22.大切な人
アレクシスが来なくなってからはや五日目。
ルーツィンデは魔道具の研究に精を出していた。最初のころこそいろいろと考えていたけれど、そんな時間はもったいないと研究に勤しむことにしたのだ。
目の前の問題から逃げ出したとも言う。
(だって……どうすればいいのかわからないんだもの)
ムスッとした表情を浮かべつつ、ルーツィンデは一度魔道具をいじる手を止めて椅子にもたれかかった。ぼんやりと天井を眺める。
理性はアレクシスと離れたければと叫ぶ。このままでは離れられなくなってしまい、別れの時が訪れたならばそれこそ、師匠が亡くなったときと同じようなひどい悲しみを味わうことになると考えられたからだ。
けれど彼と離れたくないとルーツィンデは願ってしまっていて。
(どうするべきなのかしらね……)
今後のことを考えるならば理性に従うべきだと思う。
でも、今更離れようとしたところで無駄だとも思うのだ。彼に来ないでと告げたら自分は傷つく。どちらにしろそうなるのならば、別れを先延ばしにしたっていいじゃないかと心が叫ぶのだ。
うう〜とうめき声を漏らしながら悩む。今この瞬間にでもアレクシスがやって来るかもしれないのだ、もうそろそろこの悩みにも決着をつけたい。
(うーん……離れたほうが、いいような気がするのよね……。今後もっと離れがたくなる可能性だってあるし、歴史的に見ても感情的な判断は推奨されていないし……)
これでも三百年以上前は一国の王女として英才教育を受けてきたのだ。様々な国の歴史を学び、感情的にならず、冷静に判断することが王には求められると知っている。そのせいで滅んだ国だって数多くあるのだ。理性に従うのが無難だろう。
(そうよ、だから今度来たらもう来ないでって伝えるのよ。それが正しいことなんだから……)
それに、師匠が亡くなったときのような悲しみを味わうなんて嫌だ。絶対に。
だから――と思ったところで気がついた。
はたして今は何月だっただろうか、と。
ルーツィンデは慌てて壁にかけられた日めくりカレンダーを確認する。毎朝無意識のうちにめくっているそれには、大きく六月十三日と書かれていた。
(よかったわ……まだ過ぎてなかった)
ほっと胸をなで下ろす。
過ぎていなかったというのは師匠の命日のことだ。六月十八日。あと五日後。
その日は毎年、静かに過ごすと決めていた。記憶が薄れてしまわぬよう師匠との思い出を掘り返し、懐かしむ日。
(いろいろと用意しなきゃいけないわね……)
そう思い、ルーツィンデは静かに目を伏せた。
その晩。ぼんやりと過ごしていると数日ぶりに小屋の扉が叩かれた。
これは、おそらく。
深呼吸をして脈を整えようと試みたものの、心臓はドキドキとやかましいままだ。諦めてのろのろと扉へと向かう。
(今日こそは言うのよ、もう来ないでって……)
そう決意しつつ、ルーツィンデはゆっくりと玄関まで行くと扉を開けた。
そこにいたのはやはりアレクシスで。
「お久しぶりです、魔女様」
上品な笑みにどきりと胸が高鳴る。
ぐるぐると血が全身を巡った。頬が火照って、胸が張り裂けるのではと思ってしまうほど心臓が強く脈打つ。
「魔女様? どうかなさったのですか?」
訝しげな声が聞こえ、ビクリと肩を跳ねさせた。慌てて視線を逸らす。
「な、なんでもないわ」
「そうですか? 顔が赤いですが……あっ、もしかして熱を――」
「ないわ! ないから触れようとしないで!」
「ですが……」
「いいから!」
額に手を当ててこようとするので、バッと両手で押さえて拒絶した。今触れられたら絶対におかしくなってしまう。そんな確信があった。
じとっと睨みつければ、アレクシスは「…………わかりました」と言ってしぶしぶ手を下ろしてくれた。そのことにほっと息をつきつつ、額を解放する。
「改めまして、お久しぶりです、魔女様」
「……ええ、久しぶりね」
そう挨拶をし、彼を家に招き入れた。彼はいつものように一礼をし、「失礼いたします」と小屋に入ってきた。「こちら今日の手土産です」とカゴを渡される。
「ありがと」と言って受け取って中を覗けば、そこにはスコーンといくつかのジャムの瓶。
「じゃあ今日もチェスしましょうか」
「はい」
魔法で紅茶とスコーン、そしてチェス盤の用意をする。いつものように席に着いたところで、ふと我に返った。
(あれ? なんで私普通に招き入れているの!? もう来ないでって言うんじゃなかったの!?)
ああああ、と後悔していると、ちょうど紅茶とスコーンがふわふわと飛んできた。チェス盤の用意は椅子に座ると同時に終わっている。
(もう用意しちゃったし、今日の帰りに言いましょ)
それがいい、と思いつつルーツィンデはテーブルに着地した紅茶を一口飲んだ。深呼吸をすると、「じゃあ私が先手ね」と言って駒を一つ動かす。
そうしてチェスの試合を始めた。合間にスコーンを食べたり紅茶を飲んだりしつつ、のんびりと進めていく。
穏やかな時間だった。ぽつぽつと会話をして、真剣にチェスをして。
やがて「チェックメイト」という声が小屋に響いた。
発したのは――ルーツィンデだった。
自分で口にしておきながら現実が認識できずにいると、対面に座っていたアレクシスがふっと笑った。
「参りました」
「……ほんとう?」
「本当ですよ。なんで勝った魔女様が信じられていないのですか」
「だって……勝ったのはじめてだもの」
なんだか現実味がなくてぼんやりと呟けば、アレクシスがくすくすと笑った。
「ちょっとなによ!」
「いえ……魔女様は可愛らしいな、と思いまして」
可愛い。その言葉を聞いた途端、ぶわっと顔に熱が集まった。心臓がドキドキして、おかしくなってしまいそうで。
なんとなく居心地が悪くなって視線を逸らした。
でも。
それと同時に無性に嬉しくてもっと言ってほしいとすら思うし、居心地が悪いけれど彼と離れたいとはちっとも思わない。むしろ隣にいたいと強く願ってしまう。
(なんなのかしら、この感情……)
矛盾している。相反する二つの感情が同時に存在していて、ルーツィンデ自身も感情を把握することができなかった。
けど、確かなことはあって。
(私、やっぱり彼と離れたくないって思っちゃうのね……)
もう会わないと決意したのに無意識のうちに彼を招き入れてしまうし、今こうして離れたくないと思ってしまう。
それだけルーツィンデの中で彼の存在が大きいということで。
「魔女様? どうかなさったのですか?」
アレクシスが尋ねてきた。心配してくれることが嬉しくて、胸がじんわりと温かくなる。
やっぱり離れたくない。可能な限りそばにいたい。
たとえ、いつかより傷つくとわかっていたとしても。
「……なんでもないわ。ありがと」
そう言ってルーツィンデは微笑んだ。
心はこの短い時間で自然と決まっていた。
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