大怪獣オボロドス

著者。

おぼろげながらも、ヤツはいる。


 まず皆さまにお伝えしておかなければなりません。

それは、大怪獣オボロドスはおぼろげでありながらも、まず間違いなく存在するということです。


 疑う気持ちも分からないでもありませんが、それは誤り。知らない人には分からないでしょう。見ようとしないのに知ることは出来ないでしょう。でも私は違う。私は大怪獣オボロドスが存在すると確信しているのです。


 何も確証を得ないまま適当にものを言っている訳ではありません。

 私は事実をこの目に映しているのです。


 そう、私は大怪獣オボロドスを目撃したのです。


 それはいくらか前のこと。

志望していたあこがれの都会の大学に落ちてしまい、学友たちに取り残され、ひとり不埒な浪人として地元の田舎でぐうたらしていてぶつくさ言っていた、2020年夏のことです。


 やはりこの年の夏も当たり前のように猛暑でした。

私は項垂れるような暑さに身も心もそのまま項垂れてしまい、今の自分の境遇に何の意味もなく自室で悲観していました。


 畳のシミになりそうなまでに腐りきっていた、そんな私を見かねてか、母が「そうめん流しを食べに行こうよう」と言いだします。


 一般的なそうめん流しは地域の催し物、単なるレクレーションとしてのイメージが強いでしょう。


 それはどこで拾ってきたか分からない竹を二つに割って、水道水を流し、そこに誰だか知らないおじさんがそうめんを流して、近所の鼻たれ小僧と一緒にそのそうめんを啜る。そんなところかと思います。


 ただ私が住む某県のそうめん流しは他所のそうめん流しと少し違います。

 地域の催し物でなく、竹も使わない、「そうめん流し屋さん」があるのです。


 山の奥深く、澄み切った水が流れる渓流の傍にそのお店があります。

 お店というか施設です。かなり広いです。


 施設の中にも人工的な小川が流れています。

そこに鯉が悠々と泳いでいますが、それも食べます。刺身にします。小さくてかわいいリスたちが迷い込んできたりしますが、それは食べません。可哀想です。


 広い敷地の中には十名座れば一杯の円卓が無数に並びます。

その円卓にプラスチックの透明な水槽が置かれています。この水槽も円卓に合わせて丸いです。水槽なので水を流します。機械式なのか延々と流れ続けます。ようやくそこにそうめんを流すのです。


 水は水槽の形に沿うように回転して水流を作るので、単に流すと言うよりも、回転そうめん流しになるのでしょう。


 そうめんは、ぐるぐる、ぐるぐる、水槽を回り、円卓を囲む我々を笑顔にさせるのです。冬場は気心知れた仲間たちと鍋を囲むように、この某県の夏は回転そうめん流しを笑顔で囲むのです。


 このそうめん流しには子供の頃から夏になれば必ず出向いていました。

 某県民たちは老若男女、夏になればこのそうめん流しを食べずにいられないのです。


 悪い思い出はひとつもありません。腐りきって畳のシミになりそうだった私でも良い思い出を沢山あげられます。それほど素敵な場所なのです。


 私は母の「そうめん流しを食べに行こうよう」の言葉に畳と融合しつつあったおでこを無理に上げました。どうせシミになって消えていくならそうめんを食べてからでも遅くないと考えを改めて、私は母の提案を受け入れたのです。


 母の愛車に乗り込んだところ、普段は聞く耳持たない妹もどこでそれを聞いていたのか、いつの間にか母の愛車の助手席を陣取っていました。Tシャツの袖を肩まで捲り、片手で顔を仰いでいます。


 父は仕事もあってこの時は不在でしたが、私とケンカの最中であったのでちょうど良かったです。いても私との口論が絶えないことでしょう。


 私、母、妹、そして父を除いた家族三人でそうめん流しを食べに行くことになりました。


 久しぶりの三人のドライブはとても楽しかったことを覚えています。

 私も畳の跡をおでこに残しながら笑顔を振りまいていたことでしょう。


 ですが、それは突如現れたのです。

 某県某市某所、曰くつきのなにがし湖にさしかかった時でした。


最初に口を開いたのは妹です。

「あっ、見て! おサルさんがクロールしてる!」


 そんなまさか、と思いました。


 おサルもこの暑さでは泳ぎたくなるだろうと思いますが、まさかクロールをしているとは想像できません。


 ですが紛れもなく、おサルは湖でクロールしていたのです。

荒波に呑まれないよう岸辺に向かって必死に両腕をぶんぶん振り回しクロールしていたのです。それにクロールなので、たまに息継ぎもしていました。


 開いた口がふさがりません。

 大きく口を開けすぎて顎が痛くなったくらいでした。


 その時の様子を写真か動画に収めておけば良かったのですが、あまりにも衝撃的な出来事だったので、逃げ惑うおサルの雄姿を食い入るように見届けて、撮影する暇さえありませんでした。そのためこのように文章にしてまとめているのです。


 この出来事以降のドライブはおサルの話で持ち切りでした。

 ただ、そうめん流しのお店についた時にはすっかりそのことを忘れてしまいます。


 山の奥深く、某所にあるこのそうめん流しの施設に足を踏み入れたら、項垂れるような暑さはどこへ行ったのか、ひんやりとした空気につつまれて、現実世界の煩わしさを忘れさせてくれます。あちらこちらを流れる小川の水流が天然の冷房と成しているのです。


 早速食事の時間です。

普段はお昼にそうめんを出されたら、またか、と嫌気がさすのですが、なぜここのそうめん流しのそうめんはこんなにも美味しいのでしょうか、家庭のそうめんと同じように、そうめんとお汁とわずかな薬味だけなのに、ただそれだけで、すごくおいしいのです。


 ちなみに鯉も食べました。

鯉は刺身にして酢みそをつけて食べます。これもとても美味しいです。締めは鯉こくです。これも鯉のダシが効いてとても美味しいです。


 すっかりお腹も満たされて、次第に心も満たされて、果ては家族の間も笑顔で満たされます。帰りの道中も楽しみながら家路に着きました。


 だけど家に帰れば現実に逆戻り。

自室でまたいつも通りに、だらだらごろごろと畳のシミとなって消えてしまおうかと悶々とするのです。


 ふと寝返りを打ったときでした。顎の付け根に痛みを感じたのです。


 何の痛みなのか気になりました。

この日はこれといって堅い物を食べていなく、どこかにぶつけた記憶もありません。


 疑問に思いつつもまた暫く悶々としていたら、脳裏に過ぎったのは、がむしゃらに足掻く、おサルのクロールでした。


 決して上手といえないけれど、人間と似たような動きをするおサルのそれは見事なものでした。湖の荒波に負けないくらいに必死に腕を振り回して突き進むその雄姿は感動すら覚えたほどです。


 ただ、ふと疑問に思いました。

 なんで湖なのに荒波が立つのでしょうか。


湖でも水面が揺れる程度の波は立つことはあるでしょうが、紛れもなくそれは荒波でした。他にも疑問が残ります。おサルは逃げていたのです。荒波に呑まれないように逃げていたこともあるでしょうが、その様子はもっと違う、別の何かから逃げているように思えました。


 考えを深めていると、私は少し怖くなってしまいました。

 それは、何だか見てはいけないものを思い出した気がしたからです。


 なぜ、湖なのに荒波が立ったのか、

 それは湖の中央で蠢く大きな影があったからです。


 なぜ、おサルは逃げ惑っていたのか、

 それは大きな影が大きな口を開けて凄んでいたからです。


 こうして言葉を重ねていくと、不思議とその輪郭が浮かび上がっていきます。


 それはごつごつした体表に覆われていて、黒か緑かどちらにもつかないような鈍い色をしています。その顔には小さい口と大きく口の二つがあって、それぞれに歯が剥き出しています。その歯はギザギザしていて鋭く鋼鉄の板すら貫きそうです。目は点を打っただけのように小さいですが、光を発しているのかぎょろぎょろ動いているのが遠くからでも確認できます。身体の大きさは見えている限りでは二十メートルほどもあり、湖に隠れている部分を足したら五十メートルはあるでしょう。


 そうです。私は既に目撃していたのです。

 大怪獣オボロドスは、そこにいたのです。


ただ、母も妹も同じ車に同乗していて、同じ場面に出くわしているはずなのに、誰も大怪獣オボロドスのことを口にしません。


 それは何故だろうかと、あれこれ考えていたら、また不意に頭に過ぎったのは、先に都会の大学に進学した友人たちのことでした。


今頃は私を忘れて都会の生活を謳歌しているのだろうと、勝手な想像でまた悶々とした感情が芽生えてきました。


 次第に考えが大きく逸れていきます。

 これはいけない。危うくこの怪獣を忘れてしまいそうになります。


 そう、これがこの大怪獣オボロドスの大きな特徴でもあるのです。


 この怪獣は人の記憶に曖昧に留まり、違う考えが過ぎったとたんにその存在すらを忘れてしまうのです。母も妹も口にしないのはそれが原因です。二人もおサルのクロールに気を取られ忘れてしまったのでしょう。


 戦慄するほどの驚愕な体躯を持っているのに、人の記憶には曖昧に留まり、おぼろげながら存在し続ける。


 故に、大怪獣オボロドス。


 おぼろげであるので、オボロドス。ドスは語呂の良さから後付けしました。2020年を「ニーゼロニーゼロ」と日本語と英語で言うように語呂の良さで決めました。深い意味はありません。


 知らない人には分からないでしょう。

 見ようとしないのに知ることは出来ないでしょう。

 

 おぼろげながらも、ヤツはいる。


 そんな大怪獣オボロドスを見ていると、まるで私を見ているようで、居た堪れなく、不憫でなりません。この悲しき怪獣、オボロドスはおぼろげながらも間違いなく存在するのです。



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大怪獣オボロドス 著者。 @chosha

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