第114話 繋がれた未来


 ──寒い。


 幼いサラマンダーは膝を抱えて牢獄の隅で縮こまっていた。今彼を包んでいるのは沈黙であるというのに、彼の耳には大好きな兄達の悲鳴がこびり付いている。

 どれだけ耳を塞いでも聞こえてくるのだ、あの“苦痛の叫び”が!

 ……だが。


『サテイ、』

「!」


 サラマンダーは思わず顔を上げる。寒かったはずの牢獄に温かい声が響いた。まるで冷えた体を温めてくれるようなその声に、彼の瞳から大粒の涙が零れ落ちていく。


 ……ずっと、焦がれていた人達がいた。

 自分が助けられなかった、自分のせいで失ってしまった兄弟。

 今、サラマンダーの目の前にはそんな彼ら全員が立っていたのだ。


「ワンス、兄さん……トゥド兄さん、サーズ兄さん……」


 サラマンダーは一人一人の兄達の名前を溢していく。呼ばれた兄達は順に強く頷いて、サラマンダーに眩しい笑顔を向けた。


 ──違う、これはただの幻だ! 兄さん達は俺を恨んでいるはずなんだ! ただの都合のいい、俺の妄想に過ぎない!! 兄さん達がまた俺に微笑んでくれるなんて──!!


『──サテイ、おいで』


 サラマンダーはハッとする。見れば、長男であるワンスがサラマンダーに向けて両手を広げていた。逞しい彼の胸板。サラマンダーは考えるよりも先に──そこへ飛び込んでしまう。ぐりぐりと懐かしい固い胸に頬をすり寄せた。それをきっかけにサラマンダーは声を上げて泣きだした。そうすると兄達の大きな手が次々にサラマンダーの頭をぶっきらぼうに撫でていく。そして、


『大きくなったな、サテイ』

「っ! え……」


 気づけば、幼かったはずのサラマンダーの体がいつの間にか成長していた。

 これが本来の自分の姿なのだとようやく思い出す。……と、同時に背後から二つの声が聞こえてきたのだ。


 ──嗚呼、この声は知っている。

 ──一つは実兄の声だ。誰よりも優しくて、強くて、俺が世界で一番尊敬している“兄上”の声だ。

 ──もう一つは“彼女”の声だ。どんな時だって俺に希望をくれる魔法の声。俺が世界で一番愛している女の声だ。


 サラマンダーは一瞬だけその声の方へ足を向けようとした。しかし兄達の視線を感じて、我に返る。この二つの声に導かれてしまえば、二度と目の前の兄達に会えないことをどういうわけか理解したからだ。するとワンスの両端に立っていたレブンとトゥエルがそんなサラマンダーを思いっきり抱きしめる。


『サテイ、』

「っ、」

『俺たち兄弟はな、お前を一度も恨んだことはねーよ』

「レブン、兄さん……!?」


 サラマンダーは嘘だ、と突発的に返した。だが当の兄達は皆がレブンの言葉を肯定するかのように頷くのだ。


『憎悪なんてものを大切な弟に向けるわけないだろサテイ。こんなに僕達は君を愛しているのに。君の幸せこそ、僕達の願いなんだよ』

「トゥエル兄さん、」

『お前は悪くない。お前は何も背負わないでいいんだ。。お前はもう自由なんだよ、サテイ──いや、!』

「!」


 ワンスがそう言い放って、サラマンダーの背中を強く叩いた。サラマンダーはその勢いによって二つ声がする方へ一歩進む。兄達が背後で自分を見守ったまま動かないので振り返ろうとしたが、すぐにワンスが「振り返るな!」と怒鳴った。


「サラマンダー! お前の未来に祝福を! 俺たち兄弟は全員──お前を──!!」


 ──その言葉の続きは聞かなくても分かっている。


 サラマンダーは気づけば声に導かれるままに闇の中を駆けていた。ワンスに叩かれた背中の痛みがまだ残っており、サラマンダーの涙を止めてくれそうにない。何故レブンとトゥエルを含む十二人の兄達が共に走ってくれないのか、何故ワンスが振り返るなと怒鳴ったのか。その答えを心のどこかでサラマンダーは理解してしまっていた。


 そしてそのままひたすら突き進んでいくと前方に光が見えてくる。なんだか懐かしい黄金色の光だ。悲しさで溢れていた胸が愛しさで満たされていった。早く会いたいと足が叫ぶ。


 ──嗚呼……お前はいつだって俺を救い上げてくれるんだな──エレナ。


 サラマンダーが光に包まれた。刹那──




「──サラマンダー!!!!」




 瞼を上げた途端に飛び込んできたのは、金髪。上からポタポタと雫が落ちてくる。サラマンダーは微かに口角を上げ、弱弱しく彼女の名前を呼んだ。エレナはそんな彼に堪らなくなって思いきりサラマンダーを抱きしめる。


「サラマンダー、さら、まんだぁ!! よかった、いぎでる、本当に、よがっ、だ……!!」

「……はは。黄金の聖女がそんな間抜け面を晒すんじゃない、ばか」


 そう軽口を投げた後、サラマンダーはエレナの背後に目を向けた。そこにいたのは──必死に涙を堪えている実の兄、ノームだ。唇を噛み締めてどうしようもない表情を浮かべる彼にサラマンダーは苦笑する。


「お前もなんて顔だよ、兄上」

「う、うるざい! 散々心配させて、他の言うことはないのか!」

「そうだな。お前ら二人には謝罪しないといけない」


 サラマンダーはそっとエレナから離れると二人にきちんと向き合った。真剣な表情を浮かべて俯く。「どうして瀕死だったはずの自分がこうしてピンピンしているのか」など色々二人から聞かなければいけないことはある。だがその前にまず自分の想いを二人にぶつけておきたかった。今この瞬間ではないと言えないような気がした。自分なりの精一杯のを。


「エレナ、兄上。すまなかった。俺の事情にお前達を巻き込んでしまった。お前達だけではない、俺は背負わなくていい贖罪の為に関係のないシュトラールの民達にまで手を出してしまった。……俺はどうしようもない愚か者だ」


 サラマンダーは震える拳を握り締めた。顔に熱が集まるのを感じながら、彼はエレナとノーム二人の顔を交互に見て──叩かれた背中の感触を思い出して──勇気を振り絞る。


「──だが俺は、やっぱりお前達とこれからも一緒に生きていきたい! それが俺のだ。兄さん達が繋いでくれた、俺の……。こんな俺だが、その……こ、これからもっ、エレナと、兄上の、傍にっ、居ても……いいか?」

「…………、」


 エレナとノームが顔を見合わせた。一瞬の間。その刹那がサラマンダーにとってとてつもなく長いものであった。しかし次の瞬間にはサラマンダーの体が締め付けられる。再度エレナに抱きしめられたのだ。その上からノームも二人を抱きしめた。三人とも鼻水と涙の散らかった笑顔で、互いの温もりを求め合う。


 ──それは、ずっと冷たく孤独な牢獄に閉じ込められていた幼い自分サテイを、ようやく解放してやることができた瞬間だった。

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