第11話 民主主義の意義を整理

 民主主義は良いものだと思う。これより優れた政治体制はもうしばらくは登場しないと思う。しかし、その在り方はもう古びてしまったのではないだろうか。


 近代は民主主義と資本主義が騎手と軍馬のようにバランスを取りながら発展してきた。資本主義が見捨てようとした市民を、国民が意思を示し、福祉という形で救ってきた。


 この構造は資本主義の加速が鈍い間は十分に機能を果たし、資本主義を適切にコントロールした。また資本主義も民衆の意見を反映した国家に従い、その方向を修正し発展してきた。もちろん多くの間違いをしてきたことは否定できないが、致命的ではなかった。


 しかし現代になり、インターネットが普及し国家を形成する国民の微塵の意思が終結しやすくなり、新たなニーズが発現したように見せかけることが発生し始めた。またそれだけにとどまらず、娯楽コンテンツの消費速度があらわすレベルで、資本主義が加速した。そして、加速した資本主義は国家の壁を越えて、グローバル化した。これは、本来由々しき事態なのである。格差を増長する資本主義がその加速をセーブしてきた国家権力が及ばない領域に突入し始めたわけである。


 それによって発生し始めた弊害は、格差の是正のために働く課税や規制といった国家権力から逃れるすべを企業が手にしたわけである。タックスヘイブン然りである。


コロナの惨状も民主義国家は非民主主義国家の方が比較的ましだったといわれている。また、近年の経済成長も非民主主義国家の方が優れている。(参考:22世紀の民主主義 著:成田悠輔)


 さて、このままでは民主主義は資本主義という軍馬から放り出され、際限なく暴走する資本主義を停止させる方法を模索する羽目になってしまう。そしておそらくその結論は、少し前に出ている。資本主義という軍馬を殺すしかない。それは資本主義の崩壊。しかしその結果は、かの大国が身をもって体現してくれている。共産主義の崩壊。ソ連の崩壊である。


他にも資本主義が生んだインターネット。これが民主主義を大いにむしばんでいる。いや、より正確には、インターネットが民主主義を翻弄させている。


インターネットが普及するまでは、人々が共通する知識や情報を得るためには、テレビからの情報や新聞、ラジオなどの民間企業が広域に一律に発信する情報が一般的だった。そこに個人の思いや感想、思想が反映されることがなかった。それらを伝えられるのは、井戸端会議や家庭内などの非常に自身から近しい人間だけであった。


 そこに現れたインターネットの申し子SNS。このツールは個人の思いや意見、思想を発信することに関して、驚くほど適していた。そしてそこに個人の好みを判断し、提供するアルゴリズムが搭載され、人間はSNSに魅了された。その先には自身のあこがれの人が存在し、自身に近しい考えを持った人がマジョリティのように錯覚させ、アクションに多くの共感が寄せられる。


 それと同時に、全く利害も何もないユーザーと繋がることにもなった。嫌いな人に少ない労力で罵詈雑言のシュピレヒコールを達成でき、自身と違う考えを持つ人間を排除し、アクションに数多の批判が降り注ぐことと表裏一体であった。


こんな民主主義、誰が愛せるのか?資本主義をコントロールできない民主主義に価値はない、筆者はそう考えている。民主主義は国民の意見を聞けて、国民主権だから素晴らしいのではなく、資本主義から発生する被害者を救済する手段であるから素晴らしい。少なくとも私はそう考えている。

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