4.料理とまさかの事実

(チェスなんて本当に久しぶりね……)


 そう心の中で呟きつつ、籠から盤を取り出してテーブルの上に置く。


「あ、魔女様が白でいいですよ」

「わかったわ」


 アレクシスの言葉に頷き、ルーツィンデは駒を並べ始めた。

 チェスは白が先行で有利だ。譲ってくれるということはそれだけ自分の実力に自信があるのだろう。


 さて実力はいかに、と思いつつ、すべての駒を並べ終わったため椅子につく。ルーツィンデに続いてアレクシスが対面に座ると同時に、ふわりと紅茶とクッキーが飛んできた。


 一口紅茶をいただくと、ルーツィンデはティーカップを置いてアレクシスを見つめる。


「さ、やりましょうか」

「はい」


 アレクシスは楽しそうに笑みを浮かべていた。


 ――結果から言うと、ルーツィンデは惨敗した。いっそあっぱれになるほどの負けっぷりである。


「あー、もう! やっぱ三百年のブランクは大きいわね!」


 チェックメイトされ、ルーツィンデは思わず天井を降り仰ぐ。

 三百年ぶりということで、基本的なルールは覚えていたものの、戦術とかはさっぱり頭から抜けてしまっていた。そのためアレクシスが次どういう手を打ってくるのかわからず、まったくもって歯が立たなかったのだ。


 こういうことになるんだったら三百年間ちゃんとチェスをしてくるんだった。

 今更ながらそんなことを後悔していると、くすりとしたかすかな笑い声が耳朶じだを打つ。


 もちろんルーツィンデ以外にこの場にいるのはアレクシスしかいなくて。


 なんだかバカにされているように感じてムッと顔を顰めると、ルーツィンデは彼のほうを見た。

 彼は優しく目を細めてこちらを見つめていて、なんだかむずがゆい気分になる。つい、と視線を逸らせば、よりいっそう視線が柔らかなものになった気がした。


「……なによ? バカにしているの?」

「いえいえ、そんな滅相もありません。――どうです? もう一度やります?」

「その前にちょっと休憩しましょ」


 ふう、と息をつくと、ルーツィンデは紅茶を飲んだ。甘いそれに頬を緩めつつ、テーブルの上に置かれたクッキーに手を伸ばす。

 特にチョコなどが入っているわけでもない、シンプルなクッキーだ。ほどよく焼けたそれを一枚取り、口の中に入れる。


 サクリとクッキーが口の中で解けた。それからほろほろと崩れていき、ほんのりとした味が口の中に広がる。


(このクッキーも本当に美味しい……)


 頬を押さえてうっとりと皿に盛られたクッキーを見つめる。本当に美味しい。もう一生食べていられる気がする。

 と、そんなことを思っていると。


 くぅ、と、小さな音が聞こえた。思わず動きを止め、ゆっくりとアレクシスを見つめる。

 彼は恥ずかしそうに視線をさまよわせていて。


「えっと……すみません。見苦しいものを聞かせてしまい……」

「いえ、大丈夫だけれど……お腹空いているの?」


 そう尋ねれば、アレクシスはほんのりと頬を紅潮させて小さく頷いた。さすが王族、顔立ちが整っているせいか無駄に色っぽい。


(いや、そんなこと考えている場合じゃなかったわね)


 首を横に振って考えを振り払うと、ルーツィンデは未だに恥ずかしがっているアレクシスに尋ねた。


「なにか作りましょうか? あんまり上手くはないけど」

「よろしいのですか!?」


 ルーツィンデの提案に、アレクシスは先ほどまでの様子を一変させたかと思うと、目をキラキラさせてこちらを見つめてきた。ついでにずいっと顔を寄せてくる。かなり近い。

 そのことに若干どぎまぎしつつも、「え、ええ」と頷く。

 するとアレクシスは。


「ありがとうございます。ごちそうになります」


 そう言って、本当に嬉しそうに笑った。




 とりあえずチェス盤を片づけると、ルーツィンデはアレクシスとともにキッチンへと向かった。なにを作ろうかと保存庫を眺めていると、「……すごいですね」との声。

 アレクシスのほうを振り返り、ルーツィンデは首を傾げた。


「あら、なにが?」

「だって最新鋭の魔道具ばかりじゃないですか。うちの城でも、こんなに立派じゃありませんよ」

「まあ……私が作っているもの」


 そう告げればアレクシスはピシリと固まる。


「作ったって……これすべてですか?」

「ええ、もちろん。私は魔道具の開発が専門だもの。試作品を作って自分で使って、問題なければ製法を売る感じね」

「……すごいですね」

「ありがと」


 驚いたような表情を浮かべているアレクシスににこりと笑いかけつつ、ルーツィンデはもう一度保存庫の中に視線を向けた。


 これもルーツィンデの開発した魔道具だ。箱の中を冷却し、食料を貯蓄できるようにしてある。

 問題はかなり場所を取るため床に埋め込むしかなく、普通の家では設置が難しいことと、魔力の消費がえげつないこと。今のところ魔女くらいでないと使えないため、実用化にはほど遠い。


(もっと大きくて高価な魔石を使えばまだ少なくなるんでしょうけど、それだとさらに大きくなるものね……)


 なんとかしていろんな人に普及できるレベルにまでしたいものだ。

 そんなことを思いつつ、保存庫の中から卵とパン、それにバターを取り出す。


「簡単だし、サンドイッチにしましょうか」

「わかりました。――あ、私もなにか手伝いますよ」

「じゃあパンを切っておいて。包丁はそこよ」

「はい」


 アレクシスが動き始めたのを確認すると、ルーツィンデも調理に取り掛かった。と言っても熱したフライパンにバターを入れ、その後スクランブルエッグを作っていくだけだが。


 魔道具の上にフライパンを置き、スイッチである魔石に魔力を通す。これで魔道具の上に置かれたものが温められていくのだ。


(……って、そういえば彼って王子よね?)


 王子が調理などするはずがない。つまり――

 慌ててアレクシスのほうを向く。もしかして大惨事になっているのでは、と思ったのだが。


「――魔女様、できました」


 意外なことに、彼の手の中には綺麗に耳の落とされたパンがあった。

 そのことに思わず目をぱちくりさせる。


(……彼って本当に王子なのかしら?)


 なんでこんなふうに綺麗にできるのだろう? 先ほどの説明だけじゃ、料理初心者はなにをするべきかわからなくて右往左往しそうなのに。

 ぼうっとアレクシスを見つめていると、彼は首を捻った。


「どうかしましたか?」

「いえ……ただ、王子だったら普通、パンを切っておいてって言われてもなにをするべきか迷いそうだなって思ってたから」

「ああ……。確かに普通の王族だとそうなるかもしれませんね」


 そう言うと彼はくすりと笑った。まるで自分が普通でないと自覚しているかのような言い方である。

 そのことを不思議に思っていると、「卵入れなくてもいいのですか?」と尋ねられた。ルーツィンデは慌てて卵を割ってかき混ぜると、熱したフライパンの中に垂らす。


 じゅわっと焼ける音がした。それをぐしゃぐしゃに混ぜながらルーツィンデはアレクシスに訊く。


「じゃあどうして?」

「料理は一通りできますので」

「…………は?」


 ぎょっとアレクシスを見る。彼はいたって平然としているけれど、それはおかしい。


「……あなた、第一王子よね?」

「そうですね」

「……なのに料理ができるの?」

「ええ。昨日のアップルパイも今日のクッキーも私の手作りですよ」

「えっ!?」


 信じられない言葉が飛び出してきた。

 呆然としていると、アレクシスが「焦げますよ」とフライパンを指さして言う。慌てて魔道具を止めると、そのままスクランブルエッグを皿へ移した。あまり焦げていないようでほっと胸をなでおろす。よかった。

 さて、ということでアレクシスを見る。


「……さっきの言葉、ほんとう?」

「はい、本当ですよ。……意外ですか?」

「意外というか、信じられない。なんで王族のあなたが料理しているのよ。そこは普通料理人に任せるところでしょ?」

「まあ……作ってみたかったので」


 アレクシスは照れくさそうに笑う。

 作ってみたかったとか、そんな軽い理由で手を出すべきではないと思うのだが。


(本当……彼って変わってるわよね)


 王族らしくなさすぎる。第一王子ということは、次期国王であるはずなのに。


「魔女様?」

「……なんでもないわ。ほら、パンで挟んで切るわよ」

「はい」


 アレクシスのことは頭から追い払いつつ、ルーツィンデはサンドイッチの仕上げにかかった。

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