14.魔女になるということ

 とりあえずいつものように魔法でぱぱっとチェス盤と紅茶を用意し始めた。


「……こちら今日の手土産です」


 アレクシスから渡され、中を見ればチョコチップクッキーだった。まだできたてなのかほんのりと温かい。


「ありがと」


 ゆるりと頬を緩めつつ、皿を出してそちらの用意も始める。

 先ほどアレクシスに拒絶されたことは頭の外に追い出し、なるべく平静を装っていつもの定位置に腰掛ける。するとすぐにアレクシスも対面に座った。


 まだ若干ぎこちない気もするけれど、いつもの感じに戻ってきた、と、思う。……たぶん。

 しかし沈黙が周囲を満たしており、息苦しさを感じてルーツィンデは飛んできた紅茶を口に含んだ。口の中に広がる甘さに少しだけ気分が落ち着いてくる。


「――じゃあ、今日もチェスをしましょうか」

「……そうですね」


 努めて明るく言えば、アレクシスもしっかりと頷いた。ほっと息をつき、ルーツィンデは白の駒を動かす。

 時折チョコチップクッキーを摘まみつつ、無言でチェスの駒を進めていれば、「……魔女様」とアレクシスの声がした。

 彼のほうを向けば、ひどく思いつめたような表情をしていて。


「……なあに?」

「……先ほどの方は、魔女様のご友人でしょうか?」


 先ほどの方、とはカルラのことだろう。

 どうして彼女のことを訊いてくるのか分からなかったものの、素直にルーツィンデは頷いた。


「ええ、まあ、そうよ。友人ね」

「……失礼ですが、いつごろから交流があるのでしょうか?」

「……どうしてそんなことを?」

「……興味が、あったので」


 そう言うアレクシスの表情はうつむいていてよく見えない。

 けど、どんな表情をしていようとも、今カルラのことを尋ねられるのはあまりいい気はしなかった。


(なんでかはわからないけど……)


 もやもやとしつつも、それを押し殺してルーツィンデは告げる。


「そうね……カルラと出会ったのは私が魔女になったときだから、もう三百年以上前ね」


 途端、アレクシスはバッと顔を上げて目を見開いた。まるで予想していなかった答えが返ってきた、とでもいうような表情である。


「……どうかしたの?」

「あ、いえ、なにも……。ところで魔女になったときとおっしゃいましたが、魔女になるとほかの魔女が祝ってくれたりするのですか?」

「そんなわけないじゃない」


 あまりの質問に思わずくすくすと笑いながらそう答えれば、「……そうなのですか?」とアレクシスが首を傾げる。


 そのときになってふと気づいた。ルーツィンデだって魔女になる前はどうやって魔女になるのか知らなかったのである。彼も知らない可能性が高いのではないだろうか。


 ……まあ彼は魔女になりたいようだし、一国の王子だから魔女に関する情報を手に入れるのも容易である。もしかしたらそのことも調べ上げているかもしれない。

 でも確定ではないためとりあえず尋ねることにする。


「ところであなたはどうやって魔女になるのか知ってる?」


 アレクシスはしばし黙りこくったのち、「……知りませんね」と口を開いた。


「あらそう。じゃあいい機会だし教えましょうか」


 アレクシスが黒のポーンを動かした。次の一手を考えつつ、ルーツィンデは口を開く。


「そうね……魔女はある日突然なるものって言われているけど、じゃあ魔女になったってどうやって本人が気づくと思う?」

「……なにかこう、体の感覚が違ったりするのではないでしょうか? 魔力の量が増えたり、魔法が使いやすくなっていたり」

「そんなわかりやすい変化なんてないわよ。少なくとも私にはなかったわね。だから私自身、正確にいつ魔女になったのかは知らないのよ」


 目をぱちくりさせるアレクシス。

 意外にも幼い態度につい笑ってしまいつつ、ルーツィンデは続けた。


「当時私は師匠と二人きりでこの小屋で暮らしていたわ。最初のころこそ魔法を教わるばかりだったけど、一通り身につけると一緒に研究するようになったわね。そんなふうに穏やかな日々を過ごしてたらね、ある日庭でものすごい音がしたのよ」

「ものすごい音?」

「ええ。それこそ大木が倒れたと思うくらいの音。慌てて外に出たら、なぜか地面にめり込んだカルラがいたのよ」

「……めり込んだって、本当にめり込んでたんですか?」

「ええ、本当にめり込んでたのよ。それはもう一メートルくらい降り積もった雪に飛び込んだかのようにね。――あっ、当時は名前も、魔女だってことも知らなかったわ。初対面だったもの」


 当時のことを思い出し、くすりと笑う。

 アレクシスはまだ信じきれていないようだが、それも仕方のないことだろう。当時見ていたルーツィンデでさえも、時折「あれは夢だったのでは?」と疑ってしまうくらいなのだから。


「とりあえずカルラは地面にめり込んで動けていないし、師匠はお年を召していたから、私が魔法を使って助け出したのよね。それでカルラは私にお礼を言って――そのあと告げてきたのよ。『あっ、あなた魔女ね』って」


 白のナイトを前に動かす。

 アレクシスはなにも言わず、聞き役に徹してくれていた。そのことがひどくありがたい。


「……魔女はね、自分が魔女になったことには気づかないけど、ほかの魔女が近くにいたりしたらなんとなくわかるのよ。どうしてかはわからないけど。それで彼女も私が魔女だってことに気づいたのよ」


 ふっ、とわらう。彼女に魔女だと告げられたときのことは絶対に忘れない。忘れようもない。

 それだけの衝撃があったのだから。


「びっくりしたわ。あと、信じたくなかった。自分が不老不死の魔女になっただなんて、本当に嫌で」


 きゅっと手を握りしめる。

 アレクシスから視線を逸らしつつ、告げた。


「……不老不死だなんていいものではないわよ。死んで楽になりたくても、ずっと、ずっと生き続けなければならないのだから」


 死を恐れる者にとって不老不死とは救いだ。なにせ最も恐れている死から遠ざかることができるのだから。

 しかしそうでない者――特に死を望んでいた者にとって、不老不死は呪い以外のなにものでもない。


 ルーツィンデは後者だった。


 祖国でクーデターが起こり、信じていた者には裏切られ、大切な人も次々と死んでいった。


(アルド――)


 最後に見た彼の姿が脳裡に浮かぶ。淡く笑みを浮かべながら、彼はルーツィンデの背を押した。

 の、彼が。


「魔女様?」


 突然黙りこくったからだろう、アレクシスが心配げな声をかけてきた。


 ――裏切り者アルドによく似た雰囲気を持つ、彼が。


 慌てて首を振って思考を消す。そんなこと考えてはいけない。アルドとアレクシスは別人なのだから。


「……なんでもないわ。ごめんなさい、話を中断しちゃって」

「いえ、謝る必要はございません。それよりも魔女様は大丈夫ですか? もしかして嫌なことでも思い出してしまわれたのでは?」

「大丈夫よ。気にしないで」

「そうですか……」


 それでも心配げな視線を向けてくるアレクシス。ルーツィンデはにこりと笑ってごまかした。

 アルドのことには、絶対に触れられたくなかった。


「それよりもあなたに尋ねておきたいことがあるの」

「……なんでしょう?」


 アレクシスは訝しげな表情を浮かべている。ルーツィンデは一度深呼吸をして、尋ねた。


「あなたは私の話を聞いても、それでも魔女になりたいと思うの? 不老不死となり、死んで楽になることもできない人生を望む?」

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