第455話 日々是暴徒
ウィスが俺に対してどの程度の重要性や優先順位をもって精霊に監視を命じていたのかはわからない。ただ、逃げ出した俺をわざわざ追跡してきたのは明らかだ。じゃなきゃ敵意なんて見せてはこないだろう。
「どうやってストーベイを出し抜いたのかは知らないが……こういう事もあるとは思っていたよ。アンタは油断ならない奴みたいだからな」
「それで、さっきの精霊の能力で居場所を突き止めたって訳か」
恐らく気配が消えていても見つけられる能力なんだろう。流石に優秀な精霊を使役してやがる。
けど問題は見つかった事じゃない。ウィスの様子だ。
「精霊王を怒らせたようだな」
振り向いた瞬間にわかった。明らかに今までの奴とは違う。
さっきも雰囲気を変えた事はあった。でも今度のは更にシンプル。気配なんて判別できない俺でもわかる。
「知っての通り、俺は精霊使いだ。精霊の王は俺にとって絶対とも言える存在。つまり……」
疑う余地もないくらいに明確な――――殺意だ。
「アンタは今、倒すべき敵になった。決定的にな」
ウィスの目はどこまでも冷徹に、俺の全身を捉えていた。
「我が呼び声に応えよ【ヘルハウンド】」
ウィスの前方に黒い炎が現れる。その炎は徐々に四足の足を持つ生物の形になり、全身真っ黒で目だけが赤い巨大な犬となった。
同じ犬型の精霊でも、ポメラニアンの姿をしたクー・シーとは対極とも言えるくらい禍々しい。こんなのに襲われたらひとたまりもない。
「悪く思うな。これ以上、人間の心証を悪くする訳にはいかない。アンタには生贄になって貰う」
「……生贄?」
「俺たち人間は決して、精霊を軽んじている訳じゃないって証明さ」
俺を倒す事で精霊王の御機嫌を取るつもりか……?
「そんなの無意味に決まってんだろ。そもそも精霊王が不機嫌なのは俺じゃなくて国王との交渉が原因なんじゃないの?」
「いや。原因はもっと根深い所にある」
ヘルハウンドと呼ばれた精霊の身体が激しく燃え盛る。今にも飛びかかって来そうな形相だ。
「その辺は直接聞いたから知ってるよ。人間全体の精霊に対する意識の変化だろ?」
「ああ、そうだ。それもこれも、俺たち精霊使いが不甲斐ない所為でもある。本来は俺たちこそが精霊の素晴らしさを多くの人々に伝えなきゃいけなかったんだ」
……なんか話が変な方向に向かってる気がする。けど精霊使いの端くれとして無視は出来ない。
「だけど俺には荷が重かった。何しろこの街には歴代最高の精霊使いと評価された天才がいたからな」
「……まさかジーム爺さんの事?」
「流石に知っているか。彼の名は世界中に轟いているからな」
そうなの? でもティシエラ達があれだけ敬意を示していたレジェンドだから、まあ違和感はないか。
伝説の精霊使いジーム。世界最高齢の人間で、その御年実に125歳。11年前のこの時代でも114歳だ。
一応面識はあるけど、向こうはもう生きた化石というか生き霊というか、最早まともに言葉を発する事も出来ていなかった。ティシエラが通訳用の魔法を使えたから意思の疎通は出来たけど。
「ジーム様は余りに偉大な精霊使いだった。彼がいるから人間界からの招集に応じるという精霊が数多くいるくらいだ。無論、精霊王も例外じゃない。彼に対する信頼は絶大だった」
「……誰も替わりにはなれなかった、って訳か?」
「あの方ほど精霊を楽しませ、精霊を笑顔にする人間は他にいない。だがそのジーム様も老いには勝てず……とうとう後継者は育たなかった。俺を含めてな」
言われてみれば、偉大な精霊使いって割に弟子の話は聞かなかったな。息子さんどころか孫も曾孫も高齢だし、そもそも精霊使いだったかどうかもわからない。
「伝説の精霊使いが一代で終わるという現実が、人間の精霊に対する軽視の象徴と見なされたのは間違いない。魔王討伐の主軸たる冒険者やヒーラー、ソーサラーといった業種と比べても、なり手の少なさは顕著だ。精霊王はその事実に失望していた。そして決定的だったのが……交易祭」
あの祭りか。実際に関わったから主旨は理解できる。
でも……
「あれって精霊側の参加が途絶えたって話だったぞ」
「歓待をやめたからさ。来賓扱いされなくなれば足が遠のくのは当然だ。なのに人間側は『精霊の方こそ人間との関わりに消極的になった』と主張する。これが決定打だった」
まあ、そういう姑息な手段は人間の十八番かもしれない。俺も割と良く使う手だ。
「話はわかったよ。でもそんなバックボーンがあるのなら尚更、俺一人を生贄にした所で精霊王も納得しないだろ」
「するさ。アンタは大きなリスクを背負ってまで精霊王と会いに行った。それだけの重い目的があったからだ」
おいおいちょっと待てって。何勝手な解釈を――――
「アンタの目的は精霊王の暗殺。そうだな?」
……はい?
「未来人かどうかはさておき、アンタは精霊王と人間の王が直接交渉する日に不審な方法で城下町に現れた。これが偶然な訳がないだろう?」
「いやホントに偶然なんだってば! 精霊王の存在自体ついさっき知ったばっかなんだよこっちは!」
「全く信用できない。そもそも、どうやって城の人間に気付かれず精霊王の所まで行けた? 暗殺者特有の隠密スキルでもなければ不可能だ」
「それは……」
「何より、アンタの連れの女性。足音を全く出さずに歩いていたそうじゃないか。それも踏まえて総合的に判断した結果だ」
そう言えば、この過去に来た直後から俺とシキさんはあの透明ソーサラーに監視されてたんだったな。暗殺者っぽいシキさんの挙動が誤解を増強してしまった訳か……
どうする? ここは正直に始祖の事を話すしかないか? 精霊王も始祖とは旧知の仲みたいだし一目置いているようだった。この事を話せば……
いや待て。ちょっと待て。
本当に話すのか? 始祖の事を? あのヒーラーの始祖が王城の安置所にいます、って?
その始祖と仲良しだって話すのか?
それはつまりヒーラーと親しくしていると言っているようなものじゃないか?
俺が?
あの頭のおかしな集団と?
毎日宗教戦争やってるような日々是暴徒な連中と?
……あり得ない。
そんな誤解をされるくらいなら暗殺者と誤解される方が遥かにマシだ。
「沈黙は肯定の証と捉えよう。ヘルハウンド」
「グルルァ……」
「やれ」
――――心の何処かで、俺はまだ現状を甘く見ていたのかもしれない。
転生した直後は全てが非日常的で非現実的だった。今までと全く違う世界に来て、自分自身も別人に生まれ変わって、行う事全てがゲームの主人公を操作していような感覚だった気がする。
だけど新たな人生を歩むと決めて、この世界で自分なりの交友関係を築き上げて、毎日同じ街で同じ人達と関わりながら過ごしていく内に、それが日常となり現実感が伴ってきた。
だからなのかもしれない。この過去世界へ来た直後からずっと、転生直後と同じ非現実感が常について回っている。薄い膜が意識を覆っているような、夢と現実の狭間のような状態だ。
これが現実なのは理解している。それでも、何処か夢の世界にも似た『取り返しがつく感じ』を抱いている自分がいる。失敗しても致命傷にならないような根拠なき危機感の欠如が、俺から真剣味を削いでいた。
俺を追い詰めてくるウィスが知り合いだったのも、その楽観的な意識を強めていた。グランドパーティの一員で元ティシエラの仲間。その肩書きに加え俺自身が数度会話を交わし、危険人物じゃない事を確認している。そんな奴が本気で殺そうとしてくるとはどうしても思えなかった。
「ギィィィィァァァアアアアアオオオオオ!!!!」
確実に、頸動脈を狙った位置。
ウィスの指示を受けたヘルハウンドは一瞬で、俺のすぐ傍まで接近していた。視認したのは目の前で口を大きく開き、獰猛な牙で噛み付く寸前。それまで全く反応できなかった。
それでも特攻は防がれた。
「結界か」
ヘルハウンドが一旦引き、再びウィスの傍で構える。どうやら特殊なスキルを使うと言うよりは、ペトロ同様に肉弾戦を好む精霊らしい。
もし――――虚無結界が発動していなかったら、俺はこの炎の番犬に喉を食い破られて死んでいた。だからこそ結界が発動したんだけど。
「驚いたな。完全に自動型……それもヘルハウンドの高速移動に対して完璧な適応だ。その結界で全ての攻撃を防げるのならお手上げだな」
そんな言葉とは裏腹に、ウィスの顔に焦りは全く見られない。俺を凝視しながら何やら考え事をしている。
「だが恐らくそうじゃない。何かしらの縛りがある。例えば……即死の威力を持つ攻撃のみ防ぐ、とかな」
……おいおいマジかよ。一発で当てて来やがった。
どうも俺は現実を甘く見ていたばかりか、ウィスも侮っていたらしい。レベル69のベルドラック、強力な魔法を何度も見せて来たティシエラと違って、ウィスの強い所は殆ど目撃してなかったし強さを測る物差しもない。精霊使いとして優秀なのはわかっていたけど、それが強さに直結するイメージを持てていなかった。
だけど今、ようやく実感できた。
この男は紛れもなく、遠くない未来にグランドパーティ入りを果たす猛者だ。
「どうやら正解みたいだな」
敢えて説明して、こっちの反応を見て正解かどうかを確認してきやがった。考えが顔に出やすい俺の弱点もさっき露呈しちゃったからな……
「下がれヘルハウンド。どうやらアイツはお前が相手すべきじゃない」
「ウゥゥ……」
若干不満そうな鳴き声を残しヘルハウンドが消えていく。恐らくあのクラスの精霊なら全ての攻撃が俺にとって致命傷になる。つまり結界で完封できる相手だと見抜いたんだろう。
マズいな。今までの相手は何だかんだで単純な攻撃手段が多かったから結界でどうにかなった。けど精霊使いが相手となると――――
「我が呼び声に応えよコカトリス」
やっぱり搦め手で来るか!
確かこの精霊は石化と……毒攻撃があるっつってたな。即死に近い石化は兎も角、毒は正直結界適用の可能性は低い。即死するくらい強力な毒なら話は別だけど、恐らく違う。さっきこの精霊出した時に脅迫用って言ってたからな。即死じゃ脅迫にならない。
「さっきも言ったが、この精霊は猛毒の視線を持っている。だがすぐに死ぬ毒じゃない。アンタの結界は発生条件を満たせず、その身体は毒に蝕まれるだろう」
「……さっきから無駄口が多いな。多少は罪悪感があるんじゃないのか?」
こっちも必死だ。少しでも攻撃を遅らせる為に揺さぶりをかける。現状、出来るのはこれくらいしかない。あのコカトリスって精霊に触れて調整スキルを使ったところで能力までは無効化できないからな……
今更だけど、俺って精霊使いと相性最悪なんだな。なんつー皮肉な……
「罪悪感がない、と言えば嘘になるな」
不幸中の幸いとでも言えば良いのか、ウィスはこっちの話に乗ってきた。
「だがアンタは先程、明らかに精霊王から敵意を示されていた。それを感知した以上は放置できない」
「感知? それも精霊の能力か?」
「そうだ」
敵意を感知。って事は、直接見た訳じゃないんだな。恐らく声も聞いていないだろう。
だったら……
「無駄話はこの辺にしておこう。コカトリス、
「良いのか? 精霊王まで巻き込む事になるぞ」
攻撃を発動されたら終わりだ。その前に食い止めるしかない。精霊王の名前を出せば奴は無視できない筈。
「……どういう意味だ?」
取り敢えず第一関門クリア。でも胸を撫で下ろす暇はない。言葉を止めるな。
「そのままの意味だよ。今ここでその精霊が俺を攻撃すれば精霊王が巻き込まれる、って言ってるんだ」
「苦し紛れとは言え支離滅裂すぎる。一体何を……」
「お前は精霊王の人間界での姿を知らない。違うか?」
「……」
この反応なら正解だ。散々こっちもやられてたからな。ようやく一矢報いた。
でも問題は次だ。果たして信じさせる事が出来るか。
「敵意を向けられるくらいだ。精霊王の姿を目撃していても不思議じゃない……か」
「まあな。精霊王は今、蚊になって飛び回ってる」
「……」
ウィスの表情は――――変わらない。つーか固まってる。ある意味では真っ当なリアクションだ。
「何しろ蚊だ。毒なんて撒き散らせば一発で落ちる。即死だろうな。しかも蚊だから何処を飛んでいるのか極端に見え辛い。これが何を意味するかわかるか?」
「……」
「答えないのなら話す相手を変えよう。コカトリス、俺の声は聞こえてるな?」
人間に召喚される精霊は基本、人間の言葉を理解している。俺の言葉の意味も把握できているだろう。
「仮に精霊王が俺の傍に飛んで来て、猛毒の視線で一瞬でもその蚊を捉えてみろ。コカトリス、お前は精霊王殺しになるぞ」
精霊王殺し――――
その過激な言葉が刺さったらしい。ニワトリと蛇が混じったような姿のコカトリスが、明らかに動揺し始めた。忙しなく首を動かし顔を赤くしている。
「落ち着けコカトリス! 奴の荒唐無稽な言動に惑わされるな! 大体、精霊王が蚊な訳がないだろう!」
「……コ」
あ、コカトリスが初めて声出した。無口なだけで喋れはするんだな。
「コッコッコーココーココーココーコココ……コケーーーーー!!」
顔を赤くしたまま必死に何かを訴えている。つーか発声は完全にニワトリなんだな……
「コカトリスお前……本気で言ってるのか?」
「コケーーー! コッコッコッコッコッ……コケーーーーー-!!」
「……精霊王なら……蚊の姿になりかねない……だと? バカな……そんな……そんなバカな事があってたまるか!! 精霊王だぞ!?」
全精霊を統べる王様の真実を聞いたウィスの顔は、コカトリスと同じく真っ赤になっている。到底受け入れられない現実に相当頭に血が上っているらしい。
「コケ!! コケ!! コケ!! コケ!! コケ!! コケ!!」
「おぉ!? おぉ!? おぉ!? おぉ!? おぉ!? おぉ!?」
「グェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー-----!!」
「おぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
……仲良くしろよ。
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