20.過去と今

 書店を出たあとはぶらぶらと街を散策し、少し疲れるとおしゃれなカフェに立ち寄った。店内のいたるところに観葉植物や花が飾られていて、森の中というほどではないけれど似た雰囲気があり、落ち着く。

 席に着くとルーツィンデはふう、と息をついた。慣れない街に意外と疲れてしまっていたらしい。


「魔女様はどれにしますか?」


 アレクシスにメニューを渡され、じっくりと眺めていく。

 紅茶は何種類も用意されており、デザート等も豊富だった。少し前にサンドイッチを買い食いしたにもかかわらず、くう、と小さくお腹が鳴る。

 淑女にあるまじき行為に慌ててアレクシスの顔を窺えば、どうやら彼は気づいていないようだった。ほっと息をつき、ルーツィンデは注文を選ぶ。


「えーっと……じゃあアールグレイと、アップルパイにするわ。あなたは?」

「私は……アッサムだけで」

「あら、それだけでいいの?」

「はい、あまりお腹空いていませんし」


 その言葉にルーツィンデはムッと頬を膨らませた。


「それだとまるで私が食い意地はってるみたいじゃない」

「違うのですか?」

「……違わないけど」


 しぶしぶ認めれば、アレクシスはくすくすと笑い出した。そのことにますます顔を歪ませていると、彼が手を挙げて店員を呼ぶ。そしてルーツィンデの分も含めてきちんと注文してくれた。


「……ありがと」


 若干へそを曲げながらもそう言えば、彼はふわりと微笑んで「どういたしまして」と言った。

 そうしていると紅茶がやって来たが、アップルパイはまだらしい。せっかくだからと二人でぽつぽつと会話をしていく。

 その途中、ふと思い立って告げた。


「……そういえばありがとね」

「なんのことでしょう?」

「今日連れて来てくれたことよ。楽しかったわ」

「それならよかったです」


 アレクシスがほっと胸をなでおろす。


「結構強引だった自覚はありますし、書店では魔女様の好む本が置かれてませんでしたから、少し不安だったんです」

「……強引だった自覚があるのなら、なんで連れ出したのよ?」


 ルーツィンデは尋ねる。

 彼は先日のお詫びとして王都を案内したいと語っていたが、それだけならばルーツィンデが少しためらった時点で引き下がるはずだ。もっとほかになにか理由があるはずである。

 実際そうなのか、ルーツィンデの言葉にアレクシスはそっと目を伏せた。


「…………魔女様は、もうちょっと外に出てもいいと思いましたので。依頼がない限りずっとあの小屋――いえ、正確には小屋の敷地内から出ておられないのでしょう?」


 その言葉にぎゅっと手を握りしめる。


「……どうして知ってるのよ?」

「確か二日目だったと思いますが、そのときに外出はなさらないとおっしゃっていたので」


 ……そういえばそんなこともあった気がする。

 よくそんな昔のことを覚えていたものだ、と感心しつつ、ルーツィンデは「そう」と声を漏らす。


「はい。……あと、この国にもいいところがあるのだと知ってほしかったのです。魔女様はこの国を嫌っておられるようですし」

「まあ、ね……」


 そっと視線を逸らした。王族である彼にこの国のことが嫌いだと知られているのは、ものすごく気まずかった。

 しかも今のこの国を見ようとせず、過去の行為から嫌っていたと自覚しているから、なおさらだ。


「で、でも、今はそれほどではないわよ? 過去のこの国と今のこの国は別物だって思えるようには、なったし……」


 それに。

 ルーツィンデはもじもじと太ももの上で手をいじりながら告げた。


「今日あなたと一緒にまわれたおかげで、この国にもちゃんといいところがあるんだって実感できたわ。す、少しは、だけど……」


 なんとなく気恥ずかしくなって視線を下に向ければ、「……ありがとうございます」とアレクシスの声。

 その声は思いのほか柔らかくて、どうしてかどきりとする。「い、いえ、別に……」となんとかして声を絞り出すと、あたりは沈黙に包まれることとなった。


(な、なにか言わないと……)


 そう思ったタイミングでちょうど注文していたアップルパイが運ばれてきた。つやつやと輝くそれに目を奪われつつ、テーブルの横に置いてあったカトラリーを掴む。

 そして小さく祈りの言葉を呟くと、三角形に切られたアップルパイの先っぽから数センチのところを切り、フォークで刺して口の中に放り込む。


 まだでき上がってからさほど時間が経っていないらしく、アップルパイはほんのりと温かかった。口の中になめらかなカスタードクリームとりんごジャムの甘味が広がる。サクッとしたパイ生地と合わさるとちょうどいい塩梅で、ルーツィンデは頬を押さえた。


「美味しいですか?」

「ん……ええ、美味しいわ」

「それならよかったです」


 すべて呑み込み終えてから答えれば、アレクシスは嬉しそうに微笑んだ。

 でも。

 ルーツィンデはそっと目を伏せる。


「でもやっぱり、あなたの作ったお菓子が一番ね」

「え……?」


 目を瞬かせるアレクシスに、ルーツィンデはくすりと笑った。


「だってあなたのお菓子ってものすごく甘いけど、くどくはないじゃない? 私本当甘い物が好きだから、あなたの作るお菓子の甘さがちょうどよくて好きなのよ」


 そう言った彼のほうを向き、思わず目を見開く。

 あのアレクシスが頬を朱に染めていた。いつもにこにこと笑みを浮かべていているアレクシスが、だ。

 めったに見ることのない彼の照れ顔――しかも過去最大級に照れている気がする――にぼんやりと見惚れていると、彼が右手を持ち上げた。そして静かに口元を覆い、視線を逸らす。


「あ、ありがとうございます」

「え、あ、いえ、どういたしまして」


 反射的にそう答えつつ、ルーツィンデはにやりと笑みを浮かべた。


「なによ、照れてるの?」

「……まあ、照れています、ね」

「ふーん。あなたも可愛いところあるのね」

「……可愛いって、男に向かって言う単語じゃないですよ」

「でも可愛らしいんだもの」

「…………ありがとうございます」


 ものすごく照れているのか未だに視線をさまよわせるアレクシスに、ルーツィンデは笑みを深めながら切り分けたアップルパイを口に含むのだった。




 小屋の扉を開けると、ルーツィンデはすぐさまソファーに倒れ込んだ。


 王都にいたときは特になにも感じなかったのだが、アレクシスと別れて一人森へ転移してきた途端どっと疲労が押し寄せてきた。その場にしゃがみ込んでしまったら動けなくなると思い、意志の力を振り絞ってなんとか小屋まで歩いてきたのだ。

 ふう、と息をつく。


(楽しかったわね……)


 久しぶりの街は刺激的で、年甲斐もなくはしゃいでしまっていた。もう三百歳を余裕で超えているのに。

 まったくなにをやってるんだ、と、今日一日の行動を振り返って笑みをこぼす。


 服とか靴とか着替えさせられて、サンドイッチを買い食いして、書店にも行って、ぶらぶらして、そして最後はカフェでアレクシスと話しながらアップルパイを食べた。これ以上ないくらい街を楽しんだ。


(たまにはこういうのもいいかもしれないわね……)


 街への恐怖感も薄れたし、これからはちょくちょく出かけてもいいのかもしれない。アレクシスを連れて。

 そう思い、ルーツィンデは笑みを深めた。

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