第409話 浮気

 俺がイリスに抱いていた違和感の正体。


 それは……不思議なくらい自己主張をしない事だ。


 王城に突然現れた時も自分が長らく失踪していた事を悪びれもせず、かといって露悪的でもなく、自分の事よりもエルリアフへの言及に終始していた。


 華やかな容姿と高い好感度を持ちながら、自分の魅力を全くと言って良いほどひけらかさない。ソーサラーとしての腕を誇示する事も一切ない。コレーが身体を借りて発したあの魔法を見る限り、相当な実力者の筈なのに。


 そこに俺は違和感を抱いていたんだ。


 でもやっと理解できた。イリスは自分に自信がなかったんだ。


 ただしそれは能力に関してじゃない。自分の存在自体、存在の基盤に自信がなかった。いつ消えてもおかしくないからこそ、そんな自分自身を前面に出す事に価値を見出せなかったんだ。


「どうせいなくなるんだから、エゴなんか持っても仕方がない」


「……」


「そんなふうに思ってたから、自分の記録してきた事とか……心すら信じられなくなったのか」


 果たして俺の見解は正しいのかどうか。イリスは何も答えてはくれない。


 もしかしたら、わかった気になっている俺に苛立っているのかもしれない。人間に夢の何がわかる、と思っているのかも。


 わからない。わかろうとも思えない。第二の人生を歩む今の俺は、自分のエゴを強く打ち出して生きると誓ったからな。イリスとは真逆の考えだ。


 イリスの気持ちがわかるとすれば生前の方の俺だろう。自分自身に何の興味もなかったあの頃はイリスに似ている……とは決して言えないけど、少しだけ同調できる存在ではあった。


 それでも、あの頃の俺がまだ心の奥底にいるからこそ違和感に気付けた。どうやらお節介を焼けるだけの下地はありそうだ。


「だったらさ、いっそリリクーイを探し出して問い質してみれば?」


「……えっ」


「リリクーイを所有してる訳じゃないよな? なら見つけ出して、自分が本当に儚い存在なのかを確認してみりゃ良い。どうなったら消えるのか、消えずに済むのかを知ってるとすれば生みの親くらいだろうしな。そうすりゃ曖昧な事がハッキリする」


 勿論、そんな簡単な話じゃないだろう。イリスにとってリリクーイは親どころか神のような存在だ。反感を買えば一瞬で消されかねない。しかも相手は武器だ。まともに意志疎通が出来るとも限らない。


 それにリリクーイは始祖すら何処にあるかを把握しきれていない。それを見つけ出すのは困難を極めるだろう。


 だけど今のイリスに必要なのは『ティシエラを支える事』のような滅私の精神じゃなく、自分自身に関わる目的を持つ事だと思う。


「ちょうど今、ソーサラーギルドから離れてるんだから時間はあるだろ? 自分のルーツ探しの旅に出るくらいは良いんじゃねーの?」


「それは……そうだけど……」


 唐突な俺の提案に、イリスは戸惑っているように見える。でもその戸惑いに不信感や不快感は見られない。きっと心の何処かにあった事なんだろう。


 リリクーイと出会う事が、イリスにとってプラスになるのか、マイナスになるのか。正直半々くらいだと思う。それでも俺は探すべきだと主張せずにはいられない。


「自分が特異な力で生かされてるって感覚持ちながら生きるの、大変だろ? いつ自分がこの世のものじゃなくなるかわかったもんじゃないしな」


「……」


 イリスは押し黙ってしまった。もしかしたら俺の言葉に説得力を感じていないのかもしれない。


 説得力を生む方法は……ある。後はそれを実行するだけの意義を、俺自身が見出せるかどうか。


 腹は――――決まった。


「全部が全部わかるって訳じゃないけど、その気持ちだけは理解できるよ。俺もその立場だから」


「……?」


「俺はこの世界の人間じゃない。違う世界から転生して、別人の肉体で生まれ変わったんだ」


「生ま……え?」


「一応言っておくけど、蘇生魔法で生き返ったとかじゃないからな。蘇生の手段がない世界で死んで、色んな偶然が重なって転生したんだ」


 俺の補足を聞いているのかいないのか、イリスはさっきまでとは打って変わり目を点にしてパチパチさせていた。


 割と覚悟を決めて話したつもりなんだけど、あんま響かなかったのかな。まあ仕方ないか。


「そういう訳だから、あまり無理はしないで……」


「ちょーーーっと! 待ってマスター……私まだ話について行けてないから勝手に進めないで」


 ……なんだ。驚いて唖然としてたのか。人外の出自持ちでも転生にそこまで衝撃を受けるものなんだな。


「ほ、ホントに? 私をからかってるんじゃなくて?」


「こんな冗談言う奴いる?」


「いないけど……あ、だから素性を伏せてたの? マスターが城下町に来た直後、ティシエラ物凄く警戒してたけど」


「してたなあ。ソーサラーギルドの一室に軟禁されて」


「あ、あはは……してたね。え? ホントにホントなの? 今までそんな匂わせ一回もしてなくない?」


 転生したら匂わせなきゃいかんのか。それも初耳だわ。 


「イリスだって同じだろ? こんな訳のわからない事情を話した所で誰が信じるってんだ。頭のおかしい奴扱いされるだけだ」


「それは……わかるけど」


 まして俺の場合、神サマらしきあの御方に『他人に言うな』と言われてた事もあって転生特典の剥奪などのペナルティを危惧していたからな。その恐れがまずないとわかるまで結構かかったよね。


「一応、諸々の事情でフレンデリアにだけは話してる。イリスで二人目だ」


「え、それってやっぱり」


「だから違うっつってんだろ。シレクス家にはウチにギルドを支援して貰う事になったから、隠し事はなしって話になっただけなの」


 実際にはフレンデリアも転生者だからってのが一番なんだけど、それは本人の承諾なく明かす訳にはいかない。それに支援の話は本当だし、それも理由の一つなのは間違いない。だから嘘はついていない。


「そうなんだ……でも、私で二人目って事はティシエラにもコレットにも話してないんだよね。なのに……良かったの?」


 イリスにしてみれば、不信感や疑惑の目を向けている俺が突然重大な秘密を打ち明けた訳で、当惑するのも無理はない。何か裏があるとさえ思っているかもしれない。


 でも、そんなものは何もない。イリスの素性を聞いておいて、俺の方だけ隠してるようじゃ言動に説得力がないと思っただけの話だ。


「ね、ねー。もしかしてマスター……」


「気にしなくて良いって。別に深い理由は――――」 


「私の裸を見た責任を取ろうとしてる!?」


「どんな責任の取り方だよ! つーか忘れろっつったの忘れたんか!」


 こっちは必死の思いで忘れてたってのに思い出させやがって……あーまたチラチラ記憶が蘇ってくる。イリスの顔をまともに見られない。


「とにかく、俺が言いたいのは……自分自身が曖昧なのが嫌なのは俺も共感できるから俺のアドバイスに耳を傾けろって事じゃないんだ。俺の話なんて叩き台程度の扱いで良い。そういう選択肢もあるってだけの話で。ただ――――」


 ティシエラにも似たような話をしたのを思い出して、自分の引き出しの少なさに辟易する。でもこれが本心なんだから仕方ない。


 俺は誰かの決め手にはなれない。人を好きになれない俺には、人の心を打つような言葉は届けられない。


「違う世界で死んでおきながらこの世界の住民の身体を勝手に拝借して、厚かましく生き長らえている俺みたいな奴もいる。だから……なんて言うか、あんまり潔くなくても良いんだぞ……ってのは上から目線だな。そうじゃなくて……」


 ダメだ。上手く纏まらない。自分の事を割と弁が立つ方だと思ってたのにこのザマとは……情けない。


「私の何がわかるの?」


 グダグダな俺に苛立ったのか、イリスは目付きを変えて俺を睨んでくる。


 でもそれが間違いだとすぐに気が付いた。


「……って、ずっと思ってたんだけどな」


 イリスの目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。


「こんなトコにいましたか。理解者が」


 戯けるようにそう呟き、イリスが手を差し出してくる。男性と触れる事を拒んできた子が。


「子供って結構残酷でさ、孤児って事になった私を『汚い』って罵る子がいたんだよね。ずっとお風呂にも入ってないんだろって。夢の私から悪臭なんてしないんだけど、鼻を摘んでそういう事を言っちゃうんだよ」


 元いた世界も全く同じような事が至る所で起こっている。きっと、どの世界にも共通する話なんだろう。


「そんな私が初めて他人に触れられたのが、ティシエラだったみたいなの。『この子は汚くなんてないわ』って。想像できるでしょ?」


「容易に」


「私にはもう、その時の記憶は残ってないんだけど……記録には残ってて。自分で書いた文章なんだけど、ホント恥ずかしくなるくらい嬉しさが込み上げてるのがわかって。錯覚なのはわかってても、記憶としてその時の感触が残ってる気がするんだ。だから私はティシエラ以外に触れられたくないってずーっと思ってた。ティシエラは勝手に私を男の人が苦手だって解釈したみたいだけど」


 そういう事だったのか。


 覚えていないからこそ、寧ろ強い想いを客観視して強く心に刻んだのかもしれない。


「だからマスター、握手しよ? 友好の証に」


「友好……秘密を共有したから?」


「ううん」


 イリスの手が、俺の手に触れる。どちらが先に握ったのかはわからない。


「この感触も覚えておきたいから。夢が覚めても」


 ただ――――イリスの手の温もりは驚くほど人間と同じで、その事だけは確かだった。


「……」


「……」


 離すタイミングがわからん。なんか先に緩めたら薄情だと思われる気がして、つい力を込めたままにしてしまう。


「リリクーイを探すって話に関連する事なんだけど……私、ディスパースに参加しようって思うんだ」


「例の調査隊に?」


「うん。ソーサラーからは三人が派遣されるけど、今の私はソーサラーギルド所属じゃないし、同行しても影響はないかなって。もしかしたらその調査の過程でリリクーイの居場所がわかるかもしれないし」


「良いんじゃないか? 霧の晴らし方だけに特定した調査隊じゃないんだし」


 例え現在ソーサラーギルドから除名されていても、イリスがソーサラーギルドの一員なのは周知の事実。もし手柄になるような情報を得られれば、それはティシエラへの貢献にも繋がる。良いチャレンジだ。


「私がいない間にティシエラの事お願いして良い?」


「それは……」


 つまり五大ギルドに入れって言いたいんだろう。勿論即決は出来ない。


「ま、俺に出来る事をやるよ」


「うん。お願いね」


 握手をしながらの約束は、契約と同じだ。契約は守らなければならない。ティシエラを任された事に対する俺なりの解答を見つける必要があるだろう。


「……マスターの手、結構大きいね。でもこの手も本当のマスターじゃないんだよね?」


「ああ。元の身体は一回り小さかったし、こんなに鍛えてもなかったな」


「そっちも見てみたかったな」


 茶化すようなイリスの言葉に、俺は――――どんな顔をして良いかわからなかった。



「…………あのー」 



 イリスの背後、つまり俺の視界にコレーが気まずそうな顔で立っていたから。


 何故そこにいる……? この部屋の扉は俺の後ろなんだけど……


「へ……?」


 イリスもようやく気が付いたらしく、とてつもなく顔を引きつらせながらぎこちない動きで振り返っていた。


「亜空間移動でシュパって戻って来たんだけど……まさか浮気現場に出くわすなんてね」


「誰が浮気だ!」


「う、浮気……」


 おいイリスその反応はなんだ。ここは足並み揃えようよ。


「だってさっきからずっと手を繋いだままだしさ」


「!」


 一瞬にして俺の手からイリスの手が引き抜かれる。同時に手から熱が逃げていく。かなり熱くなっていたらしい。下手したら温泉にいる時より俺のマギが修復したんじゃないか?


「はー……人間ってホントそういう事平気でするよね。サイテー」


「だから違うっつってんだろ! あんましつこいとペトロに『コレーは他人の色恋沙汰を曝くのが趣味だ』って密告すんぞ」


「それ密告じゃなくない!? わかったわかったわかったってば。ボクの見間違いだった。ここは浮気現場じゃなかった」


 精霊使いとしての経験値が増してきたからか、昨日今日と精霊との意思疎通が随分スムーズだ。ペトロがその手の趣味を嫌うのは想像に難くないからな……


「で、やる事があったらしいけど今まで何してたんだ?」


「見回りと警戒だよ。聖噴水の効力が弱まってたから、万が一あの鳥以外のモンスターにも気付かれてたら大事でしょ? 幸い、そんな動きは全くなさそうだけどね」


 俺達やこのミーナの為に骨を折ってくれてたのか。それは素直にありがたい。


「それと聖噴水だけど、今は普通に作用してるっぽいよ。マギの不足も感じないし」


「……マジで?」


 それは不可解だ。昨夜、聖噴水に異常が生じていたのは俺だけじゃなくコレーもそう認識しているんだから間違いない事実。それがたった数時間で元通りになるものなのか?


 聖噴水の不具合自体が極めて稀な事例。城下町でそれが生じた後、誰もその修復方法について語れる人間はいなかった。つまり方法自体がないって事だ。


 唯一の例外――――調整スキルを除けば。


 まさか、俺と同じスキルを持っている人間がいるのか?


 もしそうなら、一番可能性があるのはフレンデリアだ。転生特典で俺と同じ能力を受け取っていても不思議じゃない。


 だけど……コレーの話だと蜘蛛鳥以外にモンスターが気付いていた様子はなかったらしい。って事は、この数時間の間にフレンデリアが聖噴水の不具合に気付く機会があったとは到底思えない。コレーみたいにマギを感知できる能力もないだろうし。


 だったら、故障寸前の家電みたいに偶に不調になって勝手に正常に戻るパターンとか? 一応これもないとは言い切れない。


「何にしても、要観察ってトコだろね。市長には話しておいた方が良いけど、果たして信じて貰えるかどうか」


「私も一緒に証言したいけど、私はモンスターが襲ってきた時は意識なかったから説得力がないよね……」


 イリスの言うように、実際に聖噴水の効果が弱まっていたのを体感したのは俺と精霊だけだ。しかも既に元通りになっている。そして俺はこの街の市長から何の信頼も得ていない。報告する事自体は問題ないけど……信じては貰えないだろうな。


「話は聞かせて貰ったよ!」



 不意に――――勢いよく扉が開く。



「トモ、その件は私に預けてみない? 悪いようにはしないから」


「……コレット?」


 今日、このミーナに聖噴水の定期調査のため冒険者が来るのは事前にアヤメルから聞いていた。でも調査目的でギルマスのコレット自ら来るとは……


「つーかお前、明らかに出てくるタイミングを窺ってただろ。いつから話聞いてた?」


「~♪」


 コレットはすっ惚ける為の口笛が無駄に上達していた。





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