第402話 異議あり!
マズい。冷や汗が止まらない。身体中を火照らせていた酒が一瞬で全部抜けたような錯覚さえ抱いてしまう。これが殺意の波動ってやつか。
つーか魔法に暗殺用ってカテゴリーあるの怖過ぎるだろ……誰だよ発案したの。
「おい公然猥褻物」
「こ……え?」
「なんで自覚ないんだよ。公然猥褻物だろ? ちゃんと返事しろよ。酔ったシキちゃんを触ってた時点で猥褻物以外に何があんだ? あ?」
頬を軽く叩いていた所を見られたのか……最悪だ。道理でキレ方が今までの比じゃない訳だ。
対応を間違えたらマジで死にかねない。とにかく慎重に、穏便に事を進めなければ。
「なあヤメさんや話を聞いとくれ。あれは寝落ちしたシキさんを優しく優しく起こそうとしただけで、淫らな行為なんかじゃないですって。俺何もそういうのやってないんですってば」
「はぁ……仕方ねーな。そこまで言うんだったらヤメちゃん裁判を開廷してやんよ」
……また知らない言葉が出て来た。なんで慰安旅行の旅先で証言台に立たされなきゃならないんだ?
「手口が悪質だから取り調べは省略な。罪名及び罪状は不同意猥褻による淫行。被告人、シキちゃんを触ってた事は認めるな?」
「いや触ったのは事実だけど、性犯罪に該当するような事は一つもしてませんて」
「被害者に悪い事したなって気持ちはないんか?」
「それはだって、起こす為に頬をぺしぺしって軽く叩いただけなんだしさ……」
「人の心とかないんか?」
「普通にあるよ!」
「はいあったー。罪悪感があったって事は凶悪犯罪に手を染めたって自白したようなものだから判決。死刑」
ちょっと待て! 前後の質問をごちゃ混ぜにすんじゃねー!
ってか判決までが速過ぎる。結局どう反論しようと殺す気しかないんじゃねーか。なんだったんだよこの時間。
「心配しなくても遺体は跡形もなく消し去ってやっから。シキちゃんがほんのちょっとでも罪悪感を持たないように」
「お前が持てや! なんで司法権を行使する側が完全犯罪に乗り気なんだよ! つーか前に言ったよな俺、昔やらかした所為でそういう行為にトラウマあるって!」
「はいはいブラフブラフ」
そんな長期スパンの駆け引きする訳ねーだろ普通に事実だ!
こっちは恥を忍んで身の潔白を証明しようとしてるってのに……段々腹立ってきた。
「異議あり! そもそも俺だってお前に言いたい事あるわ! お前がシキさん酔わせ過ぎた所為で色々大変だったんだからな!?」
「あ? 何がだよ」
「延々とウザ絡みされたんだよ」
「……へー。どんなふうに?」
「いつもと全然違う感じで、そりゃもうネットリ。酔ってるから遠慮なく攻撃してくるし」
「攻撃ィ? それ詳しく聞かせて貰おーか」
今のヤメ相手に自己弁護をしたところで無駄なのはわかってる。最も重要なのは、奴の怒りを削ぐ事。その為には違う感情を、それも強烈な感情を抱かせる情報を与えるしかない。
「痛覚が過敏な所を狙ってメッチャつねられた」
ただし、これは賭けだ。つねるという行為を俺は『攻撃』と表現したけど、ヤメの中では御褒美かもしれない。問答無用でブチ切れる恐れはある。
だからこっちは100%不本意だったと思わせなければ。あくまで攻撃を受けて嫌だったという感情だけを見せる。それ以外は全て排除だ。
「……証拠は?」
「ほれ」
つねられた箇所を直に見せる。酔ってた所為で加減が利かなかったのか本気で苛立っていたのか、割とくっきり痣になっていた。この被害状況を見ればヤメの意識も変わる筈――――
「まさかキスマークじゃねーだろーな……?」
「ンな訳あるか! お前それシキさんに失礼だろ!」
「んぐっ……確かに……」
失言の自覚があったのか、こっちの思惑とは違う展開だったけどヤメの殺気が少しずつ収まってきた。ってか素人の俺でもわかるレベルの殺気を慰安旅行で向けるなよな……
「マジかぁ……シキちゃんにウザ絡みされるとかクッッッッッッッソ羨ましい……もおおおおおおお! 見たかったあ! そんな見た事ないシキちゃん見てみたかったああああああ!」
ああ、そっか。こいつも泥酔してたんだっけ。素面のヤメがこんな弁明程度で殺気消す訳ないもんな。お陰で助かった。
「そんじゃ、もう閉廷って事でいいよな? 見ての通りシキさんはグッスリ眠ってるから部屋に連れてってくれよ。俺が運ぶ訳にもいかないだろ?」
「おーおーおー。おーおーおーおー」
何? 壊れた?
「うんうん運ぶ運ぶ。ヤメちゃん一人で運ぶから一切手出しすんなよ? わかったな?」
「……やっぱオネットさん呼んでくるか」
「バッカ、オネちゃんはもう寝てんの。心配すんなってヤメちゃんマジ淑女だから。やーギマのこと誤解してたなー。良いヤツじゃん。紳士紳士。こういうのは同性がやんなきゃねー。でゅふふ」
このエロ魔神……シキさんを運ぶ過程で身体を存分に密着させる気だな。
いや、下手したらそれ以上の事に及ぶかも……
「んじゃお休み」
「ああ」
ヤメは寝ているシキさんを強引に背中に背負って、宴会場から出て行く。
「……」
「……」
「なんでついて来んだよ!」
「運ばないとは言ったけど、ついていかないとは一言も言ってない」
部屋の前までお見送りしないと暗がりの部屋に連れ込みかねないからな。マジでこいつは信用できない。
「チッ」
あっ舌打ちした! やっぱ酔った勢いでヤる気だったんだな! 油断も隙もないな!
「まー別にいいや。これはこれでイヒヒヒヒ」
ヤメ的にはシキさんを背負えている時点で満足なのか、割とすんなり引き下がった。
「あはー弛緩したシキちゃん柔らけー。たまんねーなー」
言動がエロオヤジ過ぎる。もし生い立ちとか妹さんの事を聞いてなかったら『俺より上の世代の中年男性が転生してるだろコイツ』とか思ってただろうな。
なんか悪い癖だよな。つい自分以外にも同じ境遇の奴が周囲にいると思いがち。実際いたから余計に誰も彼も疑ってしまう。
以前とは別人のようになった奴が何人もいるって話をティシエラに聞いた時は、てっきり転生者が沢山いるって思ってた。だけど今の所は俺とフレンデリアとサクアくらいしかいない。疑わしい奴は何人かいたけど、どれも違う事情だった。
そろそろ新しい転生者が現れてもおかしくないタイミングかもしれないな。
「なーギマ」
「なんだよ」
「ギマが死んでもヤメちゃん別に悲しんだりはしねーけどさ。急にギルドマスターやんのはしんどいから、ヤメちゃんがもう少し仕事に慣れるまでは勝手にいなくなったりすんなよ?」
こいつ! 結構前からいやがったんじゃねーか!
「何処から聞いてたんだよ」
「秘密。ほい、もう着いたし。部屋に帰れしっしっ」
ぞんざいに扱いやがって……
やっぱり現実は甘くない。仮に良い雰囲気になっていたとしても、ヤメからの邪魔が入るのは確定してた訳か。
ヤメ達の部屋の扉が閉まり、これにて長かった宴会は完全終了。でも部屋に戻るつもりはない。
まだ深夜で明け方って時間帯じゃないけど、ここから徒歩でイリスの泊まっている宿まで向かうと結構時間がかかる。もう出た方が良いだろう。
……結局一人で行く事になっちゃったな。なんかちょっと緊張して来た。シキさんが同行するなら断るつもりだったけど、もう流れに身を任せるしかない。
確か宿の名前はシャンジュマンだったな。場所はフロントに聞けば教えてくれるだろう。
幸い、受付でベルを鳴らすとメオンさんがすぐ来てくれた。
「シャンジュマンでございますか。商売敵でございます。夜間に破壊工作を行ってくれるならば喜んでお手伝いを」
……この宿、従業員研修ちゃんとやってんのか?
「間に合ってるんで、場所だけ教えて頂ければ」
「左様で御座いますか。ここから通りに出て聖噴水のある方へ向かって、そのまま真っ直ぐ進むと自己主張の強い悪趣味な看板があります。それがシャンジュマンでございます」
一直線で良いって事か。正直ありがたい。夜道だから方向感覚掴み辛いだろうし。
「夜道は大変危険でございます。どうぞこのランタンを」
「良いんですか? ありがとうございます。お借りしますね」
「私共アンキエーテはお坊ちゃまの御無事を心より願っております。どうかアンキエーテを明日もご愛顧頂きますよう、何卒」
「いや乗り換えるつもりとかはないんで大丈夫ですから」
「ありがとうございます、ありがとうございます。皆様の心のお宿アンキエーテで御座います。新参ではございますがアンキエーテ、泊まって良かったまた来ようと思って頂きたい、その一心でこれからも頑張らせて頂きます。アンキエーテを、アンキエーテを何卒」
フロントの圧が凄い……選挙カーの遊説文みたいになってんぞ。
でも気持ちはわからなくもない。俺達も新参ギルドだからな。依頼してみたけど期待外れだったって思われてるかもしれないって不安は常にある。
「私共アンキエーテはオープン直後のPR戦略が不発に終わりスタートダッシュに失敗しまして完全に短期倒産コースに片足どころか両足突っ込んでおります。皆様が頼りです。ここでシャンジュマンに乗り換えられたら終わりです。どうか、どうか浮気だけは御勘弁を!」
「しないから! 内情撒き散らさないで!」
その後も泣きながら縋り付いてくるメオンさんを強引に引き剥がし、ようやく外に出られた。随分時間食っちまったから、向こうの宿に着く頃には丁度良い時間かもしれないな。
おお、外は想像以上に暗い。城下町と違って街灯が完備されていないから余計にそう感じるのかも。一応星明かりのお陰で真っ暗じゃないとはいえ、ランタンがなかったら移動は難しかったかもしれない。警備員時代は夜間警備なんて珍しくもなかったけど、こんな暗い職場はなかった。
これから何が起こるかわからない、そんな俺の心情が反映されているような気さえしてくる。
聖噴水までの道は……こっちで合ってるよな? 来る時にパン屋を探して周囲をくまなく見渡していたのが幸いして、建物の配置は割としっかり覚えてる。問題ない。
冬の夜風は刺すような冷たさなんだけど、酒が入っているお陰で肌寒さはあまり感じない。吐く息が白いかどうかもわからない。ランタンが照らすのはあくまでも前。俺が数秒後にいる世界だけだ。
緊張感が増す一方で、この如何にも非日常ってシチュエーションに舞い上がっている自分も否定できない。冒険者って職業が存在している理由がよくわかる。彼らの最終目標が魔王討伐に行き着いた理由も。人間は根源的に保身と冒険心の鬩ぎ合いなんだろう。
お。聖噴水が見えて来た。正解だったみたいだな。
……ん?
なんか噴水の勢いが日中より弱い気がする。こんなだったっけ? 溜まっている水の量も少なくなってるような……
ま、そこまでしっかり確認した訳じゃないからな。ランタンの光で見る分、昼間とは見え方が違うのかもしれないし。多分気の所為だろ。
ここから真っ直ぐ道なりに進めば看板が見えるんだったな。考え事して見つけ損ねたらえらい事になる。前方の景色に集中しよう。
まだ開けている店は一つもない。このミーナに限らず、深夜帯に店を開けるって発想がそもそもないんだろう。
……流石に夜盗とかいねーよな? 盗まれるような物は何も持って来てないけど、背後から不意に刺されたりしたら結界が発動しない可能性がある。現に一度あったからな。
用心棒代わりにペトロを呼び出そうかな。でも外出してる理由聞かれるのが億劫だし、万が一に備えるなら温存しておいた方が良いか。どうせ目と鼻の先だ。
メオンさんの言うように自己主張の強い悪趣味な看板だったら一目でわかる筈。でもメオンさんの言う事だから、どうせ大袈裟に――――
『♨』
うぇぇ!?
おいおい嘘だろ? この温泉マークって日本特有のやつじゃん。確かオリンピックの時に海外から『ホカホカの食い物にしか見えねーよ』ってクレーム入ってたよな?
俺と同じ日本の転生者がいて、そいつが創始者だったりするのか?
『貴様の魂と適合したという事は、貴様がこれまで接してきた何かと極めて親和性の高い世界となろう』
あの神サマもこう言ってたし、日本のファンタジー文化と類似するこの世界に日本の転生者が複数いる事自体は不自然じゃない。
もし創業者が存命だったら、俺と同じ故郷の転生者と対面する事になるのか。なんかちょっとワクワクしてきた。多分世代は違うだろうけど――――
……あれ? 近付いてみるとなんか……違うな。
あっ! 違うこれ違う! 三本のユラユラが湯気じゃねぇ! 手だ手! 親指立てながら溶鉱炉に沈んでいくT-800が三人いるみたいになってる!
何これ……どういう意図? ここまで潜っても気持ち良い温泉ですよって意味? 怖ぇ……確かにこれは悪趣味ですわ。メオンさん疑ってすみませんでした。
さて、看板も見つかった事だし早くシャンジュマンに行こう。
そう言えば、イリスは何処で待ってるんだろうな。特に待ち合わせの場所を決めていた訳じゃないから、恐らく門限がないタイプの宿なんだろう。こんな寒空の下、外で待ってるとは思えないしエントランスで待機してるのが妥当か。
お、建物が見えて来た。
外観は普通だな。あんな看板を出してる割に。いや建物が普通だから看板で個性を出そうとしたのか?
ま、温泉宿の宣伝戦略にまでいちいち難癖つけても仕方ない。幸い玄関に明かりが灯ってるし中には入れそうだ。
イリスは――――いないな。取り敢えずフロントに話を通そう。
「すみません、こちらにイリスチュアって宿泊客がいると思うんですけど……」
「トモ様ですね? こちらをお預かりしております」
これは……メモか。『用事があってここを離れる事になりました、混浴はまた今度ね!』とか書かれてたら割と本気で一暴れするかもしれない。ちょっと酔ってるしね。
一体何が書かれてあるんだ?
『男風呂で待ってます』
……は?
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