第112話 共に背負う


 サラマンダーは体が宙に浮いたのを感じた。これが死なのか、と心の中で呟く。しかし己の名を呼ぶ美声に思わず瞼が揺れた。そうするとサラマンダーの視界いっぱいに、この世の者とは思えないほどの美丈夫が映る。うっすらと紫が滲んだ彼の白髪がその端正な顔を飾っていた。晒された上半身もまさに“黄金律”という言葉を強引に脳に思い出させるような芸術品である。幼いサラマンダーでも、突然現れた彼が、人知を超えた存在であるのはすぐに理解できた。


「生きたいですか、少年」

「…………、」


 彼は驚くことにその一言だけをサラマンダーに投げかける。瀕死のサラマンダーはその言葉をしばらく理解できなかった。十数秒後、ようやくそれを認識したサラマンダーは徐々に重みを増す瞼をなんとかこじ開ける。彼の真剣な眼差しに縋るため、一刻も早くこの苦痛から救われるため、どうにか生き延びるため、必死に唇を動かそうとした。……が。


 ──『サテイ、』


 そんな幻聴が、サラマンダーの中で響く。自分の名を呼ぶ兄達の優しい声だ。サラマンダーはハッとなって、開きかけた唇を閉じる。次にその小さな拳を握り締めた後──


「おれ、のことは、いい。だから、だから……まだ、たすかる、かもしれない、にいさ、たちをたすけて……ください……おねがい、します……どうか、どうか……!!」

「────、」


 そんなサラマンダーの願いを聞いて、男は微かに口角を上げた。そしてサラマンダーの額に口づけをする。その瞬間、サラマンダーはようやく正常な呼吸を取り戻した。念願の酸素を必死に喰らう。吸って、吐いて、吸って吐いて──ようやく落ち着いたところでサラマンダーは己を抱く男を瞳に映した。どうして、と言葉が漏れる。


「ワタシは大天使ウリエル。……残念ながらキミの兄弟までワタシには救うことはできない。ワタシの加護はたった一人の人間にしか与えることはできないのだから。そしてワタシは君を寵愛することにした。……赦せ」

「…………、そ、んな」


 サラマンダーの瞳から大粒の涙が次から次に溢れてくる。困ったように眉を顰めてそれを拭う大天使を最後に、視界は闇に包まれた──。




***




「──エレナ、エレナ!」

「…………、」


 目が、覚めた。ゆさゆさと自分の体が揺さぶられていることに気づく。目を開ければルーとノームが心配そうに自分を見つめているのが分かった。頭を抱え、エレナは眠る前の記憶を手繰り寄せる。


「ここは……えっと……確か私は……ルーとノームと、サラマンダーの中に入って、暗闇に包まれて、それからいつの間にか……サラマンダーの夢を見ていた?」


 エレナの頬が濡れていた。自分は今まで泣いていたようだ。それはノームも同じだった。どうやら彼もエレナと同じ夢を──否──「記憶」を見ていたらしい。


「もしかしてあの夢は、」

「あぁ。おそらくだがサラマンダーの記憶だろう。何故余らがそれを見ることができたのかは謎だがな。父上の時と同じように、ルーの仕業かもしれない」


 「まったく、ルーは一体何者なのだ」とノームはエレナの頬を舐めるルーにため息を溢す。当のルーはこてんと首を傾げ、円らな瞳でエレナを見上げていた。エレナはそんな彼女を抱いて、立ち上がる。


「とにかく進もう。早くサラマンダーをザグレスの心臓から救い出さなきゃ!」

「きゅーう!」


 二人は硬い肉で構成されている道を駆けだした。時折肉壁に浮き出ている血管がドクンドクンと脈打っている。暗闇に映る赤い筋の光がなんとも不気味だ。……と、そうしてしばらく進んでいくと明らかに広い空間にたどり着く。どうやらここで行き止まりのようだ。

 そしてそこには──


「サラマンダー!!」


 肉壁に半身が埋まっているサラマンダーの姿が。エレナとノームはすぐにそちらへ駆け寄った。手を伸ばせばサラマンダーの頬はまだ温かく、エレナはひとまず安堵する。すると彼女の手に反応したのか、サラマンダーがゆっくりと顔を上げた。


「え、れ、な……兄、上……」

「サラマンダー! 待ってろ、今すぐそこから引き抜いてやる!」


 さっそくノームがサラマンダーの半身に腕を絡ませ、引き抜こうとする。しかし彼自身が身を捩ってそれを拒絶した。


「やめ、てくれ、兄上。俺はこのまま死ななくてはならない。二人には話せなかったが……レブン兄さんにトゥエル兄さんは俺の大切な、血の繋がっていない兄弟なんだ。二人だけじゃない、俺にはほかにも十人の兄がいた。だが、俺が、全員殺したんだ。だからっ……」

「知ってるよ! サラマンダーのお兄さん達のことも、ウロボロス計画のことも! 全部ヘリオス王が教えてくれたの! でもそれはサラマンダーがお兄さん達を殺したことにはならないでしょう! サラマンダーは何もしてない、巻き込まれただけ! 貴方が死ぬ必要なんかどこにもないんだよ」

「そうだ。お前の苦しみを理解した上で余はお前に言うぞ、サラマンダー! ……余らとともに、これからも生きよう! 余もエレナもお前に生きてほしいんだ。死ぬだなんて、言わないでくれ。頼む、たのむから……っ」

「!」


 ノームは縋りつくようにサラマンダーを抱きしめる。その体と言葉は小刻みに震えていた。ポタリポタリと地面に落ちてはしみ込んでいくノームの雫に釣られて、それを見たエレナとサラマンダーも思わず涙が頬を伝った。サラマンダーは嗚咽まじりに叫ぶ。


「なんで、泣いているんだよ二人とも……。やめてくれ! 俺を蔑めよ! 軽蔑してくれよ! 俺は、おれは……っ、お前らと生きることを許されていい人間じゃない!」


 サラマンダーの言葉は止まない。彼の中で感情が爆発して、混乱しているのだろうか。エレナとノームは黙ってそれを聞いている。


「──俺が生まれたせいで兄さん達は死んだんだ!! 俺は、兄さん達が死んでいくのを何もせずに見ていただけだったんだっ! 勇者の加護を授けられて生き延びた時だって、俺、本当は、心のどこかで、自分が助かったことに安堵してしまっていた!! 自分だけ城に受け入れられて、施設で苦しんでいる兄さん達に対して何もしてやれなかった!! いつだって俺は結局自分が一番なんだよ……っ! お前らみたいに、なれない。そんな俺が、俺なんかが、お前らと一緒に、いていいわけがない……生きていいわけがない……」

「…………っ、」

「ザグレスが言ったんだ。俺の命と多くのシュトラールの民を犠牲する覚悟があるならば、兄さん達をウロボロスから救ってやるって! ……そうだ、そもそも俺は、俺の都合で罪のない民達を既に巻き込んでいる。もう取り返しはつかないんだ。だから、」

「──馬鹿っ!」


 その時。サラマンダーの頬に鋭い痛みが走った。エレナが彼の頬を思いきり打ったのだ。そうして頬の痛みにポカンとしているサラマンダーの体をエレナとノームが同時に力強く掴んだ。


「おい! 何をして、」

「確かに貴方は自分勝手だよサラマンダー! 沢山の人達に迷惑をかけて、その上貴方が死んだ時の私達の気持ちも全く考えようともしない。馬鹿、大馬鹿、あんぽんたん! どうしてそんなに自分を追い詰めるまで私達に何も話してくれなかったのよ!」

「!」

「そうだサラマンダー、もう帰ろう。一人で背負うんじゃない。お前の苦しみ、これからは余らも一緒に背負ってやるから。巻き込んでしまった民達にも共に謝罪しよう。レブンとトゥエル、そしてお前をウロボロスから救う方法だってきっとあるはずだ! 魔法の専門家が集うあのテネブリスが必ず協力してくれるはずだ! だから、まだ大丈夫だ。まだ、諦めていい時じゃない!」


 そんな二人の言葉にサラマンダーは声が出なかった。ぎゅっと唇を噛み締めて、俯く。彼の掠れた感謝の言葉がエレナとノームの耳に届いた。


 ──そしてついにサラマンダーの体が怪物の肉壁から勢いよく引き抜かれる。

 するとどうだろう、途端にサラマンダーを失った部分から、肉壁がみるみるうちに分解されていった。それが消えていくことで暗闇が晴れ、気づけば雲一つない青空がエレナの視界に映る。あれだけ巨大だったトカゲの化け物があっという間に空気に溶け込んでしまったのだ。辺りを見れば怪物に丸のみにされていた民達が散り散りに倒れている。微かに体が動いているため、皆生きているのだろう。

 そんな中、魔王がすぐさまエレナに駆け寄ってきた。


「エレナ、無事か!」

「パパ! ……うん! 私は大丈夫! それに無事にサラマンダーも取り戻して、」

「サラマンダー!!!!」


 ──刹那。ノームの叫びが、響く。


 エレナはその叫びに嫌な予感がした。すぐさま振り向き、ノームに駆け寄る。彼の目線を辿って、腕の中を見た。そして──目を見開く。


「……? ……さら、まんだー……?」


 心臓の鼓動がやけに騒がしかった。エレナは思わずノームに抱かれているサラマンダーの頬に触れる。そこは、ノームの頬から滴り落ちた涙で濡れていた。そして──


 ──サラマンダーの体はまるで凍ってしまったかのように冷たかったのだ──。

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