第401話 …………はァ~~~~

 ……俺も多少なりとも酔ってはいる。会話自体は普通に出来るし、五感も思考も大して鈍ってはいないホロ酔い気分の段階だけど、酒の影響で聴力に問題が生じている可能性は否定できない。


「シキさん、ごめん。ちゃんと聞こえなかった。もう一回お願い」


「だから混浴」


 聞き間違いじゃなかった! やはり突発性難聴など存在しなかったか!


 ……いや勿論酔ってる所為なんだろうけどさ。シキさんが素面でこんな事言う訳ないし。でも酔ってるにしたってマジでどうした。これも温泉の魔力なのか?


「何? イリスチュアとは混浴できて私とは出来ないの?」


「違……! だからイリスともしないって!」


「だったら誰となら一緒に温泉に入れるの?」


 主旨が迷走の一途を辿っている……完全に酔っ払いの会話だ。


 それによくよく見ると、いつの間にかシキさんの眼筋が弛緩しきってる。何でもなさそうな顔して実は泥酔してたのか。


 シキさんがこんなになるまで飲むなんて意外過ぎる。普段気を張ってる分、仕事の緊張感から解放されてハメを外したのかな。


「ねえ。聞いてるんだから答えて」


「痛ててててて!」


 今度は胸をつねられた……また誰からも触れられた事のない、しかも絶妙に痛い箇所を。なんなのこの変な癖……


「いやだからね、誰とも混浴なんてしないんだって」


「だったらその場でイリスチュアを呼び止めて断ればいいだけじゃん」


 う……今度は言葉で痛い所を。それは確かにその通りだ。


 だけどさ、突然混浴OKの返事を貰って即座に『いや今の冗談だから!』って切り返せる奴いる? 普通に戸惑うし断れないって。色々想像したりもするしさあ。性欲枯れ気味とは言え涸渇してる訳じゃないんだよ一応これでも。


「言い訳ばっかり。やっぱりホントは期待してたんだ。最低」


「……はい」


「認めるの? 自分がただのスケベ隊長じゃなくてド級のスケベ隊長、ドスケベ隊長だって」


 詰め方に悪意があり過ぎる。あと近い。これだけ近いと酒の匂いもかなりしてくる。こりゃ間違いなく酩酊してますね。


「そういう訳じゃない……けど……何というか俺も別に聖人とかじゃないんで、つい魔が差す事もあると言いますか、邪な気持ちも多少は持っていまして」


「多少? 性欲持て余してるんでしょ?」


 いつの話持ち出してんの! しかもそれ言ったの俺じゃなくてシキさんでしょうが!


「その性欲邪神の隊長が混浴なんてしたらどうなると思う?」


 性欲邪神って何……? 俺そんな性欲魔神の亜種みたいなのになった覚えない……


「ねえ、どうなると思うって聞いてるんだけど」


「あ、はい。ど、どうなるかと聞かれましても……経験ないんで」


「でしょ? だから混浴」


 ……ええと、どういう事? 言動が不安定だからシキさんが口開く度ヒヤヒヤする。


「隊長が混浴で理性を保てる人間かどうか、私が見極めてやるから」


「えぇぇ……」


 もしこれが素面なら、どれだけ魅惑的なお誘いか。ラッキースケベなんて次元じゃない。とにかくアダルトなシーンを入れなきゃならない都合で強引にそういう展開を作ったロープライスのエロゲのようだ。


 けれど現実はただの酔っ払いの放言。これを真に受けてですよ、本当に浴場まで行ってしまおうものなら途中でシキさんの酔いが醒めてえらい騒ぎになるのは目に見えてる。最悪ギルマスとしての尊厳を全て失いかねない凶悪過ぎる罠……!


 そもそも、こんな酔ってる人間が風呂に入るのは完全にNG。シキさんと一緒にお風呂に入りたいって欲求よりもそっちの危機感の方が勝る。


 ここはどうにか宥め賺して……


「……そんなに嫌?」


「へ?」


「私と一緒に温泉に入るの、そんなに嫌なんだ」


 何このメンド可愛いセリフ! 貴女本当にシキさんですか!? そりゃ人間酔うとキャラくらい崩壊するけど、それにしたって……


 ……まさか怪盗メアロが化けてました、なんてオチじゃないよな。もしそうだったらもう二度と馴れ合えないレベルの抗争状態になるぞ。シャレで済むような話じゃなくなる。


「じゃあもういい」


 あ……


 間違いない。今一瞬見せた表情――――何処か疎外感を纏っているようなあの顔はシキさんしかしない。絶対に怪盗メアロじゃない。


 まさかとは思ってたけど、俺がイリスと裸のお付合いするのが気に食わない……って解釈で良いんだろうか? それってどう考えても嫉妬以外ないよな。


 これだけ酔ってる人の言動をそのまま受け取る事は出来ない。それでも、酔ってるのを理由に全ての発言を蔑ろには出来ない。


 だったらもう正直に、気取らずカッコ付けず本当の事だけを言って正面からぶつかり合おう。


「嫌じゃなくて、普通に恥ずかしいんだよ。その……見るのも見られるのも」


 自分で自分に小学生かよと言ってやりたくなるくらい、どうにも情けない理由だ。でもこれが偽らざる本心なんだから仕方ない。


 シキさんの反応は……


「わかる」


 わかる!? わかるの!?


「じゃなんで混浴なんて言い出したの……」


「隊長がギルド辞めるかもしれないから」


 ……今度はどういう事?


「イリスチュアと混浴なんてしたら、性欲を持て余してる隊長はヤバい事になるでしょ? それを見たイリスチュアが恐怖の余りに逃げ出してティシエラに報告するでしょ? そうしたらケダモノになった隊長は五大ギルドの審議に掛けられてギルドからもこの街からも永久追放になるでしょ?」


「いや、そうは――――」


「なるの」


 おおう、完全に目が据わってらっしゃる。迂闊に反論したらビンタされそう。黙っとこ。


「でも事前に私と混浴して慣れておけばなんとかなる気がした」


「ならんでしょ」


「なるの」


 一点張りだ……これだから酔っ払いは。


 まあでも、急に混浴とか言い出した理由は一応わかった。明らかに思考が飛躍してるし何の対策にもならないと思うけど、酔っ払いに論理的思考を求めても仕方ない。


 嫉妬じゃなかったのは残念だけど、俺の為を思ってくれての事だったのは素直に嬉しい。嫉妬じゃなかったのは無念だけど。


「あのね、シキさん」


 反論と同時に、睨む一歩手前くらいの目力で見つめる。これでもかと言わんばかりに。


 理屈じゃなく圧。酔ってる相手には圧でゴリ押し。警備員時代に無数の酔っ払いを退けてきた経験上、それしかない。


「俺だってもういい大人なんだから、取り返しの付かない事くらい弁えてんの。だから大丈夫。気持ちだけ受け取っておくから。ね?」


「嫌」


「嫌じゃなくて。ホラ早く部屋に戻らないとヤメが心配するよ?」


「嫌」


 手強いな……酔うと頑なになるのか。元々の性格がアルコールで強化されちゃってる感じだな。


 ここで無理に言い負かそうとしても逆効果。『なんで嫌なの?』とか聞き返してもダメ。とにかく根負けせずに圧をかけ続ける。そうすれば最終的に離れてフラフラと家へ帰っていく。帰巣本能なのか何なのかは知らないけど、大抵の酔っ払いはそうだった。


「本当、大丈夫だから。今日はもう寝よう」


「嫌」


「イリスにはちゃんと謝るから」


「嫌」


 頑な過ぎる! イヤイヤ期かよ! なんか俺自身が嫌われてる気がしてメンタル削られるな……


「絶対嫌」


「シキさん、あのさ……」


「隊長がいなくなるのは嫌」



 ……へ?


 

「私がこのギルドにずっと居たいって思ってるのは、このギルドが今のギルドだからなのに。隊長が居なくなったら今のギルドじゃなくなるじゃん。私がずっと居たいギルドじゃなくなる」

 

「なくならないって。大丈夫、このギルドは俺がいなくても……」


「朝起きて、顔や口の中を洗って着替えてギルドに来て、そしたらヤメが鬱陶しいくらいくっついてきて、オネットが変なアクセントで話しかけてきて、他の連中も挨拶してきて。私は一言しか返さないけど、それでもみんな嫌な顔一つしない」


 まるで堰を切ったように、シキさんは急に語り出した。俺も完全には把握していないギルドでの日常と、その心情を。


「仕事は集中してやりたいから出来るだけ気が散らないようにしてる。それでもヤメは話しかけてきて、暑苦しいくらいくっついてくる。ホント邪魔。でも幾ら断っても無駄だから昼食付き合って、午後からまた仕事。最近は街中を警邏してると子供が話しかけてくる。私なんかよりヤメやオネットに声かければいいのに」


 ヤメとオネットさんの公開バトル以降、ウチのギルドを見る周囲の目は明らかに変わった。ヤメだけじゃなく俺やギルド員に対しても子供達が話しかけてくるようになった。今までには見られなかった傾向だ。


 シキさんは多分苦手だろうなとは思ってたけど、やっぱりか。


「仕事が終わってギルドに帰ったら、またみんな声掛けてくる。私がロクに返事しないのわかってても。ホント何なの? 放っておけば良いのに。こんな愛想ない奴」


 答えは簡単だ。


 シキさんがそういう人だってみんな知ってるから。声を掛けられて嫌がってる訳じゃない。だったら、一言でも良いから何かを交わす。


 それだけで生まれる何かが確実にある。 


「そういうギルドにしたのは隊長でしょ?」


 ……俺じゃないよシキさん。俺にはギルドの雰囲気まで決定付ける支配力もカリスマもありゃしない。


 ただ、生前に出来なかった事をしたい。仲間に囲まれているって実感できる人生を送りたい。それだけを願ってこのギルドを作った。


 そうしたら、みんなが応えてくれた。


 本当にそれだけなんだ。


「なのに何でサブマスターなんて置くの?」


「……?」


「どうして自分がいなくなった後の事なんて考えるの? 自分がいなくなってもギルドを続けたいから? 馬っ鹿じゃないの。隊長がいなくなったらもう違うギルドじゃん」


 もしかして、シキさんはずっと――――


「勝手に、いなくなっても大丈夫とか言うな。人の気も知らないで。馬鹿」


 それが不満だったのか……?


 自分がやってた仕事をサブマスターに奪われるとか、既に務めていたも同然の役職を改めて設けられるのが不愉快とか、そういうんじゃなくて……


 俺がいなくてもギルドが立ち行くようにって考えてた事自体が嫌だったのか。


 参ったな。そんなふうに思ってくれていたなんて……シキさんの顔がまともに見られない。


「ごめん。でもありがとね、シキさん。すげー嬉しい」


「……」


「ここに来る前はずっと自分の人生なんて無意味で、きっと何も残せないって諦めてたんだ。でもこのギルドを作れた。だから残したかったんだ。俺がいなくなっても残り続けるようにしたかった」


 俺の存在を惜しんでくれる人がいる……なんて、思おうともしなかった。それはきっと、生前の俺がどうしても叶えられなかった、文字どおり"夢"だったから。


 現実はそんなに甘くない。


 何も残せない人生でも、せめて親を看取ってちゃんと送り出して、子供として最低限の務めを果たしてから残りの人生を孤独に歩んでいく……そんなビジョンを漠然と持っていた。


 でも、それすら叶えられなかった。


 俺としては謙虚に自分を捉えていたつもりだった。だけどそこにすら辿り着けなかった。本当にあっさりと簡単に人生は終わってしまった。


 俺みたいな人間が、自分の思惑通りに事を進められる訳がない。他人に好かれる要素なんてない。信用なんて得られない。信頼なんてして貰えない。そんな都合の良い話はない。


 もしかしたら、前世から続く呪いのようなものかもしれない。


 だから『自分がいなくなっても良い』ってのは俺にとって美学でもなんでもなくて、嫌な現実を少しでも柔らかくする為の予防線だ。その自覚はある。


 それを否定されるのは、俺にとって結構厳しい事だ。


 でも凄く嬉しくもある。俺を大事に思ってくれているって事だもんな。


「俺がいるギルドにシキさんが居心地の良さを感じてくれてるのなら、俺は――――」


「……」


「……シキさん?」


「……」


「……」


「……すー」


 ……ああ。


 そうですか。寝てますか。寝てますね。音もなくその場に寝っ転がってスヤスヤですね。


 わかってましたよ。なんか途中から全然喋らなくなってたし。酔ってる上に目がトロンとしてたから、いつ寝てもおかしくない様相を呈してましたよ。


 だーくそっ! なんかイチャイチャ出来そうだったよな今! 混浴は流石に無理だけど、シキさんスキンシップに抵抗ないからぺたぺた触って来るし、なんとなく良い雰囲気になりそうな気配があったよな!


 はぁー……どうせ明日になったら何にも覚えてないってオチだろ? わかってるよ現実って甘くないからさ。くだらねぇな全く。


「すー……」


 はいはい寝顔も可愛いよ。もう知ってるし。


 ……シキさんは俺が居なくなる事で環境が変わる事を嫌がっているんだろうか。それとも、俺が居なくなる事そのものを嫌だと思ってくれているんだろうか。


 俺は、どっちであって欲しいと思ってるんだろうか。


「おーい」


 無防備なシキさんの寝顔に手を近付けてみる。起きる気配は全くない。今なら触り放題、チューしても気付かれる事はなさそうだ。


 まあ、しないんだけどさ。何度もつねられてるんだし、目を覚まさせるって体で頬をペチペチ叩くくらいしてもバチは当たらないかな?


「シキさーん。ホラ起きて。こんな所で寝ちゃったら風邪引くよー」


「……くー」


 いかん。無防備な寝顔を凝視してると変な気分になってくる。つーかもうなってきた。


 こんな状態で部屋まで送る訳にはいかないよな。女性陣を呼んで連れて行って貰おう。腕力的にオネットさんが妥当――――




「おい」




 ……。




「ヤッてくれたな」




 背後から……呪詛が聞こえる。寒気が止まらない。冬だから寒いのは当然だけど、この寒気は身体の中から湧き上がるやつ。インフルで高熱出た時に限りなく近い。


 そして間違いない。この声は……


「まあ待てヤメ。ヤッてない。ヤッてないから。だからまず話をしようか」


 浅くなった呼吸に息苦しさを感じながらも、意を決して振り向く。


 ……血走った眼球を極限まで寄り目にしている女がそこにはいた。


「計算外だったなー、シキちゃんがこんなに酔ってたなんて。でもそれ以上に計算外だったのはギマの悪知恵な。人が丁寧に丁寧に何時間も頑張って酔わせたのを外からかっ攫うかー」


「だから違うって。一切何もしてない。これからしようともしてない。ちょっと話をしてたらシキさんが寝ちゃっただけだから」


「…………はァ~~~~」


 何そのクソデカ溜息。あと目を見開いてるのに終始三白眼なの怖いよ。どんだけ目でものを言うんだこいつは。


「みーんなそう言うんよ。ヤッてない。ヤろうともしてない。はァ。バカか? 性犯罪者の言葉にほんの一切れでも信憑性があるとでも思ってるその頭がはァ~~~」


 心底イラ付いているのがよくわかる。挙動に余裕がない。頭を掻いたり首周りを掻き毟ったり、兎に角何かをムチャクチャ掻き毟りたい衝動を強引に抑えている感じだ。


「じゃ、殺りますか」


「待て待て待て待て! 宿の中で魔法はおかしいって! しかもお前それ爆発とかしそうにないマジなヤツじゃん!」


「当たりメーだろ。真夜中に屋内でンな魔法使うバカがいるか。こういう時は暗殺用の静かに刺すタイプの魔法使うんだよ」


 ヤバいガチだ! ヤメの右手がドス黒く光ってる! 冗談であの色は出ない!


 しかも酔ってる影響で死を意識しようにも頭がフワフワしたまま。こんな状態で虚無結界ってちゃんと出るのか? 無理じゃね?


 これって第二の人生最大のピンチなんじゃ……





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