第405話 殺されてなるものかよ
イリスの裸を見てしまった。一瞬、と言っても半透明から実体化するまでのプロセスは一部始終眺めていたから厳密には一瞬じゃない。記憶にもハッキリ残ってる。
これは凄い事ですよ。想像以上の出来事だった。もし混浴が実現したとしてもイリスの裸を見てしまったなんてあり得ない事態だ。
しかも想像よりも大きかった。形も綺麗だった。イリスの裸を見てしまった瞬間を思い出すとちょっと色々な意味でマズい。
俺はそこそこの数の性癖を持っている。しかしここに来てシンプルに『知り合いの裸』がクリティカルヒットしてくるなんて。繰り返すがこれは他人でも恋人でもダメだ。知り合い、しかもそこそこ親しいけどメチャクチャ親しい訳でもない距離感のイリスの裸を見てしまったからこその興奮だと断言しよう。
ただ……今はイリスの裸を見てしまった至福の一時に浸っている場合じゃない。口惜しいがイリスの裸を見てしまった件については切り替えよう。
イリスの目的はわかった。でも疑問も残る。どうして半透明の姿だったのか。なぜ男湯で待っていたのか。そもそも温泉で待つ必要があったのか。何故イリスの裸を見てしまった前後のあのタイミングで実体化したのか。
だけどイリスの裸を見てしまった事以上に俺の脳を圧迫してくるのが、今後への不安だ。
もし『裸を見られた』とイリスがティシエラに泣きついたら、イリスの裸を見てしまった俺はティシエラに殺されるだろう。ウチのギルドに派遣されていた頃の契約条項はとっくに無効だろうけど、それとは関係なく幼なじみを視姦した罪で黒焦げにされるのは想像に難くない。
いやティシエラだけじゃない。ウチのギルドを含め、イリスにはファンがかなり多い。そんな連中にこのイリスの裸を見てしまった件がバレようものなら俺はただ殺されるだけじゃなく惨殺確定だ。グロ耐性ないのに自分がグロい死体になってしまう。最悪の死に様だ。
そして勿論、あの住所不定の自称姉もいる。ヤツに関しては何処かで覗いている可能性さえある。イリスの裸を見てしまった事件の現行犯ともなれば間違いなく即時死刑執行だろう。
劣情と疑念、興奮と恐怖が絶妙すぎるバランスで頭を渦巻いている。これがめくるめく世界というヤツか。イリスの裸を見てしまった事がここまで俺の脳をかき回すとは。そして全く切り替えられていませんね。脳内でずーっとgifファイルみたいにループ再生されたままだから仕方ないですね。
にしても……イリス全然出て来ないな。温泉に頭まで浸かったままだ。そりゃ恥ずかしかったとは思うけど、それにしたって潜っている時間が長すぎる。
待てよ。
確かイリスは――――
『例え自分は飲んでいなくても、周りが飲んでいるってだけで酔うのよ。肌で酒気を吸い取る、みたいなイメージかしら』
……あ。
今の俺は結構酔ってる。って事は、俺と暫く対峙していた事でイリスも……あの時みたいにグデングデンになったのか!?
「モーショボー!」
「なにー? 空気読んでずーっと上で黙って見てたよ?」
「それはサンキュー! 沈んでるイリスを引き上げて! 多分酔い潰れてる!」
「なんで? お酒飲んでないっしょ?」
「俺に酔ったんだ!」
――――その言葉の直後、モーショボーは何コイツマジか信じらんねーって面持ちで俺から離れていった。
「いいから早くして! イリスが死ぬ!」
「……うい」
明らかに『この俺の肉体美に酔ったのさ』みたいな勘違いしてそうだけど、訂正している時間はない。また一つ下らない黒歴史を作ってしまった……
「あ、でもホントだ。全然力入ってない」
「ふにゃら~~~~」
案の定酔い潰れていた。幸い溺れてもいなかったらしく、朦朧とはしてるけど意識を失ったりはしていない。
あとモーショボーが抱えて引き上げた事で再びイリスの裸が――――
「……ん?」
見えなくなった。また半透明になってるな。触れは出来るらしいけどビジュアル的にはほぼ光学迷彩。つまりお話にならない。何だこれ? ラッキースケベって回数制限あんの?
「どういう事だよ。おかしくない?」
「うちにキレられても知らんし。で、この後どーすんのさ」
……どうする?
色々状況を説明して貰わないといけないのに、当のイリスがこのザマじゃまともな会話は期待できない。勿論このまま放置も出来ない。湯冷めしてしまう。モーショボーをコキ使う事になるけど、一旦脱衣所に連れて行って貰って身体を拭いて着替えを……
「ごめんね」
イリス……? 意識がハッキリしたのか?
「本当にごめん……私の所為で……キミの人生をメチャクチャにしちゃって……」
いや。これは譫言だ。
それに、謝っているのはどうやら俺に対してじゃない。イリスに人生を破壊された覚えはないしな。
あらためて、あの時の事を思い出す。失踪していたイリスが突然現れた、あの王城での一幕だ。
城門にはティシエラをはじめとしたソーサラー達がいた。なのにイリスは突然、単身で玉座の間にやって来た。素通り出来る筈もないのに。
『"来た"んじゃないよ。"現れた"だけ』
なんの事はない。透明化していて、玉座の間でそれが解かれただけだったんだ。
そう考えると透明化を解くのは任意でも出来そうではある。でも先程の様子だと意図せずに解けてしまったとしか思えない。イリス本人が言っていたように、自分や身内が輝けないって危機感を持つと消えるらしいから、気の持ちようである程度は制御できるけど不安が強くなるとコントロール不可能になるって感じか。その不安が高まり過ぎると長時間にわたって透明のままになるのかもしれないな。
って事は、逆に輝けると感じたら実体が復活する訳なんだけど……さっきのやり取りの何処にそう感じる瞬間があったんだ? なんかヤンデレ化してただけのような……病む事が輝く条件ってこたぁないよな。
……俺を治すって決意を口にした事で、自分の存在意義が生まれたとでも思ったんだろうか。若しくはそれによってティシエラとソーサラーギルドが良い方に向かうって確信があるのか。何にしてもややこしい性質だな。
『輝きたい』というリリクーイの夢……だったか。エルリアフは反魂フラガラッハの見た夢だったよな確か。もっと回復してやりたいって夢が具現化したんだっけ。
言葉通り取れば、リリクーイという武器は輝きたいけれど輝けなかった武器って事になる。魔王討伐の為に作られたけど実現できなかった事を指しているんだろうか。それとも別の理由で輝ききれなかったのか。
……ここで考えても仕方ない。イリスに聞けばわかる事だ。今更隠し事はしないだろう。
そろそろモーショボーはイリスを着替えさせただろうか。俺もいい加減逆上せてきたし、脱衣所へ行って――――
「……?」
なんだ今のは。音か? 一瞬、何かが聞こえた気がする。
水滴の音じゃない。風の音でもない。気色悪い鳴き声のような音だ。
脱衣所の方から聞こえた音じゃないのは確かだ。もしそうなら不思議に思う必要はない。そして視界に収まっている範囲に異物は見当たらない。
まさか……イリス姉か?
そんな想像をしただけで鳥肌が立った。寒気もする。マズい事態なんてもんじゃないぞ。一部始終を覗かれていたとしたら、奴は確実に俺の命を消しに来る。さっきの不安がこうも早く現実になるとは……
だが俺もこんな所で第二の人生を終わらせる訳にはいかない。一命を取り留めた人がよく『どうせ拾った命だ』と開き直るけど、俺の場合は今の人生を延長戦と位置付ける事は出来ない。今がまさに絶頂期だ。
こんな俺でも、いなくなる事を悲しむ人がいる。そう言ってくれた人がいる。
もしかしたら生前にも悲しんでくれた人がいたのかもしれない。でも死後の事は何もわからないし、生前に言葉にして貰った事は一度もなかった。この差は果てしなく大きい。
殺されてなるものかよ。
イリス姉とも結構長い付き合いだ。心を通わせた事は一度もないけど、それなりに真剣に向き合ってきた仲ではある。だが殺意を向けて来たら仕方がない。跡形も無く倒そう。そして忘れよう。
ヤツは蛇のように動く。実質毒蛇を相手にするようなものと思った方が良い。
でも正直、レベル18の俺に対応できる動きじゃない。速い上になんかニュルニュルしてて掴み所がない。あと生理的に無理。
ヤツが本気で俺を仕留めに来るのなら虚無結界の適応だけど、まだ酔いが醒めてない今の俺が正しく発動できる保証はない。ここは結界に頼らず自分の力で凌ぐんだ。
「ふー……」
温水を出て少しでも見通しの良い位置に立ち深呼吸。音は……聞こえない。でも何処かにいる筈だ。
浴場だから隠れられる場所は相当限られるけど、明け方とはいえまだ暗い今は照明の光が届いていない場所全てが死角。恐らくその闇に潜んでいる。
ペトロかコレーを喚ぶって選択肢もある。だがそれをすればモーショボーが一旦消えてしまい、ここからの脱出が困難になってしまう。ギルマスの身で不審者扱いされてしまえばギルドの評判に大きく関わるからな。出来れば喚びたくない。
だけど……妙だな。
もしイリス姉が覗いていたとしたら、裸を見た瞬間に激昂して即座に襲いかかってくる筈。奴に自制心なんてある訳ないもんな。
それに奴のヒリつくような敵意も全く感じない。というか人の気配すら全然ない。
まさか……気の所為だったのか?
「来いッ! イリス姉」
叫んでみたが反応はない。どうやら俺の勘違いだったらしい。
マジかよ。ンだよ馬鹿馬鹿しい。さっきのヤメとの修羅場の所為で神経過敏になってたのかな。
「はぁ~……」
思わず落とした溜息が白い。余計寒く感じるから、目を逸らすべく上を見る。明け方とあって、少しずつ夜空が明るくなって――――
「……?」
なんか飛んでるな。翼を広げてるっぽいシルエットだ。鳥か?
……こんな時間に鳥って飛ぶのか? 鳥目って言うくらいだし、夜行性の鳥なんて梟くらいしか知らないんだけどな……あと鳥類じゃないけどコウモリも。
ただ、明らかにそのどちらでもない。そもそも生前の世界の鳥類がこっちにいるとは限らない。
恐らく高度10mもないくらいの位置だ。ハッキリとは見えないけど異形なのはなんとなくわかる。
あれは……モンスターだな。さっきのは奴の鳴き声だったのか。
このミーナには聖噴水がある。それが正常に働いている限りモンスターは街中には入れない。だから無闇に怖がる必要はない筈なんだけど……
「……」
明らかに俺への関心を示しているだけに不気味だ。その場で旋回を続けるばかりで一向に飛び去ろうとはしない。
っていうか……こっちに近付いて来てないか?
間違いない。段々姿がハッキリしてきた。
うーわ、気持ち悪い顔してんな。鳥っぽい身体なのに顔はまるで蜘蛛――――
「!」
あのツラ見覚えあるぞ。忘れもしない、俺がこの世界に来た初日。冒険者になってフィールドに繰り出した直後に遭遇したモンスターの群れ。その中にいた鳥型のモンスターだ!
確かあの時は6羽もいた。で……バテて息を切らしていたコレットに劣情を催して、バカの一つ覚えで突っ込んで来た所をこんぼうでかっ飛ばしたんだった。
流石にあの時のモンスターが生きていた訳じゃないだろうけど、恐らく同じ種類だから習性も同じなんだろう。要するにスケベ鳥。だから温泉の上空を飛び回って、あわよくば覗こうとしているに違いない。
なんでモンスターが人間に欲情するのかは意味不明だけど、男の俺に興味を示しているって事はメスなんだろうか。いやどっちでも良いけどさ。
にしても……随分と降りてくるな。
既にさっきまでの半分くらいの高度まで下がってきている。城下町だったらここまでモンスターの接近を許す事はない。一度だけあったけど、あれは聖噴水に異常があったからだ。
このミーナの聖噴水は正常――――
本当にそうか?
ここへ来る途中に見かけた聖噴水、やけに勢いが弱かったように見えた。水の量も少なかった。気の所為だと思っていたけど、もしそうじゃなかったとしたら……
聖噴水の力が弱まってるんじゃないのか?
「ゲゲゲゲ……」
今度は気持ち悪い鳴き声がハッキリと聞こえた。もう3mくらいの位置だ。姿も顔もハッキリとわかる。間違いなくあの時の蜘蛛鳥だ。
マズいぞ。もし聖噴水が無効になっていたら、この丸腰の状態でモンスターと戦わなきゃならなくなる。つーかほぼ素っ裸だ。しかも相手は間違いなく毒持ち。そういう顔だもの。
……ここで俺がやられたらイリスにまで危険が及ぶかもしれない。普段の彼女ならなんて事ない相手だろうけど、今の泥酔したイリスじゃヤバい。どんな目に遭わされるか……
躊躇している時間はない。精霊の力を借りる!
「出でよ――――」
「キュキュキュ!」
「!?」
真上から何か吐き出して来やがった!
視認している暇も考えている暇もない! かといって回避も無理!
だったらイチかバチか――――
「髪の毛を全部宝石化!」
そう叫んだ瞬間、俺の毛髪は極細の宝石になっていく。
カーバンクルの能力は『自分の身体の一部を親指のツメほどの大きさで宝石化できる』だ。そして宝石化は一度に何個でも可能。髪の毛一本の体積はタカが知れているし、全部の髪の毛を宝石化するのは容易だ。
もし奴が吐き出したのが毒性の液体なら髪を盾代わりにして弾ける。蜘蛛特有の粘着性の糸だとヤバいが……
「げ」
粘着性の糸でした。
終わった。このまま俺は蜘蛛に捕えられた虫のように全身グルグル巻きにされて――――
「キュ……?」
チューチュー吸われてミイラのように干涸らび……あれ?
なんともない。一瞬虚無結界が発動したのかと思ったけど違う。吐き出した糸は俺のすぐ近くの床面にベットリ貼り付いている。
まさか外したのか……?
「ゲッゲッゲッ」
しかも2mくらいの距離から近付いて来ない。寧ろ遠ざかっている。
聖噴水の効果は弱まっているだけで完全に消えている訳じゃないのか。だからこの距離まで接近した時点で効力が生じてパニックになり目測を誤った……?
何にしても助かった。そしてこの勝機を逃す訳にはいかない。奴に逃げられたら聖噴水の効果が弱まっている事が他のモンスターにもバレてしまう恐れがある。
でも俺の呼び出せる精霊に遠距離攻撃が可能なのはいない。どうすれば……
いや……手はある。恐ろしく乱暴だけど、迷ってる暇はない。
「出でよペトロ! 俺を担いであのモンスター目掛けて全力で放り投げろ!」
「おゥよ! うらあああああァーーーーーーーッ!!」
理由も何も聞かず、ペトロは躊躇なく俺の命じた通りの事を遂行した。
今、俺の頭髪はカーバンクルから借りた能力で宝石の棘と化している。この状態で頭から思いっきりぶつかれば――――
「ゲェーーーーーーーッ!!」
元々俺のこんぼうの一振りでブッ飛ばされるくらい防御力の低い鳥。倒せはしないまでも、一瞬意識を失うくらいのダメージは与えられる。
後は――――
「来い! ポイポイ!」
「ギョギョーッ!」
「うおっと!」
空中で俺の真下に現れたポイポイに乗り、そのまま着地をお任せ。グランディンワームの時とは違って、このくらいの高さなら衝撃も少ない。
後はトドメを……
「とッくに刺してるぜ」
皆まで言わずとも、ペトロは先に落下してきた蜘蛛鳥をアッサリと仕留めてくれていた。
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