がして。
「ありがと、師匠」
人は死ぬと、しばらくしてから生まれ変わると言われている。師匠の死からもう三百年も経っているのだ、おそらく魂はこの地には残っていない。
それでも。たとえ錯覚だとしても、師匠に背中を押された気がしたから。これからも前を向いて歩けるような気がした。
「――じゃあ行くわね、師匠」
そう言うとルーツィンデは墓石のそばに紅茶を流し、クッキーも半分ほどを地面に置いて立ち上がった。
「また来年、来るから」
そう言ってくるりと踵を返し、歩き始める。
柔らかな風が頬を撫でていった。
それからまっすぐに小屋には向かわず、少しだけ寄り道をした。道なき道を進み、たどり着いたのは小屋から少し離れた場所。
(確か、ここだったわよね……)
ルーツィンデはそっと周囲を見回す。しかしただの静かな森が広がっているだけで、特に目につくようなものはなかった。
……確かこのあたりで師匠に拾われたのだ。命からがら逃げてきて、師匠と出会った場所。
師匠と出会わなければ、きっとルーツィンデはこのあたりで野垂れ死にしていたに違いない。
そう思うと途端にこのなんでもない場所が特別に見えてきて、くすりと笑った。
そのあと小屋に帰宅すると、地下に保管していた師匠の私物を取り出して眺めたり、師匠の好きだった料理を作ったりして昔を懐かしむ。
師匠が死んだのはもう三百年も前のこと。記憶は薄れつつあるけれど、やはり強烈なものは脳裡にこびりついているため完全に忘れることはなかった。
そうやって過ごしていると、なんとなく寂しくなってきた。そっと目を伏せる。
誰でもいいからこの場にいてほしい。会話をしたい。そしてできることならば、アレクシスが――
(な、なにを考えているのかしら、私)
彼に来ないでと言ったのは自分なのに、こんなふうに思うだなんておこがましいにもほどがある。
そんなことを思っていると、小屋の扉が控えめにノックされた。それはここ最近聞き慣れてしまったもので。
(……もしかして)
嫌な予感を抱きつつ、ルーツィンデはそっと扉を開ける。
そこには――
「こんばんは、魔女様」
「…………」
アレクシスが、ほんのりと笑みを浮かべていた。
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