第426話 共感性羞恥

 猪が幻影だったと確定した瞬間、代わりに現れたのは――――


 フロントのエメアさん。メオンさんの上司だ。


 特に驚きはない。メオンさんだったら流石に動揺くらいしたかもしれないけど、彼……か彼女か未だにハッキリしないこの人なら特に意外性はないからな。


 そんな俺とは対照的に、エメアさんは露骨に狼狽したまま頭を抱えている。


「嘘だ……私の【ナイトメアジェイル】を破るヤツがいるなんて……信じられません……訳がわからな過ぎて嘔吐反射が……おぇ……」


 狼狽どころの騒ぎじゃねーな。ホントにえずいてる。どんだけ自信があるんだよ自分の技に。


「いや、そりゃ嫌な気分にはさせられたけどさ。トラウマ見せられたくらいで別にそこまでは……」


「違いますぅーーーーーーーーー! 私のナイトメアジェイルは全然そんなんじゃないですぅーーーーーーーーーー!」


 うわうっざ……本性だとこんな喋り方なんだこの人。初対面時の有能感は完全に消えたな。


「私のナイトメアジェイルは確かに心の傷を刺激する幻影を見せます。けれどそれは発端に過ぎません。恐怖心を引き出し増幅させ恐慌状態にするんですぅーーーーー!」


「恐慌状態? あれで?」


「ヤダあれでって言ったぁーーーーーー! 私のナイトメアジェイルを大した事ない雑魚技みたく言ったぁーーーーーー! 何こいつもうヤダぁーーーーー!」


 嫌なのはこっちだよ鬱陶しいな……こんな上司いたら三日でメンタルブレイクしそうだ。メオンさんはようやっとる。


「あのねぇ、私のナイトメアジェイルは自慢じゃないけどレインカルナティオの全国スキル検定協会が毎年実施してるスキル有効性試験の評価で特級を5年連続受賞してる超有能スキルなんですよ? 特級っておわかりですかぁーーー? 一級の上、一番上の評価なんですよ? 一番上! しかも幻術系で5年連続特級なのは他に二つしかないくらい栄誉ある評価なんですぅーーーーー! それをその辺のカススキルみたいに言うとか……もう信じらんない!」


 いや知らんし。なんだよ全国スキル検定協会って。そんなのあったんか。なんとなくどんなスキルにでも金積めば特級やりそうじゃね?

 

「ちょっと聞いてます? 幻術系のスキルはモンスターにも人間にも等しく効果があるんです。凄いんです強いんです! メッチャ利くんです対象者の心の奥底にまで踏み込んで傷口を抉るんです! んでそれをグワって広げるみたいな感じ? そういう嫌なスキルなんですこれ!」


「自分で自分のスキルを嫌って言わない方が良いですよ」


「余計なお世話ですぅーーーーー! っていうかお坊ちゃまなんなんですか!? 私のスキルをこんな軽くあしらうって……そんなヤツ今まで一人もいませんでしたけどぉーーーー!? 一体どういう精神力をしているんですかぁ!?」


 最早動揺してるのか激昂してるのかもよくわからないけど、情緒が著しく乱れているのはわかる。


 恐慌状態って要するにパニックだよな。確かに突然目の前にトラウマの対象が現れたら混乱するし、実際俺もかなり驚いたし狼狽もしたけど……パニックになるほどじゃなかった。


 何しろ、ついさっきまで虚無の限りを尽くしてたからな。それに比べたら、幾ら殺された相手とは言えど動きがあるだけ全然マシ。この世で一番辛いのは、こっちが一切身動き取れない状態で殆ど動きのない映像をずーっと見せられる事だ。これに勝る苦痛はない。


「あのですねぇ……いや私が説明するよりもお仲間の様子を御覧なさいな。これがナイトメアジェイルの被害者のあるべき姿なんですから」


「いや、別に大して変わらないだろ――――」


 呆れながらそう訴えようとした俺の声は、途中で裏返ってしまった。


 何しろあのヤメだ。俺よりも多少ビビっていようとすぐに立て直して魔法で吹き飛ばそうとするくらいの事をやる奴だと信じて疑わなかった。 


 正直、ヤメの精神力はウチのギルド内で一番だと評価していたくらいだ。



 そのヤメが――――



「……ぁ…………」


 

 漏らしていた。





 ……。





 ……え?



 嘘だろ?


 いや……間違いない。浴場の床にペタンと座り込み、その周囲に液体が……水溜まりが出来ている。幾ら温泉宿の浴場でも突然液体が湧いたりはしない。


 俯いてしまっているから表情は見えない。というか、俺が見られない。この状況を正しく認識できない。


 もう一度、自分に言い聞かせよう。


 漏らしている。ヤメが。


 あのヤメが。


 昨日は動きやすそうなパンツスタイルの私服だったけど、今日はサブマスター試験の時に着ていたのと似たゴシックロリータファッション(多分勝負服のつもり)だから、座り込むとボリュームのあるスカートまで濡れてしまう。でもそれを気に掛ける余裕もなさそうだ。


「見たでしょう? これが普通。私のナイトメアジェイルで恐慌状態になった子は半数以上が気絶して失禁するんですから。失禁のみは相当耐えてる方ですよ? それくらいね、強烈で強力で凶悪な幻術スキルなんですから」


 こういう時……


 どうすりゃ良いの?


 わかんない。全然わからない。こんなシチュエーション経験ないし多少の経験があったところでわかる訳ねーって。難易度が余りにも高過ぎる。これどうフォローすりゃ良いんだ?


 何しろヤメだ。俺に対しては特に弱味を見せたがらない奴だ。そんなヤメが、よりにもよって俺にこの惨状を見られたとなると……冗談抜きで自決まであり得るレベルの羞恥なんじゃないのか……? 


 いやいや背負いきれないこんなの背負いきれないって! 無理だって! ここで神対応とか出来るようなら生前あんな人間付き合い遮断してねーよ! どうすりゃ良いんだよ!


「私のミスではない事がこれで証明されました。ナイトメアジェイルは正しく出力され、それでも貴方には効かなかったと。どうやら認めざるを得ないようです。貴方は――――」


「静かに」


「はぁーーー? 何命令し」


「静かに」


「……あっはい」


 ヤメは全く言葉を発しない。暴れたりも悶えたりもせず、その場でぺたんこ座りしたまま微動だにしない。既に出し切ったのか、液体の方もこれ以上面積を広げようとはしていない。


 どうする? 初手を間違えばヤメの精神が崩壊するか、俺を殺して口封じに走るか、自爆して全てを塵にするか……それくらいやりかねない。


 とはいえ適切な対応なんてマジで一つもわからん。そもそも声を掛けるべきなのかどうかさえも判断がつかない。浴場だから後始末は簡単だけど、それを言葉にして伝えた所で何の慰めにもならない。


 待てよ?


 エメアさん、さっき言ってたよな。これが普通だって。


 勿論『よくある事らしいから気にするな』なんて言葉がヤメの名誉を回復する筈がないのはわかってる。それどころか『俺は余裕で耐えたけどな』ってイヤミにしか聞こえないだろう。


 重要なのはそこじゃない。何度もこの状況を経験している奴が目の前にいるって事実だ。

 

 声で呼ぶのはマズい。ヤメに聞こえる恐れがある。指でチョイチョイと招いて……おい何してんだよ勘悪いな! 早よ来いや!


「その仕草は何ですか? 静かにしろと言っておきながらその謎の動作……まさか挑発ですか? 私のナイトメアジェイルが大した事ないからもう一発来いって挑発ですかぁーーーーーー!?」


「違ぇーよデカい声出すな! もう良いからこっち来い! 早く!」


「何を言ってるんですか? 私は貴方がたをお客様と認知していながら幻術を仕掛けたのですよ? その意味をもう一度反芻……」


「早よ!!!」


「……な、なんなんですか」


 ようやく近付いて来たか。接客業やってるのに何でこんなに鈍いんだ腹立つな。


「こういう時どうやってフォローすれば良いのか教えて。何度も見てきたんだろ? どういう感じで慰めるのが一番効果あった?」


「貴方……何を考えているのですか? 先程も言いましたが、私は貴方達に明確な敵意を抱いて攻撃したのですよ? フロントの私がどうしてそのような行為に及んだのか知りたくはな」

「今それどころじゃないってわからないかなあ空気読めないのかなあ!」


「あっはい。あー……フォローですか。失禁のみとなると……そうですね。関係性次第で大きく変わるのではないでしょうか。はい」


 それは一理あるし正論だ。でもそんな事は百も承知。だからこんなに思い悩んでる訳で。


「つかぬ事を窺いますが、お二人の関係性はどのような?」


「俺が一方的に憎しみを抱かれているけど恩義も感じられている仲」


「ならば最悪ですね。複雑な感情が絡み合っていればいるほど難易度は多くなります。この場合、難易度超弩級っと言ったところですか。正直、絶望だと私は思います」


 マジかよ……何度もこの状況を見てきたエメアさんがそう言うんじゃ本当に絶望じゃねーか。


 だったら俺自身の言葉で、本心で対応するしかないって事か?


 いや……本心って言えば聞こえは良いけどさ、こういう場合はそれが心を傷付ける事になるのはわかりきってるよな。かと言って無理に優しくしようとしても逆効果なのもわかりきってる。


 努めて明るくしても、当人の感情に寄り添うようにしても、どっちも上手く行く気がしない。


 そうなると手は一つ。


 箝口令を敷く。


 最早これ以外に有効な対応はない。


「エメアさん。貴方はここで何も見なかった。何もしなかった。俺達に幻術を見せなかったし、話もしていない。それで良いですね?」


「貴方という人は……先程から一体御自身が何を言っているのか理解できていますか? 私を何だと思っているのですか? 私が何の敵意も持たず余興かお遊びで幻術を仕掛けたとでもお思いで? そんな訳のわからない事を……」


「貴方はここで何も見なかった貴方はここで何も見なかった貴方はここで何も見なかった貴方はここで何も見なかった貴方はここで何も見なかった」


「なっ何を……」


「何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった」


「何も……見なかった……私ここで何も見なかった……」


 よし上手く引きずり込めた。さっきまでの虚無がこんな所で役立つとは。何事も経験だな。


 取り敢えずこれで口封じは成功。後は俺自身が記憶を失うだけだ。


 ……無理だな。頭をガツーンと叩いたところで普通記憶は失わない。特定の記憶のみを喪失するなんて人間には不可能な領域だ。


 となると、ヤメに俺が絶対この件を口外しないって信じて貰うしかない訳か。一体どうすりゃ……



「あーあ」



 不意に――――ずっと黙っていたヤメが声を出した。


 不気味なくらいに気の抜けた声だ。一体何を思っての――――


「漏らしちった。しかもギマの前でとか……はぁーなっさけなー」


 そう呟きながら、ヤメは立ち上がる。


 そしてその顔を上げ……


「ま、シキちゃんに見られるよりかはマシか。漏らしちまったもんはしゃーねーし」


 つ……


 強い。


 こいつ……無敵…か。


 どんな鬼メンタルしてんだ……?


「おうギマ」


「な、何」


「この事は内緒な」


「……ああ。元よりそのつもりだ」


 なんだよこの女……滅茶苦茶カッコ良いじゃねーか。なんでお漏らししてスゴ味が増すんだよ。聞いた事ねーぞこんな覚醒イベント。

 

 でも良かった。これで俺も思い悩まずに……


「……」


 あ、違う。流石にヤメもノーダメージじゃなさそうだ。顔真っ赤だった。あと目がウルウルしてるし唇も震えている。表情も明らかにぎこちない。


 そもそもヤメは傍若無人ではあっても厚顔無恥ってタイプじゃない。寧ろ弱味とか失態は極力見せたがらないタイプだ。妹さんの件で負担があろうと一切弱音なんて吐かない奴だし。


 そのヤメが恥ずかしがっていない訳がないんだ。寧ろ人一倍ダメージを受けている。その上で、超人的な精神力で耐えてやがる。


 やはり俺の目に狂いはなかった。性格や人間性はともかく、いざって時のメンタルの強さは別格。心の痛みに耐えてよく頑張った……おまえがナンバー1だ!!


「で……これ一体なんの真似なん?」


 そのヤメが至る所に血管を浮かび上がらせながら、エメアさんを睨む。ドスの利いた声と刺すような視線が端で見てても怖い。


「あ、貴女まで克服したというのですか……? この私のナイトメアジェイルを……? 信じられない……やだ信じられない! なんで!? スキル有効性試験で5年連続特級を受賞してるのになんで!?」


「試験官の目が節穴だったんじゃね?」


「えぇーーーーヤだウッソぉーーーー! 私の所為で全国スキル検定協会が小娘に悪く言われてるぅーーーー!!」


「いや知らんし」


 つーかどんな権威があるんだよその協会と試験に。地元超有利なクソゲー武士道大会とか金賞カラッとあげ過ぎグランプリくらいザルなだけだろ。


「どうやら、お嬢様とお坊ちゃん方は私を本気にさせたようですね……地獄を見せて差し上げますよ……」 


 全身をワナワナさせながら、エメアさんは中性的なその顔をピキピキさせ敵意を剥き出しにしてくる。


 でも俺はそんな事より、他人がお漏らしする瞬間を生まれて初めて目の当たりにした事による共感性羞恥でずっと心臓がバクバクしていた。





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