第427話 吐かないと肋間神経が大変な事になるぞ

 エメアさんに中性的な顔に幾つもの血管が浮かんでいる。しかも顎を引いて三白眼で睨み付け、下唇を異常に突き出している。こりゃ相当ブチ切れてんな。


「私をここまで追い詰めた事、褒めて差し上げます……」


「そっちもな」


 よくわからんけど、こういうノリは嫌いじゃないんで取り敢えず乗ってみました。


「で、どうするってんだ? ナイトメアジェイルってのは俺達にはもう効かない訳だけど」


「笑止でございます! この私がナイトメアジェイル一辺倒だとでも!? ナイトメアジェイル頼りのナイトメアジェイル依存症だとでもぉーーーーー!?」


 何か別の技があるのか……?


 だとしたら厄介だ。決して広くはないこの浴場で、そもそもなんで襲われてるのか全くわからない相手にどう対応して良いのか正直全然わからん。向こうが仕掛けて来たんだし遠慮なくブッ壊して良いのかな。後で損害賠償請求されても正当防衛で撥ね除けられるよな? その確証がないとちょっと怖い。もう借金は嫌だ。


「これからお坊ちゃま達は更なる地獄の世界へと突き落とされる事でしょう。この私によってねぇーーーー! さぁ食らうが良いですぅーーーー!」


 雄叫びと共にエメアさんの姿が再び変化し――――



「プギーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 


 ……猪になった。



「一辺倒じゃねーか! 何が違うんだよ!」


「バカな!! ガチのマジに通用しないと言うのですかぁーーーー!? この私のナイトメアジェイルがぁーーーー!?」


「なんで二度目なら通じるって思ったんだよ……」


 訳わからん。襲われてる理由もわからないけど、それ以上にこの人が何をしたいのかが全然わからない。


 いや、でも困惑させられているのは確かだ。それに時間も稼がれている。


 って事は……


「まさか陽動……?」


「げ。絶対そうじゃん」


 ヤメも同意見らしい。流石にここまで意味不明だと他に解釈しようがない。


 そういう事か。本来の目的を隠す為に奇行で俺達の気を引いている……くっそ、なんで今の今まで気付かなかったんだ。俺がさっきオネットさんに頼んだのとまんま同じ事なのに。


 俺とヤメが混乱している隙に、湯船の中のお湯を回収したのか? 或いは駆け込んで来たあのチンピラを逃がす為? それとも他に逃がすべき人物がいるとか?


 何にせよ、これは一杯食わされた――――


「陽動?」


 違うのかよ。赤子みたいな顔でポカーンってしやがって。


「じゃあ何なんだよ……」


「フッ……今頃になって詮索とは。先程私があれだけ突然の襲撃の理由について仄めかそうとしていたと言うのに、貴方は頑なに無視していたではないですか。それを今になって急に……誰が喋ってやるものですか!」


「悪かったよ。さっきはそれどころじゃなかったんだって」


「フン! 謝ったって許してやるものですか! この私のナイトメアジェイルにたまたま耐えられたからって調子に乗ってドヤ顔でイキった後に下手に出て私の真の目的を教えて欲しいと言われても今更もう遅い!」


「今更なのはテメーだよ」


 特に何も言わずとも、俺の下手に出る態度が陽動だと気が付いたらしいヤメは会話の途中でエメアさんの死角に入り、そのこめかみに指を伸ばして――――何らかの魔法を放った。


「へぽっ」


 なんともマヌケな声をあげエメアさんはその場に崩れ去り、そのまま失神。どうやら脳をシェイクする類の魔法だったらしい。


 暫く目を覚ましそうにないけど、取り敢えず今の内に身柄を拘束しておこう。この人には色々話聞かないとな。恐らく、いや間違いなくこの浴場のお湯や聖噴水の不具合について何か知っている筈だ。


「はぁ……」


 敵かどうかは不明だけど、取り敢えずの脅威を無事退けたというのにヤメの表情は晴れない。そりゃそうだ。どれだけ強がってもショックはショックだろう。勿論このままの状態で他のギルド員達と合流する訳にはいかない。


「なーギマ。ここのお湯って勝手に使って良いと思う?」


「やめとけ。後で説明するけど触れるとヤバいお湯だ」


「マジ? じゃーどうすりゃいいんよこれ」


 もう開き直ってるのか、ヤメは濡れたスカートをジト目で指差しながら聞いてくる。俺に聞かれても……とは言えない。


 魔法で風起こして渇かす……訳にもいかないか。かといって女性陣を呼ぶ訳にもいかないし。


 仕方ない。


「ここで待ってろ。大浴場からお湯を持って来る。風呂桶もあった筈だし」


「すまん」


 素直に謝られるのってなんか新鮮だな。それだけで少し得した気分になる。


 風呂桶数個分のお湯を持って来れば洗い流すくらいは出来るだろう。後は入浴用の布を腰に巻けば、取り敢えず急場は凌げるか。



 その後――――


「うい」


 お湯で綺麗に洗ったスカートと下着を桶に入れ下半身を布でグルグル巻きにした格好で浴場から出て来たヤメは、見るからに覇気がなかった。


「着替えは持って来てるんだろ? シキさんかオネットさんにでも頼んで取ってきて貰おう。『バトル中に浴場で滑って下半身が濡れた』とでも言えば怪しまれもせんだろ」


「なんかメッチャ気ー遣わせてゴメンなー。色々あんがと」

 

「いや、全然良いけど」


「けど一つだけ言わせて」


 そして、死んだ魚が弱火でじっくり焼かれたような目で俺の方を見る。


「こんな屈辱生まれて初めてだわ……ヤメちゃん死にてぇ」


 そりゃそうだよな、としか言いようがないけど実際に口に出す訳にもいかず、ヤメの肩をポンと叩くくらいしか出来なかった。


 



 で。で。で。





「信じられません……まさかエメアがお坊ちゃま達にそのような蛮行を働くなど」


 その後、まだピヨってるエメアさんをヤメの魔法で拘束しオネットさん達と合流。シキさんが持っていた万能ロープで手足を縛り拘束状態を強化して、メオンさんの許可を得て仮眠室で任意聴取を行う事にした。


「本来受付にいなくちゃならない人が俺達に拘束されて連れられて来た。それが何よりの証拠です」


「うう……反論の余地などある筈もなく」


 恐らく何も知らないであろうメオンさんにとっては青天の霹靂。自分の上司が客を襲うヤベー奴だと聞かされるのはさぞ辛かろう。


「まさかこんな事になるとは……エメアは尊敬すべき上司でしたのに。私も多大な影響を受けたものです」


 そう言えば、さっきの余裕をなくしたエメアさんは取り乱した時のメオンさんと似てたな。って事は割と普段からあんな感じなのかよ。


「しかし現実を受け入れなければ。私が新たな支配人として皆様を引き続きおもてなし致しますので、どうか御心配なく」


「そこは本心じゃなくても代理って言いましょうよ」


「そんな! 私は決して己の出世欲を満たす為にこのチャンスを逃したくないと思っている訳ではないのです! 責任の伴うサービスを提供するには代理などではなく後を継ぐ"覚悟"がなければ!」


 いや……純粋に力不足だと思うんですよね。俺もギルドマスターとしての風格とかはないけどさ。


「兎に角そういう訳なんで、エメアさんが意識を取り戻し次第事情を聞こうと思うんです。現場責任者としてメオンさんの許可を頂きたいんですが」


「……」


「支配人からの許可を頂ければと」


「宜しい。許可します」


 ……いい性格してんな。


 まあ何はともあれ許可は得た。


「ヤメ。気付け宜しく」


「おうよ」


 オネットさんに着替えを取って来て貰ってスカートからパンツスタイルになったヤメが、失神中のエメアさんに触れ魔法を放つ。


「ギュビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ!!」


 電撃を浴びたエメアさんは一発で意識を取り戻した。


「あ、あの……これは拷問ですか?」


「いいえ。気付けです」


 あくまで任意聴取だから拷問なんてする訳がない。


「いやー。やってくれたよね。おかげさまでヤメちゃんの繊細なハートはズタズタなんよ。ねー、どうしてくれようか。なあ?」


「ひぃ……!? これ以上痛いのは勘弁して下さぃーーー! だっダメですぅーーーー! 部下の前でそんな……ああぁーーーー!」


 ただ、ここは個室。そして宿は現在貸し切り。ここで行われる出来事は全て、この場にいる人間以外には知られようがない。そういう事実もある。


「なんでヤメちゃん達にあんな事したんだよ。さー吐け。吐かないと肋間神経が大変な事になるぞ~?」


「ひぃーーーやめてぇーーーー! 仕方なかったのぉーーーー! 私のしてる事が冒険者ギルドにバレて業務停止命令下す為の証拠集めしてるかもって思って必死だったのぉーーーー!」


「あ、あの……やはりこれは拷問なのではないでしょうか?」


「魔法組手です」


「魔法組手とは」


「間合いや呼吸、洞察力の訓練などを目的に行われる魔法の練習です。自分が使用できる魔法を披露し合って互いに威力を確かめ合う、とても友好的な練習形式の一環です」


「エメアが一方的に食らっているようにしか見えないのですが……」 


「専門家同士の訓練とはそういうものです。実際には質の高い攻防が繰り広げられているんですよ」


「はあ」


 メオンさんは適当に言っておけば納得して貰えるから助かる。後はヤメに思う存分憂さ晴らしして貰おう。ついでに情報を提供して貰えれば尚良し。


「しゃしゃしゃ喋りますぅーーーーー! 全部喋りますからぁーーーーー! 坐骨神経を刺激しないでぇーーーーー!」


 ……どういう魔法使ったら坐骨神経って刺激できるんだろ。


 何にせよ、ヤメの活躍もあってエメアさんからの聴取は円滑に行われた。



 


 はじめは、ただの好奇心だった。



 ――――温泉に聖噴水の水を混ぜたらどうなる?



 この問いに答えられる者はいなかった。試す者が誰もいなかったから。


 だがそれは間違いだった。


 試した者はいた。しかし答えられなくなってしまっていた。


 皆、囚われてしまったから。





「……聖噴水の水と温泉を混合すると、身体から強制的にマギを剥がす作用が生じるって事?」


「みたいだ。実際に俺も体験したから間違いないと思う」


 シャンジュマン(教えて貰って思い出した)から戻って来たコレットには今回の件を報告しない訳にはいかず、さっきエメアさんから仕入れた情報を全て話す間に日が暮れ始めてきた。


 せっかくの慰安旅行だってのに、結局丸一日事件に巻き込まれたまま過ぎていっちまったな……


「触れただけでマギが剥ぎ取られるとなると、解析も出来ませんねぇー。困りました」


 鑑定ギルドのパトリシエさんが遠くの方で溜息をついている。本当はもっと近くで話して欲しいんだけど、人数が多いから仕方ない。


 昨日宴会場に使った大広間も今日は会議に使うハメになったか。まあ個別に話をするよりは、こういう広い場所に集まって貰って一気に情報共有する方が効率は良い。


 という訳で、現在大広間にはウチのギルド員全員とコレット率いる調査チーム、更には休養していたイリスにも来て貰っている。お陰でかなりの大所帯だ。


「エメアさんの話では、『聖噴水を温泉に混ぜるとトリップ効果が生まれて気持ち良くなれる』ってシャンジュマンの主人が吹聴していたらしい」


「あの宿は闇商人が交渉に使用しているって冒険者ギルドにも情報入ってたから、信憑性があったのかな?」


 コレットの言うように、闇商人の存在が少なからず影響している気はする。実際に関わっているかどうかは不明だけど。


「でも、結局シャンジュマンにいたあのゴロツキさんって何者だったの?」


「エメアさんが協力を仰いだ諜報員だってよ」


 ……と本人は言ってたけど、実際にはその辺のチンピラを金で雇ったんだろうな。


「聖噴水トリップの件が事実で、シャンジュマンが聖噴水の水を盗んで自分トコの温泉に混ぜて『気持ち良くなれる温泉』を密かに売りにしていたら、観光客を全員取られかねない……と懸念して調査させてたそうだ」


「だったら『水の運び屋』ってのも嘘なんだ」


「ああ。そう名乗らせておけば闇商人の方から接触してくる可能性があるって判断だと」


 アイディア自体は悪くない。シャンジュマンの主人がヒーラー温泉の首謀者だって言う話も同様。そう言いふらしておけば、向こうから接触して来ると考えての事だったそうな。同じ地域に温泉宿を展開するライバル同士。普通に聞いたんじゃ正直な答えが返ってくる訳ないからな。


 その過程でチンピラ諜報員は俺達と接触。冒険者ギルドが調査に乗り出していると知ったチンピラはそれをエメアさんに報告し、エメアさんは俺達がアンキエーテ(教えて貰って思い出した)を告発しようと証拠集めしているに違いない……と思い込んだ訳だ。


「実際、温泉に浸かってたヒーラー連中はトリップ状態だったからな。証拠はないけど荒唐無稽でもない」


「ヒーラー温泉も聖噴水と普通の温泉を混ぜてああなったって事?」


「それはあり得ませんよぉ。聖水の成分はあの温泉から検出されませんでした」


 コレットの言葉をパトリシエさんは完全否定。それだけ鑑定スキルに絶対の自信があるって事だ。


 そして俺もパトリシエさんの意見に異論はない。


「俺が実際に浴場のお湯に触れて体験したのは、到底トリップって感じじゃなかったんだよな。寧ろ真逆だった」


 あのエンドレス地獄こそ俺の結界による過剰防衛だったとはいえ、その前の女性陣の温泉ガールズトークもトリップ状態で見る光景とは到底思えない。話の中身も、どっちかっていうと俺を貶する内容だった。


「女風呂での昨日の会話を見たんだっけ? それってやらしい妄想でトリップしてるって事なんじゃないの?」


「違ぇーよ。実際に行われていた会話だったの。そうなんでしょ?」


 同意を求める俺に、既に俺からその内容を聞かされていたシキさん達は露骨に嫌な顔をしつつ渋々頷いている。音声だけとはいえ、結果的に盗み聞きのような事をされた訳だから本当に嫌なんだろう。俺にとっちゃ完全に不可抗力なんだけどな。


「あれが"過去視"だったのは間違いない。トリップとは明らかに違う。全然気持ち良くなんてなかったし」


「証言が食い違ってるって事かー……よくわかんないね」


 コレットの頭から煙が出ている。気持ちはわかるよ。俺も正直、今回の件の全容を掴み切れていない。


 コレットやアヤメルの聞き取り調査の結果、シャンジュマンを巡るキナ臭い噂が流れているのは事実らしい。闇商人がシャンジュマンを利用しているという話も信憑性はある。だからこそエメアさんは危機感を抱いたんだろうし。


 でも、これらはあくまで『聖噴水を温泉と混ぜるとトリップ効果が生まれる』って説が正しいのが大前提。なのに実際には違ってるんじゃ話にならない。


 何処かでズレている。決定的な何かが。


「ちょっと良い?」


 若干疲れた顔でフレンデリアが挙手してくる。彼女は彼女でお偉い方との会合が大変だったらしいから、せっかくの旅行でも気が休まらずにいるんだろう。


「この件、私達が関与するのはここまでで良いんじゃない? せっかくの旅行を余所様の揉め事で消化するのって良くないと思うの。それより肝試ししない?」


 そのフレンデリアから余りにも脈絡のない意見が出た。






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る