第433話 俺はその時、なんとも思わなかった。

 俺は浮かれていた。


 確かに舞い上がっていた。こんな事に気付かないなんて……迂闊にも程がある。


「シキさん!」


「急に大声」

 

「この聖噴水の水、冷たいって感じる?」

 

「……言われてみれば。常温ってほどじゃないけど」


 季節は冬。しかも夕刻。そんな状況で水の中に足を入れれば普通は凍えるレベルの冷たさを感じなきゃおかしい。


 それなのに平気で入っていられる。体感的にはそれこそ家の風呂場で水道水に触れるくらいの感じだ。冷たくはあるけど抵抗を感じるような冷たさじゃない。


 明らかにおかしい。一体どうなってる?


「隊長。これって本当にビルドレッカーの送信部なの?」

 

 分離スキルで泉の底から剥がした箱を眺めつつ、シキさんが訝しげに問いかけてくる。当然そうだとばかり思っていたけど……違うのか?


 取り敢えず持ってみよう。重さはどれくらいなのか――――

  

「熱っつ!」


 触れた瞬間、想像もしないような熱さに思わず悲鳴をあげてしまった。それくらい熱を持っている。


 どうやら水があまり冷たくないのはこれが原因らしい。当然だけどバッテリーとか搭載してる訳じゃないだろうし、どういう原理なんだ……って魔法のある世界でそんな事考えるのは野暮か。


 けど、これは一体どういう……


「隊長。それ光ってない?」


「え?」


 とても手では持てず未だ泉の底に沈んだままの箱が……本当だ。ぼんやり白く光っている。


 さっきまではこんな発光現象は一切見られなかった。


 まさか、これは……


「ビルドレッカーが作動し始め」



 ――――話している最中、周囲の景色が一変した。



「……てたみたいね」


 同時に確信する。間違いない。やっぱりビルドレッカーで別の場所にある聖噴水と入れ替えていたんだ。


 その証拠に、今俺とシキさんがいるのはミーナの街中じゃない。


「……何処だよここ」


 大分薄暗くなって来たのもあって、パッと見では見覚えある景色かどうかわからない。わかるのは……明らかに市街地じゃないって事くらい。かといって住宅街でもない。何しろ建物らしき物が一つも見当たらない。


 かといってフィールドでも森の中でもない。周辺は平原みたく自然が広がっているしすぐ近くに鬱蒼と茂った植物群があるけど、遠方を見ると舗装された道路や字の消えた立て看板が確認できる。郊外の人里離れた僻地って感じだ。


 恐らくここにあった聖噴水がミーナに移動したんだろう。どうやら俺達は期せずして転移の瞬間に立ち会ったらしい。というか転移に巻き込まれてしまった。


 これは完全に予想外。まさかこんな事になるなんて。


 それでも一応冷静でいられるのは、瞬時に別の場所へ移動したのが初めてじゃないからだな。こちとら転生者、世界まるごと変わった経験の持ち主だ。それにこっちに来てから何度も似た経験をしてるしな。主にコレーの所為で。


「シキさん。ここが何処だかわかる?」


「……」


「シキさん?」


 珍しくシキさんはかなり混乱しているらしく、強張った顔のまま虚空を凝視している。俺の声は聞こえている筈だけど……この反応は単に突然の転移に驚いているって感じじゃないな。


 これは多分、この景色を知って――――


「ここ……城下町だよ。アインシュレイル城下町の端の方」


「やっぱり」


 見覚えのある光景が広がっていたから戸惑っていたんだな。


 ただ、俺の記憶にある城下町の光景とは随分印象が違う。少なくとも城下町に来てここまで辺境を感じさせる場所を見た記憶はない。まあ、城下町全域をくまなく見て回った訳じゃないから断言は出来ないけど。


「でも……なんか変」


「何処が?」


「ここには確かに聖噴水があったけど、5年以上前に取り壊された筈だよ」


 ……何?


「それって噴水としての機能を停止させてるって事?」


「噴水自体を取り壊して跡地にしてた」


 つまり噴水そのものが撤去されている訳か。だとしたら妙だ。そんな場所に聖噴水を転移させたのなら、代わりにミーナへ転移させる聖噴水が存在しないって事になる。今頃パニックになってるぞ。


 聖噴水を転移させている連中の目的は気付かれないよう水を盗む事。騒ぎを起こすのは百害あって一利なしだ。そんな真似をするとは到底思えない。


「私達が真相に辿り着きそうだったから、慌てて転移させたとか?」


「いや……シャンジュマンもアンキエーテもミーナを拠点にしてる宿なんだ。その拠点がモンスターに襲撃されるリスクを無視して証拠隠滅を図るなんて、衝動的な行動だとしても度が過ぎてる」


 下手したら自分達の宿が壊滅だ。幾らなんでもそんな馬鹿げた行動には出ないだろう。


「意図が読めないのは不気味だけど、こんな辺鄙な所にじっとしてても仕方ない。一旦市街地に向かおう」


「……」


「シキさん?」


「あ……うん。了解」


 どうしたんだろ。随分真剣な顔で景色を眺めていたけど。ここが城下町郊外っていう自分の見解が正しいかどうか自信がないんだろうか? でもしっかり断言してたしなあ……


 何にしても、もうすぐ日が沈む。この時間からミーナへ向かうのは無理だろうな。馬車も出てないだろうし。


 取り敢えずポイポイを喚んで一旦ギルドに帰って、日の出を待ってすぐミーナに向かおう。その前にモーショボーに様子を見てきて貰うか? まず夜目が利くかどうかを確認しないと。


「出でよモーショボー!」


 ……あれ?


 出て来ない。あ、そっか。今日は既にモーショボーを喚び出したんだ。つーかまだミーナの上空を飛び回ってるかも。あれから戻って来てないし。確か俺の位置は把握できてる筈だけど……肝心の呼び戻す方法がない。向こうが気付いてくれるのを待つしかないか。


 なら先にギルドへ向かおう。


「来い! ポイポイ!」


 ……………………。


 来ない。


 あれ? ポイポイを喚び出したのは昨日だよな? 温泉でモンスターの襲撃に遭った時。あれ以降は一度も喚び出してない筈だぞ?


 おかしいな。だったら――――


「出でよフワワ!」


 ……ダメだ。出て来ない。


 アルテラのペンダントはちゃんと首に装備してある。これがないと必要な魔力を供給できないからな。


 って事は、魔力に変換する為の体力が不足しているのか……? でもそこまで疲れている訳じゃない。寧ろイリスのお陰で普段より体調は良い。体力切れとは到底思えない。


「どうしたの?」


「……ゴメン。何故かわからないけど精霊折衝が使えない」


「そ。使えないのなら固執しても仕方ないし、歩いて戻るしかないね」


 気を遣ってくれたのか、シキさんは全く意にも介さないサバサバした口調でそう俺に告げ、先に歩き始めた。


 ……カッコ悪ぃな俺。でも落ち込んでても仕方ない。シキさんの言う通り、自分の惨めさとか情けなさに囚われてる場合じゃないしな。


「シキさん。地理や位置関係はわかる?」


「一応ね。この辺は子供の頃に来て以来だから確証はないけど」


「そうなんだ。お祖父ちゃんに遊びに連れて来て貰ったとか?」


「……」


 ようやく追い付いて隣に並んだ俺の方は見ずに、シキさんは表情と沈黙で否定を示した。


「あんまり思い出したくない記憶なら、無理に話さなくて大丈夫だよ」


「別に今はそこまで気にしてない」


 今は……ね。


「家で色々嫌な事言われて、居場所がなかったから出て行って街を彷徨いてたらこんな所まで来た、ってだけ」


 シキさんがお祖父さん以外の家族とソリが合わなかったって話は以前から聞いている。なんとなくそんな気はしていたけど、やっぱりそれと関係あったのか。


「でも別に嫌な思い出って訳じゃないよ。自分の居場所じゃない所から思い切って飛び出して、一度も行った事のない場所に行って……そういうのは嫌いじゃなかったから」


「なんかちょっとわかるなー。俺もガキの頃に友達と一度も行った事ない道に敢えて進んでみたりしてたもん」


「……隊長、子供の頃友達いたんだ」


「そりゃいるでしょ。何でいないって思うの」


「なんか子供の隊長って全然想像できないから」


 そうかな……少なくともギルドの中じゃ全然常識人の方だし、どんな幼少期だったかなんて一番想像しやすいタイプの人間だと思うけどな。


 昔の俺は、自分で言うのもなんだけど無難な子供だった。社交的ってほどじゃないけど話し掛けられれば普通に話すし、学校が終わって一緒に遊ぶ友達もそれなりにはいた。


 あの頃は当然、誰とも話さない日なんて一日たりともなかったし、とにかく一日、一ヶ月、一年が凄く長かった。楽しいと思える時間も長かった。そういう意味では人生の優等生だったのかもしれない。


 でも、今思えば情が薄い子供だった。


 友達と一言で言ってもその幅は広くて、中には毎日遊ぶくらい親しい奴もいたし、大して仲良くもないのに妙に声をかけてくるような奴もいた。


 その後者の中には、俺の私物を盗むような奴もいた。


 一度自転車が盗まれて、後日『すみませんでした』と匿名で書かれた紙をカゴに入れた状態で戻って来た……なんて事があった。筆跡で誰かはすぐにわかった。小学生の頃だったから、そこまで知恵が回らなかったんだろうな。


 俺はその時、なんとも思わなかった。


 憤りの感情もなければ裏切られたって気持ちも全く持たなかった。ただ単に『ああ、やっぱそういう奴だったのか』くらいに思って、その後も犯人と思しき奴に問い質したりはしなかった。


 情けをかけた訳じゃない。本当に心の底からどうでも良かった。親しい友達と遊ぶ事やゲームの事で頭が一杯だった。


 今にして思えば、面倒事を避けたい心理が働いていたのかもしれない。それと自分の中に湧いてくる感情を深掘りするのが怖かったような気もする。


 積極的に友達を作ろうとしなかったのも、根っこの部分では同じ問題なんだろう。だからこそ一旦人間関係がリセットされる大学生で躓いて、社交性を腐らせてしまい空虚な大人になってしまった訳だけど。


「ここからは一本道だから、あの時計台の方に向かえば大丈夫」


 ふとシキさんの声で我に返る。そういえば城下町の中央部には目印になる物がちゃんとあったんだった。毎日見ていると却ってすぐには思い付かないもんだな。


 この辺りは街灯を設置してないから日が落ちて暗くなると見え辛くなるけど、方向さえ合っていればいずれ付くから慌てなくても大丈夫。どうせ今日はもう城下町で一泊するしかないし、早足になる必要はない。


「……」


 隣を歩くシキさんの微かに白い吐息が風と混じる。それだけの事に、不思議とノスタルジックな気分にさせられる。


「……子供の頃にこの辺りまで来た時も、こんな時間だったんだよね」


「それって何歳くらいの時?」


「10歳は過ぎてたと思う。あんまりハッキリとは覚えてない」


 そんなバカな、とは思わない。俺もその頃の記憶は殆どが曖昧、若しくは断片的だ。


 良い記憶はしっかり覚えていて嫌な事は忘れる。それが理想なんだけど、現実は残念ながら逆だ。


「最初の方は開放感とか未知の場所に足踏み入れた高揚感とかで気持ちも昂ぶってたんだけど、やっぱり暗くなってくると心細くなったりもして……そういう事はちゃんと覚えてるんだけど」 


「人間ってそういうものらしいよ。一番記憶に残りやすいのは感情なんだって」


「ふーん。ちょっとわかるかも」


 心当たりがあったのか、珍しくシキさんが俺に共感を覚えていた。


「私がこの事で一番憶えてるの、お祖父ちゃんが探しに来てくれた時に感じた……訳のわからない感情だから」 

 

 シキさんらしい表現だな。多分、純粋な嬉しさだけじゃなく気恥ずかしさや申し訳なさも含まれて大層複雑な感情だったんだろう。

 

「お祖父さんはなんて言ってたのかは覚えてない?」


「うん。もし覚えてても隊長には教えてあげないけど」


「それは別に悔しくもないかな」


「……そ」


 一瞬蹴られると思ったけど、シキさんは微かに微笑むのみ。お祖父さんを回想するシキさんは普段より幾分か慎ましい気がする。


「そろそろ街中だね」


「本当だ。そんなに遠くもなかったな」


 道沿いの景色に少しずつ民家などの建造物が混じってくる。このまま進めば城下町の大通りに出られる。そこからギルドまではすぐだ。


 けど……


「……あれ? 気の所為かな」


「何が?」


「俺達さ、この辺りには街灯を設置しなかったっけ?」


 明らかに見覚えのあるエリアに到達した。それなのに街灯が全く見当たらない。そこに大きな違和感を抱いた。


 余りこの時間帯は出歩かないとはいえ、間違える筈がない。もう半年以上、拠点として過ごして来た街並みを。


「……」


 不意にシキさんが立ち止まる。その顔は先程までの穏やかさから一変、強張っているようにさえ見えた。


「おかしい」


「だよね。まさか勝手に抜かれた訳じゃ……」


「違う。街灯だけじゃない」


 シキさんの視線が忙しなく色んな方向へと向けられ、俺もつられて同じように周囲を見渡す。


 確かに違和感がある。



 ここらって――――こんなだったか?



「この街並み、今とは違ってる」


 そんな俺の違和感を、シキさんもハッキリと口にした。


「だよね。建物も一部違う気がする。それに道路も……」


 何気に一番違いがわかりやすかったのは道路の舗装だ。


 アインシュレイル城下町は街中を馬車が行き来するから、ミーナと比べると道路の状態が全然違う。石畳による舗装がしっかりと行き届いていて劣悪な状態は殆ど見られない。


 それに対し、この場所は確かに城下町と良く似ている……いや瓜二つだけど、道路に関しては凹凸が酷い。これじゃ馬の蹄が傷付いてしまう。


「城下町と似て非なる場所なのかな」


「わかんない。ただ……」


 何か心当たりがあるのか、シキさんは道路をじっと眺め続け――――

 


「昔の城下町は、こんなだった」



 ポツリとそう呟いた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る