19.ぶらりと

「魔女様はどこか行きたいところとかあります?」

「私?」

「はい。なにか買いたいものとか、観たい演劇とか……とにかくなんでもいいのでありますか?」


 アレクシスがそう言う。うーんとうなりつつ、ルーツィンデは周囲を見回した。

 生活必需品などは商人から定期的に買っているから問題ない。となると特に買いたいものはなかったのだが、せっかく質問してくれたのになにも答えないのは申し訳ない気がする。

 そのときある屋台が目についた。


「あ、あそこのサンドイッチ食べたいわ」

「わかりました。確かあそこのサンドイッチは美味しいと評判だったはずです。肉屋がサンドイッチ売っているのも珍しいですし、注目されていた気がします」

「そうね。……ところでなんでサンドイッチなのかしら?」

「……どうしてでしょうね?」


 そんな会話をしつつ列に並ぶ。

 肉屋なのにサンドイッチを売ってる不思議な店。しかも五組くらいが並んでいるのだから、興味がそそられないわけがない。


 しばらく待つとルーツィンデたちの順番が回ってきた。サンドイッチを二人分頼み、お金を出そうとすれば、カバンから財布を取り出す前にアレクシスが支払いをした。


「ちょっと」

「別にこの程度のお金、大丈夫ですから」

「確かにあなたにとってははした金なんでしょうけど、私の気が済まないのよ。お金払わせなさい」

「男としてここは譲れません。……ほら、サンドイッチですよ」

「……ありがと」


 かたくななアレクシスの様子にため息をつきたくなりつつもなんとか堪え、ルーツィンデはサンドイッチを受け取る。

 幅は大したことないけれど高さは結構あり、パンは上と下、そして真ん中の三枚あった。パンの間には焼かれた肉が挟まっている。


 人の邪魔にならないよう道の端へ移動すると、肉を落としてしまわないか注意しながらサンドイッチにかぶりついた。


 じゅわっと口の中に広がる肉の旨みに思わず頬を緩める。できてからまだあまり時間が経ってなかったのか、肉はほんのりと温かく、塗られていたタレもものすごく美味しい。


「美味しいわね」

「ですね」


 隣ではアレクシスがもぐもぐと口にしている。やはり育ちがいいのか品のよさは出ているものの、それも下級貴族程度のもの。今の姿だけを見ていると、彼が一国の王子で、やがて国王になる者とはまったく思えなかった。


「……そういえば、あなたが王子ってバレないのね」


 王族ならば行事があるたびに国民の前に顔を出しているため、バレそうな気がする。しかも次期国王ならばより国民の印象も強いだろう。

 それなのに今のところ誰にも気づかれていない気がする。そのことが不思議だった。


「ああ……まあ、私はあまり国民の前に出ないので」

「そうなの?」

「はい。ちょっと事情がありまして……」


 そう言うアレクシスの顔にはどこか暗い影が落ちていて、あまりよろしくない事情があるのだろうということが窺えた。


(触れるのも、よくないわよね……)


 親しき仲にも礼儀ありと言うし、そもそもルーツィンデは彼のことをあまり知らない。クレメンティア王国の第一王子で、二十歳。なぜか料理が上手く、魔女になりたいと望んでいる。たったそれだけだ。

 そんな自分が彼の事情に深く踏み込んでもいいのかわからなかった。


「まあ、いいわ。とりあえずそろそろ――」


 移動しましょ、と言おうとしたときだった。


「あ、待ってください」


 アレクシスがそう言い、ルーツィンデのほうに手を伸ばしてくる。

 なんだろう? と思っていればそっと口元を拭われて。


「タレがついてましたよ」


 にこりと微笑みながらそう言うと、アレクシスはタレのついた人差し指をぺろりと舐めた。

 舐め、た。


(……ん? んんんんんんんっ!?)


 彼のした行為を認識した途端、まるで火がついたかのように顔が熱くなった。心臓がかつてないほどドキドキして、どうしてか指先が震えて。


「……魔女様?」


 アレクシスが呼びかけてくる。

 ルーツィンデは慌ててぷいっとそっぽを向いた。


「い、行くわよ!」

「はい、わかりました」


 いつもと変わらないアレクシスの声。

 自分だけが動揺している現状が、どうしてかものすごく不満だった。それを発散させるためにも荒い足取りで進む。


「魔女様、そんなに早く歩いては……」


 そんな注意が後ろから聞こえてきた、まさにそのとき。

 石畳の隙間にヒールがハマってしまい、バランスを崩す。


「わっ」

「魔女様!」


 転びかけたところを、アレクシスが抱きとめてくれた。不老不死であるため怪我をしてもすぐに治るのだが、痛いものは痛い。転ばなくてよかったと心底思う。

 ゆっくりと体勢を戻してもらうと、「ありがと」とアレクシスに告げた。


「どういたしまして。……ヒールは抜けそうですか?」

「えーっと、ちょっと待ってて」


 石畳の間に挟まったヒールだったが、なんとかものの数秒で抜けた。


「……大丈夫ね。じゃあ行きましょうか」

「魔女様」


 ルーツィンデが歩き出そうとすれば、アレクシスに声をかけられた。

 彼のほうを振り返れば、なぜかこちらに手を差し出してきていて。


「……なに?」

「手を繋ぎましょう」

「どうしてよ!?」

「また転びかけてしまう可能性がありますから」


 確かにそうだ。もしかしたら今度こそアレクシスの手助けが間に合わなくて転んでしまう可能性だってある。

 だが、手を繋ぐのはなんとなく気恥ずかしくて。

 ルーツィンデはぷいっとそっぽを向いた。


「別に大丈夫よ。今度からは気をつけるもの」

「ですが万が一のこともありますし」

「私は魔女よ? 怪我してもすぐに治るわ」

「ですが痛いものは痛いでしょう?」

「まあ、そう、だけど……」

「ほら、魔女様。お手をどうぞ」

「…………」


 悩みに悩んだ末、ルーツィンデはそっと自らの手を重ねる。どきりと脈打つ心臓を意識の外に追いやり、平静を装って歩き始めた。


 ぐるぐると全身を熱が巡る。しばらくはそれに耐えられていたけれど、もう、無理で。

 ルーツィンデは周囲を見渡した。とりあえずどこかの店に入れば手を離すはずだ。きっとそう。

 そう信じて探せば、目に飛び込んできたのは大きな書店。なんと三階建てだ。すごい。


「あそこに行くわよ!」

「はい」


 書店を指さしながら彼の手をぐいっと引っ張れば、背後から返事が聞こえた。手のひらに触れる熱のことを意識の外に追い出しつつ、ルーツィンデは一目散に書店へと向かう。


 中に入れば清涼な空気が漂ってきた。もしかしたら魔道具で温度を一定にしているのかもしれない。

 入り口近くにはカウンターがあり、それ以外は本で埋め尽くされていた。ルーツィンデの背丈より高い棚がいくつもあり、そのどれにもぎっちりと本が詰まっている。


(こんな数の本、見たことない……!)


 心の中で歓声を上げながらふらふらと歩き出す。どうやらジャンルごとに分けられているらしく、似たような単語を含んだタイトルがいくつも並んでいた。


(魔法はどこかしら?)


 やはりこういう場所に来たら真っ先に心惹かれるのは魔法に関する本である。きょろきょろと周囲を見渡していれば、アレクシスが「魔法に関する本ですか?」と尋ねてきた。


「そうだけど……なんでわかるのよ?」

「魔女様のことはよく見ておりますので。魔法とかでしたら確か二階ですよ」

「ありがと」


 よく見ている、ということになんとなく気恥ずかしくなりつつも、お礼を言って入り口近くにあった階段から二階へと上がる。

 二階にも大量の本が並べられていた。それらを眺めつつ、魔法に関するコーナーを探し歩く。


(……あら、意外と少ないのね)


 そしてようやっと目当てのコーナーにたどり着いたとき、その少なさにちょっと驚いた。確かに魔法に関する本は専門書になるのかもしれないが、かなり少ない。並べられているのは『はじめての魔法』とか『これ一冊で丸わかり! 魔法の使い方 基礎編』とかいうものばかりだ。

 そのことが残念で、はあ、とルーツィンデはため息をつく。


「魔女様?」

「いえ……ちょっとショックだっただけよ」

「なにがでしょう?」

「私の書いた本があまり出回ってないことよ」


 するとアレクシスは目をぱちくりさせた。


「……本を書いておられたのですね」

「当たり前よ。魔女だもの。生きていくためにはお金が必要だから、研究の成果を本にまとめることは多いわ」


 ちなみに出版社との仲介役は魔女専門の商人だ。彼に原稿を渡し、数回手紙でやり取りをして原稿料をもらう。無事出版されたら献本が届くこともあった。


「……それぼったくられてません? 少なくとも印税は入るはずかと……」

「そう? ……まあ暮らしていくのには十分なお金になるし、それくらいいいわ」

「そうですか……」


 アレクシスは不満げな表情を浮かべている。

 とりあえず目当ての本はないため、ルーツィンデはその場から去ることにした。


「ほら、行くわよ」

「……はい」

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