5.秘密の一端

(そういえばそろそろね……)


 ある日の朝。ルーツィンデは身だしなみを整えつつ、そんなことを思う。


 鏡に映るのは黒髪に紫色の瞳の、どこにでもいるような少女だ。この三百年ちょっとで見慣れた、十九歳くらいのときから変わらない容姿。ずっとずっと見てきた自分の姿。

 おかげでもう、それ以上前の自分の姿などまったく思い出せない。


 ……いやそれだけではない。年々、昔の記憶が薄れつつある。家族の姿も、どんな会話をしていたのかも。大切な記憶だったはずなのに、少しずつ、少しずつ手のひらからこぼれ落ちていく。

 ぽろぽろ、ぽろぽろと。


「あー……ダメね。考えないようにしましょ」


 そう呟いて意識を切り替えると、鏡から視線を逸らしていろいろなものがごっちゃになっている棚へ向かう。


「えーっと、どこに置いてたかしら……?」


 よくわからない紙切れとか小物とかをどかしつつ、目当てのものを探していく。整理整頓しなければとは思うが、どうすれば片づけられるのかよくわかっていないためいつもこの状態だ。なにがどこにあるのかさっぱりわからない。


 とりあえず物を床に置いたりぽいっと放り捨てたりしながら探していると、やっと目当ての小瓶を見つけた。その数は残り一つ。


(まあ、もうそろそろ来るでしょうし……)


 と思ったまさにその時だった。

 コンコン、と扉が叩かれる。

 とりあえず小瓶を棚に置き、床に置いたものを飛び越えて玄関へと向かった。

 そして扉を開ける。そこには――


(噂をすればなんとやら、ね)


 噂をしていたのではなく思い出しただけなのだが……まあさほど変わらないだろう。

 そう思ってゆるりと口元をほころばせると、ルーツィンデは口を開く。


「久しぶりね、〝商人〟」

「お、おお、お久しぶりです、魔女様!」


 そう言うと、三十代半ばほどの青年はなぜか敬礼をしたのだった。




 魔女は基本家から出ない。ほかの人よりも簡単に魔法が使えるため、自給自足もそれなりに楽にできるからだ。

 それに魔女は不老不死である。食べなくても生きていけるから、衣食住をおろそかにしたところで問題ない。


 ……まあ死なないのと空腹でつらいのは別だけれど。


 そんな家から出ず、ひたすら研究にいそしむ魔女〝だけ〟を客とする商人がいる。父から子、子から孫へと脈々と家業を受け継いできた商人。


 その何代目かが、目の前にいる青年だった。

 名前は覚えていない。覚えたところで少ししたらその子どもがやって来るようになるからだ。

 だから呼びかけるときは〝商人〟。ただそれだけ。


 今の〝商人〟は前回やって来たとき、父から家業を継ぐと挨拶をしてきた。ということで今日が初めて一人で売りに来たのである。そのためあからさまに緊張しているのだろう。


(そんなに緊張しなくてもいいと思うけど……)


 小屋の床に商品をずらりと並べていく〝商人〟の動きはかなりぎこちない。かと言ってルーツィンデになにができるというわけでもないので、ただ見守るしかないのだが。

 やがて〝商人〟が商品を並べ終わった。


「ま、魔女様、どうぞお選びください……」


 ビクビクとした様子で〝商人〟は立ち上がるとルーツィンデを促す。「ありがと」と言ってルーツィンデはその場にしゃがみ込み、じっくりと観察していく。

 やはり生活必需品が多い。紙とか魔法に関する本とか、魔道具には必需品と言える魔石。彼はしっかりと自らの父の仕事を受け継いだらしい。


「そうね……魔石はあとどれくらいある?」

「ま、魔女様に出せるのは、ここ、これくらいです」

「そう……。じゃあ私に渡せるものはありったけ頂戴。あと本はこれだけ?」

「は、はい!」

「ならいいわ。あと紙は二束お願い。それと――」


 そうして並べられた商品の中から必要なものを選んでいく。

 テキパキと進め、三十分後には買い物が終わっていた。とりあえず必要最低限のものは買えたのでほっと息をつく。街へはあんまり行きたくないから、ちゃんと買えてよかった。


〝商人〟が残った商品を片づけていく。種類ごとに木箱に入れ、それを外に待機させた馬車にまで運ぶのだ。

 彼の父は屈強な男だったため簡単にしていた作業だが、今の〝商人〟はひょろりとしている。足取りふふらふらとおぼつかなくて、見ているほうが不安になってきた。


「……手伝いましょうか?」


 魔法で運べば一瞬である。

 しかし〝商人〟は勢いよく首を横に振った。


「そ、そそ、そんな! お客様に手伝っていただくわけには……!」


 ぷるぷると、まるで蛇に睨まれたウサギのように震える〝商人〟に、ルーツィンデは「わかったわ」と頷いて一歩下がる。さすがにそう言われては手を出せない。

〝商人〟はほっとしたように息をつくと作業を再開した。


 しばらくして、小屋に広げられていた商品がなくなる。

 せっかくだから見送りをしようと、ルーツィンデは小屋の外に出た。


〝商人〟は馬車の御者台に乗り込もうとして、どうしてかピタリと立ち止まる。そしてなぜかこちらを振り返って、おずおずと尋ねてきた。


「ま、魔女様、大変不躾な質問だとは思うのですが、ひと、ひとつよろしいで、しょうか……?」

「ええ、別にいいけれど……。なに?」


 こんなにも緊張しているにもかかわらず質問してくるとは、いったいどんな内容なのだろう?

 そんなことを思っていると。


「ささ、最近、ここに通う人がいるでしょうか?」

「……まあ、いるわね。どうしてそんなことを?」

「道が、以前よりも通りやすくなっておりましたので……。――あ、あの、その方はもしや男性で、しょうか……?」

「そうだけど……」


 そう返事をして、気づいた。

 もしかしてこれはとんでもない勘違いをされているのでは?


「あ、別にそんな関係じゃ――」

「そうですか。あ、あの、差し出がましいようですが、もう少し部屋に可愛らしいものを飾ったほうが、よいかと……」

「いや、あの……」

「こ、今回は持ってないので、次回持ってきますね! では!」


 ルーツィンデの話を聞くことなく、〝商人〟はそう言い残すと御者台に乗り込んで馬を走らせた。

 少しずつ馬車が遠ざかっていく。


「そんなんじゃ、ないのに……」


 はあ、とため息がこぼれた。




 その晩。

 アレクシスは小屋に入ると、どうしてか立ち止まって周囲を見渡した。


「どうかしたの?」

「……もしかして誰か来ました?」


 ……今日の午前中にも聞いたようなセリフだ。若干違うけれど。


「……まあ、来たわよ。それがなに?」

「その方は男でしたか?」


 またこの質問だ。いったいなんなのだろう?

 そんなことを思いつつ、「……そうだけど」と告げる。

 途端、アレクシスがビシリと固まった。まるで知りたくないことを知ってしまったかのような表情。


「……なによ? もしかしてあなたも私がその人と付き合っていると思うわけ?」

「…………あなた、ですか?」


 アレクシスはきょとんと首を傾げる。


「ええ、今日来た商人にもそう尋ねられたのよ。そんなんじゃないのに」


 あの様子だとおそらく、次回やって来るときは本当に可愛い小物とかを持ってきそうだ。考えるだけで憂鬱になる。

 はあ、とため息をついてアレクシスのほうを見れば、彼はなぜか顔を真っ赤にしていた。


「……なんでそんなに顔を赤くしているのよ」

「い、いえ、べつに、赤くないです」

「そんな顔で言われても信用ないわよ」


 じとっとした視線を向ける。彼は先ほどからずっと頬を紅潮させていて、まったく説得力がなかった。

 そっとため息をつく。


「まあ、いいわ。ところでなんで人が来たってわかったのよ?」

「男の気配を察知しましたので」

「……なんなのそれ? あなた動物なの?」

「はい、人間という動物ですが?」

「そういう意味じゃないから!」


 なんだかどっと疲れた。彼と話すとたまに予想外のほうから答えが飛んできて普通より疲れる。

 ただ単にこういう雑談をあまりしてこなかったからかもしれないが。


「あ、魔女様、ちょっと動かないでください」

「急になによ?」


 唐突にアレクシスに言われ、ルーツィンデは大人しく従う。

 彼は一気に距離を縮めてきたかと思うと、すっと腕を伸ばしてきた。その手が向かうのはルーツィンデの頭である。

 どうしたのだろう? と思っていると。


「……あ」


 アレクシスが固まった。


「どうかした?」

「いえ……頭にゴミがついているのかと思ったのですが、どうやら違ったようで……」


 もごもごと、言いづらそうにアレクシスがそう告げる。一瞬なんのことなのかわからなかったけれど、すぐに思い当たった。


「ああ、この髪染めてあるのよ」


 今こそ黒色に染めてあるけれど、本当は特徴的な珊瑚色の髪なのだ。そろそろ染めないといけない時期だったから、それをゴミかと思ったのだろう。

 今日染めようと思っていたのだが、〝商人〟が来たためつい忘れてしまっていた。

 アレクシスは気まずそうに視線を逸らす。


「……そうなのですね」

「ええ、そう。……って、いつまでもここで立ち話じゃよくないわよね。ほら、テーブルに行きましょ」

「あ、魔女様、今日の手土産です――」


 そう言ってアレクシスがカゴを手渡してくる。

 ルーツィンデはそれを受け取ると、ゆるりと頬を緩めながらそっと中を覗いた。

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