第445話 魔法中毒者

 ソーサラーと魔法使い。


 今まで一度もその違いについて考えた事なんてなかった。単に呼び方の違いでしかないとばかり思っていたし、実際そういう使い方をしていて間違いだと指摘された事はなかった。


 けど、どうやら厳密には違うらしい。


 魔法使いは魔法を使う人間の総称。ソーサラーは――――


「『ソーサラー』はギルドに属する事で初めて使用を許される呼称だから。未所属の母はソーサラーではなかったの」


 要するに商標登録みたいなものなんだろう。ソーサラーギルドに所属していなくても魔法は使っても良いけど、ソーサラーと名乗るのはダメ。一見デメリットはなさそうだけど……多分ソーサラーを名乗れない魔法使いはモグリみたいな扱いをされるんだろうな。


「それじゃ、ティシエラも……」


「厳密に言えばソーサラーじゃないね。彼女はあくまでギルド預かりって立場だから。でもギルドで囲っている以上は誰もがソーサラーとして扱うし、そう呼んでいるよ」


 メリンヌの補足内容自体は想像通りだったけど、それを聞くティシエラの暗い表情が気になった。なんか複雑な事情がありそうだな。


 ソーサラーギルドに関してそれほど詳しい訳じゃないけど、俺がこの街で知り合った魔法使いは漏れなく所属しているんだから、一定の能力を持っている魔法使いはほぼ全員ソーサラーギルド所属なんだとばかり思ってた。大所帯で少数とはいえ男もいるみたいだし。


 この街に来るソーサラーなんて大半が魔王討伐を目的に長い旅をしてきた天才魔法使いばかりだろう。そんな面々が同じギルドに所属して一枚岩となり、冒険者やヒーラーと協力して魔王軍と戦う。そんなイメージだった。


 ティシエラの母親は魔王討伐に興味のない魔法使いだったんだろうか?


 でも、確かソーサラーギルドって魔法使い以外も所属してるんだったよな。教育関係の進路を志望している人達とか。それなら、別に戦う事が絶対条件のギルドって訳じゃなさそうだ。


 敢えて所属しない事で生じるメリットって何なんだ……?


「私の母はね……」


 俺の顔を見て疑問に思っている事を察したらしい。ティシエラはやけに辛そうな顔で母親の話を続けようとしている。でも言い淀むあたり、余り話したいような内容じゃなさそうだ。


 一体どんな深い事情が……


「魔法博士だったの」


 ほう。博士。


 ……博士?


「魔法を使って得られる成果よりも魔法を使う事そのものや知識を得る方に注力していたから、魔王討伐を主目的とするソーサラーギルドとは志が違っていて、所属する意義を見出せなかったと言っていたわ」


 そんな理由? なんか弱くない?


 いや、そりゃ方針や方向性が違えば居心地は良くないかもしれないけど……それだけだと何か思ってたのと違うな。


 例えば、ウチの城下町ギルドだって俺の提唱する『街を守る』って基本姿勢を第一に考えてるギルド員なんて多くはない。みんな各々の願望や野心を叶える為に仕事を得ようと割り切って所属している訳で。大抵の集団や組織はそういうもんだ。面接時に『御社の理念に惹かれました』と言って本当に惹かれてる奴マジで0人説。


 自分のやりたい事が別にあるからといって、それを所属しない理由にするのは……なんかピンと来ない。


「魔法博士とはね。随分良く言ったものだよ」


「な、何ですか」


 メリンヌのツッコミに珍しくティシエラが狼狽している。やっぱりもっと複雑な背景があって隠してるんだな。


 仕切り直そう。


 一体どんな深い事情が……


「余所の家の母君を悪し様に言うものじゃないと重々承知した上で敢えて言うけれども。ティシエラ、キミの母親は控えめに言って魔法ジャンキーだ」


 ……なんか悉くしっくりこねぇな! 魔法ジャンキーって何なんだよ!


「言い過ぎです! 母をそんな頭のおかしな魔法使いみたいに言わないで下さい!」


「いやあ、これでも大分言葉を選んだつもりなんだけどね。何しろ毎朝、自分の使える魔法を全部使ってその日の全魔法のコンディションを確かめてからじゃないと働く気になれないとか平然と口走る変態なのだよ?」


 えぇぇ……何それ。そんな魔法使い実在すんの? 普通にヤベー人じゃん。


 例えば剣術とか体術だったら特に変でも何でもない。自分の身に付けた技を毎日全部使用して修行に励む。普通にある事だ。けど魔法使いは魔法を使う度に魔力を消費する訳で、全魔法を朝だけで使いまくるんじゃ午後からは魔力空っぽだろ。イカれた運用にも程がある。


「確かにキミの母親は優れた魔法使いではあったのだろうさ。習得した魔法の数も魔力の数値もズバ抜けていたしね。けれど……アレはダメだよ。魔法を使う事に生き甲斐というより快楽を感じていたよね。その所為で日中は常時バーンアウトで廃人みたいになっていたじゃないか」


「おい子供相手に快楽とか言うな!」


「おっと失言。しかし内容は間違えていない筈だよ」


「……」


 ティシエラからの反論がない。どうやら本当にティシエラの母親は魔法を使用する事に快楽を覚える変態だったらしい。しかも朝に燃え尽きて昼からは使い物にならなかったと。


 これは魔法中毒者ですわ。


 うわーどうしよう。ティシエラの親って絶対お堅くて真面目で上品な人間だと思ってたのに。解釈違いにも程がある。なんか頭痛がしてきた……


「キミだって、そんな親を反面教師にしたからこそギルドの門を叩いたのだろう? 実際、キミが来た当初は同情する声も多かった」


「私はそれが不服で仕方なかったわ」


 どうやらティシエラは母親の事を尊敬しているらしい。まあ親が魔法使いで自分もその道を歩んでいる訳だから、尊敬の念がない筈がないけど。


「そうだね。キミは同情されるような子ではなかった。何せキミは母君の使える魔法を悉く習得していたのだからね」


 それがどれだけ凄い事なのかは俺にはわからない。でもメリンヌの口振りから天才的な凄さなんだろうと想像するのは容易い。


 それともう一つ。ティシエラに魔法を教えたのは母親だという事も。


 ……もしかしたらティシエラは、母親に構って欲しくて魔法習得に心血を注いでいたのかもしれない。朝は魔法に夢中でそれ以降は廃人だったら、家族と向き合う時間はなかっただろうし。


 まだ10歳やそこらのティシエラがこんなにしっかりしているのも、親に甘えられる状況じゃなかったからなのか……?


「キミの姿にかつての母君を重ねる者もいれば、エヴァンナのように純粋に嫉妬する者もいる。単に生意気だと切り捨てる者もね。不本意だろうが、キミに対しては誰もが歪な先入観を抱かずにはいられないんだ」


 だから正当な評価を下す事は出来ない。


 メリンヌのこの結論がギルドの総意だとしたら、ティシエラは……


「お。ようやく準備完了みたいだ」


「え?」


 メリンヌの視線を追うと、その方向には天へ向けて右手を伸ばすエヴァンナの姿があった。


 伸ばした手の人差し指を立て、その真上に巨大なドス黒い球体が浮かんでいる。間違いなくデスボールだ。


 恐らくソーサラーの中でも指折りの実力者なんだろう。今まさに魔法を撃とうとしているその姿がやたら様になっていて神々しくさえある。


「キエエエエエエエエエエエエエエ!!!」


 ……対照的に聞こえてくる唸り声は何処までも禍々しい。遠過ぎて見えないけど多分顔面も崩壊してるんだろうな。


 そんな気合いたっぷりの中放たれたエヴァンナのデスボールは、フィールドの遥か先まで一直線に飛んで行き――――やがて小さな破壊音と土煙をあげた。


 恐らく100mや200mじゃない。かなり距離を伸ばしてきた。とはいえ、判断基準がないから成功か失敗かはわからないけど……


「どうやら上手く集中できたみたいだ。彼女はどうにも精神的にムラがあってね。実力はあるのだけれども」


 メリンヌの発言を聞く限りは成功みたいだ。ならもう少し満足げにすりゃいいのに、こっちに向かって歩いて来るエヴァンナはずっとピリピリしている。マジで負けられない戦いなんだろうな。


 そして今のデスボールが着弾まで消えなかったって事は、城下町周辺を模した亜空間という可能性はなくなった。もっと広大な亜空間か、若しくは亜空間ではなく……本当に過去か。ここからは更に慎重に行動しないと。


「ではティシエラ、いよいよ決断の時だね。ここで敢えて宣言する必要はないから、キミの結論は試技をもって私に示してくれ給え」


「……はい」


 言葉少なに頷き、ティシエラはこっちに目を向けてきた。


 今までは常に11年後の姿と重なるくらい意志の強い目をしていた。でも今のティシエラは……年齢相応に見える。メリンヌの持ちかけて来た八百長話にかなり心を乱されているのが手に取るようにわかる。

 

 わざと負けるべきか、それとも本気で勝負に挑むべきか。正直、どうすべきかは俺には判断が付かない。子供にヤラセをさせるのが教育上良くないのは明らかだけど、メリンヌの言う事にも一理ある。何より、ここで俺が強く介入してティシエラの未来を変えてしまう事になったら目も当てられない。


 けど何も言わないってのも流石にな……せめて何かしら激励の言葉を送るべきだ。


 魔法に関しちゃド素人の俺が知ったような事を言っても仕方ない。シンプルに纏めよう。


「日頃のストレス発散も兼ねてブチかまして来い」


「……」


 そんな俺の言葉が意外だったのか、ティシエラは一瞬キョトンとした顔をして――――微かに笑った。


 どうやら一応、少しは心を軽く出来たらしい。


「おい! アタシ様はヤラセなんて認めてねーからなボケコラ! 勝とうが負けようがぜってー本気出せよクソが!」


 そんなフレンデリアの汚い激励にリアクションはせず、迷いのない足取りでエヴァンナの方へ歩いて行く。決意は固まったみたいだな。


「少々大袈裟な物言いになるかもしれませんが、我々はソーサラーギルドの転換点を目撃するかもしれません」


 その後ろ姿を眺めながら、随分と仰々しい事をセバチャスンが言い出した。


「ティシエラ様は城下町で魔法を学んだ天才児。対するエヴァンナ様は長い旅を経て城下町に辿り着いた、謂わば叩き上げ。今後どちらがソーサラーギルドを引っ張っていく存在となるか……」


「それが今日決まるかもしれないって? 中々面白い事を言う執事さんだね」


 ……と言いつつメリンヌも否定しないのか。案外本当に歴史の分岐点なのかもしれない。


 まるで一般庶民みたいな言われ方しているエヴァンナだけど、それはあくまで相対的な視点であって、彼女も間違いなく人類トップクラスの魔法使いだろう。ティシエラはそんな彼女ですら嫉妬し怯えるくらいの才能の持ち主って訳か。14歳でグランドパーティに選ばれるだけはある。


「ソーサラーギルドのギルマスはどう思ってるんですか?」


 深く立ち入るべきじゃないのはわかっているけど、どうしても聞きたかった。この時代のティシエラに味方がいるのかどうかを。


「秩序は守られるべき。優れた才能は最短で最大限開花させるべき。要はどっち付かずさ」


「……なら貴女は?」


「私かい? さっき言った通りさ。日和見主義なのでね。ギルドの方針に逆らうつもりはないし、波風を立てて欲しくもない。だからティシエラにあんな進言をしたのだよ」


「でも強要はしなかった」


「シレクス家の顔を立てたのさ。私は貴族を敵に回すほど命知らずじゃない」


 のらりくらりと躱されてしまったけど……なんとなく彼女はティシエラに悪感情は抱いていない気がする。ティシエラと話す時の目や口調が心なしか優しいから。


 ……単に子供好きなだけかもしれないが。


「何の話をしているの?」


 ティシエラと無言ですれ違ったエヴァンナが訝しげな顔で睨んでくる。っていうかこの人、もうずーっとピリついてんだけど。まさかティシエラがいる時にはギルド全体がずっとこんな空気なんじゃないだろな。


「何でもないよ。それよりお疲れ。中々良い飛距離だったじゃないか」


「どう……かしらね。あの子にはあれでも足りない気がする」


 その割に試技に関してはまるで自信なしか。ビビリなのは本当みたいだな。


 にしてもこの勝負の緊迫感、『魔王に届け』を思い出すな。あの時はティシエラ、イリスと一緒に実況やってたんだっけ。なんかもう遠い昔のように思える。過去に来て未来を昔のように感じるってコレ何?


 って、今はそんな事はどうでも良い。注目すべきは今のティシエラだ。


「……黎明――――…………永劫……――――……還りて――――」


 距離があるから殆ど聞き取れないけど、ティシエラが何かしらの詠唱をしているのはわかる。まだ子供だからか少しだけ成人ティシエラより声が高い。もしかしたら緊張してるのかも。


 なんだろうな。この授業参観で我が子を見守る親の疑似体験。俺はもしかしてこの瞬間の為に過去へ来たのかもしれない。


 お、詠唱終わったか。構えは若干エヴァンナとは違って腕を伸ばしきってはいないけど、ほぼ同じ大きさの真っ黒な球体がティシエラの真上に浮かんでいる。


 俺には違いは全くわからない。けどソーサラーの二人は……

 

「あれで10歳やそこらだと言うのだから、堪らないね」


「……」


 その差異を感じ取っているみたいだ。エヴァンナの不安げな顔がしかめっ面に変わった辺り、恐らくティシエラの方がより質の高いデスボールを作り出しているんだろう。とはいえ、それが射程距離と比例するかはわからない。


 なんか緊張してきたな。俺には直接関係ない勝負なんだけど、自分の事よりも心がザワつく。


 色々なしがらみや事情があるとはいえ、やっぱりティシエラに勝って欲しい。頑張れティシエラ――――



「御嬢様。私の方へ」



 ――――異変。



 セバチャスンの声と同時に、俺にもその非常事態が伝わってきた。


 大地が……揺れている!


「な、何だオイ! 地震か!? 屋敷は……!」


「御心配なさらず。この程度の揺れならば問題ございません。ただ恐らくは……」

 

 この感じには覚えがある。しかもつい最近だ。


 比較的弱めの振動。もしこの直後、地面の隆起が見られるようなら――――


「!」


 遥か前方、フィールド区域の地面が盛り上がったのが見えた。


 間違いない。この挙動には覚えがある。


「グランディンワームです」


 やっぱりか!


 アヤメルの実力を知る為にアクシーを三人でフィールドに出た時遭遇したモンスター。地中からブレスを吐き出して地上の生物を上空へと吹っ飛ばし、落下してきたところを捕食するタチの悪いデカブツだ。


 あの時は高レベルのアクシーと戦闘センス抜群のアヤメルがいて、俺も精霊を喚べたから三人で戦って何とか難を逃れた。結果的に大怪我を負う事もなかったとはいえ決して簡単な相手じゃなかった。


 今回は聖噴水の効果範囲内にいるから危険は恐らくない。しかもソーサラーが複数いるし、安全圏から魔法ブッ放してりゃ楽勝……


「おや。どうやらティシエラも捕捉したようだよ」


「え?」


 メリンヌの言葉通り、ティシエラは隆起した地面の方へ顔を向けていた。


 まさか、あいつ……

 




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