第414話 埃のような人生

 最初に宿を訪れた際の案内で俺の鞄を落としたあの一件。


 メオンさんは今、それを思い出している筈だ。


「はい、そうです。お話を伺わせて頂く事は可能でしょうか? 実況見分のような大袈裟なものではありませんし、時間はそれほどかかりませんので」


「……」


 勿論、問題なんて何も生じちゃいない。落として壊れるような荷物は何もなかったから。


 けど本人はやたら怯えていたし、あれを重大なミスと誤認していた。だから今の俺の言動は『後で確認したら鞄の中の荷物が壊れていた。それは貴方に預けた俺の責任だから気にするな。でも記録には残させて貰うし上司にも知らせるよ』との脅し文句に聞こえる筈。この人やたらネガティブだから、きっとそう解釈するだろう。


「お坊ちゃま。何か不手際が御座いましたでしょうか?」


 俺の曖昧で不穏な言動に、先輩と思しき短髪のフロントが困惑した様子を見せている。当然だ。バイトだろうと仕事中の不手際となれば宿全体の責任問題になる。


 でも俺の目的はメオンさんを連れ出す事。ここで話す訳にはいかない。


「いえ、そのような事は何も。先程の説明通り、記録として残す為に昨日案内して下さったメオンさんから詳細をお聞きしたいだけなんです」


「……左様で御座いますか」


 笑顔の中にも明確な猜疑心を滲ませているな。一向に具体性を帯びない発言を不気味に思ったのか、それとも他に何か怪しむ要素があるのか……


 俺に鋭い洞察力があれば、どちらかの判断がついたかもしれない。それで手掛かりが得られたかもと思うと歯痒さもある。


 ま、ないものねだりしても仕方ない。まずはメオンさんの方に集中しよう。


「ここだと業務の邪魔になりますよね。外でお伺いしても宜しいでしょうか?」


「外……でございますか?」


「はい。宿の中で長々と話を聞かせて頂くのは、体裁の面でご迷惑をお掛けしかねませんので」


 当然、言葉通りの理由じゃない。メオンさんは『先輩には黙っててやるから、ちょっとツラ貸せ』と受け取るだろう。なら当然――――


「それは……」


「ううう承りました! 昨日の一件でございますね!? 私なんでもお話致します! 申し訳ありません少し外しますので何卒! 何卒ぉぉぉ!」


 有無を言わせない勢いで先輩に捲し立て、メオンさんは笹食ってる場合じゃねぇと言わんばかりに軽やかにカウンターを飛び越えて出て来た。


 最後の方はかなり強引だったけど、取り敢えずは成功。後はこの人から話を聞くだけだ。


 順調なんだけど……心は晴れない。そりゃそうだ。人を欺いて自分の思い通りに動かす。こんなのばっかだよ最近。俺もすっかり汚れちまったな……


「おかえり。大成功だね」


 外で待っていたコレットは、明るい口調とは似付かわしくない引きつった笑みを浮かべている。さっきの会話を聞いていたんだろう。


 言いたい事はわかるよ。今の俺は誤魔化しようがないほど詐欺師だもんな。さっきは執拗に詐欺師イジりしてたけど、実際現実になったらそれはそれで引くよな。


「仕方ないんだよ……戦闘力ゴミの俺はせめてこういう事だけでも達者じゃないとギルドにも貢献できないし……」


「そ、そんな落ち込まないでよ。私は立派だと思うよ? 自分から汚れ役買って出てる感じがして。ホラ、私はトモが本当はちゃんとしてるの知ってるし! 世界中がトモをペテン師呼ばわりしても私は味方だから!」


「ペテン師か。優しい表現だな。気を遣ってくれたのか? いや……寧ろ道化じみてて詐欺師より俺に似合ってるのか。俺の本質を見抜いた的確な表現だ。コレット、成長したな」


「……なんかごめん」


 メオンさんに話を聞く前に、俺とコレットのメンタルは共倒れになった。



 ……とはいえ、本当に倒れる訳にはいかない。切り替えよう。



 取り敢えず宿からは離れた方が良いと判断し、コレットを残して二人で最寄りの飲食店に入る事にした。冒険者ギルドのトップがいるとなるとメオンさん萎縮しちゃいそうだしな。


 話を聞く前にまずはメニューを見て注文。パンは……ないな。


「すみません。裏メニューでパンってないですか?」


「申し訳御座いません」


「賄いでも?」


「申し訳御座いません」


「従業員の誰かがおやつに持ってたりは?」


「……申し訳御座いません」


「失礼しました。スワッシュを一つ。メオンさん、何でも好きなのを頼んで下さい」


 スワッシュは酸味を利かせた常温ドリンク。冷えてれば倍くらい美味いと思うんだけど、この世界には冷蔵庫なんてないから仕方ない。前世の知識を生かして開発する気もない。つーか無理。


「ではオラノポロンを」


 また渋いドリンクを……確かココナッツみたいなのと葉物野菜を6種類くらい使った野菜ジュース的な奴だよな。あと名前がなんか嫌だ。


「お坊ちゃま。先程アンキエーテの前にいた女性なのですが……同行しなくても良かったのですか?」


「あ、はい。あいつはあいつでやる事があるんで大丈夫です」


 コレットを連れて来なかったのは、単にメオンさんを萎縮させない為ってだけじゃない。もう一人のフロントを見張って貰う為でもある。


 宿のエントランスやロビーにあのチンピラの姿はなかった。もしフロントが奴と顔見知りでない場合、『中に入れろ』とか『誰々に合わせろ』みたいな要求があっても中に入れず止める筈。そこで一悶着あれば、宿の中のギルド員が何事だろうと確かめに来ていただろう。


 でもそんな様子は一切なかった。って事は、チンピラと顔見知りの可能性がかなり高い。そして明らかにこのメオンさんよりもう一人のフロントの方が怪しい。


 一応策は講じたけど、このタイミングで聞き取り調査をすると言い出した俺を全く怪しまないって事はないだろう。最悪逃亡の恐れもある。だからこそ、仮に逃げられても確実に追いつける機動力を持つコレットに残って貰った。


 後は眼前の彼に話を聞くだけだ。


「ではメオンさん。話を聞かせて頂いて良いですか?」


「はい。私、既に心を整理し終えておりますので大丈夫でございます」


 なんか妙に堂々としてるな。今までだったら『事情聴取……誤認逮捕……悪評……クビ!!』とか言い出しそうなのに。実は追い詰められて真価を発揮するタイプなのか?


「新天地は気候の穏やかな南方へ向かおうと思います。そこで……山羊を飼います。山羊のミルクで栄養を摂り、柔らかく温かな風を全身で浴びて、誰にも脅かされず静かで真っ白な余生を過ごすつもりです」


 ……マイナスの方向に全力で駆け抜けただけか。クビどころか追放された後の事まで考えていたとは。こういうのも達観って言うんだろうか。単に現実逃避って方が正しいかもしれない。


「あのですね、さっきは怖がらせるような事を言ってすみません。昨日の一件は全然問題ありませんから」


「ならば何故あのような事を……?」


「貴方にだけ聞きたい事があったんです。だからどうしても連れ出したくて、脅かすような真似を……本当に申し訳ない」


 これは本心なんで正直に謝る。メオンさんは午前九時くらいの猫のような顔を暫くしていたものの、首を何度も左右に振って午後八時の猫のような顔になった。


「昨日お伝えした通り、今の私は貴方の下僕でございます。下僕とは即ち絶対の忠誠を誓う身。どうか何なりとお聞き下さい。金で買われた私が答えを渋る事などある筈もなく」


「言い方悪いな」


 どうもこの世界のチップの文化は俺が知ってるのとは違うらしい。今後は控えた方が良いかもしれない。


「えーっと、それじゃ遠慮なく質問させて貰います。その前に、さっき俺といた女性は知ってますか?」


「不勉強で申し訳ございません。話の腰を折ってまで自慢なさりたい気持ちもよくわかる可憐な女性でございました」


「違ぇよ。彼女は冒険者ギルドのギルドマスターね。コレットって聞いた事ないですか?」


 周囲の客の目を気にして、怒鳴りたい気持ちを全力で抑えながらコレットの肩書きと名前を出す。するとその途端、メオンさんは小刻みに震え出した。


 怪しい。冒険者のトップが介入してきたと知ってこれだけ動揺するって事は、何かやましい事があるに違いない。


 ――――と普通なら解釈すべきなんだけど、何しろ相手はメオンさん。この人の場合はそんな常識的な思考回路じゃないだろう。


 恐らく例の病的なネガティブ思考を発揮して、宿が潰れる事を危惧しているに違いない。


「私、来世では誰の目にも触れず世界の端でひっそり佇む埃のような人生を歩む所存でございます」


 宿どころか本人が骨になっちゃってる! この人未来に生きてんな……


「今世を諦めるのが早過ぎません?」


「しかしですねぇ!! 冒険者のトップが監査にやってきたと言う事は!! 不正疑惑があるという事実に相違なくッ!! 私共アンキエーテは不正など一切ない健全な温泉でございますがねッ!! 疑惑を向けられた時点で周囲は何かやましい事があると見なしてしまうので廃業確定からの路頭に迷ってハイお終い!!」


 えぇぇ……飲食店でこんな全力で叫ぶ人いる? 躊躇なさ過ぎて怖いって。


 あれ? なんか前もこんな事なかったっけ……気の所為かな。


「落ち着いて。何も心配要りませんから。確かにコレットは調査しにこの街へ来ましたけど、疑念を抱いているのはアンキエーテじゃありません」


「………………おや……ほお?」


 切り替え早っ! 今のでもうライバル店が調査対象だと気付いたのかよ。こういう事にだけは冴えてんな。


「まあお察しの通し、シャンジュマンなんですけど」


「嘆かわしい事です。アンキエーテとシャンジュマン、同じ鉱山の街で温泉宿を営む者同士。傍から見ればライバルで競争相手、お互い蹴落としたい存在と思われているかもしれません。いやどちらかというと我々アンキエーテの方が対抗意識を燃やしていると思われているでしょう。しかし私はシャンジュマンに何処かシンパシーのようなものを抱いておりました。競争しながら互いに高め合って繁盛し、このミーナを盛り立てていく良き仲間であり友だと感じておりました。当然私は彼等を信用しておりますが、冒険者ギルドから捜査までされているとなると身の潔白を証明できなければ今後は一緒に切磋琢磨していく事は叶いませんね。とても残念です」


 よく喋るなメオンさん…負けず嫌いの典型だ…7%…くらいだろうな本心は。


「それでですね、シャンジュマンを調査中に怪しい人物を見つけまして。その人物がアンキエーテに逃げ込んだとの情報を入手したもので、こうして情報を集めているんです。心当たりはありませんか?」


 今、アンキエーテは俺たち城下町ギルドの貸し切りだから宿には俺達以外の客は来ない。だから今日、外部から人が来れば確実に覚えている筈。


「あります。ありますとも。つい先程、明らかに不審な人物が私共アンキエーテを訪れました」


「その人物の特徴はわかります?」 


「見るからにチンピラ風情の野郎で鼻が特徴的でございました。かなり長かったように思います」


「体型はどうでした?」


「細かったように記憶しています」


 間違いない。あの容疑者の男だ。


 まあアンキエーテに入って行った所まではモーショボーが目撃していた訳だから、ここまでは当然の流れ。メオンさんが隠し事しないのも予想通りだ。


 つまり、ここからが本番だ。


「その男にアンキエーテのスタッフはどのような対応を?」


「私の上司であり頼れる先輩のエメアが……先程も私の隣にいたあのフロントです。毅然とした態度で外に出るよう促していました。私はただその様子をじっと見ていましたが、急用を言いつけられ残念ながらその場を離れる事にしました。暫くして戻ってくると輩の姿はもうなくなっておりました」 


「出ていった所は見ていないと。用事はエメアさんに言われて?」


「そうです。戻って来てからエメアに顛末を尋ねると『奴の事はもう気にしなくて良い』と言われましたので、気にしない事にしました」


 素直だなあ。今のメオンさんの証言も恐らく正しい内容だろう。


 だとしたら……難しいな。


 もしエメア氏があの男を匿うか、若しくは黒幕本人だとしたら、メオンさんとは直接関わらせたくはないだろう。この人なんでも喋るからな。今みたいに。


 だから用事を与えて一旦席を外させ、その隙に匿った……と予想する事は出来る。


 だけど、その仮定だと俺がメオンさんを狙い撃ちにした事について何も口を挟んで来なかったのはおかしい。実際、こうしてメオンさんは俺達に貴重な情報を提供してくれた訳だけど、これは事前に止める事が出来た筈だ。理由なんてどんな内容でも良い。例えば『仕事中に持ち場を離れるのは禁止事項だ』とか言えば良かった。


 なのにあの人は、俺がメオンさんを連れ出そうとしていた時にも特に干渉してくる様子はなかった。素振りすら見せなかった。


 止める事で逆に疑われると踏んだか? でも容疑者が逃げ込んだ時点で怪しいのは確定している訳で、そこを今更気にし過ぎても意味がない。


 何にせよ、あの先輩フロントが何らかの形で関与しているのは間違いなさそうだ。宿にコレットを残しておいて正解だったな。


「では最後の質問です。シャンジュマンについて良からぬ噂を聞いた事は?」


「はいそれはもう腐るほどッ! 私これはもう不本意でしかない所存なのですが冒険者ギルドの代表がわざわざ来るほどの大事件となれば協力するしかないと思うに至りまして全てお話しましょう心から残念ですがねッ!」


 すっごい早口……聞き取れた自分を褒めたいレベル。この勢いだと話半分くらいに聞いておいた方が良さそうだ。


「シャンジュマンは歴史ある立派な温泉宿でございますが、あの趣味の悪い看板からもわかるように決してセンスの良い宿ではございません。あれはもう古くからの常連客でもっているようなもの。故にです。新規客の多くが扱いに差がある、疎外感を覚えると不満を口にしているとの噂が」


 うーん、なんか期待した噂とは違うな。それは単に老舗のよくある欠点では?


「それだけではございません。今のはほんの入り口に過ぎません。シャンジュマンの温泉は効能として血行促進効果や疲労回復を謳っていますが、いやこれがまた実に平凡でございまして。温泉で血行良くするってそんなベタな。血行を良くしない温泉などこの世にあると思いますか? 実に短絡的でこれはもう失笑を禁じ得ない所存でして」


 最早、噂でも何でもなくただの悪口になってきたな。常に半笑いだし。どんだけ憎いんだよシャンジュマンが。


 いよいよ証言の価値が薄らいできた、その時――――


「私共アンキエーテがオープンした事で奴等も危機感を覚えたのでしょう。私共に対抗すべく、泉質を変える試みを始めたとの噂が流れました」


 看過できない発言がメオンさんの口から飛び出した。




 

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