第436話 全身の毛穴から淡い溜息が出て止まらない
シキさんが失踪した――――
その事実を冷静に受け止めている自分がいる。理由に心当たりがあるからだ。
俺とシキさんが迷い込んだこの場所が11年前のアインシュレイル城下町なのは間違いない。実際に過去にタイムスリップしたのか、空間として過去の映像を再現しているだけなのか、空想のようなものなのかは定かじゃないけど、俺が今11年前の城下町を体験しているって主観的な状況はガチ。そしてそれはシキさんも同じだ。
俺は11年前の城下町に何の思い入れもないから、現状の把握と帰還方法ばかりを考えてた。でもシキさんは違う。
この過去世界の何処かにいるであろう、お祖父さんに会いたい。
11年前と俺が確定させた時点で、きっとそう考えていた筈だ。筋金入りのお祖父ちゃんっ子だからな。11年前なら多分健在だったんだろうし。
その事を俺に言えば、帰る事ばかり考えていて焦っていた俺を余計困らせる。だから黙って出て行った……そんなところか。
とはいえ黙っていなくなるほどシキさんも薄情じゃないだろう。書き置きくらい残して……と思ったけどこの宿にはメモ帳みたいなのは常備してなかった。元いた世界基準で考えてしまう悪癖は中々抜けそうにないな。
書き置きがないのなら……
「はい。お連れの方でしたらお昼までには戻るとの事です」
案の定、フロントに言伝をしてくれてたか。
過去の自分が住んでいた場所は当然知っているだろうから、探すのに時間は掛からない。この世界のお祖父さんは11年前のシキさんと一緒に住んでいるだろうし、今のシキさんをシキさんと認識する事はない。シキさんもそれは理解しているだろうから、会って話をするつもりはないんだろう。遠くから一目見るだけでも……って感じだろうな。
定点カメラの時同様に、こっちの時間の経過とは関係なく転移直後の時間軸に戻れる……って保障はないけど、元に戻る方法がわからないんじゃ焦っても仕方ない。こっちはこっちで現状確認を進めよう。
まずは街の外に出て、ここが亜空間じゃないかを確認してみるか。亜空間ならその範囲は必ず限定的で、何処かのポイントで空間の終わりが存在する。コレーのお陰で学習済みだ。
けど俺一人でフィールドの外に出るのは無謀。11年前だってモンスターの強さは大して変わらないだろうし。
冒険者に同行を頼むか? けどそんなに持ち合わせはないからな……安価でボディガードを引き受けてくれる奴を探そうにもここは猛者揃いの終盤の街。よっぽどのお人好しでもない限り引き受けてはくれない。
それに、当然だけど11年前に俺を知る人間はいない。コレットやディノーもいないだろうし、仮にいてもまだ子供。とてもボディガードなんて無理だろう。
この身体の元持ち主も城下町出身じゃないし、万が一知り合いがいても9歳の頃のこの身体しか知らない訳で、今の20歳の身体を見て同一人物と認識するのは不可能だ。
一応昨日ユマ父と知り合ってはいるけど、彼は武器屋 兼 坑夫であってモンスターと戦う職業じゃない。対象外だ。
……さて、どうしたもんか。
何のアテもなく闇雲に声を掛けるのはどう考えても得策じゃない。やっぱりここは既知の人物を頼る方が良いだろう。例え向こうが俺の事を知らなくても、こっちが性格を把握していれば話の持って行きようはある。
懸念材料はタイムパラドックスだ。もしこれがタイムスリップで本当に過去に来ているのなら、俺やシキさんの行動が11年後に影響を与えて未来を変えてしまう恐れがある。
つっても、極論を言えば俺達が過去に来た時点でタイムパラドックスが起こった可能性さえあるんだ。いちいち気にしていたら何も出来ない。明らかに未来に悪影響を及ぼしそうな行動だけは控えるようにしよう。名乗りさえしなきゃ知り合いと会うくらい問題はないだろうし。
となると候補は……バングッフさんと武器屋の御主人あたりか。ロハネルは初対面時のピリピリした感じから察するに心を開くのは簡単じゃない。その点、この二人はまだなんとかなりそうではある。
本来ならこの時代の冒険者ギルドのギルマス、ダンディンドンさんを頼りたい所なんだけど……彼にはサタナキアを匿っていた疑惑もあるし安易に接するのは危険だ。
よし、決めた。
まずはベリアルザ武器商会へ行ってみよう。
思えば転生して最初に話をしたのも御主人とルウェリアさんだった。そこから始めるのも悪くない。
出来れば御主人にボディガードして貰えればそれが最善なんだけどな。確か元近衛兵っつってたし相当強い筈。多分客も殆ど来ないだろうから、店番はシキさんが戻ってきてからやって貰えば良い。逆に俺が残ってシキさんが御主人と一緒に行っても良いし。
この宿からベリアルザ武器商会までは決して近くはないけど、11年前の街並みを見てみたい気持ちもある。馬車は利用せず歩いて行こう。
「……おお」
昨日は日暮れ時だった事もあって、朝日に照らされた街並みを眺めるとまた少し違って感じるな。明らかに俺が知ってる城下町とは違う箇所がある。例えば宿の向かいにあった靴屋はなく、代わりに野菜売りの露天が並んでいる。行商人や路上売りの数も明らかに多い。
道路は流石にこの辺りは整備されていて、歩行や馬車の移動を妨げるような凸凹は見当たらない。ただし俺達が立てた街灯も当然なく、全体的な景観も若干野暮ったい気がする。
そう思わせる要因の一つが通行人の格好だ。昨日は見かけなかったから気付きようもなかったけど、服装が11年後とは明らかに違う。全体的になんか色合いが渋いというか……地味だ。焦げ茶とかカーキ色がやけに目立つ。恐らくこの時代の流行がそうなんだろう。
けれど街中の喧騒は寧ろこの時代の方が賑やかかもしれない。陽気に歌う吟遊詩人や宙返りをする道化師の姿を何人も見かける。祭りの日でもないのに。
もし時間に余裕があれば時代考証の一つや二つ、本腰を入れてやってみたいけど……そんな訳にもいかない。
「おはようティシエラちゃん。今日もソーサラーギルド?」
ん……?
「おはようございます。はい、お勉強させて頂きに」
会話の聞こえた方を視線を向けると、そこには――――中年女性に真顔でまっすぐな瞳を向ける、10歳くらいの少女がいた。
流行に左右されない寒色系のドレスのような服装。サイドを結んだ淡い金髪。そして利発そうな顔立ちと、気品溢れる佇まい。
聞き間違いじゃなかった。
紛う事なき11年前のティシエラだ!
うわー……マジか。当たり前っちゃ当たり前だけどティシエラそのものじゃん。面影しかない。あの子が何も悪い影響を受けずそのままスクスク育ったら俺の知るティシエラになるって感じだ。
ティシエラがグランドパーティの一員に選ばれたのは14歳の頃。それよりも明らかに幼い。まだソーサラーとしては駆け出しの時期か。
それと、何気にティシエラが20歳前後なのも確定したな。やっぱりこの身体と同世代か。
「お勉強頑張ってね」
「ありがとうございます」
うぉぉ……ロリっ娘のティシエラがペコリとお辞儀しとる。なんちゅー可愛い生き物だ。この世のものとは思えない。
大丈夫なの? 誘拐とかされない? その手の趣味の奴からしたら宝石のような輝きだろ。一人で街を歩かせるとかあり得んぞ。
ってかイリスはいないのか。まあ幼なじみだからといって毎日一緒とは限らないけど。イリスの幼少期も見てみたかった。ティシエラとは違うタイプの美人さんだし、それはもう可愛いお子さんだっただろう。
……流石に付いていく訳にはいかんか。正直もっと眺めていたいけど犯罪者になっちまう。一目見られただけでもラッキーって事にしとこう。
それにアレだ。ベリアルザ武器商会に行けば子供時代のルウェリアさんにも会えるかもしれない。彼女はもう少し小さいだろうけど、間違いなく可愛ぇー子だろうな。
なんて事を考えている間にロリエラはいなくなっていた。ソーサラーギルドに向かったんだろう。
名残惜しいけど俺も行くか。
「……いらっしゃい」
ベリアルザ武器商会は11年後と何ら変わらず暗黒武器の祭典状態だった。
けど肝心の御主人が全然違う! 何その素っ気ない対応! クールぶってんのかこの野郎!
「初顔だな。見ての通りウチの品揃えは特殊だ。暗黒武器に興味がないのなら今すぐ立ち去るんだな」
「は?」
何その接客。馬鹿なの? 自分から客を拒絶するような態度……馬鹿なの?
「あん? 何か文句が」
「あるに決まってんでしょ何ツンツン尖ってんですか! そんなんじゃないでしょアンタ!」
「……てめぇケンカ売ってんのか? 客かどうかもわかんねぇ内からペコペコする気はねぇぞこっちは」
んまー! なんて偉そうなんざましょ! まるで別人じゃん!
11年の歳月はここまで人を変えるのか……ルウェリアさんを育てていく内に丸くなったのか? それともルウェリアさんの純朴さがこの捻くれた御主人の心を溶かしたのか?
何にせよプランは変更だ。この斜に構えた御主人の懐に飛び込まない事には話が進まない。
「わかりましたよ。それじゃ取り敢えず八つ裂きの剣を見せて下さい」
「……ほう」
いや今更『やるじゃん素質あるよ』みたいな目付きされてもね。こっちは素の御主人知ってるから緩急つけたって騙されないよ?
「良いぜ客人。そいつに目を付けるのなら話は通じるだろう。見ていきな」
クソみたいなイキりしてんなー11年前の御主人。完全に黒歴史だろこれ。寧ろアンタが暗黒だよ。暗黒期だよ今の感じ全部。
「手に取ってみな。そのフォルムが心にグッとくる筈だ」
「はい」
言われるがまま八つ裂きの剣の柄を握り、なんとなく掲げてみる。相変わらずコウモリとサソリとムカデが絡み合って蠢動してる最中に押し潰されて死んだような見た目だ。何にも変わってねーな。
例えばこれを『こんなキモい剣売れねーから取り扱うのやめろ』と言ったらベリアルザ武器商会の未来が変わるんだろうか? ンな訳ねーわな。御主人がブチ切れるだけで終わりだ。
俺はこの人に協力を頼みに来たんだ。ケンカを売るつもりはない。
「御主人」
「おう。気に入ったか?」
「貴方はこの武器屋で何をしたいんですか?」
とはいえこの人、本心じゃない賛辞はすぐ見抜くんだよな。お世辞では心を開かない。それは良く知ってる。
だから多少のリスクは覚悟で、本音をブチ込むしかない。
「なんだァ? てめェ……」
「貴方は大切な人を守る為に、その人を育てる為にこの武器屋を営んでいるんじゃないんですか?」
「……」
店内が一気に張り詰める。それは全て、御主人から発せられた空気による変化だ。
「何者だ」
これまでの御主人とは全く質が異なる真顔で発してきたのは――――敵意込みの殺意。ルウェリアさんの出自を隠して匿っている御主人からすれば当然の反応だ。
にしても流石は元近衛兵、とてつもない迫力だ。普通なら確実に死の予感に打ち震えるところだけど……俺の場合、何故かそこだけは麻痺してるからな。今回はそれが幸いした。
「俺は武器屋ラーマの御主人の知人です。あの方には随分お世話になりました」
嘘は言っていない。この時代でも一応知り合ってはいるしな。
「ラーマの御主人が家族の為に武器屋を続けるかどうか葛藤しているのを目の当たりにしてきました。貴方もそうなんじゃないですか?」
「……商売敵のお仲間がウチの店にケチ付けに来たってのか?」
「生憎、邪魔が必要なほど競合してはいないでしょう。ここは特殊過ぎる」
「……」
顔つきは相変わらず鋭いけど、俺が何を言いたいのかわからず困惑して思考停止している様子が窺える。結構長い付き合いだからな。なんとなくわかるんだ。
「ここへ来た目的は視察です。でも敵情視察じゃありません。ラーマの御主人が『自分達と同じように幼い娘さんを育てながら武器屋を営んでいる店がある』と話していたのを聞いて、参考になる事があるかもしれないと思って来たんです」
「……目的はわかった。だがその割に、随分と敵意剥き出しじゃねぇか」
「率直に申し上げます。この偏った品揃えで本当に娘さんを育てていくだけの稼ぎが出ているのか、大いに疑問を持っています」
「余計なお世話だ。知り合いですらないテメェに心配される筋合いはねぇぞ」
「貴方の趣味嗜好が反映されているのは明白です。その拘りが、娘さんの健全な成長の妨げになると考えた事はないんですか?」
「てめぇ……マジで何者だ?」
「質問に答えられないからはぐらかしているんですか?」
「……っ」
御主人は――――
舌戦に弱い。
ルウェリア親衛隊を相手に毎回苦戦を強いられていたのが特に顕著だったけど、基本あまり弁が立つタイプじゃない。主導権を握るのはそう難しくないと踏んでいたけど……やっぱり11年前も同じだったか。
それに、この質問は割と本気で聞きたかった事でもある。別に売れ線の商品を扱う事が正義とは言わないけど、暗黒武器専門店でルウェリアさんを食べさせていけると本気で考えていたのか。それとも――――
「お父さんをいじめないでくださいっ!」
不意に、店の奥から小学校低学年くらいの女の子が出て来た。
この栗色の髪と潤んだ大きな目……
間違いない! 純度100%の子供ルウェリアさんだ!
「ルウェリア! 出てくるんじゃない!」
かっ可愛いなあ……絶対に可愛いのなんてわかりきってはいたけど予想していた以上の可愛さだ。
「ふぇ……」
「あっ! ちっ違う、違うんだ。怒ったんじゃない。お父さんはいつだってルウェリアの味方だ。怖がらせてしまって済まない」
どうしよう。泣きそうな顔も可愛過ぎて全身の毛穴から淡い溜息が出て止まらない。ティシエラとは違うタイプの可愛さだ。とても甲乙なんて付けられねぇよ。どっちもNo.1だ。
「あのなルウェリア、こいつはただの客だ。驚かせちまったみたいだが、別に苛められてる訳じゃ……」
それにしても可愛い。ティシエラは元々の凛とした雰囲気を残しつつの御淑やかな幼女だったけど、ルウェリアさんは本当にそのまんま、俺の知る庶民的なルウェリアさんが縮んだってだけ。それなのにどうしてここまで感情が揺さぶられるんだろうな。小さいとはここまで正義なのか。これは最早凶器――――
「さっきから顔がうるせぇな!!! 心の声が全部顔に出てんだよ!!!」
……すげー理不尽にキレられた。
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