第418話 照れ隠せよ

 ……あれ?


 今、俺どうなってんだ?


 自分で自分の状態がわからない。目の前に何かがあるようで、何もないような……目が開いているのかいないのか、それすらもわからない。


 五感全てが自分の支配下にないような、不思議を煮詰めたような感覚。自分の意志で指先一つ動かせないし声も出せない。そもそも手足がちゃんと存在しているのかさえわからない。完全に感覚が麻痺している。


 死んで神サマの所に行った時とも、夜に刺されて始祖に助けられた時とも、コレーに異空間へ飛ばされた時とも違う。そして恐らく立ち眩みや気絶でもない。強いて言えば……そうだ。フラガラッハ強奪作戦の時に始祖の力でマギだけ分離してシキさんに憑依していたあの時に近い。


 ただの直感でしかないけど、これは死じゃないな。一度死んだからこそわかる事。命が消失へと向かって行く時の、あの自分自身が一気に縮まっていくような感覚が一切ない。


 でも、それなら今の俺に起こっているこれは何だ……? 少なくとも何か特殊な状況なのは間違いない訳で、全身がコントロール不能に陥っている。


 まさか――――これがイリスの言う『壊れている』ってのが悪化した結果なのか?


 いやそれも違うか。少しは回復したって話を聞いた直後に悪化はないだろう。別の理由がある筈だ。


 冷静になって思い返してみろ。あの用途不明な浴場のお湯に触れた途端こんな事態が起きてるんだから、あれが原因だった可能性が極めて高い。ただのお湯じゃなく、何か人体に異常な作用を及ぼすヤバい液体だったのかもしれない。


 ……だとしたらシャレにならんな。どうしたってあのヒーラー温泉と結びつけちまう。


 まさかアレと同じ成分のお湯で、触れた所為で俺もあいつらと同じ状態になっちまったのか? 今の俺は自我が沈んだ状態で、現実の俺は温泉ジャンキーになって『温泉最高!』とか連呼してヤメからドン引きされてやしないよな……?


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! あんな姿になってたまるか! よりにもよってヒーラーと同じ道を進むなんて絶対に!



 ……おろ?



 急に視界が明瞭になったぞ。色の付いた景色が凄まじい速度で飛び込んで来る。


 目の前にあるこれは……



 温泉だ。見間違えようもないくらい完全に温泉だ。



 ただし元の状態に戻った訳じゃない。この変な感覚に陥る直前、確かに俺の眼前には湯船に入ったお湯が見えていた。でもこれは違う。今俺が見ているのは湯船の中じゃない。


 浴場全域が見えている。


 いや……全域ってほどのアングルでもないな。浴槽が視界中央の6割を占めてるくらいの感じで、その奧には壁が見えるし、手前には床が見える。浴槽からちょっと引いた所にいるのか。


 感覚は相変わらず制御不能。身動き一つ取れないし暑いのか寒いのかすら感じない。なのに視覚は正常。寧ろいつもより視界がクリアな気さえする。


 おかしい。これは明らかにおかしい。俺の身に何が起こっているんだ?


 それに、あの壁。さっきまでいた浴場とは違う気がする。そもそも浴槽が全く別物。こっちの方が遥かに広大だ。


 まさかここは……あ、やっぱり。湯気で見え難かったけど、お湯の色がターコイズブルーだ。それにクリーム色の柱も立っている。


 間違いない。大浴場だ。


 なんでこんな所に俺はいるんだ? 仮にあの浴場でお湯に触れた瞬間気を失ったにしろ、大浴場で目が覚める訳がない。ヤメがわざわざここまで運ぶ理由がなさ過ぎる。


 怖ぇー……自分の身体に異変が起こっている上、状況が一切呑み込めないこの感じ、ぢょっと不気味過ぎるって。敵から精神攻撃食らって幻を見せられている方がよっぽどスッキリする。これ何なんだよ……



「おー。まだ誰もいねーじゃん。ヤメちゃん一番乗り~!」


「あんまはしゃぐな。みっともない」


 

 ……。


 うぇぇぇぇぇ!?


 ヤバいヤバいヤバいヤバい! 今のヤメとシキさんの声だ! ここ女風呂かよ!


 こんな所にいるのが見つかったら殺される! いや死ぬだけならまだしも晒し首にされてしまう! 『←これ覗き魔な』って看板まで設置されて!


 って、ちょっと待て。


 なんでヤメが呑気に温泉に入ってくるんだよ。さっきまで俺と一緒にいただろ。それにシキさんだって今はオネットさんとロビーにいなきゃおかしい。


 まさか、夜まで気を失ってたとか……?


 いや、だとしても女風呂に放置されている訳がないんだ。つーか今の俺の身体はどうなってるんだ? 裸か? 裸なのか?


 ……ダメだ。首も全く動かない。視覚だけじゃなく聴覚もやけに敏感なのに他が完全に死んでる。この自分が自分じゃないって感じ、やっぱりシキさんに憑依した時と似てるな。


 ただあの時と違って、恐らく今俺は誰にも憑依していない。さっきから一切視界が動かないし。まるで定点カメラだ。


 まさか無機物に憑依したのか? 柱とかオブジェに。にしたってヤメやシキさんがここにいるのは絶対におかしい。



「随分と! 広いですね! 気分が高揚します!」


 しかもオネットさんまで入って来た! ホゥーリィシットゥ!


「うわ~温泉なんていつ振りでしょうか。私、城下町ギルドのお世話になって本当に良かったです!」


「私までご一緒して良かったんでしょうか。もう部外者なのに……」


「私だってギルドの人間じゃないのに仲間面して一緒に来たんだから、気にしなくても宜しくてよ」


 アヤメル、メンヘル、それにフレンデリアまで……流石にここまで来ると逆に冷静になってきた。


 もう絶対おかしい。こんなシチュエーションは到底あり得ない。って事はつまり……


 夢ですね、これは。


 昨夜イリスとの混浴が中途半端な形で実現したもんだから、今度は心の奥底でそのシチュを旅行に来ている女性陣に求めていた。


 自己分析するならば、そんな感じだろう。


 うわ恥っず! つーか気持ち悪っ! 俺そんな事考えてたの!? でも考えてたからこんな夢見ちゃってるんだよな。幾らなんでも一切心にも思ってもいない事を夢に見るって事ぁないよな……


 まあ敢えて自己弁護するなら、温泉で見たイリスの裸が頭に凄い粘度でこびり付いてて、その記憶とイメージがこういうシチュを連想させて夢に見ただけ……とも解釈できなくはない。それくらいインパクトのある出来事だったと。


 ……俺はなんで自分に弁解してるんだ? どうせ正解なんてわかんないし誰とも答え合わせしないんだからどうでも良いだろ。

 

 つーか……


「よいしょお~~~! くっはぁ~~~あったけ~~~」


「ヤメ、オヤジ臭い」


「ふー……腰に染みます。身体の芯から温まりますね~」


「私は全身に染みます。ふにゃふにゃになりそうです。ふにゃら~」


「フレンデリア様のお屋敷にも浴場はあるんですか?」


「そんなに畏まらなくて大丈夫よ。屋敷にも特製の浴場はあるけど、流石にこの広さには負けるかな」


 声は聞こえど全然姿が映らねぇ!!


 どうやら定点カメラの位置とは違う所に6人固まって入ってしまったらしい。


 なんそれ……こんな融通の利かない夢ってある? せめて湯煙で見えないパターンだろ。全身一切映らない女湯の夢って何なんだよマジで。


 これはあれか。想像力が不足してるのか。見知った女性が集団で温泉に浸かる絵を全く想像できてないってか。


 でもなあ、自分で言うのも何だけど素材がそこまで欠如しているとは思えない。流石に32年も生きてりゃ女の裸くらい幾らでも空想可能だ。ましてイリスのを見たばかりなんだし。


 って事は……え? このシチュエーションを俺は望んでるって事? 声だけして姿が全く見えない入浴シーンを?


 なんだその性癖。分類不能にも程がある。身近な女性の声で聴くASMR? 俺その界隈のジャンルに手を出した事一回もないんだけどな……


 訳がわからな過ぎて発狂しそうだけど、取り敢えず耳を澄まして話を聞いてみよう。他に出来る事ないし。


「そう言えば。ヤメさん」


「ん~? 何オネちゃん」


「サブマスター就任のお祝い、何が良いか考えてくれました?」


「あー、それなー。んじゃこの場でお祝いの言葉くれー」


「……本当にそんな事で良いんですか? 高級香水とか貴金属とか女優として映える物を、と思っていたんですが」


「そういうのもありがたいけどさー、競い合ったライバルから認められる一言ってのがヤメちゃん的には一番グッとくるワケ。特にオネちゃんは強っえーし」


「わかりました。では僭越ながら……サブマスター就任、おめでとうございます。正直悔しさもありますが、心強くもあります。ヤメさんの実力は、本気で競い合った不肖私が、一番知っていますから」


「にゅふ~。あんがと」


 おおお……ヤメとオネットさんが打ち解けてる。しかもやり取りがなんかカッコ良いぞ。


 いや待て。って事は、俺は二人にこんな関係性を求めてるんだろうか? そう考えると急に恥ずかしくなってきたんですけど。だって自分でカッコ良いと思う掛け合いを作り出して、それを脳内のヤメとオネットさんに言わせて、その掛け合いを聞いて『やり取りがなんかカッコ良い』とか思っちゃった訳でしょ? 今の俺。


 一体俺は何をやってんだ……? こんな羞恥プレイのマッチポンプ前例ある? 感覚ないけどあったら全身鳥肌モンだろ……


 でも、冷静に考えるとやっぱり妙だ。通常の夢とは明らかに違う気がする。普通、どんな気色悪い内容でも夢の中でそれを恥ずかしいとは思わないもんな。


 これって本当に夢なんだろうか……?


 いちいち考えてたらキリないな。一旦夢って前提を取っ払って、ナチュラルに会話を聞いてみるか。何かヒントが得られるかもしれないし。


「でも意外でした。ヤメさんがサブマスターになりたかったなんて。もっと気楽なポジションで好き勝手に生きたいのかと」


 俺もメンヘルの意見には賛成だ。ヤメが面接に来た時は正直冷やかしだと信じて疑わなかった。平気でそういう事する奴だし。


 けど、あのオネットさんと本気で正々堂々戦い抜いてまでサブマスターになろうとしたのは確かで、その姿には感動すら覚えたよな。適性があるとは思うけど、そこに情熱まで加わるとは思いもしなかった。


「バッカ、ンなのシキちゃんをあのクソギマの魔の手から遠ざける為に決まってんじゃん。あいつマジで隙あらばシキちゃん酷使すっからな」


「そうなんですか? 自分が気に入った子に仕事振りまくる上司とか最低じゃないですか。シキ先輩、泣き寝入りは良くないですよ? あの人弱いんですから一発入れちゃえば良いんですよ腹とか」


 アヤメルの奴、自分だってレベル低い癖に……冒険者ギルドにクレーム入れちゃろか。


 それにヤメ、お前もやってんな。確かサブマスターになったの金の為って言ってたよな。シキさんの前だからってカッコ付けてんじゃねーぞ。


「別に。そこまでじゃないし」


 それに引き替え、シキさんのこのブレなさよ。やっぱ信頼するならこういう人だよな。


「んぁ~も~なーんでギマなんて庇うのさシキちゃーん! もう無理してあんなゴミ上司の顔立てなくてもヤメちゃんがサブマスター権限で職場環境は良くしてあげられっから!」


「顔とか立ててないから」


「ほーん? だったらもうギマと絡む必要なくね? 別にギルドマスターっつっても上司じゃねんだし。仕事を探してきて提示する側と、受理してこなす側。それだけの関係なら最低限の会話で良いっしょ」


 おいおいヤメの奴、本気で俺をシキさんから遠ざけに来やがったぞ……!


 しかもそれなりに正論だ。ギルド員ってのはあくまでギルドの会員であって従業員じゃない。サブマスターになったヤメは兎も角、それ以外のギルド員とは基本対等の関係。本来、受けた仕事以外の事はしなくて良い。


 シキさんが暫く秘書の役割を担ってくれていたのは、俺がそう頼んだからだ。今はヤメがそのポジションに収まったからシキさんが俺の指示に逐一従う必要はない。有事の際に俺が直接指揮を執る場合は別だけど、それ以外では自分が受けた仕事だけやれば良いし、仕事を受けるか断るかもシキさんの自由だ。


 親しくするつもりがなければ、無理に会話する必要もない。俺とシキさんはそういう関係だ。


「……」


 沈黙が長い。他の連中も茶々を入れずにシキさんの答えを待っている。


 果たして――――


「一応、恩人だから」


 シンプルな理由で、シキさんはヤメの提言を拒否した。 


「えー。納得いかーん」


「って言うかヤメだってそうでしょ。ソーサラーギルドから引き抜いて貰った恩義忘れたの?」


「あー全然。そんなん全然」


 おいコラ。照れ隠せよ。なんだその本音っぽい言い草は。


「そう言えばヤメ先輩、ソーサラーですもんね。移籍したのはトモ先輩の意向だったんですか?」


「そそ。ヤメちゃんの力がどーしても必要っつーからさー。仕方なく? 温情? みたいな?」


 あんのボケ、そんなふうに思ってやがったのか! なんて態度だ! この薄情者! 


「ヤメの発言は話半分に聞いておきなさい。こう見えて意外とシャイなんだから」


「そうなんですよね。サブマスターを希望したのも恐らく、ギルドマスターへの恩を返すつもりだったと思います」


「なっ……」


 お、珍しくヤメが動揺してる。フレンデリアとオネットさん、フォローサンキュー。正直割と本気で真に受けてたわ。


「ふーん」


「ちょっ、シキちゃん今の信じんの? ないない。ヤメちゃんレベルの女があんなんに尽くすとか絶対ねーし。つーかウチのギルドの男連中なんて揃いも揃って相手にしてらんねーレベルだし。ダメ人間見本市かっつーの」


「それは正直ありますねー。酷いですよね、このギルドの男の人達。私何回視姦されたか」


 チッ、アヤメルが乗っかった所為でヤメの露骨なはぐらかしが奏功しやがったか。もっと詰めて欲しかったんだけどな。


「折角ですし、このままガールズトークに突入しちゃいましょうよ。城下町ギルド男性陣の品評会なんてどうです?」


「お、いーね。ヤメちゃん賛成。やっちゃう?」


「やったー! 私こういうの憧れてたんです! 冒険者ギルドだとただの悪口大会になっちゃうんですよね!」


 この空気の中で行われる品評会って悪口大会とどう違うんだ……?


 そんな俺の疑問を余所に、音声だけの女子会が始まった。





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