第415話 血迷って一線を踏み越える外道

 泉質を変える試み――――



『どうして聖噴水の水なんて……』


『温泉に混ぜる為に決まってんだろ? 聖水なんだから穢れを落とす効果とかあるんだろうよ。効果が出れば当然客も集まる。メリットしかねぇよ』



 もしシャンジュマンが本当にそれを行っているのなら、あのチンピラの発言に信憑性が生まれる。聖噴水から聖水を盗み、それを温泉に混ぜる事で聖水の効能がプラスされるのなら、こんなに手っ取り早い方法はない。


 正規の方法で入手した訳じゃないから、大々的に『聖水入りの温泉です!』と宣伝する訳にはいかない。でも利用者の満足度さえ上がれば口コミで評判が広がり客足を増やす事は十分に出来る。


「あの、泉質を変えるのってそんな簡単に出来るものなんですか?」


「私はそれを知りません」


 おい、なんだそのAIみたいな返答は。温泉宿のスタッフがそれで良いのか。


 俺も正直、温泉には全く興味がなかったから生前も実例を聞いた事はなかったけど、温泉に何かを加える事で効能をプラス、若しくは変更する事がごく普通に行われていても特に驚きはないな。それこそ入浴剤感覚でやろうと思えば出来るだろう。


 仮にそうだとしたら、この噂は特に異質なものじゃないって事になる。客足が鈍っている温泉なら何処にでもあるような、ありふれた悪評の延長に過ぎない。


 けど泉質の変更が普通じゃないとしたら――――その噂は却って信憑性が増す。


 噂ってのは基本、広まりやすい性質を帯びている。『こんな話ホントな訳ねーだろ』って内容の噂は局地的に広まる事はあっても、せいぜい都市伝説止まり。あり得るかもしれないと大多数の人間が思うからこそ広がっていく。


 もしあり得ないような噂が広まるとすれば、それは誰かが入念な計画を練って作為的に広めたか……真実かだ。


 真実だった場合は、シャンジュマンが闇商人を使って聖噴水を入手し、それを常習的に温泉に混ぜている事になる。つまりあのチンピラの証言には少なからず真実も含まれていたって判断に傾く訳だ。


 その真偽を確かめる為にもシャンジュマンの温泉の泉質を調べる必要がありそうだ。


「メオンさん、ありがとうございました。貴方の勇気ある告発に心からの感謝を」


「私は立派に務めを果たす事が出来たのでしょうか?」


「あんた今、最高に輝いてるよ」


 ノリでそう答えた瞬間、メオンさんの目から一筋の涙が――――って落涙早過ぎない? 涙腺にふにゃふニャンで触れたの?


「今の御言葉、兄にそのまま伝えます。私が幸せな人生を歩んだ確かな"証"となる事でしょう」


 なんか遺言みたいで嫌だな。感激屋なのは悪い事じゃないけど大袈裟が過ぎる。


「えーっと……それじゃ戻りましょうか。時間を取らせてしまってすみません」


「とんでもございません。私、幼少の頃より褒められる事が滅多になかったもので、褒められた時点でそれはもう仕事よりもずっと尊い時間なのです。生きていて良かった。幸せとは何たるかを実感します」


 いや仕事もっと頑張れよ。





 ……そんな疲れるやり取りを終えアンキエーテに戻ると、コレットが腕組みしながら入り口の前で待っていた。


 エメアだったか。あの人はさっきまでと同じようにフロントカウンターで受付をしている。逃亡するような素振りも見せなかったらしい。


「御協力ありがとうございました」


「また何かありましたらなんなりと」


 メオンさんが所定の位置に戻って行くのと入れ違いで、コレットがこっちに近付いて来た。ガチで見張っていたらしく、微かに緊張感が残っているような堅さを感じる。


「こっちは全然何もなかったよ。証言は何か得られた?」


「一応な」


 フロントの二人に聞こえないくらいの小声で、コレットにさっきのやり取りを説明。先入観を与えるのは良くないから俺の主観は全て外しておいた。


「……だったら、シャンジュマンで絡まれたあの人の証言は本当だったって事?」


「温泉から聖水の成分が検出されたらな。悪いけどコレット、パトリシエさんと合流して検査を頼んでくれないか?」


「わかった。トモはどうするの?」


「俺はもう一人のフロントに話を聞いてみる。チンピラの足取りも一応追ってみる……けど、多分見つけるのは難しいだろな」


 釈放されたとはいえ、冒険者ギルドのトップに目を付けられたんだ。やましい事があるのなら暫く身を隠すだろう。


 問題はその潜伏場所がこのアンキエーテか、それとも別の場所か。それを探る為にもエメアってあのフロントとの接触は避けられない。


 けど、その前に一応――――


「モーショボー。悪いけど空からあのチンピラがいないか街中を見て回ってくれないか?」


「え~、それメッチャダルいじゃん。ウチそういうのやりたくなーい」


「そんな! モーショボーそんな!」


 警邏の仕事を全否定するかのような問題発言……久々にギャルっぽいトコ見せてきやがって。


 けど最近こいつに頼り過ぎていたのも事実。大した見返りもあげられないのに随分と働かせているのは申し訳なく思う。


 仕方ない。ここは折れるか。


「わかった。無理言って悪かったな」


「ちょっちょっ! そんな簡単に諦められると『オメーには無理なんだな。まー知ってた』って言われてるみたいでムカつくんだけど!」


 お会計の時に払う素振り一回も見せない後輩にキレる先輩みたいな事言い出すなよ。その予定調和ダルいんだって。


「わーったわーったやるやる。その代わりカーバンクルとポイポイにゆってね? モーショボー偉い子元気な子って」 


「いい加減どっちかに絞れよ」


「ダメどっちも!」


 罪な女だな。つーか大丈夫か? どっちからも相手にされてない気がするんだけど……


「あとポイポイと必要以上に仲良くすんなし」


「わかったわかった。それじゃ一旦ここで解散しよう。昼頃にまた集合って事で。コレットもそれで良いな?」


「了解。なんかゴメンね、旅行中なのに」


「コレットが謝る事じゃねーよ」


 俺の言葉に苦笑いを浮かべ、コレットはアンキエーテから離れて行く。モーショボーも既に上空へと飛び立った。


 そして俺はと言いますと――――



「おかえり。隊長」



 背後から感じる圧に冷や汗を禁じ得ない有様です。


「シキさん……?」


「別に旅行中だから何処で何しようと勝手だけど、朝帰りなんて随分ハメ外したね」


 ふ、振り向けない……振り向いた瞬間に侮蔑の目で見られるのはわかりきってる。目は口ほどに物を言うって諺があったけど、刃ほどによく切れる事もあるよね。


「昨日はイリスチュアと一晩中一緒にいたんでしょ? なのにコレットと戻って来たの? なんなのその節操のなさ。人として信じられないんだけど」


 いつにも増して容赦ない。怒ってる。激怒してらっしゃる。女遊びが激しいギルドマスタークソキモいから死ねと念を送ってくる。


「ま、私には関係ないからどうでも良いけど。自分で作ったギルドの評判を地の底に落としたくないのなら身を滅ぼす前に去勢した方が良いんじゃない?」


「いや、その……どうでも良いって思ってる人の言う言葉ではないような気が」


「は?」


 怖っ! 一音一音から感じる圧が半端ないって! シキさん半端ないってもぉー! こっち後ろ向きなのにめっちゃ言うもん……


「あの……」


「何」


「言い訳して良いですか?」


「私に何言い訳をするの? さっきも言ったけど、隊長が何処で誰と何してようが私には関係なくない?」


 なら絡んで来ないでよ、と言える筈もなく。かと言って『ギルマスがモテてんだから良いだろ? 名誉な事じゃんギルドにとっても』みたいなイケメン以外許されないセリフを吐く訳にもいかない。


 俺に言えるのは……本音だけだ。


「関係はあるよ。シキさんは無関係じゃない」


「……」


 ようやく振り向いてシキさんの顔を視界に収める。


 ……案の定顔色が悪い。二日酔いだな。だから機嫌がより一層悪いのか。


「シキさんがギルドを大切に思ってくれてるのは知ってる。そのギルドの名誉を傷付けかねない行為だって怒ってるんでしょ?」


「……別に」


「でも誓って言うけど、俺はやましい事は何もしてない。昨日帰れなかったのには事情があったんだ」


「でも混浴はしたんでしょ?」


「混浴は……まあ…………あっ! ちょっちょっちょっ待って!」


 無言で立ち去ろうとしたシキさんを必死に止めようと反射的に手を伸ばす。


 その手が――――シキさんの脇腹に触れた。


「……!」


「あっゴメン!」


 マズい。朝帰りからのセクハラは最早言い訳も出来ないクズ野郎コース。触れてしまった以上言い訳も出来ない。


 これはもう終わった……


「……っ」


 あれ?


 シキさん……今笑った?


「もしかして脇腹弱い人?」


「全然」


 なんか唇がプルプルしてる。こりゃ明らかに弱いぞ。


 流石にセクハラを重ねる訳にはいかないから再検証は不可能。けど偶然とは言えこれで空気は変わった。


「そっか。シキさんにも弱点があったんだな。なんかホッとした」


「どういう意味? っていうか弱点じゃないから」


「俺の子供の頃にもいたんだよね。脇腹が弱点って奴。そいつって結構気が強くて、ガキ大将ポジションっつーか常に偉そうにしてたんだけど、或る日その弱点が見つかってさ」


「……それ何の話?」


「いやだから脇腹の話」


 これは作り話じゃなく真実。小学校低学年の頃だ。


 そいつは家が裕福でナチュラルに俺達クラスメイトを見下してくるヤな奴だった。幼心に反撃の機会を窺っていた記憶が微かに残ってる。昔の事なんて殆ど覚えていないけど、その記憶は割と鮮明だからマジで嫌な奴だったんだろう。


「弱点が発覚してからは、ムカつく事言われたらすぐ脇腹グワシーって掴んで、泣くまで笑わせて……それ毎日繰り返してたら段々大人しくなっちゃってさ。俺って知らない内に他人の性格改変しちゃったのかって凄く後悔したんだよね」


「……暗に脅迫してる?」


「いや全然?」

 

 対峙するシキさんの顔に、微かな焦りの色が浮かび上がってきた。あと微かに顔が赤い気がする。


 脇腹が弱い人は、ちょっと触れられるだけでも過敏に反応する。そして軽く揉むだけでメチャクチャ笑う。これは過去の経験から確実だ。


 シキさんが人前でそんな姿を晒すのはキャラ崩壊以外の何物でもない。当然、そんなの本意じゃないだろう。ある意味尊厳破壊だ。


「ただ、こっちの話くらい聞いてくれても良いのになーって思ってるだけで別に他意はないよ」


「だったらその手の動き止めてよ」


「やだなー。ただの指のマッサージだって」


 手をワキワキさせる俺に、シキさんは明らかにビビッてる。こりゃ本格的に弱いな。間違いない。


 まさに起死回生。ここまで追い込まれた状況でシキさんの弱点を把握できるなんて。やっぱり日頃真面目に生きてると良い事あるよな。


 よっしゃ! 今まで散々煮え湯を飲まされてきたけど、ついに主導権を奪う日が来たか!


「とにかくさ、話を聞いてよシキさん。確かに朝帰りになっちゃったけど、ギルドに汚名を着せるような事は一切してないんだって」


「全然説得力ないんだけど……ちょっとホントにやめてよ。ジリジリ近付いて来んなバカ!」


「嫌だね。シキさんが信じてくれるまで接近をやめない」


 ……一体どうしたんだ俺は。なんか自分でも訳わからなくなってる。シキさんの弱点を掴んだ高揚感で脳みそがハイになってしまっているのか……?


 きっとシキさんの怖がる顔が可愛すぎるのが悪いんだ。良くないのはわかってるけど止まれそうにない。


 勿論、触るつもりは一切ないよ? そんな蛮行は決して許されない。けど極限まで近付いてシキさんを追い詰めないと話を聞いて貰えない……という建前で、シキさんをもうちょっとだけ怖がらせたい衝動が後から後から湧いてくる。


「今日いつにも増して変なんだけど……本当に隊長?」


「誰だって旅行に来ればハメくらい外すさ。シキさんだって昨日の夜は随分変だったでしょ?」


「それは……ちょっと飲み過ぎただけで……」


 良いぞ。最早主導権は完全にこっちだ。このまま押し切って有耶無耶にする流れが確実に出来つつある。でもそんな事よりもっとだ。もっと普段と違うシキさんを引き出すんだ。こんなチャンス二度とないぞ。


「なんでそんな鼻息荒いの」 


「それくらい必死って事だよ。シキさんに嫌われたくないから」


「……っ」


 ずっと後退していたシキさんの動きが――――止まった。


 もう手を伸ばせば届く距離。身体能力の差で普段なら絶対捕まえられない筈なのに、今のシキさんなら何故か捉えられそうな気がして仕方ない。


 捉えて……良いのか? いや良くない良くない。セクハラダメ、絶対。そんなの常識中の常識。子供の頃の無邪気さでやってた事を大人になってやるのはピーターパン症候群の典型だ。冷静にならないと。


「どうして……嫌われたくないの?」


「……へ?」


 シキさんの様子がおかしい。さっきまでの険しい顔とは明らかに違っている。これはこれで……いや寧ろ今のシキさんが一番可愛いんじゃ……


「私に嫌われたくない理由、聞いてるんだけど」


 マズい。なんかよくわかんないけど主導権を奪われた気がしなくもない。けど今更引く訳には――――





「死ね」





 次の瞬間。


 俺の身体はいつの間にか傍に来ていたヤメの強力な魔法で遥か遠くに吹っ飛ばされた。



 宙を舞いながら思う事は一つ。


 ありがとうヤメ。止めてくれてマジ感謝。危うく血迷って一線を踏み越える外道になり果てる所だった。



 尚、膨大な殺気のお陰で無事虚無結界の適用となりました。





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