16.雨の降る夜

「うーん……やっぱりないわね……」


 手元の本を閉じ、はあ、とため息をつく。

 持っていた本のタイトルは『魔女録』。その名の通り一般に知られている限りの魔女の名前と軽いプロフィールが記されたものだ。


 その本を一通り確認したところ、やはり男の魔女の存在は載っていなかった。


 魔女になりたいと望み、不老不死になることも覚悟しているアレクシス。それだけしっかりとした思いを抱いているのならば、やはり彼の望みを叶えてあげたいと思った。

 しかし、『魔女録』を確認した限り男の魔女はいなかった。つまり彼が魔女になれる可能性は限りなくゼロに近い。奇跡が起こらない限りありえないと言っていいだろう。


 その事実に、彼を知る身としてはきゅうっと胸が切なくなる。彼はあんなにも魔女になることを望んでいるのに。魔女になりたいと思っていなかったのに魔女になってしまった人だっているのに。どうして。


(……彼、どうするのかしら?)


 死ぬ直前まで魔女になりたいと望むのか、それともいずれ魔女にはなれないと諦めるのか。

 どちらにしても、彼の心の傷は深くなるだろう。


 そう思うと憂鬱で、ルーツィンデはそっと本を地下空間に戻す。かつては地下室だったそこを改造し、いくらでも本がため込めるようにしたのだ。そこにはルーツィンデが三百年かけて集めた本に加え、師匠から譲り受けた本も大量に収められている。


「……そういえば、魔女って意外と多いのね」


 本の分厚さを思い出し、感心する。あの本に載っている魔女はざっと千人は超えていた。それだけの魔女がこの世界に生きており、今後も増え続けるのかと思うと、いずれ普通の人よりも魔女の人口が多くなるのでは、と思う。

 なにせ魔女は不老不死なのだから。


(それとも、本当は不死なんかじゃないのかも)


 噂程度にしか知らないが、時折突然姿を消す魔女がいるらしい。それが本当なのかは知らないが、もしそうだとしたら不老不死というのは間違っていることになる。


(カルラなら知っているのかしら?)


 多くの魔女の家に向かう、カルラならば。

 そう思ったが、ゆっくりと首を横に振る。今はそのことはどうでもいい。とにかくアレクシスのことだ。


「……どうしようかしらね……」


 ルーツィンデの呟きがぽつりと口からこぼれた。




 アレクシスに対して魔法を教え始めてから一週間ほどが経った。


 結局ルーツィンデは、魔女になれる可能性についてアレクシスになにも話すことなく、チェスをしたり魔法を教えたり雑談をしたりして過ごしている。


 その日は雨が降っていた。外では雨粒が葉を揺らし、どこからかカエルの鳴き声も聞こえる。

 ソファーに腰掛けてぼんやりと過ごしていると、コンコンと扉が叩かれた。肩が跳ね、心臓が一際強く脈打つ。

 彼が来るといつもこうだ、どうしようもなくドキドキして、おかしくなってしまいそう。


 とりあえず深呼吸をして気持ちを落ち着け、扉へと向かう。もうこのドキドキにも慣れたもので、今ではすぐに落ち着くことができていた。


(まあ……彼を前にしたら無理なんだけど)


 ほんのり頬に熱を感じつつ、ルーツィンデは玄関の扉を開けた。

 そこには――


「こんばんは、魔女さ――」

「ちょっとあなた今すぐに入りなさい!」

「え、ですが挨拶もなしに……」

「いいからいいから!」


 冷えきった彼の手を掴み、ルーツィンデは小屋の中へと強引に引き入れた。


 そう、アレクシスは雨に濡れてびしょ濡れだったのだ。


 さらさらな金髪はべっとりと肌に張りつき、装飾品の多い服も色がかなり濃くなっている。それだけ濡れてしまっているのだ。


「魔女様、あの――」

「あなたは黙ってなさい!」

「……はい」


 なにか言いかけたアレクシスを黙らせ、ルーツィンデはピンと右手の人差し指を伸ばし、魔法を使う。ふわりと暖かな風が吹きみるみるうちに濡れていた服が乾いたが、体温はまだ戻っていないはずだ。


(温かい紅茶を用意して、あとは毛布を被らせましょ。暖炉を使いたいけど、この時期は薪がないわね……)


 そんなことを思いながら魔法で紅茶を用意し、アレクシスをソファーにまで連れていく。とりあえず毛布を被せ、淹れたての温かい紅茶を渡した。


「はい。飲んで」

「あ、はい。わかりました」


 アレクシスは頷くとふーっと紅茶に息を吹きかけ、そっとカップを傾ける。しかしかなり熱かったらしく、すぐさまカップを離して顔を顰めた。

 ただルーツィンデの言うことをきちんと聞くためか、ちびちびとは飲んでいく。


 とりあえずできることはこれくらいだろう。ふう、と息をつくと、そっと唇を震わせた。


「で、なんであんなにびしょ濡れだったのよ?」

「……王都は雨が降ってませんでしたので。外套とかは用意していなかったんです」

「取りに戻ればいいじゃない」

「今日のお菓子がとてもうまくできたので、早く食べてもらいた……かったのですが……」


 そっとアレクシスは視線を逸らす。

 ルーツィンデはアレクシスの隣に置かれたいつもの籠を見た。そういえばそれもびしょ濡れになっていたはずである。中のお菓子が無事とは到底思えなかった。

 毎日楽しみにしている彼の手料理がないと察し、胸がどんよりと重たくなる。


「……次からはちゃんと外套を取りに戻りなさいよ。体調を崩したら元も子もないんだから」

「はい……」


 アレクシスも結局菓子を届けられなかったから落ち込んでいるのだろう、その声は重く沈んでいる。


「それでどうするの? 今日は帰る? 濡れちゃったし、早めに寝たほうがいいと思うけど……」

「……そうですね。ではお言葉に甘えまして。本日は失礼させていただきます。結局押しかけるだけになってしまい、申し訳――」

「いいからいいから。――あ、ちょっと待ってね」


 そう言うとルーツィンデは外套を魔法で呼び寄せる。棚の奥底にあったらしく、なにかが崩れる音がした。……そろそろなんでもかんでも棚に詰め込むのはやめたほうがいいかもしれない。

 そんなことを思いつつ、アレクシスから毛布を受け取って代わりに外套を渡した。


「これ、魔法がかかってるから。着ている限り濡れないわよ」

「ありがとうございます。このような物まで――」

「ああもうお礼はいいから! 早く帰ってさっさと体を休めなさい!」

「はい、おやすみなさいませ、魔女様」

「ええ、おやすみ」


 アレクシスは一礼をすると雨の中へ飛び出した。

 ふう、と息をつき、ルーツィンデはソファーに座り込む。


「これからどうしましょ……」


 いつもアレクシスと過ごしていた二時間ほどが空いてしまい、手持ち無沙汰になる。寝るにはまだ早いし、なにかしたいのだが――アレクシスが来る前どのようにしてこの時間を消費していたのか覚えていない。

 それくらい、彼のいる生活が日常となってしまっていた。


「……とりあえずなにか食べましょ」


 アレクシス手製のお菓子を食べなかったせいか小腹がすいていた。

 ゆっくりと億劫げに、ルーツィンデはソファーから立ち上がった。


 胸にぽっかりと穴が空いてしまったみたいで、そのあとなにをしても楽しくなく、結局いつもより早い時間に眠りについたのだった。

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