12.恐ろしいこと

 食後の紅茶を楽しんでいると、コンコンと扉が叩かれた。今日もアレクシスがやって来たのだろう。


 そのことに胸を高鳴らせつつ、ルーツィンデはティーカップをテーブルの上に戻して椅子から立ち上がった。ゆったりとした足取りで玄関まで向かい、そうっと扉を開く。

 そこには予想通り美しい笑みを浮かべたアレクシスがいて。


「こんばんは、魔女様」

「ええ、こんばんは。ほら、入って」

「失礼いたします」


 彼は深々と一礼すると小屋の中に入ってきた。

 その光景はもう見慣れたもので、日常が戻って来たんだという実感が湧き上がってくる。


「……どうかしたのですか?」


 ぼんやりとしていたからだろうか、アレクシスがずいっとこちらを覗き込んでくる。

 どきりと心臓が一際強く脈打った。頬が熱を持ち、どうしてか手汗が滲んでくる。


「な、なんでもないわよ!」

「ですが顔が赤いですよ? 熱でもあるのではないでしょうか?」

「ないから!」

「ですが……」

「ないったらないの! ほら、チェスやりましょ、チェス!」


 強引に話題を変えると、ルーツィンデはいつもより若干荒い足取りでいつもの定位置へと向かった。


 ……ものすごく暑い。熱がぐるぐると全身を巡っていて、まるでサウナにでも入っているかのようだ。火照ほてった体を冷やしたいけれど、アレクシスに見られていると思うだけでどうしようもなくなってしまうから無理そうだった。


(私、どうしたのかしら……?)


 こんなことになったのはあの日――ローランドという依頼人がやって来る日の朝、抱きしめられてから、だと、思う。その日の夜はどんな顔をすればいいのかわからず、今と同じようになりながら悩んでいたのだから。


 その後は……依頼を優先したため、一度は落ち着いた。しかし依頼を達成してしまった今、どうしても彼のことを意識してしまっていて。

 なんとか以前と同じようにしなければ、とは思う。

 けれどどうすればいいのかさっぱりわからなかった。


(と、とりあえず平静よ、平静……)

「魔女様? 座らないのですか?」

「えっ? あ、ええ、もちろん座るわよ!」


 いろいろと考えていたためか、いつの間にか椅子の前で立ち止まっていたらしい。

 アレクシスの言葉に慌てて椅子に座る。すると勢いが良すぎたのか鈍い音が響いた。

 思わずテーブルにつっぷしって、右手だけを臀部に当てた。……ものすごく痛い。


「だ、大丈夫ですか!?」

「ええ……だいじょうぶよ……」


 ゆっくりと体を起こす。まだジンジンと痛むが、自業自得だ。仕方がない。


「……チェス、やりましょうか」

「……そうですね」


 なんとなくおかしな空気になりつつも、魔法でぱぱっとチェスの用意をする。

 そしていつものように白を譲ってもらい、試合が始まった。


 お互いに淡々と駒を動かしていく。けれどアレクシスが次の手を考えている時間は暇で、つい思考があらぬ方向へと向かってしまう。

 頭に浮かぶのは目の前にいる彼のこと。


 彼がやって来てからルーツィンデの生活は様変わりした。昔のようにただひたすら魔法の研究に勤しむのではなく、息抜きの時間だって増えた。一人でいるときも彼に影響されてか、どうすればチェスで勝てるのかとか考えたりもしていて。


 ……はたして、この生活はいつまで続くのだろう?


 彼はクレメンティアの第一王子だ。このまま順当にいけばいずれ王位を継ぐ存在である。

 国王になったならばこんな辺鄙へんぴな場所に来る余裕だってなくなるだろう。


 いやそもそも国王が魔女と関わりを持っているだなんて、他国に魔女の力を軍事利用しようとしているのでは、と疑われてしまう。それだけ魔女の力は強大なのだ。

 そんな疑いが出てきてしまったら戦争が起こってしまうに違いない。

 それを避けるためにも、国王となったらアレクシスは絶対にこの場所へ来ないと推測できる。


(……そうしたら、私はどうなるのかしら?)


 もう、彼がいることが当たり前になってしまった。時折彼は遅れてやって来るのだが、時間になっても彼がいないというだけでどことなく居心地が悪くなるほどである。

 もし彼が来なくなってしまったならば、だなんて、考えるだけで恐ろしい。


 きゅっと手を握りしめていると、「魔女様?」とアレクシスの声。

 いつの間にか下がっていた視線を上げれば、彼は心配げな表情を向けてきていて。


「具合が悪いのですか? 顔色が悪いですけど……」

「……いえ、なんでもないわ」

「魔女様」


 珍しく強く呼びかけてくると、アレクシスが立ち上がった。ゆっくりとこちらに近づいてきて、そばまでやって来ると静かに跪く。

 そして優しく手を取られたかと思うと、両手で包み込まれた。


 貴人らしくない、硬い手のひら。おそらく王子としての責務を果たすためにかなりの努力をしているに違いない。

 ぼんやりとそんなことを思っていれば、視線と視線が絡み合った。

 美しい碧の瞳に映るのは、情けない顔をした魔女。


「私には魔女様がなにを考えているのかなんてよくわかりません。私たちはまだお互いのことをちゃんと知っているわけではありませんから」


 ……それはそうだろう。つい先日ローランドの依頼のときに意見が割れたのだって、お互いのことを知らないからに違いない。

「ですから」とアレクシスは言う。


「本音を話してください。少しくらい話さなければ、抱えきれなくなってしまいますよ」

「……私は魔女よ? そんなこと――」

「魔女である前に一人の女性です」


 思わず目を見開いた。

 そんなこと、魔女になってから一度も言われたことがなくて。


 ……もうずっと長い時を魔女として過ごしてきた。そうなると会う人のほとんどは、ルーツィンデが魔女になってから生まれた人たちである。

 だから彼らにとってルーツィンデは最初から魔女で。

 一人の女性だなんて思われたことなくて。

 ……ゆるりと頬を緩めた。


「ありがと」

「いえ。……それで話してくれる気になりました?」

「……それは別よ」


 なんとなく弱味を見せたくなくてぷいっとそっぽを向けば、「魔女様」と意思の強い声で呼ばれた。ちらりと彼のことを横目で窺えば、じっとこちらを見つめてきていて。

 ……はあ、とため息をついた。しぶしぶ口を開く。


「……怖いのよ、今後のことが」

「どういうことでしょう?」

「……未来がどうなるのかってことよ。これから先も私は生きていけるのか、不安になるの」


 アレクシスは真剣な眼差しでこちらを見つめていた。それがなんとなく気まずくて、へらりと笑う。


「あー、大丈夫よ。この話はもう忘れて! なんかごめんね、こんなこと話しちゃって……」

「――無理して笑わないでください」


 ぽつりとアレクシスが言った。両手を包み込んでいた力がわずかに強まる。


「私はなんの力も持たない人間です。魔女様のように特別魔法が優れているわけではありませんし、永遠の命も持っていません。ですから正直に言いまして、魔女様の不安を解決するなんてできないと思います」


 ですが、と彼は言う。


「受け止めることくらいはできます。魔女様と一緒に考えることはできます。ですからどうぞ頼ってください」


 その言葉に。

 ルーツィンデは思わず目を見開いた。それと似たような言葉をかけられたことが、ある。あれは、確か――


『ルツィ様、どうして助けを呼ばないのですか!?』

『アルド……』

『ルツィ様はもっと私たち側近を頼ってください。確かにあなた様は尊い御方ですから、あなた様の悩みを解決するなんてこと、私たちごときでは難しいかもしれません。ですが、あなた様とともに考えることはできますから。どうぞ頼ってください』


 ……状況はもう三百年以上前のことで、正直よく覚えていない。

 でも、彼は確かにそう言ってくれていた。それだけはしっかりと覚えている。

 けれど、そう言ってくれたアルドは――


 小さく頭を振って彼のことを考えないようにすると、こちらを見上げてくるアレクシスを見つめた。


「……ありがと」


 ふわりと笑みを浮かべれば、アレクシスも安心したように笑った。

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