21.夢から覚めて
翌日。
ルーツィンデはソファーの上で頭を抱えていた。
(そういえばもう彼とは会わないって決めていたのに……伝えるの忘れていたわ……)
なんてことだ、と心の中で嘆く。
このままでは離れがたくなるからと会わないようにするって決めたのは昨日のこと。それなのに一度だけだからと彼とデートに出かけ、普通に楽しみ、別れ際も自然と「じゃあまた明日」と挨拶してしまった。なにをやってるんだ、私は。
昨日の自分の行動を反省して悶えていると、どうしてかコンコンと小屋の扉が叩かれた。
ルーツィンデはむくりと顔を上げ、扉のほうを見つめる。〝商人〟が来る可能性は低いから……またアレクシスだろうか?
そう思った途端、どきりと心臓が跳ねた。なんとなく落ち着かなくて、肩よりも長い髪を指でいじりつつ扉へと向かう。
なんとか冷静になろうとしたけれど無理で、諦めて扉を開けた。
――そこにいたのはアレクシスではなく、彼の騎士であるランスロットだった。
「あら、あなた……」
「お久しぶりでございます、魔女様」
「そうね。久しぶり。それで、どうかしたの? また彼になにか……?」
彼が以前やって来たときはアレクシスが風邪で来れないと伝えるためだった。だから今回も同じような理由から小屋を訪れたのでは、と推測できる。
(もしかして昨日のデートで風邪がぶり返してしまったのかしら……?)
そんな不安を抱いていると、ランスロットは表情を一切変えることなく「いえ」と首を横に振った。
「アレクシス殿下は至って健康です。……今回参りましたのは、また伝言がありましたので」
「伝言?」
「はい。アレクシス殿下は諸事情によりここしばらくは夜に抜け出す余裕がないため、こちらへ来られません。少し前からわかっていたことだったのですが、昨日伝え忘れてしまったそうなので、私がこうして伝えに参りました」
しばらく来られない。
その言葉にルーツィンデの胸がツキリと痛んだ。そっと目を伏せ、「そう」と返事をする。
「わかったわ。ありがと。……待ってるって伝えて」
「かしこまりました。では失礼いたします」
ランスロットは一礼すると、くるりと踵を返した。
彼の背が遠ざかっていくのを確認し、ルーツィンデは静かに小屋の中へ戻った。パタリと閉まる扉に背中を預け、ずるずるとその場に座り込む。
彼が来ないことを寂しいと思っている自分がいた。
別れを告げるのが先になってほっとしている自分がいた。
(……別れないといけないのに)
そうでなければ一人きりの生活に戻れなくなる。それくらいわかっているのに、どうしても彼とともにいたいと願う自分がいて。
ルーツィンデはぼんやりと宙を見つめていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ただいま戻りました」
お使いに出ていたランスロットが戻ってきた。
アレクシスは持っていたペンを置くと、丸まっていた背を伸ばし、どさりと背もたれに身を預けた。
「ああ、おかえり。……彼女は?」
「お元気そうでしたよ。待ってる、と伝えてほしいとのことです」
「……そっか」
ランスロットの伝えてくれた彼女の言葉に、つい頬が緩んでしまう。
けれど表情を引き締めると椅子から立ち上がった。
「陛下の元へ行く」
「かしこまりました。……本当にやるつもりなのですか?」
おずおずと尋ねてくるランスロットに、アレクシスは「もちろん」と頷いた。ずっとずっとこうしようと思っていたのだ。むしろ遅いくらいである。
話はこれで終わりだと無言で歩き始めれば、ランスロットはそれ以上聞くことはしなかった。ただ静かに影のようにアレクシスのあとをついて来る。
あらかじめ面会予約をしていた時間より少し前に父である国王の部屋にたどり着いたが、部屋を護っていた騎士は表情ひとつ変えることなく中へと入れてくれた。
執務室では宰相と国王がなにやら話し込んでいた。しかしアレクシスの存在に気づくと宰相はそそくさと退出していく。
パタリと閉じた扉に、アレクシスはつい眉根を寄せた。
「……お邪魔してしまいましたか?」
「いや、大丈夫だ。それでアレクシス、なんの用だ?」
椅子にゆったりと腰掛けながら国王が尋ねてくる。
アレクシスはすっ、と背筋を伸ばし、告げた。
「王位継承権を返上します」
シン、とした静寂が広がった。
父はなんの反応もすることなく、ただじっとこちらを見つめてくる。まるでこれが本当にアレクシスの望みなのかを探るように。
アレクシスも王の金色に輝く瞳を見つめた。自らの覚悟を伝えるため、一瞬も目を逸らすことなく、食い入るように。
……やがて国王が小さく息をついた。
「そうか。なんとなくおまえならそうするんじゃないかって思ってたよ」
「……そうですか」
「ああ。……公表はいつがいい?」
「今すぐにでも」
「では四日後の夜会にしよう。その日はきちんと参加するように」
「わかりました」
夜会に出る。そうなることは覚悟していたものの、やはり決まるとなるとめんどくさい。思わず顔を歪めてしまう。
すると父がくすくすと笑った。
「そんな顔をするな。これっきり……とは言わないが、もう参加することもほとんどないだろうからな」
ほとんど、じゃないか。それだったら今までの生活とあまり変わらない。
そんなことを思いつつも、アレクシスはその言葉を呑み込む。これが王族の元に生まれてしまった宿命だ、受け入れるしかない。
その後細々とした打ち合わせをし、当日の予定が決まると父の執務室を出ようとくるりと身を
その直前。
「アレクシス」
父に呼ばれて振り返れば、彼は珍しくくしゃりと表情を歪めていて。
「おまえは私たちの家族だよ」
その、言葉に。
「…………失礼いたします」
アレクシスは頷くこともせず、静かに一礼をして足早に退室した。背中に刺さる父の視線に、ズキリと胸が痛む。
父がそんな顔をする必要などない。だってアレクシスは――
そっと目を伏せ、その場を立ち去る。
とりあえず自室へ戻ろうと足を向ければ、ちょうど進行方向から何人かの集団が近づいてくるのが見えた。
その先頭に立つ人物が誰なのか察したと同時に、相手もアレクシスのことに気がついたようだった。集団の先頭にいた人物が足早にこちらに駆け寄ってくる。
「兄上」
「……ウィルフレッド。どうかした?」
尋ねると、ウィルフレッドは言葉を探すかのように視線をさまよわせた。なにか話したいことはあるものの、どう切り出せばよいのか迷っているのだろう。
「えーっと……」と頼りなさげな声を発したあと、意を決したのかこちらを見上げる。
「……噂を、聞きました。兄上が王位継承権を返上するつもりだって」
「ああ、そのこと」
隠すことなく堂々と動いてきたのだ。やはり噂にはなるだろう。
そう思っていると、ウィルフレッドはくしゃりと顔を歪めた。あまりにも先ほどまでの父とそっくりな表情に、彼は父の子なのだな、と改めて実感する。
「そんなこと、ないですよね? 兄上が王にならないなんて……」
すがりつくような金色の瞳。アレクシスは静かに首を横に振った。
「いや。私は王にはならない」
「どうしてですか! 兄上は僕なんかより優秀で、ご立派なのに!!」
「……わかってるだろう?」
「わかりません! なんで、そんなことで兄上の未来が絶たれなきゃいけないんですか!」
「ウィルフレッド」
感情的にわめく異母弟の名を口にすれば、彼はすぐに顔を上げた。
アレクシスは笑みを浮かべる。
「あとは頼んだ」
そう言うと父と同じ紫がかった黒髪を軽く撫で、アレクシスは歩き始める。
「兄上!」
泣きじゃくるような声は黙殺した。
「よろしかったのですか? ウィルフレッド殿下のこと」
自室に着くなりランスロットがそう尋ねてきた。どさりと椅子に腰掛けつつ、「大丈夫だろ」と口にする。
「あいつももう成人したし……。それよりも四日後までに派閥の貴族たちを説得する。準備を頼むよ」
「かしこまりました」
ランスロットは一礼すると、魔道具で誰かと連絡を取り始める。
アレクシスは窓の外に視線をやった。清々しい青空の下に広がるにぎやかな街並み。つい昨日彼女とここを歩いたことを思い出し口元が緩みかけたが、そんなことを考えている場合ではないと意識を切り替える。
「まずは……イングストーン公爵か」
アレクシスを王にしようとしている叔父を思い出し、苦々しい表情を浮かべた。
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