第440話 他人の頭を指で削る仕事
「セバチャスンが同行するのであれば心配は要らんな。フレンデリアを君達に預ける事を許可しよう。宜しく頼むよ。マジで。すっごい期待してるからな。なあ。なあ! なあって!!」
「娘をお願いね。ちょっとくらいなら激しめに討論するくらいは許可しましょう。あの子にとって良き出会いになる事を願っています。ホントに。もうホントに! ホントにね!!」
シレクス家の当主および夫人に蕩けそうなほどの熱視線を浴び、応接室から逃げるように出て行く。ここにフレンデリアを呼ぼうとする素振りが一切なかったって事は――――
「先程のお二方との会話につきましては、フレンデリア様には御内密にお願い致します」
やっぱりそういう事だろうな。『娘を矯正して欲しい』と親が思っている事自体を伏せなくちゃならないらしい。これはまあ、程度の差はあれど一般家庭でもよくある事だ。
「御嬢様は現在、空前絶後の第二次反抗期に突入しておりましてな。お二方の心労を考慮し、暫く食事時以外は顔を合わせないようにと私めが進言したのですよ」
空前絶後の第二次反抗期ってどんな反抗だよ……まあでも年齢的には確かに反抗期の時期だよな。
斯く言う俺も小学校高学年くらいにはバチバチの反抗期だったっけ。親のやる事なす事全てが気に入らなくて、『リモコン取って』って言われただけでもつい反発してしまった。
今にして思えば、その頃の関係性にずっと縛られ続けていた気がする。親に対する悪感情なんて別になくても、自分がキレた事に正当性を持たせる為に強引に親が悪い事にしたり、過剰に自分を理論武装したり……そういう人格形成を辿って今の俺がいるような。
そういう意味では、反抗期って情動知能の育成に極めて重要な時期なんだろうな。普通は自分が子育てしてやっと実感が伴うんだろうけど……一度死んで異世界に来た事で過去を完璧に客観視できるようになったからか、昔の自分をやけに他人事のように感じる。
「さて。これから御嬢様の部屋へと向かう訳でございますが、その前にお二人を試させて頂きたく存じます」
「試す? 私の何が不服だと言うの?」
ここにきて勿体振られたのが勘に触ったのか、ティシエラが露骨に不快感を示す。この辺はまだ子供だな。ちょっと安心した。
「大変申し訳ございません。しかしながら、フレンデリア御嬢様と相対する以上は必要な事なのです。何しろ、並の精神力では今後の人生に影響を及ぼしかねない精神的ダメージを味わう事になりますので」
そんなヤバいのかよこの時代のフレンデリア。なんかハードル上がり過ぎて想像がつかない。
「大袈裟ね。私達に余計な配慮は無用よ」
「御言葉でございますが、私が心配しているのは貴方がたではなく御嬢様の方なのです」
「……?」
要領を得ないって顔でティシエラが眉間に皺を寄せている。その目付き悪い顔も可愛いよロリエラちゃん。
「いずれフレンデリア御嬢様も反抗期を終え、落ち着いた淑女になると私は確信しております。そうなった時に過去やり過ぎてしまった事を悔いるのは明白。私の役目は御嬢様の悔恨を一つでも少なくする事なのです」
「随分と忠誠心が強いのね」
「御嬢様の事は赤子の頃から見守って来ました故」
オラついている若かりしセバチャスンの声が、フレンデリアの事を話す時だけは穏やかになる。そういえばコレットのギルマス選挙の時にもフレンデリアの成長(実際には中身が別人になっただけ)に目頭を熱くしていたっけ。心からフレンデリアの幸せを願っているんだろう。
「わかりました。それで、試すって何を?」
「簡単です。私と一戦交えて頂ければ」
・・・・・・・・。
は?
「見ての通り屋敷内は十分な広さがありますので、戦えるだけのスペースは何処でも確保できます。例えばこの廊下で殺り合ったとしても何ら問題はありません」
「いやいやいや問題しかないでしょ! つーか精神力を試すって話じゃありませんでした!?」
「健全な肉体には健全な精神が宿ると言います。重要なのは肉体であり血肉と骨。血肉と骨は全てを解決するのですよ」
ベキベキと嫌な音を立て、セバチャスンが指を鳴らしている。どうやらマジらしい。
まさかこの人……俺達をここで始末する為に同行を買って出たんじゃないだろな!?
「私と戦うつもり? 私に魔法を使わせたら、幾らこの屋敷が頑丈でもただでは済まないわよ?」
成年後もその名残は十分にあったけど、やっぱりティシエラはかなり好戦的な性格だ。心に余裕がない子供時代はそれが更に顕著に出ている。
「ティシエラ様には別の方法を用意してあります。しかしお連れの方は……」
俺の方を露骨に睨んで来やがる。標的は俺一人って訳か。
でもまあセバチャスンの警戒は当然だ。俺の場合、完全に素性不明だもんな。そりゃ露骨に怪しまれて当然だ。
今回の件、フレンデリアよりも前にこのセバチャスンに信頼を得られなければ話が先に進みそうにない。どうやら回避不能のミッションらしい。
「わかりました。それじゃここでやりましょうか」
廊下の途中で立ち止まり、そう答える。我ながら似合わんセリフだな……
「ほう。中々に気骨のある若人でございますな」
「ちょっと! まさか本気なの?」
ティシエラがこっちを心配……じゃなく『なんだコイツら頭イカれてんのか』って顔で見ている。とはいえ彼女のリアクションは全面的に正しい。貴族の屋敷の中で執事と戦う客人とか訳がわからな過ぎるよな。冗談か脅しだと判断するのが普通の感覚だ。ティシエラもそう解釈していたんだろう。
だが真意がどうあれ、こっちが先に引く訳にはいかない。これは向こうが俺を認めるか否かの試練だ。
仮に俺がセバチャスンの事を何も知らなければ、彼の意図など読もうともせずビビリ散らかしていただろう。けど俺はセバチャスンが常識人だと知っている。そんな彼が突然ケンカをふっかけて来たって事は――――
「勿論。本気で受けて立ちますよ」
あくまで度胸試し。当然そういう結論になる。
「宜しい。しかし客人、貴方様は決して戦闘に秀でた人物ではないとお見受けしました。歩行の際の身体の各部位の運び方一つを取ってみても、素人以外の何者でもないようです。敢えてそう演じているのだとすれば感服致しますが……」
「お察しの通り、演技なんかじゃないですよ。俺は戦闘に関しては何の訓練も受けていません」
「成程。どうやら私は――――」
セバチャスンの顎がゆっくりと上へ移動する。俺を見るその視線は必然的に下がり、眼球が半分ほど下瞼に吸い込まれていく。
「相当に甘く見られているようで」
「……!」
刹那、ティシエラが身をビクッと震わせ顔を強張らせる。
俺は達人じゃないが、これまで何度かそういう連中と敵対してきた経験から理解できる。セバチャスンが殺気を放ったと。
「ククク……シレクス家の恩顧を受け早10余年。よもや若き頃の猛りを思い出す日が来るとは思いませんでしたぞ」
放ったのは殺気だけじゃない。その顔は邪悪なまでに歪み、怒気ではなく歓喜を滲ませながら身体を膨張させている。
この過去の世界に転移する直前に見た、エメアさんを脅していた時の彼に近い。けど今回の方が遥かに荒々しいというか、執事特有の上品さを完全に失っている。まるで殺人鬼のような面構えだ。
「待って! フージィは私の為にここへ……!」
「これは私と彼の勝負で御座います故」
「……っ」
セバチャスンに睨まれ、俺をフォローしようとしたティシエラが一瞬にして硬直してしまった。
11年前の少女時代とはいえ、ティシエラは大人が相手だろうと怯むような性格じゃない。そのティシエラを一瞥するだけで恐怖のどん底に突き落とすのか……恐るべきセバチャスン。こりゃ本当に俺の首を折るなんて造作もないんだろうな。さっきから顔も挙動も禍々し過ぎる。人間ってより修羅か鬼だ。
「では参りましょう」
セバチャスンの執事服がピチピチになるくらい、筋肉が盛り上がっている。眼光は鋭く、そして妖しく光り、八重歯と思しき歯は最早牙にしか見えない。
そして、歪ませていた口元が一瞬真一文字に結び、前傾になった瞬間――――
「フージィ!!」
悲痛なティシエラの叫びと同時に、俺の頭部には猛烈な勢いで衝撃が走っていた。
動けない。全く反応できない。
でも、何をされたのかだけは辛うじて見えた。
「……ほう」
そう声を発したセバチャスンは既に俺の真横にいた。
彼は右腕を突き出し、更にそこから人差し指と中指を揃え貫手としていた。
俺は今、側頭部を抉られた。
ただし――――文字通り皮一枚。
「見えていましたな。私の攻撃が」
「……一応」
「何故避けようとしなかったのですかな?」
勿論、真実を話すのなら『あんな化物じみたスピードに反応できるか!』という返答になってしまう。目で追えたのは多分オネットさん達のような人外の動きを見てきた事で少しだけ目が慣れていたから。けどそれに反応して防御態勢をとるなんて俺の力じゃ不可能だ。
でも多分、そんな答えは望まれていない。ここはアレだ。多少無理をしてでも強者っぽく振る舞わないと。
「殺気を放った割に挙動が段階を踏んでいたからです。本気で殺すつもりはないとわかっていました」
「成程。では……」
貫手を俺の目の前に翳し、セバチャスンは更に顔を険しくし睨んでくる。
「今度は本気で殺めましょう。良いですな?」
「ダメ! もうやめて!!」
ティシエラが叫ぶ。セバチャスンへの恐怖で足が竦み、その場から一歩も動けずにいるというのに。
俺だから……じゃないんだろう。自分の為に俺が危機に陥っているからでもない。
強がってはいるけど、心根は優しいからだ。だから怖がりながらも俺の身を案じてくれている。ただそれだけだ。
身体は小さいし、まだ心も完成しきっていない。それでもティシエラはティシエラだった。
そんな彼女にセバチャスンは――――
「御協力、大変感謝致します」
姿勢を正し、美しい所作で深々と頭を下げる。
どうやら試験には合格したらしい。
「……えっ?」
「ティシエラ様がそこまで心配なさっているのならば、この方も悪人ではございますまい。重ねて非礼をお詫び致します」
ただし試されていたのは俺というよりティシエラの中の俺。最初からセバチャスンはティシエラの反応に気を配っていたんだろう。
子供は嘘をつくのが下手だ。そして嘘を取り繕うのはもっと下手だ。俺達にやましい事があるのなら、大人の俺よりも子供のティシエラを探った方が精度は高い。そんなところか。
「はぁ……私は一杯食わされたという訳ね」
「大変申し訳ございません。それにフージィ様、でしたか。貴方様は私の攻撃に対し全く怯む様子もありませんでした。見事な胆力でございます」
それは単にセバチャスンの人間性を知っている事と、死への恐怖が麻痺している事が要因。誇らしい事じゃない。
「シレクス家の執事ともあろう御方が、屋敷の中で流血沙汰を起こすとは思えませんから。それだけですよ」
「フフ……冷静であられる。貴方様ならばフレンデリア様を任せられるかもしれませぬな」
いやそれは勘弁して欲しい。俺はあくまで橋渡し役。フレンデリアと対峙するのはティシエラでなくちゃならない。
この二人を引き合わせようと考えた背景には、ティシエラの評判とフレンデリアの悪名の相性がある。単にシレクス家の知名度頼りって訳じゃない。
もしティシエラが大人すら手を焼いているフレンデリアを大人しくさせる事が出来れば、彼女を子供扱いする人間はいなくなるだろう。けどそれは極めて難しい。
でも、逆のパターンでも全く問題ない。
つまりティシエラとフレンデリアの相性が最悪で、フレンデリアから強烈に嫌われるケースだ。この場合であってもティシエラにとってはマイナスにはならず、寧ろプラスに働く。
何しろフレンデリアの悪名は街中に広まっている。今どの程度かまでは知らないけど、将来的には毛虫の如く嫌われるのが確定している。そんなフレンデリアに嫌われていれば、逆に街の人々からの印象は良くなる。敵の敵は味方、悪人の敵は正義――――とまでは言わなくとも、『あの非常識な御嬢様に嫌われているのなら案外まともな子なんだな』とは思われるだろう。
重要なのはこの『案外』の部分だ。元々の評判が良くないからこそ有効なイメージ戦略。好感度が高い人間には殆ど意味がない。ハードルが低いからこそ好転しやすい訳だ。
セバチャスンが血気盛んだったのは計算外だけど、幸い上手く切り抜けられた。内心ヒヤヒヤだったけどな。死への恐怖はなくてもセバチャスンの顔フツーに怖かったし……
「……ージィ。フージィ!」
っと。考え事しててティシエラをほったらかしにしちゃってた。きっと不安だったに違いない――――
「頭から血が出てるわよ!」
「……え?」
反射的に先程衝撃があった側頭部に手で触れてみる。
痛みはない。痺れも既にない。
ただ手に血はベットリと付いていた。
「ちょーーーーーーーーーーっ!? 流血沙汰これ流血沙汰! 大事件じゃん!」
「これはこれは申し訳ない。少し深く抉り過ぎてしまいましたか。つい昔の血が騒ぎましたもので」
「昔何してたんだよアンタ! 他人の頭を指で削る仕事なんてねーだろ!?」
「それがあるのですよ。秘密ですがね」
怖ぇーーーーーーーーーーっ! 口調は丁寧だからサイコパス感半端ないって! 悪魔が笑顔で上品な髭蓄えてんじゃねーぞ畜生め!
「心配なさらずとも大した怪我ではありません。頭部は血が出やすいのです。こちらの清潔なハンカチーフで抑えておけば直に収まりましょう」
「そういう問題じゃないでしょ……」
まあ確かに、床に滴り落ちるほどじゃないから本当に大した怪我ではないんだろう。全然痛くないし。
ただ、これから御令嬢に会うって人間が流血中なのはありなのか? 普通にダメなんじゃないか?
「それくらいの負傷をしていた方が御嬢様の機嫌も良くなりましょう」
「どういう御嬢様なんですか!?」
「そういう御嬢様なのです」
……血を見て興奮するタイプなのかよ。なんつー貴族令嬢だ。そりゃ悪名も広がるわ。
「では改めて、フレンデリア様の私室へとご案内致します。どうぞこちらへ」
「……大丈夫?」
「まあ、鼻血とかよりは全然出血量少ないし」
ティシエラを不安にさせないよう出来るだけ笑顔を作る。幸い、フレンデリアの部屋に着くまでには血も大分止まっていた。
「こちらでございます」
勝手知ったるシレクス家。フレンデリアの部屋も11年ごと変わっていないようで、見覚えのある扉の前でセバチャスンが立ち止まった。
「御嬢様。セバでございます。客人が是非御嬢様に御挨拶をしたいと仰るので連れて参りました」
さて、転生者に身体を明け渡す前のフレンデリアは一体どんな奴なのか――――
「入れッッ!!!」
えぇぇ……
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