第406話 布一枚

「ふーっ……」


 自然と安堵の息が漏れる。まさか温泉に入っていてモンスターに襲われるなんて夢にも思わなかった。


 にしても発見されたのがこのスケベ鳥、それも単体で助かったな。終盤の街周辺のモンスターの割に大して強くない上、倒した経験があるから恐怖も感じなかった。


 ラッキーだったのはそれだけじゃない。多分あの糸を食らってたら身動き出来なくなって無抵抗のまま殺されていただろう。ギリギリの所で聖噴水に救われたな。


「つーかここ街ン中だろ? なんでコイツ等が入ッて来れンだ?」


「多分だけど、聖噴水の効力が弱まってるっぽい。あ、ここ城下町じゃないからな。ミーナって鉱山都市」


「確かにマギが弱い気がすンな。ヤベー事になッてンじャねェのか?」


「……かもな」


 取り敢えず目前の危機は去った。でも根本的な問題は何も解決していない。


 ペトロを喚び出した事でモーショボーは人間界から一旦消えた。喚び出せるのは翌日以降だ。


 つまり今、イリスは脱衣所で一人。どういう状態なのかはわからない。


 ……どうする?


「フン。ちャンと危機感は持ッてるみてェだな」


 現状、考えられるのは3パターンだ。


 ①イリスの着替えは完全に終了していて意識は回復できていない

 ②イリスの着替えは中途半端なままで意識は回復済み

 ③イリスの着替えは中途半端なままで意識も回復できていない


 もし着替えが済んで意識が戻っているのなら、例え酔っていてもモーショボーが消えた事を不審に思って戻って来ている筈。そうじゃないって事はこの3つしか考えられない。


 ②なら特に問題はない。自力で着替えて暫くしたらこっちの様子を窺いに来るだろう。


 問題は①か③の場合だ。深刻な原因で意識朦朧としていた訳じゃないとはいえ、脱衣所で寝ている間に湯冷めで低体温症になっている恐れもある。間違いなく暖房なんてないだろうし。


 だからすぐにでも確認する必要があるけど、俺がそれを行うのは紳士協定に反する。『さっき全裸を見たんだから今更問題ないでしょ』とはならない。当たり前だが。 

 

 勿論ペトロにもそんな事はさせられない。フワワかコレーに頼むしかないんだけど……さてどうしたもんか。


 手際の良さを優先するならコレーだけど、男に化けてた所為で微妙にそのイメージ引き摺ってるんだよな。実際『男になりたかった』とかほざいてたし、少し抵抗を感じる。


 その点、フワワなら大丈夫。ただ彼女は不器用な所があるからイリスを着替えさせるのに手こずるかもしれない。それに、着替え終えてからイリスを部屋まで運ぶのにも腕力が足りない。


 となると――――



「おい総長。えれェ事が起きてンぜ」


「え?」


 不意に危機感を宿したペトロの声が聞こえ、慌てて視線を合わせる。ペトロの向いていた方角は……上だ。



 上空に鳥の大群がいた。

 


「嘘だろ……?」


 まさか、今やっつけたこの蜘蛛鳥が呼んだのか? 確かに鳴き声らしきものは発していたけど……


「結界が弱くなッてるッてバレたンだろうな。どうする? ざッと見る限り50は下らねーぜ」


「……」


 シャレにならん。1羽でも危なかったのにその50倍以上って……


 雑魚の割に終盤の街付近をウロついてるのは数の暴力があるからなのか。初日に遭遇した時の6羽はまだ全然マシな方だったんだな。


 一応、まだギリギリの所で結界の効力は保っている。でも聖噴水の結界は物理的にシャットアウトする訳じゃなく、モンスターが嫌がって近付けないマギを発しているって感じだ。だから遠距離から毒液や糸を吐かれたら普通にヤバい。しかも50羽以上いる奴等が一斉に仕掛けて来たら打つ手なしだ。


 逃げる、って選択肢もある。だけどここで俺達が逃げたらこの宿をはじめ街の至る所に攻撃をされかねない。それは避けたい。


「ペトロ。あの数を一度に相手に出来るか?」


「無理だな。オレにャ空中に移動する手段も攻撃方法もねェ。天敵とまでは言わねーが相性は良くねェな」


 強がらず冷静に分析してくれたのはありがたい。となると……迷ってる場合じゃないな。


「わかった。今日はありがとう」


「おゥ。いつでも力になンぜ」


 ペトロにもプライドがある。敵を前にして事実上の戦力外通告を受けたんだから多少なりとも不本意な気持ちはあるだろう。でもそれを抑えて爽やかな返事をくれた。


 本当にありがとう。心からの感謝を。


「出でよコレー!」


 ペトロに代わって喚び出したコレーは、栗色の長い髪を靡かせ穏やかな顔で現れた。


 こいつも恐らく遠距離攻撃は持っていない。でも俺が使役できる精霊の中では間違いなく一番強いし、あの大群を一層できる手段は一応ある。


「随分な時間に喚び出してくれるね。用件は……ああ、成程ね」


 流石、マギの事は感覚的にわかると豪語していただけの事はある。一瞬で聖噴水の効力が弱まっている事を理解したみたいだ。


「でもボクで良かったのかい? あの数を一網打尽に出来る攻撃手段は持ち合わせてないし、亜空間送りにするにも飛んでる相手全員に条件を紐付けするのは難しいよ?」


 俺も体験したけど、特定の生き物を亜空間へ飛ばす為には条件と制約が必要だった。俺の時は『テントから出る』だったか。でも上空を飛ぶあの鳥モンスター全部となると、その条件付け自体が不可能だろう。


 そんな事は百も承知だ。でもこの状況で唯一対抗手段があるとすれば、コレーの能力しかない。


 俺やティシエラを散々惑わせてきた、あの力だ。


「向こうの脱衣所にソーサラーのイリスがいる。恐らくまだ意識がハッキリしていないと思う」


「了解。理解したよ」


 状況説明だけで俺の意図を察したらしく、コレーはすぐに移動を始めた。


 皮肉だもんだな。あれだけペトロとの阿吽の呼吸や意思疎通に憧れていたコレーが、俺とは余裕でそれが出来ている。全く嬉しくはないだろうけど……


 この状況を打破する鍵を握っているのはイリスだ。ソーサラーのイリスなら遠距離攻撃はお手のもの。広範囲魔法なら一撃で多くの蜘蛛鳥をやっつけられるだろう。


 だけどイリス本人は酔いが回っている所為でまともに動けないと予想される。そこでコレーの妖術【身体占拠の秘法】の出番だ。


 コレーは対象に触れる事でその肉体を占拠できる。その事を了承して貰う、若しくはコレーに対して好感を抱いている者ほど操作しやすいと言っていたけど、そうでない相手でも長時間触れ続ければ肉体操作は可能だ。


 今のイリスから了承を得る事は難しいし、イリスがコレーに対して好感を抱いているとは考え難い。だから少し時間は必要だろうけど、イリスの身体を借りる事が出来れば勝機は十分にある。


 とはいえ、その前に一斉攻撃を受けたらアウトだ。コレーが戻ってくるまで時間を稼がなきゃならない。


 どうすれば…… 


「ギョギョーッ」


 ん?


 ああ、そう言えばポイポイを召喚したままだったな。精霊と違って他の奴を召喚しても消えないんだから当然だ。


 ……同じ鳥類か。


「ポイポイ。あのモンスター達と会話とか出来る?」


「ギョッ」


 会話は無理か。まあ明らかに分類体系から違うもんな。同じ人間でも国が違えば言語は異なるし。


「なら意思の疎通は? ジェスチャーとか」


「ギョイッ」


 おお、それならイケるのか。流石ポイポイ。俺が知る中で最もラッパーな鳥類なだけはある。


「だったら、こう伝えてくれないか? 『大人しく待ってれば女性が入ってくるぞ』って」


「ギョイギョイッ」 


 ポイポイは快活な返事の直後、羽を大きく広げて求愛のポーズにも似た何らかのジェスチャーを始めた。


 ……どうやら伝わったみたいだ。モンスター達は露骨に挙動を変え、降下をやめて上空を優雅に飛び回り始めた。気の所為か『ヒュー♪』って口笛のような鳴き声まで聞こえてくる。


「サンキューポイポイ」


「ギョイッ」


 これで暫くは大丈夫だ。後はコレーがイリスの身体で戻ってくるのを待つばかり。


 ただし懸念すべき材料もある。


 奴の身体占拠の秘法は『他人に化ける』訳じゃなく、あくまで他者の身体を借り受ける能力。って事は、脱衣所のイリスの格好そのままで出てくる可能性が極めて高い。


 イリスがまだ着替えの途中、つまり半裸状態だったら……当然そのままの姿で出て来る事になる。


 これは決して目の保養を期待する浮ついた感情に基づいた話じゃない。何しろ上空にいるのは、バテてハァハァ言ってたコレットに目の色変えて襲いかかって来たあのスケベ鳥。イリスの格好がエロければエロいほど食いつき方が激しくなるのは明白だ。場合によっちゃ結界のすぐ傍まで全力で降下してくるだろう。


 さっきはギリギリの所で聖噴水の効果が生じて助かった。でも今度も同じ保証はない。興奮で我を忘れて聖噴水のモンスター厭忌効果を突破してくる事もあり得なくはない。物理的に干渉する結界じゃないからな。


 懸念はもう一つある。でもそれに関してはコレーを信じるしかない。


「ギョッギョギョッギョッギョギョッギョッ。ギョッギョッギョギョッギョッギョッギョギョッ」


 空へ向かってポイポイが謎のジェスチャーを続けている。俺の意図を汲んで期待を更に煽っているのかもしれない。まるで儀式のように舞い踊り、その大きな身体で軽やかに飛び跳ねている。


 なんて優雅な……こんな危機的状況なのに見ているだけで心が洗われる。まるでこの場所だけ時間が止まったような錯覚にさえ陥ってしまう。


 それにしてもズイブン長えこと宙にいるんだな。そして着地するやフィギュアスケートの連続ジャンプのように再度跳んで回転まで加えるあの脚力……!!


 フルパワーでジャンプしたあとあれだけの回転は並じゃできねえ。誰もそんなとこ見てやしねーだろうが……


「お待たせ」


 おおっもう来たのかコレー! はやい! すばらしくはやかったぞ!!!


 残る問題はその格好だ。服をしっかり着ているのか、それとも着替えの途中だったのか。


 振り向けば答えがわか――――


「ケキョーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」


 うわっ!! なんちゅーデカい鳴き声だ! 脳が割れる……!


 しかも明らかに蜘蛛鳥どもの挙動が変わった。物凄い速度で降りてきやがる。降下じゃなくて最早落下だ。


 ……これもう答え出ちゃってるな。振り向いたら確実にイリスの痴態が拝める訳だけど……流石に敵の大群を前にしてそんな余裕はない。


 いや……しかし……でも……クソっ……我慢だ我慢……今は敵に集中だ。


「頼むコレー! やっちゃって!」


「了解。魔法なんて滅多に使えないから派手に行っちゃうよ!」


 もう一つの懸念は――――イリスの身体を借りたコレーが果たして魔法をちゃんと使いこなせるかどうか。


 けどそれは多分大丈夫だ。


 コレーは今までも色んな奴に化けて、その度に色んな攻撃手段を試してきたんだろう。そういう戦い方が出来るのはわかっていた。だからイリスに化けさえすれば魔法は使いこなせる。そして当然、ソーサラーギルド特有の詠唱も必要ない。


 やれる筈だ。そう信じるしかない。


 背後で聞き慣れない小さめの衝撃音が聞こえて、同時に周囲が明るく光った。それが魔法を撃った証なのは見るまでもなくわかる。


 無言で上空に打ち上げられた名称も知らない魔法は……まるで土星のように環を有した球体。それが猛烈なスピードで降りてくる鳥達の群れに突っ込んで行く。


「あの環は無数の小さな粒子さ。特定の高度まで上昇すると、その粒子が全方位に向かって弾け飛ぶ。自分や仲間がいる地上ではとても使えない、対飛行系モンスター限定の魔法」


 コレーの解説通り、鳥どもの大群が目前に迫った段階で球体は止まり――――周囲の環から夥しい数の光の粒が四方八方へと弾けた。


「その名も【パーティカルパーティー】」


「ギョエーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」


 先程まで歓喜に満ちていた蜘蛛鳥の鳴き声が、一瞬にして悲鳴に変わる。放射される粒子は一粒一粒はかなり小さそうだけど、その数はとても目視できないほど。まるで巨大なスパーク花火だ。

 

 散弾銃で撃たれたかのように、蜘蛛鳥は次々と四散していく。まともに原形を留めているのは……皆無だ。


 凄まじい魔法だ。たった一発で50体以上のモンスターを瞬殺……? イリスってこんな強力な魔法が使えたのか。ティシエラ並じゃないか。


 でも待てよ。このままだとバラバラになった蜘蛛鳥が物凄い数降って来ないか? それはそれで下手な攻撃より嫌なんだけど……


「大丈夫。ちゃんと考えてるから」


 そう告げるコレーの方を慌てて見る。


 ……布一枚!!


 それも巻いてるんじゃなく左手だけで布を持って前を覆ってるだけ。当然そんな雑な隠し方じゃ全身覆い切れていない。モーショボーの奴、相当手際が悪かったみたいだな。


 だけどそれを誰が責められるものか。彼女は良くやってくれている。こんな小さなミスに目くじらを立てるなんてとんでもない話だ。


 にしても……あのスケベ鳥達が興奮する筈だ。この格好、ある意味全裸にも匹敵する……あ、コレーの姿に戻った。


「借り物の身体だと上手く亜空間を作り出せないからね。さ、ボーッとしてないでボクの後ろに」


「……ああ」


 若干の名残惜しさを強引に消化しながら指示に従うと、コレーは床に手を当てて念を送り出すような仕草を見せた。


 すると――――俺の足下を含むコレーの周辺の床面全てが一気に輝き出す。それも温泉全体、いやその先まで広がっていく。


「この光った部分に一定の衝撃を与えた物は亜空間へ転移するよう条件付けた。これで落ちてくるモンスターの死骸は全部片付くよ」


「おお……なんか凄いな」


 コレーの言う通り、落ちてきた蜘蛛鳥の肉片は全て着地の瞬間に一瞬で消え去っていく。これ、俺もうっかり大股で歩いて床に衝撃与えると亜空間に飛ばされちゃうよな。気をつけないと。


「ポイポイ! 暫く動かないようにな!」


「ギョイッ」


 後は頭に肉片が落ちてくるのだけ気をつけないと。幸いここは温泉だから多少の汚れならすぐに洗えるけど、あの蜘蛛鳥の体液とか浴びたくねぇな……毒とかありそうだし。


 ……と思ったけど、どうやら大丈夫みたいだ。コレーが俺の位置取りを指示したのは、倒したモンスターの位置を計算しての事だったのか。


「ま、取り敢えずこんなトコかな?」


「ああ。お陰で助かったよコレー」


「前回は随分醜態を晒したからね。ちょっとは挽回しないと。でもキミ、大丈夫かい? 温泉に入ってた割には顔色が良くないようだけど」


「そりゃ、あんな数のモンスターに襲われりゃな。コレーみたいに強くはないし」


 それだけじゃない。酔いは流石に醒めたけど、こんな明け方まで起きてる上に色々あり過ぎて……



「……あれ」



 一瞬、視界がブレた。


 今のは……


「フラついてるよ。相当疲弊してるんじゃないかい?」


「大袈裟だって。そんな訳じゃ……」


 おかしい。視界が戻らない。ずっとグラグラしてる。


 モンスターを全滅させた安堵感で気が抜けたのか? 急に眠気が……いや意識が……


「お、おい! しっかりしなよ! ちょっと!」


 ダメだ。これまで何度か体験してきたからわかる。この感覚は――――ブラックアウトの兆候だ。


 こんな所で倒れちまったらシャレにならない。俺はこの温泉宿の客じゃないし、脱衣所にはほぼ全裸のイリスもいる。誰かに見つかったら……



 また悪評……が…………――――――――


 



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