第111話 それでも、生きたい


 幸せだった日々は、一瞬で崩れた。


 当時、まだ十歳にも満たなかったサラマンダーは十三人いる兄弟の中で一番末っ子だった。実母は病死したものの、母が残した十二人の兄達のおかげで寂しくはなかった。血は繋がってはいなかったが、皆がサラマンダーを心から愛してくれたからだ。


 ──だが、そんな日々は突然終わりを告げる。ある日の夜中、母から受け継いだ宿屋に数十人の兵士が押し入ってきた。そうしてあっという間にサラマンダー達は右も左も分からないまま家から引き離され、辺境の地の研究施設に強制的に監禁される。


 ……そこでの生活は幼いサラマンダーにとってまさに地獄であった。どういうわけかサラマンダーだけ他の兄弟達と隔離されていたのだ。味気のない食事や冷たい石畳の床よりもサラマンダーを苦しめたのは孤独である。その上、毎日廊下の向こうから兄弟の悲鳴が彼の耳に届くのだ。サラマンダーは幼いながらも兄弟達が何か恐ろしい目に遭っていることは理解できた。しかしたった独り個室の中で震えながら、兄弟達の無事を祈るしかできることは無かった……。

 

 そんな日々を送るサラマンダーはある日、衝撃的な事実を知らされる。


『可哀想にな。お前さんさえいなけりゃ、お前さんの兄弟達はウロボロス計画なんていう恐ろしいもんに巻き込まれなかったのによ』


 ある時、いつもサラマンダーの個室に食事を運んでくる雑用係の男がそんなことを言いだしたのだ。彼にとってはほんの退屈しのぎのつもりだったのだろう。サラマンダーの反応を楽しむかのように色々教えてくれた。

 そこでサラマンダーは兄弟達が毎日あんなにも苦しんでいるのはウロボロスという恐ろしい魔物に寄生されているせいだと知る。また、そんなウロボロス計画という恐ろしい実験に兄弟達が巻き込まれてしまった原因が国王の庶子である自分にあるということも。その事実は容赦なく彼の心を蝕んでいった。


 ──俺のせいで。俺が生まれてきたばかりに、兄さん達は、兄さん達は!!

 ──俺が、俺なんかが、生まれてこなければ……!!


 その晩、サラマンダーは己の拳を何度も何度も地面に叩きつけて、血の味を噛み締めながら号泣した。


 ……夜が明ける。兄弟を想って泣き疲れて眠ってしまったサラマンダーはふと目が覚めた。彼の個室の前を研究者達が慌ただしく行ったり来たりを繰り返していたからだ。何かあったのだろうかと檻の隙間から目を凝らせば、丁度彼らは大きな何かを数人がかりで運んでいた。ソレは布で覆われ、全貌が隠されていたが、布の隙間からがはみ出していることに気づく。

 サラマンダーは、背筋が凍った。


『──おい!』

『うわっ!?』


 突然叫んだサラマンダーに一人の研究者が驚き、反射的にビクリと震える。その拍子にソレが、地面に転がった。覗いていた手が、サラマンダーの届く場所に落とされる。サラマンダーはすぐにそれを掴んだ。

 そして──。


『……ワンス、兄、さん……?』


 ──それは、一番上の兄の手であった。サラマンダーの頭をいつも力強く撫でてくれた、頼もしい手であった。


 あまりにも冷たすぎるその手にサラマンダーは目を見開いた。あんなに豪快だった長男が今ではすっかり静かになっていたのだ。研究者達は慌ててサラマンダーと兄を引き離し、去っていく。サラマンダーは腰が抜けて、そのまましばらく動けなかった。そしてようやく頭が働き始めると、理解した。


 ──あぁ、そうか。俺のせいで。俺が、ワンス兄さんを、殺したのか……。


 その日からサラマンダーは兄弟達の悲鳴を聞くと安心するようになってしまった。まだ彼らは生きていると、思うようになってしまったのだ……。


 ──と、ここで視界が反転し、場面が変わる。

 

 とうとうサラマンダーの体にもウロボロスを寄生させられる日がきた。

 その頃になれば、サラマンダーは反発する気力さえ失っていた。既に半数近い兄弟達がウロボロスによって食い尽くされていたのだ。いっそのこと早く楽になりたいとさえ、サラマンダーは願っていた。


『これが、ウロボロスだ』

『…………、』


 今まで散々己の兄弟を苦しめてきたウロボロスという魔物は思っていたよりも歪で不気味な見た目だった。暴れる度に粘液が飛び散る顔のない白い蛇。何重にも見える細かい牙が生えた口はなんとも気味が悪い。そしてそんな得体のしれない化け物がサラマンダーの体内へ口を通して侵入していくのだ。これには逆らう気がなかったサラマンダーでも暴れた。化け物が体内を這う気持ち悪さと、全身を走る激痛が彼を襲う。叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。しかしその場にいる大人は誰も助けてはくれなかった。

 そんな苦痛の中で、サラマンダーは思う。


 ……あぁ、この苦痛を兄弟達も味わったのか、と。


 想像するだけで涙が出てくる。どうしようもない悲しみが全身を震わせた。何度も何度も見えない兄弟達へ謝った。きっと彼らは自分をさぞ憎んでいることだろう、恨んでいることだろう。自分はそれだけの事をした。サラマンダーは研究台の上で体を不規則に震わせながら、拳を握り締める。

 体がウロボロスを拒否しているのだろうか、次第にサラマンダーは息ができなくなっていた。これには周囲の大人達も焦る。サラマンダーはそんな大人達を見て、ふっと肩の力を抜いた。


 ──しかし、そんな彼の瞼の裏に──十二人の兄弟達と母の笑顔が映った……。


 その瞬間、彼は息ができなくても這い始めた。死にたいと思っても、やはり生きたいとも思ってしまったのだ。まだ生きている兄弟達に罵られてもいいからどうしても会いたい。「どんなに苦しくても、しっかり生きるんだよ」と微笑む死ぬ直前の母の言葉に応えたい。最期まで諦めたくない。サラマンダーは身を捻って研究台から転げ落ち、どこに監禁されているのかわからない兄弟達を探そうとした。

 ……が、その前にサラマンダーの体に限界がくる。息のできない彼がそう長く生きれるはずがないのだ。


『にい、さ……かあ、さん……おれ、は……おれは、まだ、生き、た……いっ』


 そこで伸ばされたサラマンダーの小さな手が力尽き、床に落ちた。その場にいた誰もが彼の死を確信する。途切れ途切れの彼の願いは誰にも届かなかったのである。


 ──そう、思われたのだが。

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