第10話 大蜘蛛の制裁


 扉の先は恐ろしいほど静かな森だった。森全体が、エレナを獲物として見ているような緊張感が走る。土と草の液が入り混じる自然の香りがエレナを包んだ。

 ……と、ここで少し怖気づきそうになったエレナは非常に重要なことに気づく。


「──あれっ、扉が開かない?」


 扉のドアノブをいくら捻っても開かないのだ。しかもそうしている間に扉が空気に溶けて消えていくではないか。ルーが「きゅう!?」と驚きの声を上げる。エレナは血の気が引いた。慌てて扉を探したが、勿論見つからない。唖然と途方に暮れてしまった。エレナとルーは顔を見合わせる。


「も、もしかして……お城に帰れなくなった……?」

「きゅーう!」


 「だからやめろって言ったじゃん!」と言いたげなルーにエレナは苦虫を噛み潰したような顔になった。しかしここで喧嘩していても意味がない。二人は同時にため息を吐いて、ひとまず歩いてみた。


 テネブリスを人間の国々から守る様に存在している禁断の大森林。人間達は魔国への入り口であるこの森を“死の森”と呼び、恐れていた。それにエレナが聖女だった頃ではこの森周辺の国で魔族の化け物──通称魔物の被害が酷かったのを覚えている。エレナ自身、それらの国々にて光魔法を駆使し、魔物を浄化したことがあるのだ。エレナは後先考えずに行動してしまった後悔に唇を噛みしめた。ルーにやりきれない気持ちで謝ると、彼女はどうやら許してくれたらしくエレナの肩に乗った。


「きゅ! きゅきゅ!」

「うん。そうだね。とりあえずケット・シーさんが言っていたドリアードさんを探さそう。妖精は比較的温厚で慈悲深い魔族だって聞いたから助けてくれるかもしれない。賭けだけどね。ルー、匂いとかで分からない?」


 ルーは首を横に振る。エレナは苦笑しつつ、肩を落とした。

 

 ──すると、その時だ。


 エレナの耳に、多足類の虫が地を駆ける気味の悪い音が確かに聞こえてくる。エレナの全身にゾワリと鳥肌が立った。


「い、今のって……」


 必死に首をキョロキョロと動かして周りを見るが、何もいない。エレナがホッと胸を撫でおろした時──カチ、カチという音がから鳴った。恐る恐る頭上を見上げる。

 そこには、八つのつぶらな瞳。八本の細い足とその何重もの牙が独特の音を奏でていた。ハッとなって周りを見ると、先程は見えなかった蜘蛛の糸が木に絡まっている。おそらく目の前の蜘蛛は魔物で、人の目を誤魔化す魔法でも発動させていたのだろう。


「~~~~~~~~っっ!!?」


 エレナは声を出すことなく、考えるより先に走り出した。今のエレナには大蜘蛛に対抗する手段がないからだ。


(──どうする!? どこに逃げる!?)


 ルーを抱いて必死に走るが、突然エレナの視界が反転する。全身が地面に投げ出された。ルーの痛々しい鳴き声がエレナの耳に届く。鳴き声の方へなんとか手を伸ばし、ルーの身体を引き寄せた。弱弱しく震えるルーに、エレナは「ごめん」と涙声で呟く。

 そんなエレナの足には粘着性のある蜘蛛の糸が絡まっていた。大蜘蛛はエレナの足を捕らえ、糸を容易く引いていく。


「嫌だ、嫌だ……っ」


 ズルズルズル。エレナの身体が引きずられていった。エレナは必死に地面にしがみ付くが、意味をなさない。せめてルーだけは逃がそう。そう思ってルーを腕から解放し、彼女の背中を叩いた。


「きゅう!?」

「ルー、貴女だけは逃げなさい! 早く! それか、安全になるまで私のネックレスに隠れていなさい!」

「きゅ! きゅきゅ……っ!」


 ルーはエレナの叫びを拒否する。必死でエレナの服を噛み、そのか弱い四つ足を踏ん張らせていた。しかし大蜘蛛の動きは止まらない。エレナの足に、大蜘蛛の牙が触れた。エレナは馬鹿な自分に腹が立って、地面に拳をぶつける。


(結局私は!! 何も役に立てないままこうして大蜘蛛に食べられるなんて!! しかも大事な友達を道連れにして!! 私の馬鹿、私の馬鹿、私の馬鹿ぁ!! せっかくパパに助けてもらったのに! 私は、どうしてこんな所で──私は──)


 ふと瞼の裏に、骸骨頭の父親を思い浮かべた。走馬灯というやつだろうか。ルーが必死に周りに助けを呼んでいるのを眺めながら、エレナは魔王の言葉を思い出す。


 ──『どうか、わたしを父と呼んでくれないか』

 ──『我は孤独が何よりも怖い』

 

 ──『エレナ、』


「っ!!」


 エレナは拳を握りしめた。そうして勢いよく身体を反転させ、目の前の八つの目を睨みつける。せめてもの抵抗だ。こんな所で死ぬわけにいかないと自分を鼓舞する。手の平を掲げ、腹の奥から声を出す。


「──輝けエストレージャ!! 輝けエストレージャ輝けぇエストレージャっ!!!!」


 エレナがそう必死に叫んでも、勿論光魔法が発動されることはない。エレナはもう白髪の聖女ではないのだから。


 それでも。


(ここで、諦めるものか! だって私は……あの人パパに、もう、孤独を感じてほしくない! それに私だって、こんな中途半端なところで死ぬわけにはいかない──!!)


 何度も何度も、叫び続ける。大蜘蛛がそんなエレナを様子を窺っていたが、結局彼女が無力であることを悟ったのか、再び牙をカチカチ鳴らし始めた。その牙が、エレナの腕を引きちぎろうとする。


 しかしその時だ。

 突然傍に生えていた樹木の枝が伸び、大蜘蛛に向かってこん棒のように振り落とされた!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る