第454話 ぷ~ん

 は? 蚊?


 いやいやいやいや。ンな訳ない。偶々、精霊王の声とその辺を飛んでる蚊が被っただけだ。そうに決まってる。


 俺もどうかしてるな。自分なりに冷静さを保っているつもりだったけど、やっぱり過去世界への転移っていう非常事態に陥って、知らない内に浮き足立ってたんだな。


《人間。名乗る事を許そう。名を何と言う》


 ……クソッ、やっぱり間違いねーや。ホバリングしているこの蚊からさっき精霊王と名乗った奴と同じ声がする。見間違えでもない。


 おい嘘だろ?


 そりゃこれまでも変な姿の精霊はいたよ。リスとかポメラニアンとかさ。でも蚊はないでしょ~……嘘だよ。なんで蚊が精霊を統べるんだよ。だって蚊だよ? あいつらイクラ一粒より耐久性ないぞ。どう考えても何かの上に立つ存在じゃないだろ……


《この精霊王の発言を無視する気か? なんたる不遜な態度よ。そうせよとミロに命じられたのか。返答によっては精霊と人間の全面戦争であるぞ》


 なんかヤバそうな事言ってるのはわかるんだけど、ぷ~んって音も同時に聞こえてくるからイマイチ内容が入ってこない。蚊の羽音って不快だから嫌でも意識をそっちに持ってかれちゃうんだよな。


 でも、それを指摘するだけで不敬とか言われそうで怖い……別の種族とはいえ王様だもんな。気遣いMAXで対応しないと国際問題どころか次元規模の問題になる。


 けどなぁ……蚊に気を配るの難しいって。だってずっとぷ~んっつってんだよ? 苛々して気遣いどころじゃねーよ。マジで今すぐパン!ってしてぇ。


 何にしても、このまま黙ってる方が心証は悪いだろう。最大限遜って対話を試みるしかない。


「あの、大変申し訳ないんですが羽の音に紛れて御言葉が聞き取り辛くなっていまして。何処かに留まってから話して頂けると……」


《拒否する。この身体で羽を休めるのは自殺行為に等しい。天敵が星の数ほどいるのでな。精霊の王たるもの、一所に留まる事をしてはならない》


 知らんがな。そもそも精霊王がぷ~んって音出して良いのかよ。


 けど……明確にさっきよりは聞き取りやすくなったな。羽音を継続する代わり、心に直接語りかけてくる声の音響を微調整したらしい。器用な真似を。


《どうやら、このアインシュレイルに猜疑の目を向けているようだな。小さきこの身体に王の威容を見出せないか》


「正直に申し上げれば欠片も見当たりません」


《む……流石はミロに一任されるだけはある。この精霊王に臆せず忌憚なき意見をぶつけてくる姿勢、評価に値する》


 いや、そんな格上相手に一歩も引かない鋼のメンタルの持ち主みたいに言うけどさ。蚊を王様扱いってやっぱ無理なんだって。ぷ~んぷ~んうっせぇし。誰が緊張感持てんだよ。


 わざわざ大抵の人間が不快に思う蚊の姿で国王と対峙したって事は、最初から歩み寄るつもりはなかった……って考えたくもなるけど、そんな姑息な事をやりそうな御方にも思えないんだよな。幾ら策略でも蚊にはならんだろ。


 まあ何か事情があるのは間違いない。


《良かろう。この精霊王が人間界においてこのような姿で活動する理由を特別に教えてやろう》


 お、やっぱりか。そりゃそうだ。誰が好んで蚊になんてなるかってんだよな。取り敢えず本来の姿じゃないってわかっただけでもホッとした。


 とはいえ、精霊王が誰かに呪いをかけられたとか嫌がらせを受けたってのも考え難い。


 一体どんな理由が――――


《まずは圧倒的な回避力。この身体は驚異的な羽ばたきの速度を可能としており、それによって生じる気流で複雑な動きを可能とし、更には障害物や敵の検知も出来る。これだけ小さければ視認される事も少ない》


 ……えぇぇ。能動的な選択? メチャクチャポジティブに蚊を捉えてんじゃん。要するに逃げるのが上手いって事なんだろうけど精霊王がそれで良いのか……?


《加えて吸血能力。無論、普通の蚊のように口吻を差し込む必要はない。触れずとも他者の血を奪い、それを我が活力とする無敵の能力を手に入れた》


 これはまあ……確かにドレイン系の技が使えるのは強力だ。相手を弱らせ、同時に自分は回復する訳だからな。しかも通常の蚊と違ってリスクをそれほど負わなくていいのなら尚更だ。


 でも、幾らメリットを並べられてもそれを一つで台無しにするだけのデメリットが存在するのも事実。それを聞かない訳にはいかない。


「素朴な疑問なんですけど、叩かれても潰されないんですか?」


《無論潰される。その時点で精霊界へ強制帰還となるだろうな。しかしそのスリルこそが、この姿でいる最大の理由だ》


 ……はい?


《か弱きこの身体でいる限り、例え精霊王であろうと常に危機が付きまとう。実に危険と隣り合わせな生物であるからして。人間よ。この精霊王ともあろう者がだぞ、こうして其方と話している間にもトンボにパクッとやられたらどう思う?》


 この世界にトンボいたんだ。でも今はそれどころじゃない。


「そうですね……何やってんだよ精霊王~、くらいは言うんじゃないですかね」


《そうだろう。このアインシュレイルを慕う精霊達はその比ではないくらい失望し、従うべき相手を間違えたと絶望するに違いない。この精霊王を快く思わない者……今の人間の多くはそうかもしれんな。そういう連中は心の底から嘲笑い、愉快痛快と手を叩いて喜ぶだろう》


「はあ……」


《破滅と隣り合わせの日々。それこそが、この姿でいる最大の理由だ。スリルのない生活など下らん。何百年、何千年と生きているとな、嫌でもそうなる》


 ……なんか思ってたのとジャンルが違うな。若干切なくすらあるじゃねーか。


 精霊の寿命は長い。精霊王ともなれば、本人の言うように何千年も生き続けているのかもしれない。退屈な人生になってしまうのは仕方ない事だ。


 長期にわたる定点カメラ状態を経験したから、その苦痛の片鱗くらいはわかる。人生の目的なんてとうに失っているだろう。刺激を欲するのは当然かもしれない。寧ろそれがないと生きている意味さえ見出せないのかも……


「理屈はわかりましたけど、その姿で人間と真面目に話し合おうとしても無駄じゃないですか?」


《言いたい事はわかる。大半の人間がこの生物を好んでいないのは承知しているのでな。だが人間よ。外見で精霊を判断するのは如何なものか? このアインシュレイル、そんな人間が増えている現状に対しての警鐘も兼ねてこの姿で人間の王と対峙したのだ。我が覚悟を知れ》


 ……成程。何となく人間と精霊の国交断裂の主因が見えてきた。


 人間と比べて、精霊は種族の幅が相当広い。外見も様々だ。中には容姿だけで判断され嘗められている精霊もいるんだろう。俺自身、そういうルッキズム的な判断材料を持ち合わせているのは否定できない。


 そんな風潮が強まった事で、人間の精霊に対する見方も変わっていった。当初は大恩ある相手であり上位の存在と見なしていた精霊に対して、次第にペットと大差ない認識を持つ人間が増えた。


 精霊王としては度し難い人間の増長。それを自ら確かめる為、敢えて蚊となって国王と対面し、人類の現状を試した。


 その結果、交友継続には値しないと判断し国交断裂を決定した。


 そんな所か。


《無論、全ての人間がそうだと言っている訳ではない。だが国の代表ですら、この姿を見て『精霊も落ちたものだ』とのたまいおった。長寿たる精霊の事情など気にも留めず、自らの優位性を誇示し己の利益と自尊心を満たす事だけに終始しておった。なれば、最早交流する価値などない。それがこの精霊王の最終判断である》


 まあ……言い分はわかるかなあ。ただ認識に大きなズレもある。少なくとも『国の代表ですら』って表現はこの場合、適切とは言い難い。人間の国王に求められるのは気高い精神性じゃないからな。


「さっき城が揺れたのは貴方の仕業なんですよね?」


《あれは申し訳ないと思っている。この身体で怒ると高速の羽ばたきがソニックブームを生み出すようなのだ。それが城を襲ってしまった》


 不可抗力だったのか。にしても……王を名乗る存在がこうも容易く謝罪の言葉を口にするとは。相手は俺だよ? 人間の王様では絶対にあり得ない事だ。


 確かに、価値観は相当にズレてしまっているのかもしれない。精霊王が人間とはもう相容れないと判断するのもわからなくもない。逆に人間の王が蚊の姿をした精霊王を見て『フザけんな人類にケンカ売ってんのか』と思ったとしても、それも十二分にわかる。人間にとって蚊は害虫でしかない訳で。でも精霊の認識は多分違うんだろうな。


 これはちょっと、俺一人でどうこう出来る問題じゃなさそうだ。人間側の正論が果たして何処まで通じるのか。そもそも俺自身、正論で誰かを説き伏せるなんて全く趣味じゃない。寧ろ一番嫌悪するやり口だ。


 とはいえ始祖の力は借りたいし、この精霊王からも情報を得たい。つーか、そうしないと多分元の世界には帰れない。


《人間よ。こうして対等に話しているのは其方だからではない。其方がミロの使いであるからだ。それを踏まえた上で問う》


 羽音が一層大きくなる。羽ばたきの多さは感情の昂ぶりを意味しているんだろう。


《其方は一体何をしにこのアインシュレイルへ会いに来た? 精霊王に何を望む?》


 ……わざわざ目的を問うとは。向こうは向こうでこっちを警戒してるって訳か。まあ完全に異分子だもんな。始祖もそうだったけど、幾ら人智を超越した存在でも訳のわからない奴は余り歓迎したくないらしい。


「そうですね。少なくとも人類代表として貴方を説得に来たとか、そういうんじゃないです。ただ……個人的に精霊と人間の関係悪化には多少なりとも心を痛めてはいます」


 幾らなんでもここで不躾に自分の目的を言うのは得策じゃない。それに、一精霊使いとして現状を悩ましく思っているのは本当だ。


 ここが亜空間、すなわち作り物の過去だとしたら、精霊王を説得して人間との関係を良化させる――――なんて行為は無駄以外の何物でもない。


 でもこの精霊王が本物を元に作られた存在だった場合、もしここで説得できるのなら11年後の精霊王だって説得可能かもしれない。つまり、本当に人間と精霊の関係を改善できる道が拓ける。


 それもこれも、元の世界に戻らなきゃ始まらない話ではあるけど……試してみる価値はある筈だ。


「人間が精霊との関わりを重視しなくなったのは事実です。中には精霊を軽んじる人間もいるでしょう。でもそれは、人間という種族全体の驕りじゃなく魔王討伐との兼ね合いが原因だと俺は思っています」


 果たして聞く耳を持って貰えるか――――


《……人間よ。このアインシュレイルを侮辱するか》


 げ。なんか地雷踏んだ?


《その程度の見知、この精霊王が頭に入れていないと思ったか? 魔王討伐への使命感と意欲が枯渇している現在、精霊の力を借りる必要性が薄まったと言いたいのだろう?》


 うぐっ……その通りだ。さすが精霊王、こっちの考える事なんてとっくに検討済みって訳か。


 そしてその上で人間を見限った。だとしたらこれ、もう絶望なのでは……?


《其方もまたこの精霊王を軽んじるか。ならばそれが罪である事を思い知らせてやろう》


 ちょっと待ってくれよ! こんな事でブチ切れるの!? どんだけ癇癪持ちなんだよ精霊王さんよぉ!


 幾ら姿が蚊でも、相手は精霊の頂点。どんな攻撃が来るのか想像も付かない。大丈夫だよな? 結界ちゃんと出るよな……?


「何事だ! 精霊王、まだそこにいるのか!」


 マズい。蚊の羽音が更にデカくなった所為で、玉座の間にいる国王達にも聞こえてしまったらしい。


 ローキーの効力が継続中なら、俺が見つかる事は恐らくない。けどこれじゃ、こっちにやってきた王様が俺へ向けた攻撃に巻き込まれる最悪の事態になりかねない。


「……俺を攻撃するつもりですか? 王城ごと破壊する事になりますよ?」


《無論そのつもりだ。元々精霊と人間の友好を象徴した城。国交断裂を決めた今、この精霊王が引導を渡すのもまた一興》

 

 おいおいおいおい! さっきストーベイが言ってたのと話違うなあ! もっと寛容じゃなかったのかよ!


 仕方ない。ここはもう腹を括ろう。


 狙いは大失敗に終わった。これからはもう敗戦処理だ。被害だけは出ないようにしないと。


 その為には――――


「生憎、城には特に思い入れないんで。心中は御免被りますよ」


 バルコニーの手すりに飛び乗り、そのまま飛び降りる。それしか方法はなかった。


 死ぬには十分な高さだ。少なくともシャルフ戦で下のフロアに落下した時よりも。


 思うに、死を連想する要素は直感と理性の両方に存在する。例えば今のこの落下していく感覚。既に一度味わっていて、その時に結界のお陰で死んでいないんだから理性では『結界が発動して死なない』って認識になる。


 一方で、理屈抜きにこの気味の悪い浮遊感は死に直結すると、感覚がそう訴えかけてくる。この落下によって生じる感覚はきっと、人間誰しもが抱く根源的な恐怖だ。

 

 だから前の経験則が死の連想を邪魔する事はない。このまま落ちれば待っているのは孤独な死。そうなる筈――――



「……!」



 地面に叩き付けられる直前、結界は発動した。


 …………っぶねー! どんだけ勝算あっても怖いって! うわー良かったちゃんと出た! アイザックに追放して貰った時の飛び降りでは出なかったもんなあ。やっぱ高さは重要なんだな。落下の衝撃も完璧に抑えてくれたお陰で無傷で脱出できた。


 とはいえホッとしてる場合じゃない。早くこの場を去らないと。


 俺のさっきの答えが相当気に入らなかったみたいだし、恐らく精霊王は俺を追ってくる。一先ず城から離れよう。城が壊れちゃ中にいるウィスや地下の始祖がどうなるかわかったもんじゃないしな。


 厄介なのは、精霊王が蚊って所。蚊って確か汗を感知して寄ってくるんだよな。既に冷や汗かきまくってるし、俺の汗を覚えられているとしたら……確実に追跡される。


 何か手を考えないと……



「対象ヲ捕捉シマシタ」



 ――――背筋が凍る。


 不意に聞こえて来た、感情なき背後からの声に聞き覚えはない。少なくとも精霊王じゃないだろう。けど、その『対象』というのが俺を指しているのは明らかだ。


「御苦労様。また宜しく頼むよ」


 そして次に発せられた声には覚えがあった。同時に、さっきの合成音声にも似た声が精霊のものだったと知る。


 何故なら今、俺の背後に入るのは間違いなく――――精霊使いの声だったからだ。



「……ウィス」



 しかもそいつは、明確な敵意を俺に向けていた。






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