第412話 冬のナマズのように
コレットのバッグから取り出した万能ロープは、元いた世界の同名商品とは違ってフレキ管に近い物だった。いや……それより太めの針金の方がより近いか?
何にせよ、かなり細い割に強度は十分。ロープと違って縛らなくても捻れば固定できるから束縛もし易い。これでグルグル手足を巻けば冬のナマズのようにおとなしくなるだろう。
「嫌だよおおお!! ヒーラーみたいになりたくねぇ!! ヒーラーみたいにだけはなりたくねぇんだあああああ!!」
……全然冬のナマズのようにおとなしくならねぇな。何かに取り憑かれてんのかってレベルで顔面をブルブル左右に振りながら喚き散らしてやがる。
「どうする? 濡らした手拭い持って来るか?」
「拷問に躊躇なさ過ぎ! もうちょっと様子見ようよ!」
そうは言ってもこの様子じゃ正攻法で口割るとも思えないからなあ……
「おい、まず落ち着け。話す事話せば悪いようにはしないから。ヒーラーみたいになりたくないってどういう意味だ?」
「やめろぉ……聞くな……そんな事俺に聞くんじゃねぇ……あああ……」
やっぱり話にならない。さっきまでの威勢は何処へやら、怯えながら冬のナマズのようにおとなしくしている。どういう心理状態なのかはわからないけど、少なくともコレット相手に啖呵を切るほど無謀な奴じゃないらしい。
暫しの奇妙な沈黙の後――――男はコレットに縋るような目を向けた。
「な……なぁ……ギルドマスターさんよぉ……アンタ偉ぇよな? 冒険者で一番偉ぇんだよな?」
「一概にそうとは言えませんけど、一応立場上は。それが何か?」
「は、話せば……俺を見逃してくれるか……? 俺を追わないよう冒険者の連中に通達してくれるか……?」
「それは……」
コレットが困った様子でこっちを見てくる。司法取引に応じるべきかどうか判断しかねてるんだろう。
「ま、良いんじゃねーの。話せば拘束は解くって事で」
俺の返答にコレットは特に間を置かず頷き、容疑者の男に話すよう目で促した。
「へ……へへ。約束だからな」
男は安堵したようにニヤニヤ笑い、両手両足を縛られたまま腹筋を使って上体を起こした。
一体どんな話をするのか――――
「ラヴィヴィオのヒーラー達が城下町を出ていったのは当然知ってるだろ? 奴等はな、揃いも揃ってやられちまったんだよ。あれだけ回復狂いだった奴等が今は完全に洗脳されちまって、もう回復魔法の事なんて何とも思っちゃいねぇ」
「え……?」
コレットが困惑の声をあげる。実際、これは驚きの証言だ。
ヒーラー連中が温泉地で骨抜きにされているのはコレットも知っている。でもそれを人為的なものだと決め付けられる材料は今の所ない。なのに、この男は断言した。
五大ギルドすら掴んでいない情報を、こんなうだつの上がらない野郎が掴んでるっていうのか……? 俄に信じ難い話だ。
「誰の仕業だ? つーか、どうしてお前がヒーラー達と同じ目に遭うって怯えてるんだよ。接点ないだろ?」
「それがあんだよ。俺に依頼した奴と、ラヴィヴィオのヒーラーを潰した奴は同一人物だとよ。本人がそう言ってたからな」
更なる衝撃の証言。思わずコレットと顔を見合わせてしまった。
「だから俺は捕まっちまったら終わりなんだよ。釈放されてもあいつから失態の罰として廃人にされちまう。何しろあの狂ったヒーラー共を一網打尽にしやがるような奴だからな……温情なんて期待できねぇ」
「勿体振るなよ。黒幕は誰だ?」
「へへ……この宿の主人さ」
――――出て来たのは想像もしていなかった人物だった。
「俺は聖噴水の水の運び屋やってんだ。今回が初めてじゃねぇ。定期的にここへ届けに来てんだよ」
「どうして聖噴水の水なんて……」
「温泉に混ぜる為に決まってんだろ? 聖水なんだから穢れを落とす効果とかあるんだろうよ。効果が出れば当然客も集まる。メリットしかねぇよ」
確かにメリットは大きい。ただし聖噴水の水を勝手に持って帰るのは明らかに違法だし、ましてそれを商業利用するなんて許される事じゃない。だから闇商人を使って密かに入手していた。
闇商人の組織がこの宿を定期的に利用しているというリーク内容とも合致しているし、一応辻褄は合ってる。
「その宿の主人がどうやってヒーラー達を骨抜きにしたのか、方法はわかるか?」
「知らねぇな。けど、奴等が惚けてる様を実際にこの目で見たから間違いねぇよ。あの回復魔法狂いの連中が一様に『回復なんてどうでも良い』って
容疑者の男は回想しながら青ざめたような顔になっている。無理もない。あの異様な光景は実際に見た人間にしかわからないおぞましさがある。
俺達は未だに理由も手段も全く突き止められていない。でも、もしこの宿の主人が本当に黒幕だとしたら一気に真相に近付ける。まさか慰安旅行の旅先で手掛かりを掴めるとはな……
「俺が話せるのはこれくらいだ。詳しい事情までは知らねぇ。なあ、そろそろ良いだろ? 冒険者ギルドのトップが約束を守らない、なんて事はねぇよな?」
「……わかりました。拘束を解きます」
コレットは屁理屈は捏ねず、即座に万能ロープを解く。あっという間に自由の身となった容疑者の男は――――何故か冬のナマズのようにおとなしく、そしてキョトンとしていた。
「も、もう良いんだな? 何もしないんだな?」
「はい。後は好きにして下さい」
「……」
そして明らかに戸惑った様子を引き摺りながらも、無言で離れて行った。やがてその背中は見えなくなり、俺達はそれを沈黙のまま見守った。冬のナマズのように。
先に静寂を破ったのは――――コレットだった。
「ねえトモ……今のってそのまま真に受けて良いと思う?」
「良い訳ないだろ。出でよモーショボー」
「うーい何ぞやー」
昨日の深夜喚び出したばかりだから一抹の不安はあったけど、モーショボーはちゃんと出て来てくれた。どうやら一日一回縛りのカウントは夜明けが境目らしい。
「今あっちの方に向かって行った男が恐らく宿から出て行く。上空から尾行を頼む。何処か入ったら教えに来て」
「りょりょりょのりょー」
軽やかに通路を舞ってモーショボーが容疑者の男を追いかけていく。警戒心を抱いていた様子だったけど、流石に空から監視されるとは思わないだろう。
俺もモーショボーも冒険者じゃない。だからさっきの約束とは無関係だ。宣言通り拘束も解いたしな。
「もしかして最初から尾行するつもりだった?」
「そりゃな。余りにも出来過ぎてる」
宿の通路を歩いていて偶々ぶつかった男がコレットの追っている闇商人で、大した苦労もなく重要な情報を提供してくれた。
……なんて都合の良い話がある訳ない。幾ら慰安旅行中でもこれを鵜呑みにするほど平和ボケしちゃいない。
昔の運に極振りだったコレットなら、或いはあり得たかもしれない。でも今はバランス良く調整してあるから、そこまでの強運は起こり得ないだろう。
「わざとらしい小者ムーブに露骨な動揺。我ながら稚拙なカマかけにアッサリ引っかかった挙げ句、突然脈絡なくヒーラーの話題を切り出して、終いには依頼人の情報をベラベラ話し出す節操のなさ。どう考えても狙ってやってるとしか思えない」
「だよね。私が変だって気付くくらいだし」
「アッサリ拘束解いた時は向こうの方が動揺してたからな。捕まるまでが計画の範疇だったんだろうよ」
とはいえ全部が全部嘘なのか、それとも一部は真実を交えているのか、そこまではわからない。真相は尾行の結果待ちだな。
「これってやっぱり、私たち冒険者を騙す為……なんだよね?」
「そりゃそうだろ。俺を欺く意味なんてないからな」
考えられる目的は一つ。今日ここに冒険者が調査しに来る事を事前に知った何者かが、調査を混乱させる為に仕掛けた罠だ。
さっきの男はほぼ間違いなく闇商人じゃない。闇商人若しくはその取引相手が雇った仕掛け人だろう。さっきの話が全てデタラメだと仮定すれば、宿の主が犯人の線は薄い。
ただし無関係とも考え難い。今もそうだけど、あれだけの騒ぎになったのに従業員が一切駆けつけてこないのは不自然極まりない。完全に見て見ぬフリをキメ込んでいる。主犯じゃないけど協力者って立場の可能性が高そうだ。
「……」
コレットは俯いたまま押し黙っている。でも心中穏やかじゃないだろうな。
今日コレット達がこの宿に来る予定を立てていた事は、冒険者ギルドの関係者以外に知りようがないんだ。なのにその情報が漏れていたとすれば――――
冒険者ギルドの中に密告者がいる事になる。
今のコレットの気持ちは痛いほどわかる。俺も以前、虚無結界の情報をギルド員が悪意をもって外部に漏らしたかも……って随分と疑ったからな。結果的にはあのアホ中年共が酒に酔ってペラペラ喋っただけだったけど、仲間を疑うのがあんなに精神を蝕むなんて知らなかった。
それに、冒険者ギルドにはサタナキアを匿った犯人もいる。今回の件と直接関係があるかどうかは不明だけど、ギルド内でキナ臭い動きが多発しているのは間違いないだろう。
「……さっきの精霊、モーショボーちゃんだっけ。トモがここから離れてもちゃんと見つけられる?」
「ああ。大丈夫だ」
屋内でシャルフと戦ってた時に、俺の現在地を知る筈のないモーショボーがしれっと合流してきた。多分契約者の居場所はわかるようになってるんだろう。
「だったら先に聖噴水の様子を見に行こっか。暫定的な調査はもう終わってるかもしれないし」
「オッケ。そうしよう」
宿の主に話を聞くにしても時期尚早だ。まずは現在起こっている事について情報を整理しておかないと。
そんな事を考えながら通路を抜け、エントランスからフロントと目を合わせず宿を出る。外はムカつくほど良いお天気だ。
つーかさぁ、なんで慰安旅行に来てこんな事件に巻き込まれなきゃならないんだよ。運の値が2しかない所為か? それとも借金がなくなった件の揺り戻しか? 前世で徳を積んでなかった所為か?
……だったら自業自得じゃねーか畜生!
けど――――
「……」
俺よりもコレットの方が大変なのは明らか。その悲壮感漂う横顔を見ていると、俺が凹んでる場合じゃないと思わずにはいられない。
「俺とお前が同時に厄介事に巻き込まれるの、これで何度目だっけ」
「え? 何度目かな……最初は初めて会った時だよね。モンスターの集団に襲われて、逃げ切ったと思ったらベヒーモスに絡まれたやつ」
「見逃してくれたのにその言い草は……まあいいや。次は怪盗メアロとやり合った時か」
「そうそう! あの時、下水路で剣を落としたの今でも思い出すの辛い……」
そんな事もあったな。剣なんて幾らでも買える財力はあっても、ベストフィットの剣となると代用は利かないらしい。
「次は……選挙か。あの時は毎日がトラブルの連続だったけど。誰かさんの所為で」
「もうそれ蒸し返さないでって言ってるじゃん! それに選挙の前にも色々あったでしょ! 酒場でアイザックさんが発狂したやつとか」
ああ、俺がティシエラと初めて会った時か。あったなーそんな事。
「後はお前が行方不明になった件と鉱山での殺人未遂事件かな」
「細々としたトラブルなら他にも幾つかあるけどね。なんかアレだよね……私とトモって良い思い出あんまりなくない?」
「え、そんなふうに思ってたのかよ……俺は結構楽しかったんだけどな。そっか、コレットは俺と一緒にいるとつまらないんだな。わかったよ。もう二度とそのツラ見せんな」
「なんで傷付きながら急に牙剥くの!? 『これからは良い思い出作れるといいね』って持って行きたかっただけなのに!」
「だったら大丈夫。こういう些細なやり取りがいつか良い思い出になるんだよ」
「それ言っちゃったらもう絶対ならなくない!?」
……なんてバカみたいな事を話している内に、いつものコレットに戻っていた。
「いつもの聖噴水ですねぇー。異常な感じもありませんしぃー、通常の成分で間違いなさそうです」
パトリシエさんが実施する暫定的な調査ってのは随分と短時間で出来るらしく、俺とコレットが聖噴水に着いた時にはその結論が待っていた。
とはいえ――――
「ま、当然か。夜が明けてからモンスターも近付いて来てないし」
ここまでは予想通り。少なくとも聖噴水の水そのものは正常で間違いないだろう。
でも俺が感じた違和感は聖噴水の変質じゃない。
「トモが昨日の夜見た時は、今より水量が少なかったんだよね?」
「ああ。そこまでガッツリ減ってた訳じゃないけど、少なくとも水位はここより低かった。噴水の噴き上げる高さは変わってなかったと思う」
噴水の受け皿となる貯水池に今はかなり水が溜まっていて、水面は容量ギリギリの所まで上がっている。でも俺が見た時は明らかにもっと低かった。
「俺は聖噴水に詳しくないから、水が減ってる事をそこまで危険だとは思ってなかったんだけど……こういう事って普通は起こらないものなの?」
「起こらないですねぇー。聖噴水ってアーティファクトですから仕組みも動力も余り良くわかっていないんですけど、少なくとも聖水が勝手に気化したり消費したりはしませんかねぇー」
……今まで余り深く考えずにいたけど、確かに動力はよくわからないな。
この世界に電動機なんてない。電動ポンプなんて物も当然ないだろう。デンキナマズはいるかもしれないけど。
一応、位置エネルギーを利用して水を噴出させる事は出来る。湧き水と同じ原理で、自然の力によって地下水が自噴する事もある。でも城下町の聖噴水もここのもそうだけど、噴水の勢いからして明らかに人工物としか思えない。
って事は、魔法やマジックアイテム的な力で聖水を吹き上げさせていると考えるのが妥当だ。恐らくそうする事で聖水の効力をより強くしているんだろう。
だったら、夜間だけ水の量が減るなんて事は絶対にあり得ない。
「例えば夜にここの聖水を盗んで、代わりに普通の水を注ぎ足したって事は……」
「もしそんな事をしていたらぁー、わたしが気付かない筈ないと思います」
だろうな。あの運び屋を自称していた奴の仕業って線も捨てきれないけど、少なくとも今コレットの言ったような方法では不可能に近い。
どうやら、真相は奧の方でひっそり息を潜めていそうだ。
まるで――――
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