第113話 兄弟の願い

「さら、まんだ……お願い、目を覚ましてよぉ……」


 エレナの口からそんな弱弱しい言葉が吐き出された。ノームは声にならない嗚咽を漏らしている。サラマンダーの唇は紫に染まっており、そこに生は感じられなかった。ただただ残酷なほどに明確な死が二人に現実を突き付けてくる。

 そこでエレナははっとして、ベルフェゴールを見た。


「ベルフェゴール! お願い、サラマンダーに呪いを、その後に私の治癒でどうにかするから!」

「……エレナ様。申し訳ありませんが……その者はもう。吾輩の呪いは、効きません」

「ッ!!」


 あまりにも恐ろしい事実を前にして、エレナの両目から大きな雫がボロボロ溢れていく。そのまま力が抜けて、その場でへたりと崩れ落ちた。エレナの脳内でサラマンダーとの思い出が思い起こされていく。彼女の全身がもう一度彼に会いたいと叫んでいた。


「あ、ああ、ああああああ……っ」


 エレナは地面に拳を叩きつける。ノームもサラマンダーを抱いたまま、その死体に泣き縋ることしかできなかった。周囲の誰もが絶望に包まれた。……しかし、その時である。


 ──甲高い少年の笑い声がその場に響いたのだ。


「はは、ははは!! あっははははは! なんて滑稽な最期なんだサラマンダー! 本当に、貴様は可哀想なヤツだなぁ」

「!?」


 声の主を探せば、いつの間にかノームの背後に少年が立っていた。少年は翡翠色の前髪を揺らしながら、未だに声を上げて笑っている。ノームは弟の死を笑う少年を睨みつけた。……と、ここでそんなノームにピタリと少年は笑うことを止めた。気に喰わなさそうにギリッと歯ぎしりをする。そして気が付けば──ノームの体が宙に浮いていた。少年の拳がノームの体をいとも簡単に吹き飛ばしたのである。


「ノーム! 大丈夫!?」

「だ、大丈夫……だ。ごほっ、ごほっ」


 エレナは慌ててノームを支え、少年を見上げた。少年はふとエレナと目が合い──ピクリ、と反応する。しかしすぐに何事もなかったかのようにノームの腕から地面に落ちたサラマンダーの死体を見下ろした。


「はは、ざまぁみろ。これがゼース兄さんの弟であるこの僕に無礼を働いた者の結末だ」

「っ、ゼースの、弟……? それって、」

「エレナ様。彼こそが聖遺物『ザグレスの心臓』に宿っていたザグレス神その人でございます!」

「!」


 ベルフェゴールがエレナに叫ぶ。そうしている間にザグレスはサラマンダーの腹に己の足を乗せた。それを見た瞬間、ノームの体が一気に火照る。


「──なぁにが兄を救ってください、だよ。ふざけるな! 僕自身は兄さんや義姉さんを失って独りになってしまったというのに……。そんな僕に、自分の兄を救ってくださいだって? 兄さんを殺す為に僕に手を出したあの忌まわしい巨人達と同じくらい腹が立つ人間達め!」

「き、さまぁっ──」


 ノームは気づけば我を忘れ、次の瞬間にはザグレスを切り殺す勢いであった。……が、エレナがすぐに彼を止めた。困惑するノームを余所に彼女はゆっくりとザグレスに近づいていき──躊躇いもなく、腰を下ろして地面に額をつけた。全身で『懇願』を表現したのである。これには魔王もノームも言葉を失った。一方ザグレスはそんな彼女に眉を顰める。


「──なんのつもりだ、金髪の女」

「お願いします、ザグレス様。サラマンダーを、生き返らせてください」

「!!」


 ノームははっとした。エレナの行動により冷静さを取り戻し、ザグレスの心臓が「死者をも蘇らせる力」を持つことを思い出したのだ。そしてノームもエレナの隣で頭を下げた。エレナ同様、その行動になんの戸惑いも躊躇いもなかった。ザグレスは少しだけ機嫌が直ったのか、今度は面白そうな玩具を見つけた子供のような表情を浮かべる。


「ふぅん。そんなにサラマンダーが大切なんだね。気に喰わないなぁ。……まぁいいや。そうだね、君達がそこまで懇願するなら考えてあげなくもないよ? まずは──」


 ──人間の右腕を一本、僕に献上してみせろよ。


 エレナは息を呑んだ。しかし悩んでいる暇はない。そっと己の腰に提げているナイフの感触を確かめようとしたのだが──その前に背後から何かが落ちる音がした。ボタリ、ボタリと地面が血で濡れていく。重々しい足音がエレナとノームに近づいてくる。そして、


「これでいいか。たった今、魔王殿に切り取ってもらった新鮮な腕だ」

「父、上……」


 ヘリオスが、己の切り離した腕をザグレスの足元に置いた。そしてゆっくりとエレナとノーム同様に地面に額をつける。


「ザグレス神よ。どうか、何卒、息子を頼む。余はまだサラマンダーに何一つ謝罪ができていない。どうか、どうか……」

「…………、」


 ザグレスはヘリオスの腕を見つめ、ほんの少しだけ後ずさった。まさか本当に腕を切るとは思わなかったのだろう。しかし彼はヘリオスの誠意に気圧されながらも、再び理不尽な要求を叫ぶ。


「あ、う……あ、あははは……まさかお前達、サラマンダーの蘇生が腕一本で済む安いものだとは思ってはいないよねぇ? そうだ! 今、僕の目の前で誰かよ! そうしたら考えてあげるからさ!」

「っ、なんで……」


 ──このザグレス言葉はヘリオスの覚悟をあっさりと踏みにじるものである。そもそも彼にはサラマンダーを蘇生させる気がないのは明らかであった。ノームが歯を食いしばり、ザグレスに殴りかかろうとする。しかしヘリオス自身がそれを止めた。ここで耐えなければサラマンダーの蘇生などもはや不可能なのだから。

 

 一方で、エレナは悩んだ。ザグレスの残酷な要求にどう対応すればいいのか思いつかなかったのだ。今度の要求は最低でも二人の人間の命がいる。自分だけを犠牲にする、なんてものができない。


(どうすればいいの……誰かを殺すなんてそんなこと、できるはずがない──! でもそうしないとサラマンダーは、戻ってこない……っ!! どうする!? 私はどうすればいいの!?)


 どうしようもない状況に歯噛みして、エレナの瞳にじんわりとまた涙が滲んでくる。ザグレスはそんなエレナに口角を上げた。


「あれ、できないの? そんなに悔しそうな顔しちゃってさ。まぁ仕方ないよね。蘇生なんて本来は人間に使っていい力じゃないんだから。それは神のみが許された特権だよ。それを僕に使ってほしいというのならそのくらいの覚悟は見せてもらわないと──ねぇ?」

「…………っ、」


 ザグレスのその要求はその場にいた全員を沈黙させる力があった。もうどうしようもない。そう皆が俯いた刹那──


「──なるほど。互いを、殺せば……サラマンダーは蘇るんだな?」


 ズルズルと、剣を引きずる音が聞こえてくる。エレナは思わず顔を上げた。ザグレスの前に立ち塞がったのは──なんと瀕死であるはずのレブンとトゥエルであった。彼らは今にも息絶えそうな様子であるというのにその足だけはしっかりと体を支えている。そして地面に落ちていたものを拾ったのだろうか、二人とも剣を握っていた。ザグレスは忌々しそうに二人を睨む。


「なんだ。お前らまだ生きていたのか。お前らの大切な弟はもう死んでしまったというのに……」

「ザグレスてめぇ、俺達が最初にお前を起動させた時に言ったよな。サテイ自身が、自分の与えた試練を乗り越えた時に、あいつを救ってやるってよ。だから俺達はわざわざあいつを攫ったんだ!」

「……そして貴方は人一倍繊細なサテイに『最低でも千は越えるシュトラールの民を自分に捧げろ』なんて試練を出したね。ご丁寧にサテイを怪物にしてまで。僕達もサテイの為に仕方なくそれに従ったけど──今思うとどうせ最初から誰も蘇らせる気なんてなかったんだろうな……」


 剣を握る彼らにエレナがハッとなって「やめて!」と叫んだ。二人が今からのか、察したからだ。レブンとトゥエルは同時にエレナを見る。二人の表情は心なしか今までで一番優しい表情であった。むしろ今までの邪悪な彼らが偽りであったかのように。


「おい、そこの……エレナとかいう女。……サテイを、頼んだぞ」

「ちょっと待ってってば! 貴方達はサラマンダーを恨んでいたんじゃないの!? どうして、」

「僕達兄弟は誰一人だってサテイを恨んでいない。恨むわけがないんだ」


 トゥエルの言葉にエレナはポカンとする。


「──むしろ僕達は今までずっとサテイを救うことだけを考えて生き伸びてきた。死んでいった十人の兄達も皆、サテイの事を最期まで心配していたさ。そして僕とレブンは誓った。死んでいった兄達の願いを背負って、僕達の大切な弟を、サテイを、ウロボロスから救い出すと! 例えどんな犠牲を払ってでも!」

「な、なら、なんであんな演技をした! お前らはまるでサラマンダーを恨んでいるかのように振舞っていただろう!」


 そう尋ねたのはノームだ。思わず聞かずにはいられなかったといった様子である。レブンはふっと口角を上げ、剣の柄を強く握り締めた。


「あいつに嫌われたかったからだ。じゃないとあいつはせっかく生き延びても俺達のことを想って苦しんでしまうと思ったから。尤も、それは失敗しちまったけどな。どちらにしろ俺達はあいつを苦しめてしまったが……」


 レブンはそこで一瞬唇を噛み締めると、ザグレスに剣先を向ける。


「そんなことよりも、だ。てめぇが要求してきやがったんだ。しっかりその目ん玉ひん剥いて見ていろよザグレス。俺達兄弟の“願い”の強さをなぁ!」

「なっ──!」


 レブンとトゥエルはサラマンダーの寝顔をほんの数秒だけ見つめた。その視線に込められたのは紛れもない彼への愛のみである。二人の脳裏に幼いサラマンダーの笑顔が映る。その笑顔を守る為に自分達は今まで必死に生きてきたのだと心を決めて──互いの顔を真っ直ぐ見る。

 そして長年共に闘ってきた兄弟にその刃を向けたのだ!


「レブン、僕はお前と同じ日に生まれたことを光栄に思うよ」

「奇遇だなトゥエル。俺もお前が双子の弟になってくれたことを誇りに思うぜ」


 二人は状況にそぐわない晴れやかな笑みを浮かべて言葉を投げかけ合う。……と、力強い一歩を踏み出した。大きく息を吸って、未だ目覚めないサラマンダーへ同時に叫ぶ。




「──サテイ、僕(俺)はお前を、愛してる(ぞ!)」




 おそらく彼らはその言葉を最期にすると決めていたのだろう。剣を振るその腕にはなんの未練もないように感じた。そして、


 ──この時、レブンとトゥエルは互いの剣に胸を貫かれたことによって、最期を迎えたのである。

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