2.魔女になりたい王子様
にっこりと微笑みを浮かべているアレクシスに思わず叫ぶと、彼はゆっくりと口を開いた。
「それはもちろん、弟子になりたいので」
「しないって言ってるじゃない!」
「そうでしたか?」
「しらばっくれないで! 私もう顔も見たくないって言ったわよね!?」
「まあまあ、そんなに叫ばないでください。水でも飲みます?」
「全部あなたのせいじゃない!」
そう声を上げるけれど、彼は相変わらずにこにことした笑みを浮かべていて。
はあ、と盛大なため息をつく。もうかなり疲れた。彼の言葉にいちいち反応するのが面倒くさくなる。
「ところで入ってもよろしいでしょうか?」
「ああはいはいもういいわよ。どうぞ好きにして」
「ありがとうございます。では失礼いたします」
そう言うと、アレクシスはきっちり一礼をして小屋の中に入ってきた。
昨日も確かそのような態度をとっていて、そういうところはしっかりしているんだな、と、ぼんやりと思う。どうせならばルーツィンデに対してもそんな態度をとってくれればいいのに。どうしてか遠慮がない気がする。
もう一度ため息をつくと、ルーツィンデは昨夜のように魔法で紅茶の用意を始めた。カチャカチャと食器のこすれる音がする。
とりあえず昨日と同じように席につけば、アレクシスも対面に腰掛けた。淹れ終わった紅茶がふわふわと漂ってくると、それを口に含んでほっと息をつく。
カチャリとかすかな音がしてアレクシスのほうを向けば、彼もちょうどティーカップを置いたところで。
「昨夜のことですが、なにか不快になるようなことでもしてしまったでしょうか?」
とアレクシスが問いかけてきた。
「……別に、あなたはなにもしていないわ」
「でしたら、どうしてあのようなことをおっしゃったのでしょう?」
その質問に、ルーツィンデはそっと目を逸らす。それは、ただ――
きゅっとティーカップを両手で包み込んだ。
かすかに揺れる水面を見つめ、呟くように言う。
「――クレメンティアとはもう関わりたくないのよ」
かつて、あの王国にすべてを壊された。文字通り、当時ルーツィンデの持っていたすべてを。
視界の端でさらりと黒髪が揺れる。これも、そう。クレメンティアのせいで、私は――
カップを包んだ両手に力を込める。かの国のせいでルーツィンデは今の生活を余儀なくされているから、なにがあっても、絶対に関わりたくなかった。
――もうなにも壊されたくなくて。
静かに唇を噛み締める。
とろりとした水面には、情けない表情をした黒髪の少女が映り込んでいた。
「――……そう、ですか。私の先祖がなにかしてしまったようで、申し訳ございません」
そう言うと、アレクシスは椅子から立ち上がって頭を下げた。横から見たら直角になっていそうなほどのもので、ルーツィンデは慌てて立ち上がる。
「ちょっ、そんな、頭を上げなさいよ!」
一国の王子が一介の魔女ごときに頭を下げて謝罪している。その現実が気まずくて
「いえ、私の先祖が魔女様にひどい仕打ちをしてしまったのでしょう? ならば私が謝罪するべきです」
「謝罪はちゃんと受け取るから! だからさっさと顔上げなさい!!」
「……わかりました」
しぶしぶといった様子でアレクシスは顔を上げる。その顔には不満がありありと浮かんでいて。
謝罪したりないのだろうか、子どもらしくむっと顔を顰めている。
「……なによ?」
「いえ、なにも。一応謝罪は受け取っていただけましたから」
その言葉とは裏腹に、表情は相変わらず不満げなものだった。となるとなにか言いたいことがあるのだろう。
そう思っていれば、やはり「ですが、」とアレクシスは言う。
「できるならば、クレメンティアとは関係なく私自身を見てください」
ハッと息を呑んだ。
確かにいくら彼がクレメンティア王国の王子とはいえ、彼の先祖の行いに彼自身は関係ないのである。それならば彼の言う通り、きちんと彼自身を見るべきだ。
「……確かに、そうね」
声を絞り出せば、彼はパッと顔を輝かせる。
「では弟子にしてくださるのですか!?」
「それとこれとは関係ないでしょうが!」
「してくださらないのですか?」
「当たり前よ!」
そう言えば、アレクシスはシュンとうなだれる。まるで主人に置いてけぼりにされた忠犬のようで、どうしてかチクリと罪悪感が胸を刺す。いけないことをしてしまった気分だ。
(……いやいや、流されてはダメよ、私。
そう自らに言い聞かせてぐっと拳を握りしめると、平静を装って尋ねる。
「ていうか、なんでそんなに私にこだわるのよ? 王子なら教えたいって思う人も引く手あまたじゃない」
王族に魔法を教えるだなんて、それこそ国中の魔法使いが集まってくるに違いない。
だからこそ、どうしてこんな隠居している魔女に頼み込むのかよくわからなかったのだ。
すると。
「……魔女様がいいんです」
アレクシスがこぼした、ぽつりとした声。
それはやけに寂しげで、それと同時になにかに恋焦がれているようで。
そのことに引っかかりを覚えつつも、「どうしてよ?」と尋ねる。
アレクシスは戸惑ったように視線をさまよわせつつも、どこか照れたように、ためらいがちに口を開く。
「――魔女様の魔法はとても美しいですから。私も魔女様みたいな魔法を使えるようになりたいと思ったのです」
その言葉に。
ぶわっと胸の底から喜びが溢れてきた。
じんわりと胸に広がる幸福感に、涙まで出そうになる。
魔法は好きだし、得意だと自負している。
けれど師匠がいなくなって三百年ほど。その間ずっと魔法を褒められたことなどなかったから、嬉しくて。幸せで。
喜びにニヤけてしまわないよう頬を引き締めつつ、ルーツィンデはぽつりと呟くように言った。
「……ありがと」
すると数秒してアレクシスがくすくすと笑い出す。なんだか気恥ずかしくなって、穴に入りたい気分になってきた。
それをごまかすように口を開く。
「なによ?」
「いえ、魔女様は素直で可愛らしい御方だな、と――」
「か、かわ――っ!?」
「ええ、可愛らしいですよ」
微笑みを浮かべながらさらりとそう言うアレクシスに。
ルーツィンデはなんだかよくわからない感情が湧き上がってきて、うう、とうめき声を漏らして顔をうつむける。
どうしようもなく胸がドキドキして、全身が熱くて。
穴に入りたいどころかいっそ穴に埋まってしまいたいと思っていると、「魔女様、どうかなさったのですか?」とアレクシスの声。
「な、なんでもないわよ!」
「顔が赤いですが……」
「うっさいわね! そう言うのなら追い出すわよ!?」
「……ということは、言わなければここに置いてくれるのですね!?」
「うぐっ」
痛いところを突かれ、思わず顔を顰める。
対するアレクシスはよりいっそう顔を輝かせて。
「ですね!?」
「……え、ええ、まあ、そうよ」
ずいっと顔を寄せてきた彼に思わず視線を逸らす。
彼がクレメンティアの王子だというのとは関係なく自身を見てほしいと言い、確かにそうだと思ったのだ。
だったら追い出すことなんてできやしなかった。
「か、勘違いしないでよね!? 弟子にはしないんだから!」
ルーツィンデがそう言ったにもかかわらず。
「はい、もちろんです!」
と返事をするアレクシスは満面の笑みを浮かべていた。
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