第五部05:無休と無窮の章
第407話 因果の切断
「――――当たり前の事だが時間は不可逆だ。戻すなんて絶対に出来ない。例え我でもな」
それは承知の上だった。
だから驚きはないし、受け入れる事は容易に出来た。
「勿論わかってる。その上で聞いてるんだ」
だけど納得する訳にもいかなかった。
「この惨劇よりも前の時間軸に俺だけでも移動する方法が存在すると思うか?」
「不可能だと言ってるだろう。対象が世界そのものだろうとお前一人だろうと同じ。時間は決して戻らない。この滅びた城下町が確定した景色だ」
いい加減受け入れろ、と魔王は言っている。そのセリフだけを聞くと奴が城下町を滅ぼしたかのようだ。何しろ魔王だからな。そういうイメージになるのは致し方ない。
「お前が悪い訳じゃない。お前が不在だったから、我がお前の作戦にハマって長い間拘束されていたから……そんな理由で滅びた訳じゃない。これは因果だ」
「因果……? それで納得しろってのかよ」
「納得云々の話ではない。直接的な原因は聖噴水の涸渇。その理由をお前が事前に特定できていたとしても、恐らく別の原因で城下町は滅びていただろう。我が自由に動けたとしてもだ」
「運命とでも言いたいのか?」
「近いニュアンスでは言っている。だが厳密には違うな。城下町が滅びる原因は無数にあって、偶々その一つが聖噴水のトラブルだっただけに過ぎないと言っている」
「それが……人為的なトラブルでも?」
「そうだ。寧ろその方が因果という言葉に当てはまる。結局、人間を滅ぼすのはいつの時代も人間という事だ」
この魔王は、まるで自分がその因果の外にいるような物言いをする。だけど……恐らくそれが真実なんだろう。
城下町は滅びる。その素因が無数にあるから。
魔王を食い止めれば世界は救われると思っていた。魔王さえ俺が……俺の虚無結界が打ち砕かれなければ、平和な時代が続くと思っていた。
でも違う。この魔王は寧ろ世界を俺たち人間に任せていた。魔王がいたから人間は繁栄し、今の世界を構築できたとさえ言えるのかもしれない。
俺は間違っていた。魔王と永遠に戦うなんて考えるべきじゃなかった。
話が通じる魔王もいる。何なら気が合う事だってあり得る。その可能性を一切考慮していなかったのは俺の……人間の驕りだった。
「なら、人間を救うのも人間がやらなきゃな」
間違いを犯したなら、取り返さなきゃならない。
取り返しが付かない事だとしてもだ。
「この世界の中で時間を戻せないのはわかった。でも、別の世界に移動した場合はどうなる?」
「……あん?」
「俺が別の世界に行って、また戻ってくる。その戻るポイント……時間軸は必ずしも出発地点と同じとは限らないだろ? それよりも前に戻る事が不可能とは言い切れないんじゃないか?」
それは苦肉の策だった。
別の世界なら、この世界と時間軸と共有する訳じゃない。なら一度異世界へ行き、この世界の理から外れて前の時間に戻ってくる事は、少なくとも絶対に出来ないとは言えない筈だ。
「簡単に言うが、そんなの試す事すら不可能だ。お前の言う別の世界ってのは精霊界を指しているのか? それとも精霊界があるのなら他にも異世界が存在するって希望的観測なのか。何にしても、その異世界があったとしてそう都合良く移動手段が存在するとは思えん。まして再び舞い戻ってくるなどご都合主義の極みだ」
「そうでもないさ」
俺は――――知っている。
「お前と戦った時に使った虚無結界、あれは異世界の『虚無』を原動力にしてたんだ。この世界には、違う世界からの移住者……転生者がいるから、そいつから譲り受けた」
「……何だと?」
異世界は存在する。
虚無結界を開発する過程で、俺は転生者の存在を知った。そして彼らが住んでいた世界はこことは全く違うって事も。そういう異世界が複数……恐らく無数にある事も。
「……ハッ。道理で我の叡智をもってしても看破できねー結界な訳だ。どんな発想だよ」
「魔王を倒す武器はない。封印する手段もない。なら魔王の攻撃さえ完璧に防ぐ手段を模索する。それがこの世界にないのなら、違う世界の存在を模索する。そこに活路を見出す。普通の発想だろ?」
「何処までも諦めの悪い奴のイカれた発想だろ。全く……これだから人間は訳わからん。平気で常軌を逸するし、それを恥とも思わんのだからな」
「思ってるよ」
俺がしている事、して来た事は悉く外法だ。そんな事は理解している。
そして、これからもそうやっていくんだろう。
「仮に……そのフザけた思いつきが実現可能だったとして、過去に戻って何をする? この街が滅びる全ての素因を見つけ出して排除するとでも言うのか?」
「ああ」
「何百年、下手したら何千年がかりだ。それでも下手すれば手掛かりすら掴めんかもしれんぞ?」
「元々、お前と永遠に戦い続けるつもりだったからな。一万年以内で終わるのなら楽なもんだ」
当然、強がり以外の何物でもない。
それでも――――魔王は愉快そうに笑いを噛み殺していた。
「そこまでして、この街に尽くす理由は何だ」
「幸せになって欲しい人が沢山いるからだよ」
大層な理由も高尚な思想も何もない。
「陳腐な理由だ」
本当にその通りだ。
「……虚無結界を使え」
「?」
「お前との戦いで散々思案した所為で、我は開発者のお前よりあの結界の性質を知り尽くしている。あれは因果の切断だ」
因果の切断……そんな理屈で作った結界じゃない筈なんだが。
「恐らく虚無とやらが因果を切断する性質を有している。故にだ、あの結界にはあらゆる原因と結果が結びつかん。その上で『守る』って結果だけが固定されている。言うなれば防衛という概念がそのまま結界になった感じだ」
「概念系結界だったのか、あれ」
「開発したお前は、虚無を絶対的なエネルギーのように扱っていたのだろうがな。実際は真逆だ。究極の相対、とでも言うのだろう。何にせよ、あの結界で素因を守れば街が滅びる因果を切り離せるやもしれん。素因となる者に結界を渡せ。譲渡くらい出来るだろう?」
「……多分」
俺自身が使う前提で開発した結界だ。他人に譲渡する事は想定していない。
でも、出来ないとは言えない。
「助言ついでにもう一つ教えてくれないか?」
「なんだ」
「この世界で一番、異世界の存在に詳しそうな奴を紹介してくれ」
「……お前は魔王を何だと思ってるんだ?」
「戦友」
不思議と、そんな言葉が頭に浮かんだ。
「実際、俺の人生を全部ぶつけた相手だからな。戦いの合間に何もかも話したし」
「戦友か。戦友なあ」
「不服なのはわかってるよ。でも俺の――――」
「いや別に。そう思うなら勝手に思ってれば良い」
魔王に友達がいるとは到底思えない。でも、魔王に友情なんてものが存在しないとは誰も言い切れない筈だ。
俺ほど魔王と戦った奴も、長く対話した奴もいないだろう。だったら俺が友達でも何ら問題はない。
「ま……存外悪くないかもしれん」
もしかしたら、そんなふうに思っているのかもしれないな。
「異世界云々の話、心当たりがない事もない。だが過度な期待はするなよ?」
「他に手掛かりは何もないんだ。それはもう死ぬほど期待させて貰うさ」
「……クク」
魔王が笑う。俺も笑う。
多くの犠牲者を前に絶望感に苛まれていても、そんな感情が湧いてくる。
これも俺の業だ。
だけど今はそれが必要でもある。
前へ進む為には後ろめたさも必要だ。
これからも、どんな事が待ち受けていようと変わらない。
やる事は一つだ。
アインシュレイル城下町を守る。ここに住む人々を守る。
守れなかった人達を守る。
その為に魔王と手を組んで世界を行き来するくらいのスケールが必要なら、それが実現できる存在になってやる。
身の丈なんてとっくに――――――――
「――――……?」
霞がかかったような白さ。
視界なのか意識なのか、それすらもわからない。少なくとも朦朧としているのは確かだ。
確か俺……温泉宿での宴会が終わって、真夜中だってのに違う宿に向かったんだっけ。
だったらこれは温泉の湯気か? でもこんな濃い湯気じゃなかった気がする。もっとハッキリと見えていた。
何が見えた?
……そうだ。裸を見たんだ。綺麗な女性の裸だった。
一体いつ振りだろう。街外れの泉でコレットとルウェリアさんの裸を見て以来か。でもあの時は全部見えた訳じゃないし、厳密には――――
「大丈夫? マスター」
「……」
その声で、ぼやけた景色が一瞬にして鮮明になった。
「服着てる」
「あはは。そりゃ着るよー」
俺本人の事のつもりだったけど、イリスは自分に向けられた冗談だと解釈したらしい。いちいち釈明するのも億劫だし言及は控えよう。
……どうやらここは浴場じゃないみたいだ。そしてイリスも、半透明でも半裸でもなく見慣れた姿に戻っている。そして視界がクリアになった事で、ここが宿の一室なのもすぐに理解できた。
どうやら俺は浴場で倒れてしまったようだ。そこから後の記憶が全くないし。
「コレーは?」
「あの精霊さんなら、マスターをここまで運んでどっか行っちゃった。何かする事があるんだって」
なんだろう。亜空間に送り込んだモンスターの死骸を掃除するのかな。想像するだけで具合が悪くなりそうだ。
まあ今は考えても仕方ないか。暫くすれば戻ってくるだろう。
「ここってイリスが泊まってる部屋……で良いんだよな?」
「うん。同行者はいないから心配しなくて大丈夫だよ」
「それもあるけど……まあいいや」
「?」
いやね、このシチュエーションなら膝枕くらいされててもバチは当たらないと思うんですよ。なんかフツーに敷布団もない床に転がされてますけど。扱い雑じゃね?
まーいいや。ありがたいものを見させて頂いた訳だし。それに恐らくコレーが服を着させてくれたお陰で最悪の事態も免れた。全裸を見られるくらいは仕方ない。これ以上は贅沢が過ぎるってもんだ。
「ごめんねマスター。話は精霊さんから聞いたよ。私が逆上せて倒れた所為で大変な目に遭わせちゃって……」
どうやらイリスは俺の酒気に酔ったんじゃなく温泉の熱にやられたと解釈したらしい。まあ別にそれでも不都合はないし、訂正する必要もないだろう。
「イリスの所為じゃない。実際に戦ったのはペトロやコレーだし、言うほど俺に負担はなかったんだ」
「ううん。私の所為だよやっぱり。マスターが壊れてるのはわかってたのに、直すどころか自分が先に倒れちゃうなんて……こんなだからティシエラも私を頼れないんだよね」
自嘲気味にイリスは笑う。俺に裸を見られた事に対する言及が一切ないのは気になるけど、それを口に出せる空気じゃないな……
「マスター。身体起こせる?」
「ああ。大丈夫大丈夫」
上体を起こして手をニギニギし、力が入るか確認。どうやら問題なく全身動かせるみたいだ。痛みや違和感もない。
ならいつまでもイリスの部屋にいる訳にはいかないな。
「それじゃ」
「え? なんで出てくの?」
「いや、だって夜が明ける前に出ていかないと……」
言いながら部屋の扉を開けると――――穏やかな空気と柔らかな日差しが身体を包み込んできた。
夜明けどころじゃないですね。完全に朝ですね。
朝帰り確定です。
「……」
どうしよう。もうギルドの連中絶対目を覚ましてるよな。そして俺がいないと気付いてる筈。フロントに尋ねたら『真夜中に別の宿へ向かいました』って答えが返ってくるもんな。
そして、俺がイリスと約束していた事はシキさんが知っている訳で……
「終わった」
「え?」
「イリス、今までありがとうな。ティシエラには宜しく伝えておいてくれ。何一つ後悔のない人生だったって」
「そんな爽やかに朝日を背負って遺言を言われても……だ、大丈夫だよ多分。何もなかったよーって証言しても良いし」
俺の事を散々壊れていると言ったイリスが気を遣うこの状況。何なら今まさに壊れたよ。俺の第二の人生が。
「だって実際何もなかったんだから。そうだよね?」
「は、はい……」
目が怖い。冷静さを欠こうとしている人の目だ。
要するに『昨夜の事は忘れて』って言いたいんだな。道理で言及がない訳だ。俺にとってもその方が都合が良いし従うとしよう。
「うんうん。マスター偉い! そういう訳だから、もうちょっとお話しようよ。この時間帯に帰るより昼前くらいの方がトラブルに巻き込まれた不幸感が強まるでしょ?」
とてもそうは思えないけど、これだけ引き留めるって事はまだ積もる話があるんだろう。実際、昨夜は中途半端な所で邪魔が入ったしな。一旦腰を下ろすか。
「……私が温泉にマスターを誘ったのはさ、そこでマスターのマギを直す為だったんだ」
「そう言えば、ヤンデレっぽくそんな事言ってたな」
今にして思えば、あの時にはもう酔いが回ってたんだろうな。目が据わってたのは酒気の影響だったか。難儀な体質だな。
「でも温泉でマギを治すってどういう理屈なんだ? 身体を温めて血流良くしたり患部を解したりするのとは訳が違うよな」
「うん。お湯に浸かっただけじゃ効果はなくてね。聖なる力を適温で、きめ細かく染み込ませるのが大事なんだ」
……なんかシワとかシミの対策みたいな話だな。マギを改善させるのって美容と同じ理屈なの?
でも言われてみれば、美容だって毛穴汚れとか肌の不純物を取り除いて正常化する作業だもんな。対象が肌かマギかの違いって考えると割と妥当かもしれない。
「聖なる力をマギに浸透させる事で、マギの自浄作用を促すって感じかな。私、一応リリクーイの夢だから聖なる力が少しだけあるし、それを気化してマスターのマギに浸透させようって思ったんだよね」
「気化ってどうやんの?」
「体温を上昇させたままの状態を長時間保つの。そうすればジワーって出てくるみたい」
そんなダシでも取るかのように……まあ水の気化とは訳が違うのは何となく想像付くけど。
「時間は全然足りないけど少しの間は浴場で一緒にいたし、応急処置くらいにはなったんじゃないかな」
「言われてみると、少し肩が軽くなったような……」
「あはは。それは普通に温泉の効果なんじゃない?」
ようやくイリスの表情が柔らかくなった。良かった良かった。俺への厚意でしてくれた事に対して落ち込んでいる姿は見たくないしな。
いや……厳密にはティシエラに対する厚意か。
「この方法でティシエラを癒やす事は出来ねーの?」
「それは無理。ティシエラの疲弊はマギの乱れが原因じゃないから。それはマスターの役目なんだよ、きっと」
「そんな事はないと思うけどな」
だから俺も別にイリスを励ますつもりはない。思った事を言うだけだ。
「ティシエラに自分の正体は明かしてないんだろ? それを明かして、突然いなくなった理由を明らかにするだけでも十分ティシエラの気持ちは軽くなるんじゃないか?」
「出来ないよ。ずっと一緒だった子に自分が人間じゃないって言える?」
俺を責めるでもなく、イリスは諦観と悲観を織り交ぜたような目で静かにそう告げた。
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