3.アップルパイとチェス

 弟子にはしないけど来てもいいと言った翌晩。


 ルーツィンデがぼんやりとして過ごしていれば、コンコンと小屋の扉が叩かれた。昨日の今日だ。これはおそらく……と思いながら慎重に扉を開けば、案の定そこにはにこにこと笑みを浮かべるアレクシスがいて。


「こんばんは、魔女様」

「……こんばんは」


 どうしてだろう。なぜか無性に昨夜の言葉を撤回したくなった。

 挨拶をしただけなのに、と自分でも不思議に思いつつも、ルーツィンデは彼を招き入れる。さすがにそんな理不尽なことをするつもりはなかった。


 ……今後不快なことをするのなら容赦なく叩き出すけれど。


 そう思っていれば、アレクシスが手に持っていた籠を持ち上げた。

 かすかに漂ってくる甘い香り。

 ルーツィンデは首を傾げた。


「なあに、それ?」

「アップルパイです。一緒に食べませんか? 焼きたてですよ」

「……ありがたくいただくわ」


 ぷいっと顔を背けつつ、籠ごと受け取った。

 ルーツィンデはふわりと魔法を使って、アップルパイをキッチンで小分けにすると同時に紅茶の用意も始める。昨夜のように向き合うように椅子に腰掛け――そこで固まった。


(そういえば、なにをすればいいのかしら?)


 結局昨夜はあれから特になにもすることなくアレクシスは帰っていった。そのため彼と二人きりでどんなことをして過ごせばいいのかさっぱりわからない。さすがにお互い無言でいるのは違うだろうし……。


(とりあえず話をすればいいのかしら? でもいったいどんなことを……?)


「魔女様?」

「えっ、あ、な、なにかしら?」

「いえ、なにか考えごとをしているようだったので……」

「べ、別に大丈夫よ。なんでもないわ」

「そうですか」

「ええ、そうよ」


 そう肯定すれば、シンとした静寂が小屋の中に満ちた。さわさわと擦れる木々の音がやけに大きく聞こえる。


(やらかしたわ……)


 ふわふわと運ばれてくるティーカップとアップルパイを眺めつつ、ルーツィンデは心の中でため息をつく。

 先ほど話しかけられたときに話題を広げるべきだったにもかかわらず、ごまかしたせいで会話が続かなかった。沈黙が気まずい。


(もっとちゃんと会話をしてくるべきだったわね……)


 どっと後悔が押し寄せてきて、つい眉根を寄せた。


 ここ三百年近く、ルーツィンデが関わってきたのは主に魔女の友人と、定期的に商品を売りに来る魔女専門の商人だけだ。友人とは気安い会話をするけれど主な内容は魔法についてだし、商人に関しては事務的な会話しかしない。


 ということで人と雑談をしようとしても、やり方があまりわからなかったのだ。


(三百年前に戻りたい……)


 三百年前なら師匠がまだ生きていて一緒に暮らしていたし、ルーツィンデも人と関わることに慣れていた。そのころだったならばきっとアレクシスともちゃんとした会話ができたはずなのに!

 うう……と小さくうめいていると。


「――そうですね、私自身を知っていただきたいことですし、改めて自己紹介からしましょうか」


 と、アレクシスが言った。

 今度こそチャンスを逃すわけにはいかない!

 ルーツィンデはにこりと笑みを浮かべて頷いた。


「そうね。じゃあよろしく」

「わかりました。――改めまして、クレメンティア王国の第一王子、アレクシスと申します。年は二十で、趣味は……なんでしょう? 特にないですね」

「ないの?」

「まあ……はい。いろいろありまして」

「ふうん」


 内心首を傾げつつも、ルーツィンデは頷く。王族だし、いろいろと込み入った事情があるのだろう。さすがに出会ったばかりであるため、そういうことを聞くのははばかられた。


「えーっと、じゃあ普段はなにしているの?」

「主に政務ですね。王族としての義務なので」

「それ以外の時間は? さすがにずっとではないでしょう?」


 するとアレクシスは「うーん」とうなって顎に手を当てた。しばらくそうして考え、やがてぽつりと「……読書ですかね?」と言う。


「へえ、どんな本を読むの?」

「……帝王学とか経営学とか、必要なものですね」


 その言葉にルーツィンデは思わず呆れたように目を細めた。


「……それ、楽しいの?」

「……楽しいけど楽しくないっていう感じです。新しいことを知るのは楽しいですけれど、さほど興味のない分野ですし」

「……それ、さすがに気が狂わない?」


 来る日も来る日も政務をして、空き時間は必要な知識を詰め込んでいく。そんな生活、ルーツィンデだったら絶対に耐えられない。

 昔ならまだしも、この三百年間は趣味の研究しかしていないのだ。絶対に無理。


 アレクシスの苦痛に満ちた生活にげんなりとしていると、当の本人はきょとんとした様子で首を傾げた。


「いえ、別に……。必要なことですから」

「……あなた、見かけによらずすごいわね。その点は尊敬するわ」

「ありがとうございます」


 そう言ってアレクシスは嬉しそうにはにかむ。よほど嬉しいのか、その笑みはどこが子供っぽいものだった。

「では自己紹介を続けますね」という声もどこか弾んでいる。


「好きな食べ物は甘いもの全般で、嫌いな食べ物は特にないです。出されたらなんでも食べます」

「意外。甘いもの好きなのね」

「はい。甘いものを食べると幸せな気分になるので」

「わかるわ。……あ、だからアップルパイなのね」


 甘いものが好きだからアップルパイを手土産に持ってきてくれたのだろう。

 そう思ったところで気づいた。

 せっかくのできたてのアップルパイだが、二人とも話してばかりでまったく口をつけていなかったのだ。


「アップルパイ、食べましょうか。えっとカトラリーは……っと」


 テーブルの上にカトラリーがなかったので、慌てて魔法で呼び寄せる。これでは食べようと思っても食べられないはずだ。

 きちんと用意するべきだったと後悔しつつ、ルーツィンデは小さく祈りの文言を唱えてからアップルパイに手をつけた。


 サクッとした生地に、口の中にごろりと転がってくるリンゴ、そしてじんわりと広がる甘み。


(ああ、しあわせ……)


 うっとりとしながらアップルパイを噛み締める。

 思えばここしばらく――もしかしたら百年以上、こういう甘味を口にしていない気がする。

 それだけ久しぶりだと、もう本当、幸せ以外の感想が浮かばなくて。


 舌の上でころころとリンゴを転がし、ほんのりと温かいアップルパイを堪能していると、対面に座っていたアレクシスが頬を緩めた。


「気に入ってくださいましたか?」

「ええ。こういうの食べるの久しぶりだから。ありがと」

「どういたしまして」


 満足げな笑みを浮かべるアレクシスから視線を逸らし、もう一口アップルパイを食べた。


(本当にしあわせ……)


 ゆっくりと濃厚なリンゴの味を味わっていると、アレクシスがカチャリとカトラリーをテーブルに戻した。


「そういえば、魔女様は普段なにをしておられるのですか?」


 ティーカップに手を伸ばしつつ、彼は尋ねてくる。

 ルーツィンデもカトラリーを置いてティーカップに触れ、そっと口を開いた。


「私? 私は魔法の研究をしているわね」

「趣味は?」

「魔法の研究よ。楽しいもの」

「好きなことをずっとされているのですね」

「ええ、そう。かなり充実した日々ね」


 口元を緩めつつそう答えれば、アレクシスはくすりと笑った。

 それはどこか安堵しているようなもので。

 どうして彼がそのような表情をするのかわからず首をひねっていると、彼がまた口を開いた。


「それ以外の時間は?」


 そう尋ねられ、ルーツィンデは自分の生活を思い返す。魔法の研究以外の時間……。


「……特になにもしていないわね。いていうのなら寝たり食事を摂ったり、かしら?」

「外出とかはなさらないのですか?」

「ええ……まあそうね。魔女専門の商人が定期的に売りに来るから、わざわざ街に行ってまで買うものはないし、自給自足もしているし……」

「……そうですか」


 そう呟くと、アレクシスはなにやら考えるかのようにそっと目を伏せた。


「どうかしたの?」

「……いえ、なんでもありません。ところで魔女様は――」


 そうこう話しているうちに二時間ほどが経った。話も一区切りついたところでアレクシスが立ち上がる。


「では、私はそろそろ失礼します」

「そう。おやすみなさい」

「はい、おやすみなさいませ、魔女様」


 ゆるりと笑みを浮かべつつ、アレクシスは小屋の扉へと向かっていく。そして扉の前までやって来ると、くるりとこちらを向いて一礼した。相変わらず無駄に礼儀正しい。

 そんなことを思っていれば今度こそアレクシスは取っ手に手をかけ、小屋の外へと出ていった。パタリと扉の閉まる音。


 やけに大きく響いたそれについ顔を顰める。しかしなにをすることもなく、ルーツィンデは椅子から立ち上がった。


(……私ももう寝ましょ)


 同じ室内にある長椅子に移動し、薄手の毛布を被るとごろりと横になった。静かに目を閉じる。


(そういえば……意外と不快ではなかったわね)


 もちろんアレクシスのことである。最初のころこそ不快なことをするようなら叩き出すと思っていたのだが、まったくそういうことはなかった。

 なんだかもやもやとしたけれど、それを胸の底に押しやり、頭の中を空っぽにする。

 そうしてルーツィンデはそそくさと眠りについた。




「こんばんは、魔女様」

「……ええ、こんばんは」


 翌日。昨日と同じような時間になると、扉の前にはにこにこと笑うアレクシスがいた。

 その表情にどうしてか苛立ちつつも、ルーツィンデは彼を小屋の中に引き入れる。


「ああ、こちら今日の手土産です」

「そんなの気にしなくてもいいのに……」


 そう口にしながらも、胸の内では飛び跳ねていた。昨日のアップルパイも美味しかったから、今日のも美味しいはずだ!

 そう思いながら籠の中を見ると、そこには――


「クッキーと……これはチェス?」


 袋に入ったクッキーの横には黒と白の駒と、同じような色合いの盤があった。ルーツィンデの記憶が正しければ、これはチェスの道具だと思う。

 案の定、アレクシスは「はい、そうです」と言う。


「魔女様はお好きなんじゃないかと思いまして。……どうです? やりません?」

「……やるわ」


 小さく頷くと、ルーツィンデは魔法で紅茶の用意を始め、同時にチェスの準備をするためテーブルに向かった。

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