第6話 屋敷にて

 サースエストからユフス湾を挟んで西北に、首都トゴーはある。

 その郊外に屋敷を構えるのがランダルトの本家だった。

 ランダルトは今のワグステンの領土が確定する以前、首都トゴーを含む地域を支配していた亡国リーデネスの王家筋である。

 リーデネスがワグステンに併合されて百年余り、ランダルト家は徐々にその力を陰らせていた。


 今、ランダルト本家の大理石の床を鋭く鳴らし、顎をつんと上げて肩で風を切って歩く少女がいた。

 彼女は名をルヴィ・ランダルトといった。ランダルトの名を冠していても、生まれは分家筋である。しかし貴族然としたその態度は、本家に後れるもののない印象を与えたし、実際彼女はそのようであった。

 ルヴィは一枚の厚い扉の前で立ち止まると、せわしなくノックをして言った。

「アルナ! 私よ! 開けて!」

 しばらくの静寂の後に、いかにも気が進まないふうに控えめに開かれた扉を、ルヴィは遠慮なく押し開けた。

「無遠慮だな。子女のたしなみはどうした」

 部屋の主は不服そうに言ったが、ルヴィはふんと鼻を鳴らしてつかつかと部屋に入った。

「あなたこそ性懲りもなく。使用人たちが噂していたわ。また伯父様を怒らせたんですって?」

「向こうが勝手に怒ったんだ」

 アルナはふいと顔を背けて、ルヴィの前を横切った。しかしルヴィは目ざとくアルナの口元に傷を見つけて、その腕をつかんだ。

「屁理屈言ってる場合? 殴られるなんてよっぽどだわ」

 顔を近づければ、アルナの目線はルヴィよりいくらも上にあった。昔は見下ろすほどだったのに、と、ルヴィはいささかの悔しさを覚える。一つしか歳の変わらない従兄は、ここ2、3年で急に背が伸びた。

「俺にどうしろっていうんだ? 父上の気に入るようにへつらえっていうのか」

 アルナはルヴィの手を振り払うと、ソファにどっかと腰を下ろした。ルヴィはその前で仁王立ちになる。

「使用人に噂されるぐらいならそうしたら? 伯父様もむやみに癇癪を起こしてるわけじゃないわ」

「極端なんだよ! ずっと無知な末っ子扱いだったくせに」

「あなたがもう子どもじゃないからだわ」

 ルヴィは強い口調で言って、自分を落ち着かせるように息を吐いた。

「アルナ、あなたは健康だし、頭も悪くない。顔立ちだって整ってる。何より本家の次男なのよ。期待されて当たり前だわ。これまでの扱いがおかしかったと思うべきよ」

「何をどう思うかは俺の勝手だ!」

「それを馬鹿正直に表に出すから怒られるのよ!」

 アルナは額を押さえて目を逸らした。ルヴィはため息をつく。

「伯父様は家を守りたいのよ。絶やしたくないの。ヴィラルト従兄様は立派な方だけど、足が悪くてらっしゃるし、子どももいっこうに授からない。弟のあなたにもしっかりしてほしいに決まってるわ」

「だから嫌なんだよ」

 アルナは表情を険しくしてルヴィを見上げた。

「父上は守ることしか考えてない。ランダルトが衰退することを恐れてるだけだ。保守的にもほどがある。そもそも落ちぶれるというならワグステンに身売りしたときからランダルトは衰退の一途じゃないか!」

「アルナ!」

「王族から貴族になって、父上の代までにランダルトが中央の椅子をいくつ失ったか。今さら何を恐れないといけないっていうんだ? 奪われたものを取り返す気もないくせに、失うことだけ心配してどうなるんだ」

 ルヴィは美しく整った眉を寄せて、アルナを見つめた。

「……あなたは取り戻したいの? ランダルトの権威を?」

 アルナは渋い顔をして両手を組み合わせた。

「取り戻すも何も、俺は家を継ぎたいとは思わない」

「そんなの、伯父様にしてみれば、あれも嫌これも嫌って駄々をこねる子どもでしかないわ」

「うるさいな。いっそ君が本家の男子に生まれればよかったんだ。中央の学院に推挙されるほどの秀才で、貴族の誇りに満ちた君が!」

「私は分家の娘よ!」

 ルヴィはテーブルを叩いた。アルナは口をつぐむ。

「現実から目を背けるのはやめて。伯父様がすべて正しいとは言わないし、伯父様の言いなりになれとも言わないわ。だけど自分の立場はちゃんと考えて。ランダルトが難しい状況にあるのはあなたもよくわかってるじゃない。わけもなく伯父様を怒らせるだけだなんて、あまりにも無益よ」

 黙り込んだアルナの前にルヴィは膝をつく。そして白い手をアルナの脚に乗せた。

「何代も昔のご先祖様の尻拭いを押し付けられているといったら確かにそうだわ。不本意なのは当然よ。だけど立場や身分を選んで生まれてきた人間なんていやしない。だから──、アルナ、自分の置かれた境遇に目を瞑らないで」

 アルナは視線を交えなかった。けれどもルヴィは、それを拒絶とは受け取らなかった。

「──うるさくして悪かったわ」

 ルヴィは立ち上がり、スカートを払った。そして来たときとは対照的に、静かに扉へと向かった。

「ルヴィ」

 呼びかけられて、ルヴィは振り返る。

「ランダルトがリーデネスを失ったのは、アセンシア侵攻が原因だと思うか?」

「……そういう説もあるわね。でも、ワグステンへの併合が確定的になったのはもっと後のことよ」

「歴史のお勉強の話じゃない。君の考えが聞きたいんだ」

 ルヴィは扉に手をかけながらアルナを見返し、ややあってから

「考えてみるわ」

と言って、部屋を後にした。



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