第7話 黒眼鏡の記者

 サースエストと本土を連絡しているのは、海上を走る一本の鉄道橋である。

 ユフス湾を迂回する陸路は、北部で険しい山脈に阻まれており、鉄道橋が完成するまでサースエストのあるユタ半島南部は、事実上陸の孤島であった。

 ユフス湾を船で渡ることは難しくなかったが、半島側に上陸に適した海岸はほとんどなく、切り立つ崖は自然の要塞を形づくっていた。

 サースエストの人々が、ワグステンの大陸側を本土と呼ぶのは、そんな地理的な事情もあった。


 連絡鉄道の往く道のりは片道三時間余り。真っ青な空と真っ青な海に挟まれて、宙を行くような希少な旅である。

 しかし、そんな稀有な体験のために列車に乗る者はめったにいなかった。サースエストは人の出入りの少ない街である。観光客が訪れることもなく、住人が本土を訪れることもなかった。

 列車のほとんどの車輌は貨物車輌であり、一般人が客車に乗車するためには、本土で発行される旅券と裏書とが必要だった。本土からサースエストを訪れる人々はそれらの手続きを経て、多くは片道切符を手に列車に乗り込むのだ。

 そして、今サースエストで旅行鞄を提げて下車した男がいた。丸い黒眼鏡と、帽子から覗く縮れた髪と、ひょろひょろした長い体が目につく男だった。

 男はきょろきょろと辺りを見回しながら、履き古した革靴ですたすたと歩き出す。まるで知った道を行くような足取りだが、目はせわしなくあちらこちらを見ていた。

 駅舎を出て街に入ると、男は行き過ぎる通行人を眺め、露店をしげしげと観察しながら、やがて閃いたように手を上げた。

「やあ、もし、そこの制服のあなた。あなたです。こちらの保安官の方でお間違いないです?」

 声をかけられたミラは、男の風体の見慣れないことに一瞬胡乱げな目をした後、いかにも職務というふうにうなずいた。

「何かご用で?」

「失礼ですが、お名前を伺っても?」

「マチューイです。──ミラ・マチューイ」

 男はそこで帽子を脱ぎ、口角を上げて言った。

「どうも、私、ポアロ・キッダンといいます。つい先ほど到着したばかりでして、不案内なものでいくつかお聞きしたく」

 ミラは今度は胡散臭いという表情を隠さなかった。ポアロと名乗った男を、頭からつま先まで眺め回して、言った。

「今日の列車で? 移住者の連絡はなかったが?」

 ポアロは薄く大きな手をひらひらと振った。

「いえ、移住者じゃありません。私、フリーの記者をしておりまして、こちらへは取材でまいりました」

「記者……?」

「はい。あまり真っ当な商売ではありませんが、保安官殿にご迷惑をおかけするほど怪しい者じゃございません。あ、旅券見ます?」

 ミラは黙って手を差し出した。ポアロは上着の内ポケットから手帳を出して、旅券を抜くとミラに手渡した。

「……確かに」

 ミラは旅券を改めて言った。ポアロはうなずく。

「いや、なかなか許可が下りなくて苦労しました。何というんですかね、ジャーナリズムというものの難しさを感じましたよ」

「それで、聞きたいことというのは?」

「ああ、はい。何でもこちら、──いや、想像していたよりはるかに立派な街並みですが、宿がないと聞いておりまして。滞在中どこか間借りできないかと。贅沢は言いません。雨風がしのげるなら納屋だろうが馬小屋だろうが」

 ミラはポアロを斜に見て、ため息をついた。

「そんな所で寝られちゃ住人が気を遣うよ。──空き部屋のあるアパートをいくつか知ってるから、大家に相談すればいい」

 紹介するから、とミラが言うと、ポアロは両手を打った。

「それはそれは! 有り難い! 助かります。通貨は本土と変わりないんですよね?」

「ああ」

「よかった。野宿も覚悟の上でしたが、こんな文化的な街中では悪目立ちしてしまいます。──あ、それとですね」

 言いながら、ポアロは旅行鞄の中から折り畳んだ紙を取り出した。

「これ、あちらで入手した地図なんですが、ユタ半島南部の。ええと、今いる所がこの辺りですかね。どうでしょう、この地図、使えるでしょうか?」

「──と言うと?」

「見ての通り、少々古いので。もし今と違うところがあれば、教えていただけると大変助かるんです」

 不案内なもので、と、ポアロは首を傾けた。

 ミラは地図とポアロを交互に見て、それから地図を突き返すようにしながら言った。

「こんな縮尺の地図で歩き回るつもりかい? 地形が変わるような大きな開発はここ数十年やってないよ」

 そうですか、とポアロは笑いながら、丁寧に地図を折り畳んだ。

「特に立ち入りが禁止されているような場所は?」

「特別禁止されてはいないけど、旧城跡は崩れかけの建物がそのままになってるから、あまり近付かない方がいいね」

「ああ、旧アセンシア王城ですね。そんなに建造物が残ってるんですか」

「……そうだね」

「いや、いや、大丈夫ですよ。危ないことはしませんから。しかしロマンですねぇ。二百年以上前の亡国の遺跡!」

「……」

 ミラの視線を受けて、ポアロは困ったように眉を下げてみせた。黒眼鏡から覗いた目尻に皺が目立つ。

「これは──すみません。一人でベラベラと。でもね、私ずっと来てみたかったんですよ。うたかた晴れの街!」

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