第404話 待てないよマスター

 夢。


 夢と聞いて先に『寝ている時に見る映像』を思い浮かべるのか、それとも『将来実現させたいと願っている事』を想起するのかは、割とその人の人生観そのものが浮き彫りになると思う。


 自分がより身近に感じるもの。それが日常なのか、それとも未来なのか。


 ただ未来を重要視しているからと言って現在を疎かにしている訳じゃない。誰もが今を生きている。将来叶えたい夢がある方が今を輝かせる事が出来る人間は、未来を身近に感じるだろう。


 夢追い人は必ずしも肯定的な意味では使われない。現実逃避の手段として叶えられそうにない夢を語り、何も成し得ていないし成し得ようともしない現状を正当化する――――そんな揶揄が少なからず含まれているのが現実だ。


 だけど彼等だって今を生きている。逃避していようと目を背けていようと、その状態が自分にとって最良だと感じながら生きている。そういう人達に生き甲斐をもたらすのも夢の持つ意義と言って良い。


 夢は素晴らしいもの。夢は尊いもの。


 子供達に夢を持たせる事を教育の一環とする上での、ある種のプロパガンダだ。だけどそれすらも、夢が内在する確かな価値。誰がそれを否定できる?


 要するにだ。


 夢ってのは優れた人も、だらしない人も、賢い人も、世渡り上手な人も、情けない人も、全部ひっくるめて使い勝手の良いワードであり概念。


 俺はそう思う。





「……寝ちゃった?」


 俺の思考が長時間宇宙に飛んでいた所為で、イリスは戸惑いながら困り笑顔を作っていた。


「いやね、俺が知ってる夢って単語と使い方があまりに違うから困惑して」


「あー、そうだよね。でも私の場合はこれで合ってるんだ」


 ……どういう事だ?


 頭が回らない、なんて言ってる場合じゃない。明らかに異常事態だ。一旦現状を整理しよう。


 半裸で待っているかもしれないと微かに期待していたイリスは半裸じゃなく半透明だった。


 それを見ている俺は宿泊している宿とは違う温泉に勝手に浸かっている。


 時刻は深夜。いやもうすぐ明け方だ。どう考えても女性と温泉で会話する時間じゃない。


 イリスは自分を夢だと言った。当たり前だが夢は人間を指す表現じゃない。


 ……。


 現状を整理した結果、まともな事が何一つないと判明した。


 異常事態どころじゃない。完全に支離滅裂だ。何だこれは? 一体俺に何が起こっているんだ……?


「ごめんねマスター。混乱させちゃってるよね」


「いや……なんかここまでムチャクチャだと逆に何でも受け入れられる気がしてきた。続き話して貰って良い?」


「あ、うん。十三穢って知ってるよね?」


「勿論。説明してくれたのはイリスだしな」


 それだけに、今の質問は少し引っかかった。だけど俺の指摘に対して特に動揺した様子は見られない。もしこのイリスが別人だったら、今のは致命的なミスの筈。平静を保てるとは思えない。


「良かった。ちゃんと覚えててくれたんだ。まだ手遅れじゃないかも」


 不穏な言葉を呟き、イリスは微かに口元を引き締める。それが何を意味するのかは、きっとこれから明らかにするんだろう。


「魔王を討伐する為に生み出されて、それが穢されちゃって目的を果たせなくなった13の武器。それぞれが神々の奇蹟と人類の叡智によって超常的な力を宿していたのに、志半ばで夢破れた伝説の戦器達」

 

 俺もネシスクェヴィリーテやフラガラッハとは縁があったから、その奇蹟や叡智の一端は垣間見ている。特にフラガラッハにはかなり振り回された。正確にはフラガラッハの『他者を回復したい』って夢が具現化した――――


 ……あ。


「私はね、その十三穢の一つが見た夢……なんだ」


 そうか。そういう事か。


 どうして思い付かなかったんだ。本当に頭が回っていない。『夢』って言葉を聞いた時点でピンと来なきゃいけなかったんだ。


 夢は人間を指す表現じゃない。でも夢が人格を宿して人間の姿になっている実例は存在する。しかも明らかにイリスとは旧知の仲だった。


 そいつの名は――――


「エルリアフ。奴と同じような存在なのか」


「うん。でもね、きっとそうじゃないの」


「……?」


 エルリアフなんかと一緒にするなって抗議だろうか? でもイリスの声に怒気は全く含まれていない。寧ろ悲しそうにしている。不思議だけど、半透明で感情も読み取れない筈のイリスがそう見えた。


「ね、マスター。リリクーイって知ってる?」


 リリクーイ……聞き覚えはある。それも割と最近だ。確かコレーの亜空間にティシエラと閉じ込められた時だったかな。魔王城に始祖が現れて、その始祖が探していたのが……


「灰光リリクーイ、だったか」


「そう。私はその灰光リリクーイが見た夢。だけど絶対に叶わない、どうしようもない残骸」


 半透明のイリスが何か動いている――――ように見える。でも実際にどんな動きをしているのかまでは把握できない。


「私はね、本当は存在しちゃダメなんだ。だけど何の因果かわかんないけど生まれちゃった。消滅する事も出来ないし、する勇気もないし。だからせめて、自分の存在意義を示したいって思ってるんだけどね」


 随分とネガティブな事を言う。いつものイリスらしくない。だけど俺はイリスの事を深くは知らない。ずっと疑っていて、ようやくその正体を今理解したばかりだからな。


 いや……まだ理解できたと言える段階でもないのかもしれない。イリスはまだ全部をさらけ出していないように見える。探り探りって感じだ。


「存在意義ならとっくに示してるじゃないか。ティシエラを支えてソーサラーギルドを盛り立てるんだろ? その役割は十分果たしてると思うけど」


「果たせてなんていないよ。全然できてなかった」


 そんな事はない……と言いたいけど、俺の反論をイリスは許さない。矢継ぎ早に言葉を連ねてくる。


「それを教えてくれたのは城下町ギルドなんだよ?」


「……俺達が?」


「うん。マスター達のギルドにお世話になった時に感じたんだ。私、このままじゃダメだって」


 そんな悲壮感、イリスから感じた事は一度もなかった。寧ろイリスがいた事でギルドは華やかになったし、若干浮ついたりもした。なのにイリス本人は真逆の感情を抱いていたのか?


「ティシエラってああいう性格でしょ? ソーサラーが肩身の狭い思いをしないように、ソーサラーギルドが他の五大ギルドに負けない存在感とか影響力を持ってなきゃダメだってずっと張り詰めててさ。私はずっと、そんなティシエラの負担を少しでも軽くしなきゃって思ってたんだ」


 何も間違ってはいない。そして実際、イリスの存在はティシエラの精神的負担を軽くしていた筈だ。


 なのにイリスは或る日突然、失踪してしまった。あの件がティシエラの精神を消耗させたのは間違いない。


「でもね、それじゃダメなんだって気付いちゃった。もっと根本的に解決しなきゃって。城下町ギルドみたいにならないとって」


「……ウチみたいに?」


「うん。マスターのトコのギルド、ピリピリした感じ全然ないでしょ? ヤメが移籍した理由がよくわかるよ。あの子があんなに活き活きしてる所、ソーサラーギルドじゃ見た事なかったもん」


 こっちは逆に普段から張り詰めたヤメなんて想像できないんだけどな……


「でも緩くもなくて、みんな仕事はしっかりしてたもんね。マスターが仕事に一生懸命だったから」


「それは普通の事では」


「ううん。ソーサラーはね、仕事よりもギルド内での立場とか関係性とか身の振り方とか……そういう事に重きを置いてる人が多いんだよね」


 まあ……なんとなくわからなくもない。生前勤めていた警備会社は職業柄その手の派閥争いやカーストみたいなのは表面化していなかったけど、普通の会社では普通にある事だ。何しろ学校ですら少なからずある事だからな。


「ティシエラも問題なのはわかってるけど、ティシエラがティシエラである限り、気に入られたいって思う子は減らない。だからね……」


 イリスの言葉が詰まる。これから先は言い難い事なんだろうか。


 まさか――――


「ティシエラを追い詰める為にいなくなったって言うんじゃないだろうな?」


「……」


 俺の問い掛けに、イリスは無言を貫く。今の彼女から感情の機微を汲み取る事は出来ない。


「私はね、灰光リリクーイの『輝きたい』って夢が具現化した姿。だから、自分や自分の大事なものが輝けないって強い危機感を持つとね、こんなふうに身体が消えちゃうんだよね」


「完全に消える事もあるのか?」


「うん。そうしたら誰にも見えなくなっちゃう。あ、補足しとくとね、実際に身体が消えてる訳じゃないんだよ? 見てる人が私の姿をちゃんと見えなくなる、って感じ? だから私自身は消えないの。みんなの中から私が消えるだけ」


 要するに石ころぼうし理論か。サンキューネコ型ロボット。幼少期にあの青ダヌキと出会ってなかったら俺の理解力は確実に今より低かっただろう。


「さっきの答えだけど、ティシエラを追い詰めたかった訳じゃないんだ。でもね……このままだとソーサラーギルドがダメになる、ティシエラが輝けなくなるって気持ちが強くなって、消えちゃうのは時間の問題って実感があってね」


「だから置き手紙を残していなくなったのか。っていうか、実際には城下町にいたんだな」


「当たり。ずっといたよ。みんなはもう私の事が見えなくなってたけど、私は見てた。なんかさ、途中酷い事になってたよね?」


 恐らくマッチョトレインを打診した時の事を言っているんだろう。確かにあの時のティシエラとソーサラーギルドは悲惨だった。


「だけどねマスター。私はあんなティシエラ初めて見たんだー。いつもキリってしてて凛々しくてカッコ良いティシエラがあんなふうに自虐までして……もしかしたら、変われるかもって思えたの」


「ティシエラが? それともギルドが?」


「両方」


 だから、あの直後に現れたのか。輝けるって気持ちを取り戻して。


「ティシエラが弱い所を見せてたの、ちょっと衝撃的だったよ。絶対にそういうの見せない子なのに。だから……だからね? マスターがあの子の傍にいてくれれば、きっとみんな良い方向に行くと思った訳です」


 それは混浴の話が出る直前にも言っていたっけ。俺達が五大ギルドの一角を担い、同格の存在としてティシエラを支えて欲しいと。奇しくも、ティシエラ本人からも要請されている事だ。


 だけど俺自身はそこまで自惚れちゃいない。立場上同格になっても、俺とティシエラ、城下町ギルドとソーサラーギルドは決して同格じゃない。まだまだ駆け出し。そう簡単に支えになれるとは思えない。


「そういう訳で、マスターが壊れちゃってるのはホント困るんだよねー。だから私に出来る事をしようって決めた!」


 不意に――――半透明なイリスの身体が一瞬、霞んだ気がした。


「私がマスターを直してあげる」


 どうやらイリスには、俺は黒煙が上がってスパークしている半壊状態のロボットにでも見えているらしい。


 訳がわからない、とは言わない。怪盗メアロにも『壊れかけている』とハッキリ言われたからな。一人ならまだしも複数の人間に言われている以上、俺の疲労は自覚以上に溜まっているんだろう。


 だけど、仮にそうだとしてヒーラーでもないイリスに治せるものなのか? それに『壊れかけている』と『壊れている』は全く意味合いが違う。


「イリスは何をもって俺を壊れたと見なしたんだ?」


「ん? えっとねー……」


 怪盗メアロは俺のマギがグチャグチャだと表現した。恐らくその通りなんだろう。


 でもそれは転生者という特異性の所為かもしれない。俺のマギが変なのは始祖も指摘しているからな。もしそうなら、壊れかけているんじゃなく仕様だ。疲労が蓄積しているのは事実かもしれないけど、少なくとも異常を来たしている訳じゃない。そもそもがイレギュラーな存在ってだけだ。


 イリスも怪盗メアロと同じ見解だとしたら困った事になる。同じ境遇のフレンデリアは兎も角、イリスに内情を暴露する訳には……


「色々あるけど、決定打は私と温泉に入りたいって言った事かな」


 ……はい?


「だってマスターが私と一緒に温泉に入ろうとする訳がないでしょ? あの時確信しちゃったんだ。あ、壊れちゃってるって」


 ちょっと待て。また思ってたのと違う。さっきからずっと思ってたのと違うな。少しは俺の予想通りであれよ。


「いやいや。最初に一緒に入ろうって誘ったのはイリスだったろ? 勿論冗談なのはわかってるけどさ。俺だってそれに乗っかっただけで、冗談を冗談で返しただけなんだって」


「んーん。そうじゃないでしょ?」


 あれ?


 半透明のイリスが――――微かに肌色を帯びていく。


「例え冗談でも、マスターは私と一緒に温泉に入ろうなんて絶対にしないし言わない。しかも、そんな事を前々から考えていたなんて絶対にない。マスターはそんな事思わない」


 おいおい。待て待て。


 ……イリスの身体、少しずつ実体に戻ってないか?


「だってマスターが私にいやらしい気持ちを抱くなんてあり得ないから。私が城下町ギルドにいた時も、一度だってそんな目で私を見てこなかったでしょ? 『お触りはなしの方向で』ってお願いした時もちゃんと守ってくれたし」


 しかも布一枚すら纏っていない。立っているから温泉のお湯に浸かっているのはせいぜい太ももの辺りまで。このまま実体化が進めば、胸も股間も丸見えだ!


「イリス! ちょっと待て!」


「待てないよマスター。私は何も間違ってないから。待ち合わせ場所にここを指定したのもね、マスターのマギを清める為だったの。この時間帯のここでしか出来ない事だから」 


 なんかちょっとヤンデレっぽくなってるけど今はその事に触れる余裕もない! 実体化がどんどん進んで乳首の形と色が見え始めてんだよ!


「だからね、マスター。大人しくしてて。私に全部任せて。大丈夫だよ。痛くしないから――――」


「いや裸! 裸になってる! 大事なトコ全部見えてる!」


 俺がそう叫ぶのとほぼ同時に、イリスは完全に元の姿になっていた。


 つまり真っ裸だ。


「……ふぇ?」


 指を差しながらの俺の指摘にようやく耳を傾けたイリスは、自分の身体を確認して、両手を確認して、また胴体の方に目を戻して――――


「なんでええええええええええええええ!?」


 信じられないくらいの大声と共に、物凄い勢いで温泉へと沈んだ。





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