第425話 マッドマックスゴブリニキ

 怪盗メアロ……


 奴なら変装も出来るし、例えば業者にでも化けて宿の中に堂々と入り、一旦あの浴場で聖噴水と温泉湯を混ぜ、その後に回収する事も可能だ。


 で、あのお湯を調査していた俺達が取引の邪魔だから殺した。


 昨日宿にいたのは下見の為。空の湯船が何処にあるかをチェックし、そこに盗んだ聖噴水を入れておき、次に温泉湯を大浴場から取ってきて入れる。泉質チェックとでも言えば怪しまれず実行できるだろう。


 怪盗メアロの正体はベヒーモスだから聖噴水を奪うメリットは十分過ぎるほどある。解析して無効化できる方法を見つけられればモンスター共が城下町を襲撃できるようになるからな。


 それに奴はこんな事も言っていた。



『温泉宿に来る目的なんて温泉以外何があんだよ』



 あの時は普通に温泉に入る事が目的だと受け取ったけど……実際にはお湯そのものに用があったと解釈できなくもない。


 俺に対して口頭で予告した訳だから、それを予告状代わりと解釈する事も出来る。となれば後は実行に移すのみ。けど自分が盗む予定の物を俺が先回りして調査していたから、その邪魔者を排除しようとした。


 こう考えれば筋は通る。



 けど――――それはない。断言できる。



 理由はギルド員達を信じるのと同じだ。怪盗メアロがそんな真似をするとは思えないし、まして俺を不意打ちで殺すなんて以ての外。『邪魔が入ったから殺す』なんて力業は怪盗としてのプライドが絶対に許さない。俺が今まで見てきた怪盗メアロはそういう奴だ。


 とはいえ、わざわざミーナに滞在している以上何かしらの関わりはありそうだ。このミーナが温泉の名所なら兎も角、あくまで鉱山都市。湯治だけが目的ならもっと良い場所がある。


 ……段々絞り込めてきたけど随分ゴチャゴチャしてきたし、一旦整理するか。



 ①鉱山都市ミーナにあるイリスが泊まっている宿(名前失念)には、闇商人が出入りしているとの情報アリ

 ②水の運び屋を名乗るチンピラがその宿に出入りしていた

 ③そのチンピラは『ヒーラー達を豹変させたのはその宿の主人だ』と証言。信憑性はあまりない

 ④そのチンピラは拘束を解いた後、俺達が泊まっている宿(名前失念)に向かった

 ⑤フロントの一人、メオンさんは何も知らない様子。しかしもう一人のフロントのエメアさんはチンピラを匿った模様

 ⑥宿の調査中に謎の浴場とお湯を発見。触れると女湯の過去の映像らしきものが流れた(音声のみ)

 ⑦女性全員が出ていった後、定点カメラ状態が延々と続いている

 ⑧これは『お湯に触れマギと分離した肉体が何者かに襲われ、戻ると死にそうだから虚無結界がそれを阻止している』状態?

 ⑨仮にそうなら結界さえ解除すれば元に戻れるが、死のリスクがある

 ⑩俺の肉体を襲った犯人は数人ほど候補がいるが特定は難しい



 ……こんな所か。


 結界の解除は孤独の意識をなくす事で可能と推察される。これ自体はそう難しくないだろう。


 問題は――――


 上手く解除できても、肉体の状態次第では即死もあり得る事。出来ればどんな状態なのか事前に把握したいところだけど……それはちょっと難しい。


 となると予想するしかない。


 あの一瞬……俺が浴槽に溜まっているお湯に身を乗り出して触れようとしたあの一瞬で、果たして俺を殺せるものなのか。


 体勢は悪かった。出入り口に対して背を向けていたから不意打ちするのは簡単だ。ある程度の手練なら俺は勿論ヤメにも気配を悟られず実行できる。マギが分離したと仮定すれば虚無結界も発生しないし。


 けど……一撃で即死させるのは決して容易じゃない筈だ。


 例えばイリス姉が犯人なら、大剣で一刀両断とか魔法で破壊……って事はない。確かにヤバい奴だけどヤメもいる中でそんな大胆な犯行に及ぶとは思えない。


 チンピラの仲間が犯人なら尚更無理だろう。コレットの仲間の俺を殺せば報復に遭う恐れもある。


 五大ギルドの競合相手に関しても、殺害にまで及ぶとは考え難い。やるとすればせいぜい警告と脅迫くらいだろう。


 って事は、命の危険に晒されているかもしれないけど即死はまずない。即死しなけりゃヒーラーのメンヘルがいるから助かる見込みはある。


 よし、希望が見えてきた。


 随分長い事考証を重ねて来たけど、いよいよ実行に移す時だ。


 まあ、実際には虚無結界は今回の件と何も関係なくて、結界なんて全く発動していない……って事も普通にあり得るんだけどさ。


 もし空振りだとしたら……俺はこれからどうなるんだろうな。


 決まってる。そりゃもう落胆の限りを尽くすだろう。もうダメだ、終わりだ……って絶望して、虚無に浸って――――


 違う解決策を考える。


 それ以外にない。


 この状態になって以降、何度も何度もいろんな可能性を考慮し試して来たんだ。今回はその中ではかなり有力な方だし手応えもあるから、空振りだったら落ち込むのは仕方ない。


 けど諦めはしない。


 もしかしたら、いつか考える事すら出来なくなるかもしれない。アイディアが尽きて、検証する気力もなくなって、このエンドレス温泉を受け入れてしまうかもしれない。


 一度は死を受け入れた身だ。それが絶対にないとは言い切れない。だからこそ、その時が来るまでは徹底的に戻る方法を模索する。


 第二の人生だっていつかは終わりが来るんだ。それがここだとしても悔いは残さない。出来る事をやり尽くす。現実から目を逸らさない。俺が見なきゃいけないのは希望的観測や願望じゃなく、身の丈に合った解決策だ。


 今の俺は、自分の事だけ考えてれば良いって訳じゃないんだから。


 いや……前世でもそうだった筈なんだ。


 もっと生きている事を前向きに捉えて、親に感謝して生きるべきだった。学生時代の友達を大切にすべきだった。惨めな自分を見られたくないって理由で遠ざけるべきじゃなかった。


 もう二度と同じ過ちは繰り返さない。今の俺には仲間がいる。友もいる。恩人もいる。


 アインシュレイル城下町ギルドがある。


 投げ出してたまるか。 



 俺はもう――――





「孤独じゃない」





 ……。


 今の……俺の声、だよな? 声出たよな?


 間違いない。動く。首が動く。瞬き出来る。これは……元の俺だ。戻ったんだ。あのエンドレス地獄から生還したんだ! 成功だ!


 やったあ!!


 あははははは! やったー! やったぁーーーー!! くう~~~~あぶなかったーーーーーーーーー!


 っしゃオラ!! っしゃオラああああ!! 見たかコラぁ!! やったったぞボケコラ!! ザマあみろ!! ザケんなよ!!


 あはぁぁあぁぁぁぁああああぁあぁああぁぁ空気うんまぁぁぁぁ……はああぁぁぁああぁぁぁぁ……


 いやほぼイキかけてる場合じゃない! 成功って事は仮説が正しかった訳で、そうなると今度は死の危険が――――


 ……って、何処も痛くないな。痛覚が麻痺してる訳じゃなく普通に無傷だ。溺れたり窒息したりもしていない。呪いを掛けられたような感じもない。


 つまり死にかけてはいない。


 どういう事だ? 仮説は間違えてて帰還方法だけが正解だった……? いやいやンな訳ない。そんな偶然あってたまるか。


 だとしたら一体――――


「……」


 今、俺の目の前には浴槽に入ったお湯がある。体内時計ではあれから一年以上が経っているけど、こっちでは全く時間が流れていなかったっぽい。


 ただ……背後に気配を感じる。


 でも明らかにヤメじゃない。何か……


「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ」


 息遣いが尋常じゃない。これはあれか? 今まさに俺を刺そうとしてるヤベー奴が後ろにいるって事か?


 死の危険が迫ってはいるけど、まだ実行に移されていない段階で戻って来られた。そう解釈すべきなのか?


 ……そんな都合の良い話あるか?


 本来ならこんな事を考えている暇があったら振り向いて確認するべきなんだ。一瞬で終わる作業なんだから。


 なのに……振り向けない。身体は普通に動くのに。なんだっていうんだ? 振り向くって作業だけを拒絶してしまっている自分がいる。


 余りに長く肉体から離れてしまっていたから、脳と身体が上手く伝達できていないのか? そんな訳ないよな。顔を上げて振り向くくらい訳なく出来る。


 このままだと折角戻って来たのに無抵抗のままやられかねない。冗談じゃないぞ。あんな途方もない時間を耐え抜いてきたってのに、そんなマヌケな死に方してたまるか。


 振り向け……振り向け俺……湯船から顔を上げて……


 振り向けっ!!



「……」



「……」



 巨大な猪。



 が、居た。



「……は?」


「ハッハッフゴッフゴッ、ハッハッフゴッフゴッ」


 猪が鳴いている。


「プギーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 猪が荒ぶっている。


 訳が……わからない。何が起こった? いや何か怒ってるっぽいのはわかる。わかるけど……わからん。サッパリわからない。


 どうして俺は、こんなにビビってるんだ?


 さっきから身体の震えが止まらない。言いたい事は山ほどあるのに、声一つあげる事が出来やしない。猪から目を放す事も出来ない。それをしたら次の瞬間、突進されて――――


 ……あ。


 そう……か。そうだった。完全に忘れていた。いや……忘れていなかったんだ。


 生前の俺を殺したのは猪だった。


 でも俺はそれを神サマから聞いて知っただけで実感は全く伴っていない。だから猪に殺害されたって知識はあっても、それに怯える道理はない。牙で刺される瞬間を見ていた訳でもないし。


 なのに、俺の精神は猪相手に怯えまくってる。これは……俺自身の意識じゃなく魂が記憶していてトラウマになってる感じだ。


 これは一体……何なんだ?


 常識的に考えて、こんな所に猪なんて来る訳がない。この世界には馬も鳥もいるから猪がいる事自体は特に不思議じゃないけど、温泉宿の中にいて良い生物じゃない。


 とても現実とは思えない風景だ。


 まさか……これもお湯に触れた事によって生じた特異な現象なのか? トラウマになっているものを映し出すとか。実際、自分の関わっていない場所の過去視よりは脳内にあるトラウマビジョンの方がよっぽど現象としてはしっくり来る。 


 けど――――


「プギッーーーッ! ピキーーーーッ!」


 奴が鳴く度に全身が強張って心臓がキュッてなる。ついさっきまで現実感を喪失した状態だったから、この自分の反応で嫌でも理解してしまう。


 この状況は夢や幻じゃなく現実だと。


 ああ……そういう訳か。どうやら俺の読みは間違っていなかった。


 虚無結界は発動していたんだ。俺を守る為に。


 戻れば確実にトラウマが刺激され、死のイメージを抱いてしまう。あの時の絶対的な孤独を脳内で再現してしまう。


 それを防止する為に、マギが分離した状態を維持し続けていたんだ。


 知らなかった。


 実際に殺された相手に対して、ここまで戦慄を覚えるなんて。


 意識としては猪なんて怖くもなんともない。それより恐ろしい魔物やヒーラーと何度も対峙してきたんだ。眼前の猪は確かにかなりデカいけど、こいつよりヤバい見た目の生物は幾らでも見てきた。


 それなのに、恐怖で足が竦んで動けない。少しでも口を開ければ歯をガタガタ鳴らす音がしそうなくらいに怯えてしまっている。


 理屈じゃないんだ。自分を殺した存在ってのは、それだけで天敵として絶対的上位に位置付けられてしまうんだ。


 ダメだ。俺にはどうする事も出来ない。ヤメに頼むしかない。魔法でこの猪を吹き飛ばして……いやそれはマズい。温泉宿を破壊すれば弁償は必至。せっかく借金がなくなったのにまた借金生活に逆戻りなんて冗談じゃない。


 どうにか攻撃魔法以外で……例えば眠らせるとか失神させるとか、そういう魔法で対処して貰うように言わないと。


 でも妙だ。さっきからヤメが全く言葉を発していない。


 視界の隅で姿は確認できている。いるのは間違いない。なのに全然声を出さない。おかしいだろ。こんな場所にいちゃ行けない野生動物を目の前にして無言のヤメなんて。


 まさか……


 また止まってしまったのか?


 そんな訳ない。猪は鳴き声をあげている。俺自身も動けている。さっきまでとは全く状況が違う。


 同じな訳がない。同じな訳がないんだ。


「ヤメ!」


「ふあっ!?」


 ……。


「ンだよビビってただけか。ビビらせやがって」


「はあ? ヤメちゃんがビビる? ンな訳ねーじゃん。こんな訳のわかんないのがいきなり出て来てちょっとだけビックリ――――」


「プギッーーーーーーーーーーーーッ!!」


「ぎゃぼーーーーーーーーーーーーーーっ!?」


 すげぇビビってんな。声も露骨に震えてるし、表情も強張ってて俺よりヤバそうに見える。ヤメの奴、そんなに猪が苦手だったのか?


 普通に考えれば、終盤の街周辺のモンスターをいとも容易く狩れるヤメが巨大猪に怯えるとは思えない。って事は俺と同じで……


「お前も猪にトラウマがあるのか」


「は? あれが猪に見えてんの? バカなん?」


 ……何?


 今の言い方だと、こっちの世界では別の呼称……って訳でもなさそうだ。どういう事だ?


「じゃあ何に見えるんだよ」


「どー見てもマッドマックスゴブリニキだろーが!!」


 ……マッドマックスゴブリニキ。


「マッドマックスゴブリニキ?」


「何で知んねーんだよ。あの世界一醜悪なモンスターに決まってんだろ? ヤメちゃんが10年前に食われて死んだのもコイツなんだからな!」


「って設定ね」


 成程。なんとなく話が見えて来た。


 俺には猪に見えている。そしてヤメにはマッドマックスゴブリニキに見えている。恐らくヤメはそのモンスターに対し強烈な生理的嫌悪感を抱いている。


「ひぃっ動くな気色悪りぃ! もうヤダーーーーッ! おうち帰せよーーーーーッ!」


 それどころじゃないな。戦意を喪失している。


 オネットさん相手にさえ好戦的だったあのヤメが? それだけマッドマックスゴブリニキの見た目がヤバいって事なのか? でもそんな噂は聞いた事ない。


 まさか、これは……


「相手の心を折る幻影か」


 俺がそう口にした途端――――


「……嘘でしょう……この私の【ナイトメアジェイル】が見破られたと言うのですか……?」


 眼前の猪は跡形も無く消え去り、代わりに見覚えのある人物が引きつった顔で叫声を発していた。

 





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