王子様は魔女になりたいそうです

白藤結

1.突然の来訪者

「魔女様、どうか私を魔女にしてください」


 玄関先でひざまずいたままこちらを見上げてくる金髪碧眼の美青年。

 それだけでも非現実的なのに、彼の口から放たれた言葉は意味不明なもので。


「…………は?」


 ルーツィンデは思わず目をしばたかせた。




 この世界には〝魔女〟がいる。

 魔法使いの、そのなかでもとりわけ優れた者がある日突然なる、永遠の命を持つ存在。それが魔女。


 ……と言われているが、どうしてそうなるのかは未だに解明されていない。しかもいつの間にかそこに住んでいた魔女がいなくなっている、ということもあるらしく、本当に永遠の命なのかも疑われている。しかし確かめるすべなどなくて。


 魔女自身もよくわかっておらず、曖昧な存在。それが魔女。


 ルーツィンデもそんな魔女の一人だった。

 三百年以上前から森の奥の小屋で暮らし、ただひたすら魔法の研究に明け暮れる、どこにでもいるような魔女。


 その晩も魔法の研究をしぶしぶ打ち切り、夕食をろうとしていたときのこと。

 ひかええめに小屋の扉が叩かれた。


 魔女は魔法のスペシャリスト。それゆえ誰かが魔女に依頼をしてくることがたまにあった。

 今回もそのたぐいかと思って扉を開けたのだが、外にいた青年はルーツィンデを見た瞬間跪き、声を発したのだ。

 自分を魔女にしてほしい、と。


(…………改めて思い返しても意味がわからないわ)


 呆然と青年を見下ろす。

 彼は柔らかな笑みを浮かべているものの、こちらをからかっているような雰囲気ではなかった。ではおそらく本気なのだろう。


 が、女しかなることのできないになりたいと願っている。


「えっと…………本気?」

「ええ、本気です」


 おそるおそる尋ねれば、青年は笑みを浮かべたままそう口にした。


「私は魔女になりたいと思っております。ですからどうか、私を弟子にしてくださいませんか?」

「…………あなた、バカなの?」


 思わずそうつぶやいてしまい、ハッと口を押さえる。

 思ってしまったとはいえ、口にしてはならないこともあるのだ。


「ごめんなさい。バカは失礼よね。えーっと…………とりあえず魔女が女性しかなれないことはわかってる?」

「ええ、もちろんです」

「……あなた、男よね?」

「そうですね」

「バカなの? なんで男のあなたが魔女になれると思ってるの!?」


 思わず声を上げる。まったくもって意味がわからない。どうしてこの青年は自分の性別を認識しているにもかかわらず、魔女になりたいと願うのだろう??


 額に手を当て、細く長いため息をつく。そして目を閉じて三秒数え、ゆっくりとまぶたを上げるけれど、青年は相変わらずにこにことしたままこちらを見上げていて。


 ……どうやら夢ではないらしい。

 盛大なため息がこぼれた。


「……とりあえず帰りなさい」

「嫌です」


 しっし、と手を振れば即答された。もしかしたら弟子にしてくれるまで居座るつもりかもしれない。わずらわしい。


「私、弟子をとるつもりなんてないの。だから話は終わり。さっさと帰りなさい」

「そこをどうにか」

「いやよ」

「お願いします」


 そう言ったかと思うと、青年は地面に頭を擦りつけた。ものすごい昔、誰かから聞いたことある。確かこれは〝土下座〟と呼ばれるものだ。


「ちょっ……!? 顔を上げなさいよ!」

「では弟子にしてくださるのですね!?」

「違うから! 違うからそんな期待に満ちた顔はやめなさい!!」


 土下座されるのは居心地が悪くて言えば、なぜかキラキラとした瞳を向けられることになった。罪悪感がチクチクと胸を刺してくるから切実にやめてほしい!


(と、いうか……)


 ルーツィンデはこっそり青年の全身を観察する。

 かなりの美青年だった。金色の髪は手入れがきちんとされているのかものすごくサラサラだし、肌はまったく日焼けしておらずまるで白皙はくせきのよう。着ている衣服もかなり上等なもので、装飾品がジャラジャラとついていた。


 おそらく、それなりの地位についている者だろう。

 それこそどこかの国の上級貴族とか。


(それならどうして魔法使いの弟子にならないのかしら?)


 魔法使いの弟子になれば魔法を教わることができ、魔法使いになることができる。貴族ならば魔法使いを召し抱えていることが多いし、雇っている魔法使いに教えるよう命じればいいのだから、こうやって魔女に〝土下座〟してまで教えを乞う必要はないはずだ。

 となるとなにか事情があるか、もしくは――


(……考えたところで仕方ないわね。どうせ弟子にしないんだもの)


 浮かんだ考えをぺいっと放り捨てると、ルーツィンデは改めて青年を見た。彼はにこにこと笑みを浮かべたままこちらを見上げていて、帰るような気配は一切感じられない。


 ……はあ、とため息をついた。このままではらちが明かない。平穏な生活を維持するためには、少しくらいはこちらも譲歩しなければならないだろう。

 そう判断すると、道を譲るかのようにそっと体をどかした。小屋の中を指さす。


「ほら、入んなさい」

「では……!」

「弟子にはしないから! 話を聞くだけよ! 話し終わったら帰りなさいよ、いいわね!?」

「……わかりました」


 少し迷うような動作を見せたあと、青年は小さくうなずいて立ち上がった。ゆったりとした優雅な動きで小屋の中に入ってくる。

 きちんと入ったのを確認すると扉を閉め、リビングのテーブルに案内、しようとしたところで――


「あ」


 思わず声を漏らす。

 これから食べる予定だった夕食がテーブルの上に置かれたままだったのだ。話せるような状態ではない。


「ごめんなさい。ちょっと待ってて」


 そう言いながらピンと人差し指を立てるとそれをひと振り。

 途端ゆっくりと食器が持ち上がり、キッチンへ向かってふわふわと飛んでいく。ついでにもう一回指を振って紅茶の用意を始めた。


「さ、座って」


 そう言ってルーツィンデは青年のほうを振り返るとテーブルを指で示す。

 彼は目をぱちくりさせたあと、「失礼いたします」と言ってゆっくりと椅子に腰掛けた。

 ルーツィンデも彼の反対側に座る。ちょうどそのとき紅茶がれ終わり、二人の間にあるテーブルまで飛んでくるとコトリとテーブルの上に着地した。


 湾曲した持ち手に指先を引っ掛けると、ゆっくりとティーカップを傾けて口に含む。ほんのりとした甘さが口の中に広がった。

 ティーカップをテーブルの上に戻して青年の様子を窺えば、彼は同じようにティーカップを持ったまま若干眉根を寄せていた。もしかしたら甘すぎたのかもしれない。


 そんなことを思いつつ、ルーツィンデは「それで、」と口を開く。


「あなたはどこの誰なの? まずはそこからよ」

「そういえば自己紹介がまだでしたね」


 そう言い、青年はティーカップをテーブルに置いた。ピンと背筋を伸ばすとルーツィンデを見つめ、口を開いた。


「私はクレメンティア王国の第一王子、アレクシスと申します」


 その言葉に。

 ルーツィンデは勢いよく立ち上がった。青年――アレクシスが呆然としている気配がするけれど、彼のほうを見ることなく、テーブルの木目を見つめたまま告げる。


「――……って」

「はい?」

「出てってって言ってるのよ!」


 キッとアレクシスをにらみつけ、小屋の扉を指さす。早く目の前からいなくなってほしかった。

 それなのに、アレクシスは戸惑ったように棒立ちになるだけで。


「魔女様……?」

「さっさと出ていきなさい! もう顔も見たくない!」


 あらん限り叫べば、彼は困惑した表情を浮かべながらも小屋の扉へと向かっていく。

 出る直前、ちらりとこちらを向いてきたが、それを黙殺すれば彼はしぶしぶといった様子で小屋を出ていった。


 パタリと乾いた音があたりに響く。

 やがてアレクシスの気配が遠ざかっていき、かなり離れたところでルーツィンデはどさりと椅子に腰掛けた。

 はあ、と盛大なため息がこぼれる。


(クレメンティア……)


 もう聞きたくもない名前だった。しかもその王子だなんて、絶対に関わりたくない。

 だからこれで正しかったのだ。


 そう自らに言い聞かせ、ルーツィンデはアレクシスの使っていたティーカップに視線をやる。

 そこにはほとんど減っていない紅茶が入っていた。




 その翌日。

 同じくらいの時間にまた小屋の扉が叩かれた。嫌な予感を抱きつつも、ルーツィンデはそうっと扉を開ける。

 そこには――


「こんばんは、魔女様」

「なんであなたがここにいるのよ!?」


 つい昨晩も現れたアレクシスが、静かにたたずんでいた。

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