第408話 イリスチュア

 魔王を倒す事が出来る13の武器。しかしそれらは全て穢されてしまい、その特性を失ってしまった。


 そんな十三穢の一つとされる灰光リリクーイ。その夢が具現化したのがイリスの正体だと言うのなら、彼女の生い立ちは間違いなく普通の人間とは大きく異なるんだろう。


「ね、マスター。私には子供の頃の記憶がないって話したの覚えてる?」


「勿論。12歳より前の事を全然覚えてないんだろ?」


「わ。嬉しいな、ちゃんと話聞いてくれてたんだ」


 そりゃ普通の身の上話じゃないし忘れようがない。記憶喪失なんて創作物ではよく見かける話だけど、実際に体験している人は初めてだったし。


「私がどんなふうに生まれて、どんなふうに育てられたか想像できる?」


「いや……見当もつかない」


 少なくとも人間の両親の間に赤ちゃんとして生まれたとは考え難い。そもそも両親なんて存在もないだろうし。強いて言えばリリクーイが親みたいなものだけど、何処ぞの聖剣や魔剣や日本刀やソーディアンみたく喋ったりはしないだろう。


「ある日突然、この姿で世界に出て来たんだよ。ポンって」


「……マジで?」


 それは妙だ。だってティシエラと幼なじみなんだろ? 今の姿で子供の頃のティシエラと知り合ったって言うのか? 幾らなんでもそれは……


「そもそも12歳以前の記憶がないのに、なんでそんな事がわかるんだ?」


「自分の記録を付けてるんだ。日記みたいな感じで」


 ああ……成程。記憶を失う前の日記を読んで補完したのか。


 とはいえ、それは記憶に関する話であって、ティシエラと知り合った過程の矛盾は解消されていない。生まれた瞬間からこの姿だと言うのなら、ティシエラとは相当な外見上の年齢差があった筈。なのに何の疑問も持たず今まで一緒にいたって言うのか?


「生まれた頃の私はね、人間として生活できるだけの知恵を持ってたんだって。文字の読み書きも、言葉を話す事も出来たみたい。きっとリリクーイが所有者から得た記憶が反映されたんだと思う」


「じゃあ、その姿も……」


「うん。多分だけど、こういう容姿だったんじゃないかな?」


 武器に記憶があるってのも不思議な話だけど、それを言い出したら武器の夢が具現化するって時点でファンタジーが過ぎる。でもそれ以前に転生なんてカマしてる時点で俺自身がファンタジック極まりない存在なんだよな……信じない訳にもいかないか。


「だから生活する事自体は出来たんだけど、何をしていいのかとかは全然わかんなかったっぽくて。当然だよね。だって『輝きたい』って衝動はあっても、どう輝けば良いのかなんてわかりっこないんだもん」


「物心ついたばかりの子供みたいなものか」


「そそ。目的とか目標なんて全然なくて、ただ毎日したい事をして生きてる……みたいな感じ?」


 子供の頃の記憶かあ……一応、断片的にだけど幾つか残っているな。初めて買ったパンがシュガーコーティングのデニッシュパンだったとか、初めてやったゲームが後年伝説のクソゲーと言われる事になるシューティングだったとか。あの頃はこれからどんな大人になりたい、みたいな事は全く考えてもいなかった。ただ日々を精一杯生きていた。


「でも、金とか全然持ってなかったんだろ? 住む場所も。どうやって生活してたんだ?」


「人里を離れて森の中で。食事も必要なかったみたい」


 そうか。どれだけ人間っぽい見た目でも中身は夢なんだから、人間の尺度で計れないのは当然だ。夢が栄養補給する必要ないもんな。


「でもね。暫く生きていく内に身体はどんどん小さくなって、お腹も空くようになったんだって」


「……?」


「多分だけど、身体が人間になろうってしたんだと思う。だから生まれてから経過した時間に合わせて人間の子供の見た目になってったんじゃないかな」


 それは……人間社会に適応する為の変化、なんだろうか? 俄に信じ難い話だけど、元々が形も何もない夢なんだから変化する事自体はあり得なくもないか。


 その変化が誕生から何年後に生じたのかはわからないけど……仮に三年だとしたら、通常の人間の三歳児になろうとしたって事になる訳か。勿論本人の意志じゃなく身体が勝手に。


「変化は結構ゆっくりだったみたい。少しずつ小さくなっていって、その内に森の中で生活するのは難しくなって……この街に辿り着く頃には、もう子供の姿になってたんだって」


 そういう事なら、ティシエラと出会った時点でもう同い年くらいの見た目になっていたんだろう。一応、さっき生じた疑問については解消された。


「それからは孤児として子供のいない夫婦に引き取られて、そこで人間の子供として育てられて……」


「ティシエラと出会ったんだな」


 俺の言葉に、イリスは少し微笑みながら頷く。という事は結局、実年齢もティシエラと同じくらいなのか。


「それからは普通の人間として生きて来たんだけど……12歳の時にちょっとした事件があって」


「事件?」


「ティシエラとケンカして、プライマルノヴァを使われちゃった」


 ……なんだって?


「あの魔法は人間の感情をリセットする効果があるんだけど、私の場合、記憶までリセットされちゃったみたい。っていうか多分、人格ごと消し飛んだんだと思う」


「よくわからない話だな。その理屈だとイリスの人格と人間の感情が同一のものって事になる」


「んー……私も確証は持ってないんだけど、私の人格ってリリクーイの記憶にある『人間の感情』をベースに作られたものなんじゃないかな。だってリリクーイ自体に人格も感情もないから、所有者の情動全般が基礎になる訳でしょ?」


 成程。確かにその理屈なら人格がリセットされても不思議じゃない。


 そして人格が消えれば当然記憶もなくなる。ティシエラがそんなつもりでプライマルノヴァを使ったんじゃないのは明白だけど、結果的に悪霊に聖水ぶっかけたような事をやっちゃったのか。


「その時は大変だったんだよねー。今の姿に戻っちゃって。でも日記を読んだら翌日には12歳の姿に戻って助かったみたい」


「順応早いな」


「夢なんてそんなものだよ」


 まあ、言われてみれば夢の中ってどんな荒唐無稽な世界観でもなんか不思議と受け入れてたりもするよな。成程、あれって夢自体が高い順応性を有してるからなのか。


「夢ってね、簡単に受け入れて貰えるんだよ? ちょっとした矛盾とか綻びくらいなんて事ないんだ。それって凄くありがたい事かもしれないけど……虚しくもあるんだよね」


 ああ……そういう事か。ようやくイリスチュアって存在を理解できた気がする。


 恐らくイリスはこれまで何度も綻びを見せて来たんだろう。人間じゃない事がバレそうになる失態も、もしかしたら何度かやらかしていたのかもしれない。


 でも夢であるイリスは極めて高い順応性を有しているから、その度に周りが勝手に受け入れていく。勿論、ティシエラをはじめ周囲の人々はイリスが夢なんて知りもしない。でも無意識下でイリスの存在を受け入れようとしてしまう。


 それは便利な事かもしれない。本来なら大変な思いをして勝ち取っていく信頼を、性質として生まれ持っている訳だからな。本人も言っていたようにありがたい事なんだろう。


 だけど……そのご都合主義体質は、人間じゃない確固たる証でもある。それを実感する度にイリスは自分が周りとは違うと思い知らされる。


 何より、自分に向けられる好意や信頼は全て『夢として生まれ持った資質』に起因する可能性がある訳で、自分の努力や成果で得たものとは思えなくなってしまう。これは……かなり辛い。


「もしかしたらティシエラが私の記憶を消したのもさ、それが原因かもしれないって思うんだ」


「自分の順応性が招いた事態だって言いたいのか?」


「わ、凄い。今のでわかってくれるんだ。やっぱりマスターってティシエラと少し似てるかも」


 そう言われて悪い気はしないけど、浮ついた気分にもなれない。余りにも悲観的過ぎる解釈だ。


 イリスには世界に対する高い順応性が備わっている。だから"ティシエラが偶然使ったプライマルノヴァで運悪く人格が消し飛んだ"じゃなくて、"人格を一旦リセットする何らかの必要性が生じたから、そうなるよう運命の力が働いた"って考え。宿命論のようなものだ。


「勿論バカバカしいなって思うよ? だけど、私の存在そのものが超常的っていうか、本来あり得ないものだから……」


 イリスの苦悩がありありと浮かび上がる、そんな考えだ。


 自分は人間じゃない、人間を超越した高尚な存在――――そんなふうに捉えられるほどイリスは良い思いをしてきた訳じゃないんだろう。


 特別優れた能力が備わっている訳でもなければ、選ばれし者なんて言って讃えてくれる奴もいない。ただ逸脱している。そんな出自じゃポジティブに捉えろって方が無理難題だ。


 エルリアフも似たような苦悩を味わってグレたんだろうか。まあ、仮にそうでも同情の余地はないけどな。


「ごめんね長々と。自分語りなんて初めてだから緊張しちゃって」


「緊張? そんなのしてたのか」


「あはは……やっぱり少しは怖いよ。自分が人間じゃないってカミングアウトするの。でもマスターには大分前から怪しまれてたし、スッキリもしたかな」


 イリスは力なく笑う。俺がフレンデリアに転生の件を話したような安堵感は余りなさそうだ。


 斯く言う俺も、それを打ち明けられたからといって特別な意識や感情を抱く事はない。本人も言っていたように隠し事があるのはわかっていたし、その種明かしをされたって感覚だけだ。


「俺個人の受け取り方なんだけど、正直イリスが人間か人間じゃないかってあんまり関係ないんだよな」


「……そうなの?」


「そう。俺にとって重要だったのはイリスが何をしたいのか。それ如何では倒す事も視野に入れてたんだけど」


「酷っ! それ正体がモンスターだった時の対処法!」


 まあ、そうですね。否定はしません。その可能性も多少は考慮してました。


「はー……変わっちゃったねマスター。私が城下町ギルドにいた頃のマスターはさ、私がちょっと話しかけただけで顔赤くして緊張してるの丸わかりだったのにー。女の子に囲まれる生活してるから、私なんてどうでも良くなっちゃったんだね」


「人聞きの悪い事言わないで貰えますか?」


 あの突然の失踪と再登場を契機に、高嶺の花への緊張より不信感が勝ったからな。事情を知った今となっては不信感こそ拭えたけど、今更あの頃のパワーバランスに戻る事もないだろう。


「別に俺からどう思われても構わないだろ? それよりティシエラにどう思われるかの方がずっと大事なんじゃないのか。さっきも言ったけど、素性を明かしてお互い本音で話せるようになった方が良いと思うんだけど」


「出来ないよ。ずっと欺かれてたって思われるだけだもん」


「いや。あいつの場合それより見抜けなかった自分を不甲斐なく思って凹むと思う」


「……」


 特にドヤ顔で言った訳でもない俺の見解に対し、イリスは生涯最もヘタクソに焼いてしまった目玉焼きみたいな目を向けてきた。


「はぁ……やっぱり敵わないや。マスターってどうしてそこまでティシエラを理解してるの? やっぱり愛?」


「違げーよ。イリスだって自分の事じゃなかったら簡単に辿り着く結論だと思うぞ」


 今のイリスは自虐モードだから、どうしても悪い方に思考が偏ってしまう。その気持ちは俺もよくわかる。


「だったら私の事は理解してる?」



 不意に――――イリスは顔を近付けてきて、拗ねたような顔で試すような事を言ってきた。



「マスターに質問です。私がどんな気持ちでマスターを直そうとしてたか100文字以内で答えなさい」


「え……んー、ギルドから暫く離れなきゃいけないから俺を直す事で間接的にティシエラの力になろうとした」


「残念。75点」


 いや、割と良い点数じゃない? 俺的には満足なんだけど。


「一応聞くけど、残り25点は?」


「私がマスターを元気にしたら、ティシエラがどんな反応するのか見てみたかった」


 結局ティシエラ至上主義なんじゃねーか! 点数渋いぞ!


「……多分ね、主張したかったんだと思う。私はティシエラの味方だよって」


「今更? なんでまた」


「私が私を信じられないから」


 そう答えたイリスは、俺から露骨に視線を逸らした。まるで今の顔を見られたくないと言わんばかりに。


「どうして私が自分をリリクーイの夢だって認識してると思う?」


 ……言われてみれば不思議な話だ。リリクーイに直接そう伝えられた訳じゃないだろうし、誰かに教えられたとも思えない。


「別の十三穢の夢から指摘されたとか? それこそエルリアフにでも」


「ううん。私達はね、自己同一性を生まれた瞬間から持ってるの。だから最初から自分が人間だとは思ってなかった。人格がリセットした時も、その認識だけは持ち続けてたくらいなんだよ」


 つまり、生まれた瞬間から自分が何者なのかを理解している訳か。


 いや……


「私達はどれだけ現実逃避しようと入念に思い知らされるの。夢に過ぎない存在だって」


 理解させられてしまう。


 表情は見えなくてもイリスの辛苦が伝わって来るくらい、その言葉には彼女の切実な恨めしさが込められていた。


「夢ってさ、いつかは消えちゃうでしょ? リリクーイがどういうつもりで私を生み出したかなんてわからないけど、輝きたいって目的を果たすか諦めるかしたら、多分消えちゃうよね」


 諦観すら生温い、達観の境地。


「だからきっと、それが私の寿命」


 イリスは……そんな気持ちで生きているのか。


 普通の人間は生命活動を絶たれたら死ぬ。それは老衰かもしれないし、病気かもしれないし、負傷かもしれない。何にしても死に至る素因があって初めて寿命は尽きる。


 でもイリスの場合、自分に何一つ死の予兆がなくても、リリクーイが夢から覚めた瞬間に消えてしまう。いや実際にそうなるのかは確認のしようがないんだけど、夢ってのはつまりそういうものだ。


 それこそ次の瞬間、あっという間にいなくなってしまうかもしれない。実際、自分や自分の大事なものが輝けないと感じただけで消えてしまう。極めて不安定な存在だ。


 そんな中で生きている。生きて……ティシエラやソーサラーギルドの為に頑張っている。


 わかった。ようやく腑に落ちた。ずっと感じていた、イリスに対する違和感の正体が。


 ずっと胡散臭さだと思ってた。突然いなくなって突然現れて、その理由を明かさない。それを不審に思っているとばかり自認してた。


 でも違ったみたいだ。



 本当の違和感は――――




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