第403話 スケスケだぜ!!

 男風呂で待ってる……?


 意味がわからん。どういう事?


 混浴湯なんてないだろうから男湯女湯の二択なのはわかる。こんな時間だから他に入浴してる客も恐らくいないだろう。でも、だからと言って男湯で待つ必要が何処にある?


 仮に浴場で待たなきゃいけない何らかの事情があるとしても、少しでも怪しまれないよう女湯で待つのが当然だよな。そりゃ後から入る俺にとっては男湯の方が都合が良いかもしれないけど、イリスの方に多大な負担が行くんじゃその気遣いにも意味がない。万が一男湯に他の客が来たらどうするつもりだ?


 それとも、まさか――――



 イリスって実は男だったのか!?



 ……んな訳ねーかアホらしい。酔いはとっくに醒めたけどまだ頭が回らないな。


「あの。妙な事を伺いますが、これを預けたイリスって女性ですよね?」


「はい。そうでしたが何か?」


「あ、いや。赤髪で華やかな顔立ちの子でした?」


「間違いございません」


 なら確実にイリス本人だ。怪盗メアロが化けている可能性も既に消えているし、疑う余地はない。


「えっと、このメモの中身は……」


「私共はお預かりした荷物の内容を確認する事は致しておりませんので、ご安心下さい」


 どうやら良識のあるスタッフらしい。取り敢えずこの時点でアンキエーテとは格が違う。あの宿は開業一周年を迎える事が出来るんだろうか。


 でも今はそんな事どうでも良い。


「ところで、宿泊客じゃないんですけど温泉に入れたりは……」


「……」


「しませんよね。失礼しました」


 当然だけど部外者の俺がここから奧へ向かう事は出来そうにない。イリスが頼み込んだとしても無理だろう。


 にも拘わらず、イリスは男風呂で待ってるとメッセージを残した。って事はつまり『フロントに見つからないようにここまで来い』って意図だ。


 混浴するにはこれしか方法がないからか? 実際、真夜中に突然訪れて『温泉だけ利用させてくれ』って頼んだら門前払いを食らうのは明白。かといって日中じゃ他の客の目があるから混浴なんて出来ない。忍び込む以外の方法はない。


「少し外で待たせて頂いても宜しいでしょうか?」


「問題ございませんが、外は寒いですし中で……」


「いえ大丈夫です。ありがとうございます」


 取り敢えず一礼し、エントランスから外へと出る。


 さて……どうしようか。


 今の俺には二つの選択肢がある。このまままアンキエーテに戻るか、それともイリスの待つ男風呂へ行くか。後者は当然、相当なリスクを背負う事になる。


 その判断をする為にも、イリスの目的を見定めないといけない。


 少なくとも、こんな回りくどい事をしている時点で純粋な混浴目的じゃないよな。まあそれは良い。最初から期待してなかったし。現実はそう甘くない。わかってた事だ。全ては想定内。ガッカリする理由がない。気にも留めていない。落胆も気落ちもしてないし残念でも無念でもない。


 なら何が狙いだ?


 わざわざ温泉を待ち合わせ場所にしたんだ。温泉に関わる何らかの動機があると考えるべきだろう。


 だとしたら……ヒーラー絡み? 例のヒーラー温泉について、何かここの温泉との関連性を見つけたとか?


 勿論、それだけだったらわざわざこんな時間に温泉で待ち合わせをする必要はない。逆に言えば、この時間帯じゃないとダメな何らかの理由があると解釈できる。


 例えば――――宿ぐるみで何か悪事を働いている……とか。


 もしそうなら、掃除や見回りなどの理由でスタッフが立ち入る事のないこの時間帯を選んだのは納得できる。万が一にもバレない為だ。


 となると、この温泉宿がヒーラーを腑抜けにしたあの温泉と関わっている可能性がある訳だ。


 ……まさか夜間だけヒーラー温泉とここの温泉が入れ替えてるのか?


 余りにも非常識な思いつき。でもそれを可能にするアイテムがこの世界には存在している。確かビルドレッカーだったか。施設を転移させる事が可能なアイテムだ。



 仮説を立ててみよう。


 ここの温泉に、人間を骨抜きにする何らかの成分が含まれているとする。そしてそれを夜間の特定の時刻のみヒーラーの集落へ転移させる。そして同時にヒーラー温泉をこっちに転移させる。そうする事で温泉の入れ替えが可能となる。


 こうすれば、夜間に温泉を利用したヒーラーは次第に腑抜けになっていき、『夜に温泉に入ると最高にキマる』という噂が立って夜間の利用者も増えて行く。最終的には全員が回復魔法よりも温泉に依存する状態になる。


 不審に思った第三者が検査を行ったとしても、検査は日中にしか行われない。よって証拠も残らない。完全犯罪成立だ。


 実際、鑑定ギルドが調査した際には問題となる成分は何も検出されなかった。その時は通常の温泉だったからだ。

 


 ……流石に無理があるか? ムリヤリこじつけた感が否めないな。


 でもイリスが何かを俺に伝えようとしているのは伝わってくる。わざわざメモまで残して男風呂に来るよう要請してきたんだ。何らかの事情があるのは間違いないだろう。


 なら、このまま引き返す選択肢はない。男湯に忍び込んでやろうじゃないか。


 といっても独力じゃ難しい。精霊の力を借りよう。


 既に精霊全員と能力だけを貸し出して貰えるよう話は通してある。精霊委託と言うらしい。何度も召喚して信頼関係を築けた事で可能になった。


 まずは――――


「出でよアバター」


 フワワから借りた能力で、俺のアバターを生成。当然フワワ本人が作るよりも遥かに出来は劣る。


 だけど今回はクオリティ度外視で問題ない。これの役割は玄関口に立っているだけだ。


 こうすれば、フロントから人影だけが見える状態。恐らくフロントは『イリスと玄関で待ち合わせしている』と思って暫く放置するだろう。


 重要なのは俺がここにいると思わせる事。その一点だ。


 次はランタンの明かりを一旦消して……


「静かに出でよモーショボー」


「ほいほーい。何ぞやー」


 ヒソヒソ声で出現するモーショボーはなんか新鮮だ。こういう指示がしっかり反映されるのは精霊使いとして練度が上がった証なんだろう。


「調整スキルでパワーを調整するから、俺をこの宿の真上まで運んでくれ」


「りょ」


 筋力にほぼ全振りして、俺を持ち上げる力を強化。飛行スピードはガタ落ちだけど全然問題ない。


「せーのっ、よいさー」


 俺の両脇を抱えてモーショボーが飛ぶ。ゆっくり、だが確実に上空へと舞い上がっていく。


 夜間ではあっても館内は灯りがついているから、露天なら何処が温泉かは簡単に見つけられる筈だ。


 温泉ってのは大抵、玄関から一番遠い場所にあるイメージだ。その辺を探れば……お、あったあった。水面が灯りに照らされて薄く光っている。


 後は男湯か女湯かだけど、まあ仮に間違えてもこの時間帯ならイリス以外はいないだろうし大丈夫だろう。 


「モーショボー、あの奧の浴場まで頼む」


「ほいほい」


 まるでドローンのようにゆったりと高度を下げ、浴場に着地。空輸もちょっと慣れて来たな。


 照明がついているとはいえ昼間ほどの明度はないから、周囲がハッキリとは見えない。勿論、男湯か女湯かもわからない。


 温泉に浸かっている人影は見当たらないし、人の気配もしない。こっちは女湯だったのかもしれない。


 どうする? 小さめの声でイリスを呼んでみて、いなかったらもう一度モーショボーに――――



「本当に来てくれたんだ」


 

 ……っと。


 どうやらこっちが男湯で合っていたらしい。


「イリスだよな?」


「うん。私」


 取り敢えず、無事に落ち合う事は出来たか。


 ……イリスがいるとわかった途端、一気に緊張が増して来たな。ほぼ間違いなく混浴以外の理由があって、どうせ服を着たままなんだろって思ってはいるんだけど……違う可能性を捨て切れない。


 この世界の温泉は裸では入らない。布を一枚纏っている。とはいえ所詮は一枚。濡れれば身体に貼り付き、ボディラインがくっきり見える。纏い方が甘ければ本来隠すべき箇所が見える事もあり得る。なんなら素っ裸よりもエロいまである。


「何処にいるんだ?」


 声が上擦ってしまった。呼吸も少し荒い。緊張しているのが向こうにも伝わっただろう。少し情けないけど仕方がない。


 知り合いの美人が半裸ですぐ近くにいるかもしれない。


 これほど緊張するシチュエーションはそうそうない。知り合いって所が特に重要だ。他人でも恋人でもこうはならない。恋人いた事ないけど。


「こっち」


 イリスの簡素な返事は、露天風呂の奧の方から聞こえて来た。つまり……既に湯に浸かっているという解釈で宜しいでしょうか。だとしたら服を着ていない可能性が急上昇なんですけど。期待値も爆上げなんですけど。


 そっちへ向かうには、俺も湯に入らなければならない。ここは一旦脱衣所の方へ行って脱いで来た方が良いんだろうか。それが温泉のマナーって言うか最低限すべき作法ではないだろうか。少々マヌケな時間になるのは否定できないけど、服を着たまま湯に浸かる方が非常識だ。


 それに服を濡らす訳にもいかない。この寒い中、濡れた服を着て外を歩く事は出来ない。アンキエーテに帰れなくなる。


「いいい一旦服を脱いできた方が良いかな?」


 どもった上に変な口調になってしまった。恥の上塗りだ。でもいい。もういいんだ。ここで安いプライドは要らない。


「うん……その方がいいかな」


 おおう。なんかその返事だけで全身が漲ってくる。あるぞ、これあるぞと心が叫びたがってるんだ。


 落ち着け。まだ何も確定していない。事前にあれだけ色々予想を立てたじゃないか。


 おいしい思いが出来るなんて思うな。現実は甘くない。そんな桃源郷みたいな出来事が訪れる訳がないんだ。きっとイリスは服を着ている。そうに違いない。


 いや冷静に考えてこのシチュエーションなら脱いでいる方が遥かに自然だ。多分イリスは服を脱いでいる。そうに決まってる。


 ……思考が右往左往している間に脱衣完了。畳まれていた入浴用の布を下半身に巻き付け、再度浴場へと入る。


「それじゃ、そっちに行くけど。本当に良いんだな?」


「うん。来て来て」


 イリスらしいライトなお誘い。だけどシチュエーションの所為か、いつもよりも妖艶に感じる。


「ふーっ……」


 深呼吸を一つして、片足を温泉に入れた。


 これから俺は運命と対峙する事になる。


 運命とは人の意志を超越した力。人に幸せや不幸せを与える力の事だ。


 俺は幸せを掴むのか? それとも不幸せな自分を噛みしめるのか?


 この先で待っているのは半裸で待ち構えているイリスなのか? それとも俺に不幸をもたらすイリスなのか?

 

 運命は既に決まっている。心の持ちようなど関係ない。何をどうしても変えられはしない。


 だけど心構えはとても重要だ。


 恐らく……これは予感というより確信に近いんだけど、俺はきっと運命に屈するのだろう。期待して期待して、でも結局それは裏切られる。そういうオチなんだろう。


 だが心構えをしておけば心は折れない。そこに裸のイリスがいなくても落ち込みはしない。そういう自分でいられる筈だ。


 祈っておこうかな……心の安寧を……この風呂に浸かって奧へ向かおう…… 



 奧へ…


 向かおう…



「マスター」


「イリス」



 こうして俺達はついに対峙した。



 スケスケのイリスと。



「……」


 イリスはお湯に浸かってはいなかった。立って待っていた。お湯の深さは恐らく60cm程度。太もも辺りまでだ。


 それにしてもスケスケだ! 思わず目を凝らしそうになるくらいにスケスケだぜ!! お湯に浸かっていたからだろうか? 驚きのスケスケ具合だ。


 驚愕……それくらいの衝撃がある。頭が思わずクラクラするくらい。


 イリスは――――



 半透明だった。



「……なんか違うな。思ってたのと違う」


「あ、あはは……なんかごめんね」


「謝られるのもなんか違う」


 身体全部がスケスケだ。ほぼ透明に近く肉感が全くない。シルエットにかなり近いけど、顔はギリわかる。ボディラインも何となくわかる。ただし正面からだと胸の形は全くわからん。


 ……なんだこれは? 散々引っ張っておいて何だこのザマは。


 期待外れなのは別にいいよ。そうだろうなとは思ってたしその覚悟はしてた。だけどこれはちょっと違うだろ? こういう笑い話にも出来ないパターンのハズレは望んでねーのよ。ガッカリだ。眠かったのに偶然エロそうな深夜ドラマにチャンネル合わせちゃってずっと観てたけど最後まで濡れ場なかった時の肩透かし感にそっくりだ。全てが……虚しい。


「で何? 幽霊? イリスって幽霊か何かだったん?」


「ううん。幽霊っぽく見えるでしょ? でも違うんだー。こんな見た目でもさ」


 そうか。


「んー、もうちょっと興味持って欲しいかなー。ちょっと投げやりじゃない?」


「そう? もう明日でよくない?」


「眠くなったの?」


 流石にそこまで気が抜けた訳じゃないけど、酒飲んで明け方まで起きて寒空の中延々と歩いて来て精霊まで使ってバレないよう温泉に忍び込んできた労力に見合ってないよね。結果がさ。


「集中力が相当落ちてるねー。やっぱり間違いなかったみたい」


「何が?」


「あのね、落ち着いて聞いて」


 落ち着いている。聞こう。


「マスターはね、壊れちゃってるんだよ」



 ……?



「だからここに呼んだんだ。誰にも見られる心配がない時間帯に」


「俺を殺す為にか」


「へ?」


 半透明なイリスが小首を傾げた。面白いものでそれは割とハッキリわかった。


「ど、どうしてそんな物騒な話になるの?」


「いや先に物騒な話したのそっちだろ? 俺が壊れてるって。意味はよくわからないけど『どうせ壊れてるんだから私がトドメ刺してあげるね』って感じで襲いかかってくるとかじゃないの?」


「……ごめん。マスターが何言ってるのか一つもわかんない」


「混浴に誘われた時点で愛されてるか殺されるかの二択だろ?」


「えー……それは違うと思うなー……極端過ぎない?」


 違うのか。


「えっとね。マスター、大事なことだからちゃんと聞いて。あ、寒いだろうから温泉に浸かって浸かって」


「うん。わかった」


「……やっぱり壊れちゃってるんだ。いつもと違って凄い素直」


 俺そんな捻くれてないと思うんだけど。当社比。


「本当はマスターの現状を最初に伝えるべきだけど、こんな姿で何も言及しないのも変だし、先に私の事を話すね。良い?」


「ああ。こう言っちゃなんだけど、イリスについてはずっと怪しんでるからどんな正体でも構わないよ」


「あんまり嬉しくないけど、大袈裟に驚かれるよりは良いのかな。あのね、私はね……」


 俺の淡白な態度がそうさせたのか、イリスは前置きの割に勿体振る事なく――――



「夢なんだ」



 不思議な事を言い出した。

 


 


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