第424話 結界の性質

 別に思い付きで結界を関連付けている訳じゃない。外的要因である『お湯に触れた』が過去視の方に限定されると仮定した以上、それと連続性がないエンドレス地獄の方は内的要因が有力と考えるのが自然で、その中で最も不確定要素が多いのが虚無結界だからだ。不確実性が高いって事は、今回みたいな意味不明な状況を生み出す原因となる可能性が必然的に高くなる。


 そしてもう一つ、結界が関わっている理由として考えられるのが――――結界の性質だ。


 通常、結界ってのは敵の攻撃を防ぐ為の障壁。虚無結界も幾度となくその形で出現してきた。


 けど例外もあった。


 シャルフ戦で床が崩れて落下した際、本来なら下の階層に叩き付けられる筈だったのに俺だけが無傷だった。これも間違いなく結界の恩恵だ。


 向かってくる攻撃に対して障壁を出現させるんじゃなく、俺自身が落下した衝撃をも完全に防いだ。虚無結界が単純な障壁とは一線を画している証と考えて良いだろう。


 つまり虚無結界は攻撃を防ぐ為のものじゃなく、俺が受けるダメージ全般を無効化してくれているという事になる。


 ただし、どんなダメージに対しても発動する訳じゃない。過去の経験やギルド員達の協力のもと行った実験から、虚無結界は俺が死を意識した時に出現していたと推察される。って事は『俺を死から遠ざけている』と言い換える事も出来そうだ。


 だったらこんな解釈も出来るんじゃないだろうか。



 今の俺は元の状態に戻ると死が確定する、若しくは死ぬ可能性が極めて高い。だから結界の力で元に戻らないよう強制的にこの不変状態に留めている。



 ……我ながら突飛な推論だけど、決してあり得なくはない。


 あのお湯に触れた事で過去視の状態が発動。同時に肉体とマギが分離。その直後に――――


 何者かに襲撃され、肉体が著しい損傷を受けた。


 これなら一応の説明が付く。


 虚無結界にマギが必要か否かはわからないけど、普通に考えると魔法と同じでマギがなけりゃ無理だろう。精霊折衝もそうだけど、超常的な行為にはマギが必須って感じだからな。


 って事は、もしマギが分離していない状態だったら襲撃されてもその場で虚無結界が発動し、肉体を守ってくれた筈。そうなっていないって事は、マギが乖離した状態で襲撃を受けたと考えられる。


 でもマギの方の俺(今の俺)には虚無結界が使える。だから過去視が一通り終わって肉体に戻ろうとした時、そのまま戻ったら死んじゃうから結界が発動して今の状態に留めている。


 現状では結界を目視は出来ないから、本当に発動しているのかどうかは不明。ただ今回は攻撃から守る訳じゃないから障壁という形で出現する必要はない。落下した時も確かそうだった。


 矛盾はない。とはいえ正直かなり強引な仮説だ。普通は結界って障壁だもんな。その粋を超えて、命を脅かす要素全般から使用者を遠ざける――――なんて誇大解釈も甚だしい。自分自身にビックリだ。こんな仮説立てられるほど柔軟性あったっけ俺。



『恐らく虚無とやらが因果を――――――――――――。故にだ、あの結界には――――――――――が結びつかん。その上で―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』



 ……ハッキリとは覚えていないけど、虚無結界の事はこれまで何度か夢で見てきた。もしかしたら、その時に手掛かりになるような情報を聞いていたのかもしれない。案外身体の持ち主だった人の記憶の残滓がこういう考えに導いていたりしてな。


 何にしても、この仮説が的を射ていたとしても極めて厄介だ。


 エンドレス状態から脱するには自動的に発動した結界を解除しなきゃいけない訳だけど、その方法がわからない。それにもし解除できても、元に戻った瞬間俺は死ぬかもしれない。勿論解除できなきゃ永遠にこのまま。


 ……あれ? 詰んでね?


 いや落ち着け。結界の発動条件はあくまで『死を予感したら』であって、確実に死に至らしめる攻撃にだけ反応する結界って訳じゃない。実際には死んでない可能性は十分にある。まあ……重傷は避けられないかもだけど。


 とにかく、この状況を打破する為には結界の解除が必須だ。


 その方法を模索する為には……思い出すしかない。


 今まで虚無結界が発動した全ての機会を詳細まで思い出して、傾向を探り解除方法を試す。現状これ以外に出来る事はない。


 焦りは禁物だ。出来れば一刻も早く元の状態に戻りたいけど、恐らく現実では大して時間は経過していない筈。こんな1年以上経っても誰も大浴場に来ない状況が現実とリンクしてる訳ないからな。あくまで俺の体内時計が進んでいるだけに過ぎない。


 時間はたっぷり使って良い。転生してからこれまでの事をじっくり思い出して、虚無結界の発動シーンを可能な限り鮮明に、詳細まで思い出してみよう。


 最初は……確か夢で見たんだったか。


 誰であろうと、例え魔王であろうと決して破る事が出来ない結界。小学生レベルの発想だ。勿論、そんな都合の良い防御方法なんて存在する訳がない。


 そう思っていたのに、俺の身体には確かに結界が眠っていたらしい。最初に発動したのはヒーラーとの抗争の時だったか。ラヴィヴィオ四天王の……誰だっけ。名前出てこないけど素早い奴。そいつに背後を取られ首を切られた筈だったのに何故か無傷だった。


 その時も自覚はなかった。でも目撃していたディノーが『障壁のような物が出現しているように見えた』と結界の出現を示唆した事で、その存在を初めて知った。


 つまり無自覚でも発動する結界。俺の意志と完全に独立しているのは間違いない。


 なのに俺が殺意を感じた時に発動するってのは、少し矛盾を感じる。俺が殺意や殺気に怯えているのを感知して発動条件としているのかもしれないけど……やっぱり引っかかる。


 思い出せ。結界が発動した時はどんなだった? そして、発動した結界が消えたのはどのような状況になってからだ?


 シャルフとの戦いの時は……奴の攻撃の際に強く死を意識した。でも最初の一撃を結界が止めた瞬間、死は頭から離れた。


 それなのに、二撃目も防いだ。


 そうだよ。死への危機感があるのは結界が発動する前まで。結界で一度攻撃を防いだら、その瞬間に危機感は一気に小さくなる。だって防いでくれる壁があるんだから。


 そうとわかっていても、結界は律儀に俺を守ってくれた。


 って事は……



『死を予感した攻撃に対して発動する結界』



 っていう今までの認識が誤りだったのか? あんなに何度も検証したのに?


 完全に間違いとは思えない。でも矛盾があったのも事実。


 だったら、結界発動の条件は死そのものじゃなく――――



『死を意識する事で俺の内部に生じる別の何か』



 なんじゃないか……?


 かといってシンプルに恐怖心とかじゃない。それは過去に行った実験で明らかになっている。単にビビっただけでは結界は発動しなかった。もっと特別なものだ。


 俺は一度死を経験している。だから自分の死をこれ以上なくリアルに回想できるし、イメージもできる。


 死んだ瞬間、自分という存在が一気に萎んでいくのを確かに感じた。それは肉体的な事じゃない。俺という人間を形成する自我が一気に矮小化するような感じだ。


 それはあくまで自分自身の中だけでの感覚。つまり自己完結の究極系が死だ。心臓が停止して脳をはじめ全身に血が回らなくなり呼吸も出来なくなる……そんな機能的な死とは別に、死ぬのを自覚すると終わりに向かって行く自分のイメージが生まれ、やがて確信に至る。不思議と誰に言われるでもなく自分でそれがわかった。


 そこにあるのは絶対的な主観。死を目前にした俺は、本来聞こえる筈の猪の暴れる音や床の冷たさも感じていなかった。五感が完全に途絶え、自分の感覚を全て自分自身の精神内に閉じ込めていたような状態だった気がする。


 人間、最後は一人で死ぬ。


 そういう感覚だった。


 異世界に来てから死を予感した時、俺は常にその生前に一度経験した死のイメージを脳内に浮かべていたと思う。


 って事は、死を意識するイコール――――



 孤独。



 恐らくはそれだ。


 あらゆる自己完結の世界、すなわち"魂の孤独"を意識した時に結界が発動する。厳密には『死への意識によって芽生える根源的な孤独』だな。単に寂しいと感じただけで結界が出る訳ないし。


 これを証明するには、死にかけたのに結界が出なかった時の事を思い出すのが手っ取り早い。ただ不意打ちの時はそもそも死のイメージがないから検討しようがないな。


 不意打ち以外で死にかけたけど結界が出なかった……そんな機会、今まであったっけ?


 考えろ。転生後に起こった事はもう何度も回想してある。あればすぐ思い付ける筈だ。




 ……あった。




 聖噴水無効化に伴うモンスター襲撃事件。ユマを助ける為モンスターの意識をこっちに向けた結果、モロに攻撃を食らって死にかけて……ヒーラーに助けられるハメになった。忘れられない出来事だ。


 そうだよ。この時は間違いなく死を意識していた。なのにヒーラーに回復されたって事は、結界が発動しなかったんだ。


 あの頃にはまだ結界を身に付けていなかったのか? でもその後も特に取得イベントとかあった訳じゃなかったし、普通に考えたら転生直後から身に付いてはいた筈だ。


 ならやっぱり発動条件を満たしていなかったと考えるべきだろう。


 俺はあの時何を思っていた?


 確か……自分が死ぬのを受け入れて、第二の人生に満足感を抱きながら大分長めのポエムを心の中で読み上げていた記憶がある。自分がかつて死んだ時のイメージよりも、自己陶酔的な人生の総括に夢中だった。我ながら恥ずかしい……


 でもそうだよ。この時の俺は死を意識する一方で孤独を感じてはいなかった。異世界に来てから多くの人達と出会って楽しい日々を過ごした――――そんな事を考えていたんだ。


 幸せを噛みしめていた。そこに孤独が入り込む余地なんて一切なかった。


 もしあの時、結界が発動しなかったのが仮説通り孤独を感じていなかったからだとしたら……



 孤独さえ意識しなければ、結界の発動条件が消失してこの状態が解除されるかもしれない。



 実際、今の俺はこれ以上ないくらい孤独を感じている。誰もいない、誰の声も聞こえない、誰の助けも来ない……そんな有様なんだから当然だ。


 だから結界が常時発動し続けて、この状況が永続している。そう考えれば辻褄は合う。


 にしても……この予想が合っているとしたら、一体誰が俺を襲ったんだ?


 今の俺は城下町ギルドのギルドマスター。このギルドを煙たく思っている奴が過激な手段に出る事はあり得る。まだ実績の乏しい新参ギルドだけど、なし崩しの内に五大ギルド入りの候補になった事で情勢は変わった。


 他に五大ギルド入りを狙ってるのは確か……



『僕の見解では、五大ギルド入りを果たすのは我々鑑定ギルド、レンジャーギルド、天気予報ギルドのどれかだと思っていた』



 そんな事を鑑定ギルドのジスケッドが言っていた。


 天気予報ギルドはどう考えても武闘派じゃない。鑑定ギルドもだ。って事は……レンジャーギルドが俺を狙って刺客を送り込んだ?


 奴等は情報収集に長けている。俺達が慰安旅行に出かける事を知っていても不思議じゃないし、旅先で始末すれば足がつき難いからチャンスと言えばチャンスだ。


 他に考えられるのは、ギルマスとしてじゃなく俺個人に恨みがあっての犯行の場合。


 ミーナの住民に恨みを買った覚えはない。この場合に対象となるのは当然、旅行に同行したメンバー若しくは今回の一件――――聖噴水の異常に端を発した事件に関わっている人間の仕業って事になる。


 ギルド員の可能性はない。


 ……と言いたいところだけど、約一名ガチでやりかねない奴がいる。


 そう。



 イリス姉。奴だ。



 例えば俺があのお湯に触れてマギが乖離した直後、奴がニュルッと現れて俺の身体を刺したとしたら?


 これは十分にあり得る。脈絡もない所から突然出現するのは奴の十八番だ。昨夜のイリスとのやり取りをイリス姉が知れば、奴は俺を刺すくらいの事は平気でやるだろう。


 マギ化している今の俺が自分の身体に戻れば、次に待っているのは俺を刺してニチャアと笑みを浮かべるイリス姉と、それを無感情な目で眺めるヤメ。あーめっちゃ想像できる。あり得るわ普通に。


 次に有力な犯人候補は……聖噴水の件に関わっている連中かな。その場合は問題がより複雑になる。


 あのチンピラが(俺はともかく)ヤメに接近を気付かせず浴場へ入れるとは到底思えない。奴が逃げ込んだこの宿に、それを可能とする仲間がいるって考えるのが妥当だ。俺とコレットに拘束された後、一直線にここに向かったくらいだしな。仲間に泣きついたか上司に報告しに来たかのどっちかだ。


 問題は動機だ。チンピラの証言でコレットがあっちの宿を調査中だと知り、俺を殺す理由。コレットの仲間だから……ってのは動機として余りに弱い。寧ろコレットを怒らせる事になる訳で、聖噴水窃盗の隠蔽を図るつもりなら逆効果だ。


 殺す必要性があるから殺そうとした。そう考えるべきだろう。


 だったら考えられるのは……俺達がこの宿でやっていた調査が連中にとって非常にマズい事態を招く場合だ。


 って事は……


 あの浴場、そして湯船のお湯は調査されると致命的な何かが含まれている……?


 これも十分あり得るな。何らかの特殊な成分が含まれていたからこそ、それに触れた俺が過去視の状態になったんだろうし。奴等が盗んでいるという聖噴水を温泉湯と混ぜているのかもしれない。


 でもそうなると、立入禁止にすらしていなかった事実が不自然に映る。結局ここに立ち戻る訳か。


 なんであんな、客が簡単に入れるような場所に盗品交じりのお湯を溜めていた?


 仮にあの場所しか溜めておけないにせよ、立入禁止にしない理由はない筈だ。


 だったら……


 していなかったんじゃなく出来なかったのか?


 そう考えれば辻褄は合う。問題はどうして出来なかったのかだ。


 宿のスタッフなら出来た筈だ。つまり宿の関係者じゃなく協力関係にもない人間。それでいてフロント達が中にいても問題視しない、或いは気付かない人物。


 そんな奴がいるとすれば……



 怪盗メアロしかいない。





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