17.デート

 その翌晩のこと。

 いつものようにノックされたため扉を開ければ、そこには見たことのない人物がいた。


 闇のような黒髪に灰色の瞳の、大柄な人物である。彼の腰には剣が下げられており、シンプルながらも仕立てのよい服をまとっていた。

 その服装に見覚えがある気がして記憶を手繰り――思い出した。騎士の服装に似ているのだ。

 男は静かに一礼をする。


「こんばんは。魔女様でよろしいでしょうか?」

「え、ええ。そうだけど……あなたは?」

「クレメンティア王国第一王子、アレクシス殿下の騎士、ランスロット・ハーヴァーと申します。以後お見知りおきを」

「ああ、彼の……」


 確かにアレクシスは第一王子だ。専属の騎士がついていてもおかしくないというか、ついていなければならないだろう。


 と、そこでふと今までのことを思い出す。普通騎士は片時も主のそばを離れず、付き従うものではないだろうか? なぜ今までアレクシスはずっと一人でここにやって来ていたのだろう?

 そんなことを思いつつも、今はそのようなことを考えている場合ではないだろうと思考を切り替え、ランスロットに尋ねる。


「それでどうしたの? 彼は?」

「アレクシス殿下は昨夜風邪をひいてしまい、本日は来られないとのことです。心配をかけさせてはいけないと、私が殿下の名代として馳せ参じました」


 体調を崩した。アレクシスが。

 そのことに呆然としたけれど、ああやはりとも思った。あれだけ濡れていたのだ。風邪をひいてしまうに違いない。

 ルーツィンデは意識して口角を上げる。


「そう……。わかったわ、ありがと。お大事にって伝えてくれる?」

「かしこまりました。では失礼いたします」

「ええ。わざわざ伝えに来てくれてありがとう」


 ルーツィンデの礼に彼は一礼をして返すと、そのままさっさとその場を立ち去った。

 小屋の中に戻り、ソファーに身を沈める。


 心配で胸が押しつぶされそうだった。風邪なんてみんなひくもの、少し休めば治るはず。しかも彼は王子なのだから、王族専属の医師が手を尽くすはずだ。それはわかっている。

 でも、心配であることには変わらなくて。


「すぐに治るといいけど……」


 そんなことを思いつつ、ルーツィンデは静かに目を閉じ、クレメンティア王国の王城にいるであろうアレクシスのことを思った。




 それから数日経ってもアレクシスはやって来なかった。

 昔はいないのが当然だったのに、一人きりの生活はどこか寂しく、虚しい。一日会話をしなかっただけで耐えきれなくなる。


(……ダメね、私)


 昼間、ルーツィンデはソファーに腰掛けてそう思った。一人での生活が耐えられなくなってきている。もしこのままアレクシスが来なくなったら、いつかきっと気が狂ってしまう。そんな確信があった。


 けれど。

 ルーツィンデは魔女で、王子とはいえ彼は普通の人。別れはいつか訪れるものである。


 ふう、と息をついた。


(……もう来ないでって言わないと)


 これ以上彼のいる生活に慣れてしまえばもう戻れなくなる。一人きりの生活がつらくなり、ただひたすら苦しむしかなくなる。

 それだけは絶対に避けなければ。


 ……もう、容易には戻れない気がするけど。それでも。なんとかするしかない。


 今後も魔女として生き続けるために。


 よし、と決意した、まさにそのときだった。

 コンコン、と扉が叩かれる。


(誰かしら?)


 昼間に来るなんて魔女専門の商人かカルラくらいしかいないが、二人とも少し前に来たばかりである。こんなに早くやって来るとは思えない。

 もしかして依頼人だろうか? と思いつつ扉を開けば――


「こんにちは、魔女様」


 にこりと微笑むアレクシスがそこにはいた。

 思わず目をぱちくりさせる。……どうして彼がここにいるのだろう? まだ夜ではないのに。

 呆然としていると、彼はすっと真顔になる。


「先日は大変申し訳ございませんでした。おかげで体調は元に戻りました。あと、こちらは借りていた外套です」

「え、ああ、それはよかったわ。あと外套、わざわざ持ってきてくれたのね。ありがと。でも……別にそれは夜でもよかったんじゃないかしら? どうしてこの時間に??」


 するとアレクシスは笑みを浮かべた。


「魔女様をデートに誘おうと思いまして」

「ふうん、デートね…………ってデート!? そ、そそ、それってあの、お、お付き合いしている男女がする……!?」

「はい、そのデートです」


 簡単に肯定され、ルーツィンデの脳内はパニックに陥った。

 デート。お付き合いしている男女がするデート。ということはアレクシスは自分に対してそういう感情を抱いている!?


(いやいやいやいや、彼は一国の王子よ? 責任ある立場についているのよ? そんな、そんなことあるわけがないわ……!)


 ボッと、まるで火がついたかのように熱を持った頬。それをなんとか冷まそうとしていると、アレクシスの声が降ってきた。


「嫌……でしょうか? 先日のお詫びとして、王都を案内しようと思ったのですが……」


 先日のお詫びとして。

 その言葉に一気に熱が引いていった。ふう、と息をつく。


(動揺して損したわ)


 よかった、と思う。

 けれど、どうしてか胸がモヤモヤして。


「魔女様? どうかなさいましたか?」

「……いいえ、別に。まあ、お詫びとしてなら行くわ」


 アレクシスはほっと息をついた。


「ありがとうございます。では早速今からでも大丈夫でしょうか?」

「え、あ、今から!?」

「はい。……もしかして研究の途中だったでしょうか?」

「いえ、それは大丈夫だけど……」


 なにせアレクシスが来なくなってから研究にも身が入らず、ぼーっと過ごしていたのだ。キリのいいところで終わったままである。

 だけどさすがに今からは急すぎるし、なにより。


(もう彼と関わらないって決めたばっかだったのに……)


 深く考えず返事してしまったが、これはまずいのではないだろうか。

 どうしよう……と思っていると、「魔女様?」と声をかけられた。アレクシスが訝しげにこちらを見つめている。


「ええっと……ちょっと待ってて」


 パタリと扉を閉じ、ずるずるとしゃがみ込む。

 もう、どうすればいいのかわからない。


(こ、断るのはたぶん無理よね……)


 了承したのはルーツィンデだ。さすがに今から「やっぱなしで」と言うのは申し訳ないし、その後「もう二度と来ないで」なんて絶対に言えない。

 それに……。そっと目を伏せる。

 お詫びとしてとはいえ、誘われたのだったら行きたかった。


(こ、これで最後にすればいい、わ、よね……?)


 たぶんそう。きっと大丈夫。

 そう自らに言い聞かせ、ルーツィンデは立ち上がるとパタパタと小走りに肩掛けカバンを取りに行く。街に……しかもクレメンティア王国の王都に行くのだからオシャレはしたかったが、そんな時間はないから我慢する。


(そういえば……)


 クレメンティアと聞いても特になにも思わなくなった。それは過去のクレメンティアと今のクレメンティアは別物、と考えられるようになったからだろうか?


(彼だってありのままの自分を見てほしいって言ってたし……そのおかげで、こう考えることができるようになったのかもしれないわね)


 そう思いながら玄関の扉を開ける。

 目の前には穏やかな昼間の森が広がっていた。

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