第447話 聖噴水を過信するな

 逃げながら現状を整理しよう。


 聖噴水の効果はあくまで『モンスターに近寄りたくないと思わせる』というもので、相手の視界から消えるとか結界を張るとか、そういった類のものじゃない。


 だから聖噴水の効果範囲内にいて尚且つモンスターに発見された場合、モンスターには『獲物を見つけた』って意識と『あまり近付きたくない』って意識が混在する事になる。


 って事は、襲われるかどうかはモンスターの攻撃性や機嫌に左右される。例えば『獲物を見つけたけど遠くにいて、遠距離攻撃の手段がない場合』は高確率で見逃してくれる。逆に『虫の居所が悪くて獲物が攻撃範囲内にいる場合』は襲われる可能性が高い。


 で、現状。


 俺は聖噴水の効果範囲内で逃げ回っている訳だけど、出くわしたのが相当な近距離だったのと熊のしつこい性質を考慮すれば、どれだけ逃げても見逃される可能性はないに等しい。元いた世界の熊とこの世界のくまクマ熊ベアーなモンスターが同じ性質やスペックとは限らないんだけど、大ピンチなのは確かだ。 


 だけど……ちょっと懐かしくもある。


 思えば初めて異世界転生した日も、こうやってフィールド上でモンスター相手に逃げ回ったんだ。その中には確か熊もいた記憶がある。サイズは全く違うけど。


 そう言えばあの時、熊は結局倒さず終いだったっけ。イカとか鳥はやっつけたんだけどな。


 とはいえリベンジマッチって訳にはいかない。あの時はコレットも一緒にいたけど今回は俺一人。加えて精霊も喚べないとなると安直に戦闘を選択する事は出来ない。まずは逃げの一手。あの熊を出来るだけティシエラ達から引き離す。その上で俺自身の安全を確保だ。


 あれだけデカいモンスターなら一撃で棺桶必須の身体になる自信がある。だから虚無結界の条件を満たすのは難しくないだろう。それに敵が獣ってのも良い。種類こそ違うけど生前死んだ時も相手は獣だったからな。その時のイメージと近ければ近いほど、孤独な死――――結界の発動条件を満たせる。



「グルルルル……」



 にしても、なんか変だな。


 この鳴き声って多分威嚇してるんだよな? 犬とかも威嚇する時は最初こんな感じで低く唸ってから大声で吼えるし。多分間違いない。


 なんで逃げる相手に対して威嚇する必要があるんだ?


 それに、俺の姿を視認してロックオンまでしているのは確実なのに、ムキになって追ってくる気配が今の所ない。全てのモンスターがそうとは限らないにせよ、普通は獲物と判断したら問答無用で襲撃してくる。それなのにこの巨大熊は……何か俺を警戒しているような印象さえ受ける。


 あり得ない事だ。俺の何を警戒する必要がある?


 獣の本能か何かで俺が精霊使いなのを察知しているのか? でも俺が喚び出せる中に、このバカデカい熊をビビらすレベルの精霊はいない。武闘派のペトロでも体格差を考えれば苦戦は必至だろう。


 他に手持ちの能力と言えば調整スキルと虚無結界だけど、どっちも敵に威嚇させるタイプの能力とは言えない。搦め手と防御だもんな。


 なのに、こっちの逃走速度に合わせるような移動を続けて一定の距離を保ったまま、まるでマラソンみたいなスピードで追いかけて来やがる。


 確か熊って車並の速度で走れる筈だよな。トロ過ぎやしないか?



「グルルルァ」



 ……若干鳴き声のニュアンスが変わったな。でもクマ語なんてわからんから何を意図しているのかは不明。あと……流石に息が切れてきた……


 北門まで後どれくらいだ……? 何しろ城下町の外周1/4をぐるりと回る訳だから、相当な距離があるのは想像に難くない。ポイポイもいない中でこの逃亡劇は無謀だったかもしれない。


 けど他に選択肢はなかった。俺は既にターゲットにされていたし、あのままだとエヴァンナやメリンヌと合流する前に襲われていたかもしれなかった。

 

 ティシエラを危険な目に遭わせる訳にはいかない。


 地中でデスボールを食らった筈なのに、全くの無傷。明らかに通常のモンスターじゃない。大人のティシエラならまだしも、まだ実戦経験のない子供のティシエラじゃ狼狽えたまま対抗策を練れない可能性が高かった。

 

 俺は結界でどうにか出来る。でもあのサイズの熊がいきり立って暴れたらティシエラに被害が及ぶのは目に見えている。だからこの選択は絶対に正しい。


 正しいけど……キツい! あーもー限界! これ以上は走れねぇって!


「ひぃ~……はぁ~……」


「グルルァ」


「はぁ…………はぁ…………もう……ダメ……」


「グルァグルァ」


 ……ナメてんのか?


 何なんだこの熊は! もう歩行並の速度なのに全然追い付いてこねぇ! ずっと一定の距離を保って俺の事をジロジロ見てやがる!


 巨大熊ストーカー、ここに爆誕。


 いや怖ぇよ! 意味わからな過ぎてゲボ吐きそう! もういっそ襲って来てくれた方がまだスッキリするんですけど!?


「アオッアオッアオッ」


 ぬあんだその鳴き声は! アホっつってんのか!?


 まさか熊に煽られる日が来るとは。いつでも仕留められるから遊んでんのか?


 ……冷静になれ。攻撃がこないのならこっちには都合の良い話だ。不気味ではあるけど今は余計な事を考えず、逃走に集中して……





「待てよ」





 ――――総毛立った。





 何だ今の声は。


 この場に人の声を発する事が出来る奴なんて俺以外にいない。誰だ……?


 突然見えない相手からの声が聞こえた経験は何度かある。でも明らかにそれらの時とは違う。


 完全に外部からの声。それも人間としか思えない男声だ。


 そして、声がした方向には……



「逃げるな」



 熊がいる。俺をずっと追跡して来た、あの巨大熊が。


 つまり熊が……



 しゃべったああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!



 熊が喋った!! 怖っわ!! しかも普通の人間の声怖っわ!! キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!



「戦わなきゃ現実と」



 そして何故か説教を受けた。


 えぇぇ……何これどうなってんの? いやマジで怖いってシャレにならないって。俺の何倍もある熊がなんで流暢に人語を操るんだよ。気持ち悪いにも程がある。


 リアル寄りのアニメ映画で人の言葉を話す動物キャラは何度か目にしてきたけど、特に変だと思った事はない。フツーに受け入れていた。けど現実のクマがそれやってくると違和感エグいって! つーか違和感に対してこんな畏怖嫌厭を抱いたの生まれて初めてだよ。メチャクチャ怖いし精神が汚染される。ひたすら気味が悪い。


 そもそもさっきまでクマの鳴き声だっただろ! なんで急に人語で話し始めるんだよおかしいだろ! しかも図体の割にそんなデカい声じゃないし!


「そもそも土の中から巨大熊が出て来た時点でおかしいと思わないのか?」


「言われてみれば……」


 ティシエラの安全確保に必死で思考をすっ飛ばしていたけど、確かに最初から不自然極まりない存在ではあった。クマなのに地中にいたのもおかしいしグランディンワームの行動と丸被りなのも変だ。大体熊が焼け付く系のブレス吐くのもイメージと違うし。


 つーか巨大熊と普通に会話してる現状がもう既に異常だ。


 けど……不思議な事に、さっきまでバクバクだった心音がもう普通に戻りつつある。自分の緊張度は口の中の渇きや感覚でなんとなく自覚できるけど、それも既に薄れてきた。


 我ながら精神的リカバリーが凄いな。あの定点カメラ状態の無為な時間が俺のメンタルを相当鍛えたみたいだ。あの時の苦痛を思えば化物熊が喋るくらいどうって事ない、って訳のわからない思考回路が働いて心を落ち着かせている。自分で自分がよくわかんねーな。


「はぁ……まあいいや。で、何者なんだよ。熊だしプーさん?」


「そんな名前じゃないが、それより切り替えが早過ぎないか? 驚嘆に値する早さだ」


 人語を操る巨大熊に引かれてしまった。恐らく二度とない経験だ。


「その早さついでにもう一つ即答願いたい質問がある。その答え如何では誰何に答えよう」


 要するに、名乗る前に聞きたい事があるって訳か。向こうなりに何か事情でもあるんだろう。こっちとしては喋る熊に口答えする気はない。だって怖いんだもの。


「答えられる範囲なら」


「先程一緒にいた子供の魔法使いとはどういう関係だ?」


 ……なんだこの質問。まさかティシエラの関係者なのか? その昔、狩猟者団体に狩られようとしてた所を助けて貰ったとか?


 何にせよ、この時代における答えは一つだ。


「今日初めて会ったんだから関係も何もない」


「その初めて会った相手を守る為に、自らの命を危機に晒したのか?」


 よくわからないけど、さっきの俺の行動に対して何か思う所があったらしい。不合理に感じているって事なんだろうか。


「そうだけど。大人が子供を守ろうとするのがそんなに変か?」


「……いや。だがアンタはどう見ても強くはない。ずっと逃げの一手だったし、俺への対抗手段を何も持ち合わせていないんだろう?」


 あーそういう事か。やけに観察してくるとは思ったけど、こっちの出方を窺ってたのね。人語を操る時点で想像はついていたけど、思考がモンスターじゃなく完全に人間だ。


 人間が化けてんな。こりゃ。


「守り抜けるかどうかにおいては強さが重要だけど、守ろうとする意志に強さは関係ない。俺がそうしたかったってだけの話だ」


「……そうか。中々格好良い事を言うな。気に入った。先程の約束を果たそう」


 熊だから表情は変わらないけど、声に少し感情が乗った気がした。もう隠す気もないらしい。


 果たして何者なのか――――



「俺の名はウィス。こう見えて正体は人間の精霊使いだ」



 ……マジかよ。これは予想してなかった。


 魔王討伐の為に選抜された世界最強を誇る『グランドパーティ』のメンバーだった男。その後は確かアーティファクトの調査や点検をしてるっつってたっけ。


 そんな奴が――――


「なんで熊なの?」


「あー……地中調査の為?」


 ンな訳あるか。モグラならまだわかるけどさあ……


「ほら、アレだ。熊って地中で冬眠とかするだろ? 土の中で活動するのに適した生物なんだよ。意外と」


 うーん……なんか微妙に『成程!』とはならん理由だなあ。冬眠って活動を停止するのが前提だろ? 活動に適してる訳なくね?


「まあ、ただ潜るだけなら他にもっと適した生き物がいるんだけど、小さい生物では潰されてしまう恐れがあってな」


「潰される?」


「ああ。調査対象がグランディンワームだからな」


 ……またグランディンワームか。やけに縁のあるモンスターだな。


「最近、城下町周辺のモンスターが突然変異を起こしてるってもっぱらの噂でな。急激に強くなった個体もいれば、今まで見られなかった行動パターンを見せる個体も出て来ているらしい。通常グランディンワームは単独で行動するモンスターなんだが、複数の個体が番いのように隣り合って出現した事例が確認されている」


 そう言えば、俺が遭遇した時も単独行動するモンスターって話だったのに二体目がすぐ近くにいたっけ。11年前から既にその兆候が見られていたって事なのか?


 だとしたら、結構厄介な問題だ。


 モンスターってのは要するに魔王軍のクリーチャー共。そいつらが単にパワーアップを果たしているだけなら進化の種の乱用が考えられるけど、行動習性までもが変化しているとなると……魔王が何かしたと考えるのが自然だ。


 11年後の世界では、魔王は人間界に殆ど干渉してきていない。それどころか行方不明になっているらしい。世界征服に対して全く関心がないみたいだ。


 でもモンスターの強化、そして生態の変化――――つまり人間側の戦略を根本から覆す出来事が起こっているのなら、魔王が人間を打ち倒す下準備と受け取れてしまう。


 とはいえ、この世界が正史の過去なら城下町が滅ぼされたり大打撃を受けたりする事は絶対にない。11年後の未来にそんな話は一切残ってないからな。深刻になり過ぎる必要はない。


「グランディンワーム自体は大した強さじゃないから、仮に大量発生しようと怖さはないが……もし奴等が地中で動き回っていたら地質が大きく変わってしまう恐れがある。地下水や聖噴水に影響が出かねない」


 成程。家庭菜園を荒らすモグラみたいな事になってんのな。そりゃ放置できんわ。


「事情はわかったけど……熊になりきる必要はあったの? ずっと変な鳴き声出してたよな? しかも俺を執拗に追いかけ回して……」


「この見た目でいきなり人間の言葉を話してもそれはそれで驚くだろう? だから少しずつ人語に近付けていった方が良いかと思ってな」


 ……いや全然奏功してないけどな。普通に驚いたし。


 にしてもこの時代のウィス、この声を聞く限りだと子供じゃなさそうだ。10代後半か、もしかしたら20歳以上かもしれない。フードを被っていて素顔をしっかりと晒していないから年齢不詳だったんだけど……どうやら11年後の世界ではアラサーだったらしい。


「それよりもアンタ、本当にティシエラとは無関係なんだろうな? 一方的に追い回していたりしないよな?」


 随分しつこいな。まさかこいつ……


 ティシエラに気があるのか?


 推定20歳前後の男が10歳前後の少女に好意を抱いているとしたら完全にアウトだぞ。しかもその後ティシエラとパーティ組む訳だろ? まさかティシエラ目的でグランドパーティの一員になったのか?


 ……殺るか。


「あの子は人類の"最後の"希望だ。ポッと出のアンタが邪な気持ちを抱いて良い相手じゃない。もしそんな理由であの子をつけ回しているのなら重罪、いや死罪だ」


 どうやら、俺達はわかり合えてはいるらしい。余り歓迎できない意味で。


「生憎、生まれてこの方一度も恋愛感情なんて抱いた事がないんだよ。当然、年端も行かない子供に入れ込む趣味もない」


「そうか。疑って悪かったな」


 ……やけにアッサリ引き下がるな。


 どうもさっきから行動に一貫性がない気がする。ウィスとは11年後に知り合うけど、そもそもどんな奴か理解するほどの仲じゃない。元々気分屋なんだろうか。それとも俺の考え過ぎか……?


「不快な思いをさせた詫びに、少し小耳に挟んで欲しい事がある」


 不意に――――さっきまで巨大な熊だった筈の姿が、瞬き一つしている間に何の前触れもなく人間の青年になっていた。



「結論から言う。聖噴水を過信するな」





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