第400話 混浴詐欺

 眼光鋭く見開かれた目が据わっている。


 ……これが大袈裟でもなんでもないくらいメッチャ睨んでくる。シキさんが怖い。誰か助けて。


「前からそうだろうなとは思ってたけど。隊長って馬鹿なの?」


 侮辱とは違う、心底呆れたニュアンスの『馬鹿』。今まで何度も言われてきた事だけど、こう改めて言われるとズシンと来るな。


 でも問われた以上は真面目に考えよう。果たして俺は馬鹿なのか?


 自分で自分を評価するのは難しい。そもそも自分が賢いのか馬鹿なのかなんて真面目に考える機会は滅多にない。


 中学までの学校の成績は良かった。高校で少し落としたけど、それでも当時のセンター試験では実力以上を発揮して、無事志望大学にも入れた。


 大学に入ってからは正直真面目に勉強した事は殆どない。単位を取るのに難しい講義だけは事前に猛勉強したけど、それ以外はゲーム三昧の日々だった。


 多分、生前の俺の脳は中二あたりをピークに、そこからずっと緩やかに衰えていた。自分を賢いと思える機会は20年近くなかったかな。


 この世界に転生してからは、自分の行動や立案が逐一試される立場になった。街の周囲にはモンスターが彷徨いていて、街中には人間に化けたモンスターやら闇堕ちした精霊やらが潜んでいて、一つ判断を間違えば命を落としかねない、そんな世界。


 アインシュレイル城下町の住民としては最弱……は言い過ぎだけど、少なくとも冒険者の経験がある人間の中ではブッチギリで最低のレベル。それでも7ヶ月半生き伸びて来られたのは、運だけが理由じゃないって自負はある。


 だから本心では、自分を馬鹿だとは思っていない。俺が本当に馬鹿だったら、とっくにギルド員達に愛想を尽かされていただろう。当然シキさんからも。



 だけど―――― 



「俺はね、シキさん。馬鹿になれない奴だったんだ」


「……何言ってんの?」


「馬鹿になれるほど思い切った事が出来ないって意味。この街に来る前の俺は、それはもうつまらない奴でさ。基本的に他人と関わらないから、相対的に見て自分が賢いのか馬鹿なのかジャッジする基準さえなかった」


 だから賢くもなれないし、馬鹿にもなれない。自分の叡智で他人を喜ばせたり組織を良い方向に導いたりするなんて夢のまた夢だし、思い切った事をして馬鹿だと笑われるなんて生き方も出来なかった。ただ無難に、恥を掻かないように、ひっそりと生息していた。


 生息か……我ながらこれは本当にピッタリな言葉だと思う。生前の俺はそんな生き物だった。


「でもこの街に来てからは、結構馬鹿になったのかなって思うよ。思いつきで行動したり、これ言ったら面白いかもって事をそのまま口走ったり。そういう事をするようになったから」


「イリスチュアの冗談に乗っかったのも、それが面白いって思ったから……って言いたいの?」


「はい」


「やっぱ馬鹿じゃん」


 一刀両断! 切れ味が良過ぎる……でも実際、馬鹿な事をしてしまった自覚はある。話が随分とややこしくなってしまったし。


「イリスチュアが了承したらラッキー、引かれても『冗談だから真に受けるな』って切り返せるからどっちに転んでも損しない、とか考えてたんでしょ? どうせ」


「いや、俺そんな策士じゃないし……」


「どうだか」


 シキさんの疑惑の眼差しが痛い。実際、あの会話を聞かれていたとなると弁明は難しいな……決してエロ目的で乗っかった訳じゃないんだけど、客観的に見ればシキさんの指摘のようにワンチャン狙っていたと思われても仕方ない。


 どうする? このままだと俺の評価がセクハラ野郎で固まってしまいかねない。正直それはキツい。ただでさえ女癖が悪いとか女誑しとか謂われのない非難を受けてるのに。


 よし。


 覚悟を決めよう。


「だったらシキさん、一緒に来てよ」


「……は?」


「いや『一緒に混浴しよーぜ!』って言ってる訳じゃないからね? そんな汚物を見るような目はやめて」


「じゃあ何? どういう意図?」


「だから、混浴はなしの方向で。『あれはからかわれた事への反撃をしようとしただけ』ってイリスに伝えるから、その証人になってよ」


 イリスは『明け方に宿で待ってる』とだけ言っていたから、具体的に何処で待っているのかはわからない。フロントに断ってエントランスで待ってるのか、それとも外か。この寒い中外って事はないだろうから多分前者だ。


 流石にシキさんを連れてイリスと会うのはちょっとアレだから、気配を絶って遠くから見守って貰えれば良い。


「普通に嫌なんだけど。この寒い中、わざわざ私が行く必要なくない?」


「でも、俺一人で行ってもどうせ信じないでしょ?」


「別に私が信じても信じなくても隊長には関係ないじゃん」


 いやあるんだって。これ以上の汚名はマジ勘弁して欲しい。


「関係はある」


「ないってば」


「あるの!」


 思わず声を荒げてしまった。やっぱり少し酔ってるな……自己制御が甘い。これだから酒は嫌なんだ。


「……」


 シキさんは押し黙ってしまった。しまったなあ……怒鳴った訳じゃないとはいえ、大声出した時点でパワハラっぽくなっちゃった。これ以上心証を悪くするのは避けたい。今後に響く。


「シキさんに誤解されたままじゃ、俺が嫌なんだよ。そういう奴って思われたくない」


 いつもは人の顔をじっと見て話すなんて真似はしないけど、ここではぐらかされたら後々面倒な事になる。真剣なんだって事を伝えなきゃ。


 俺は女好きなんかじゃないって――――


「そういう奴って、どういう奴?」


「え? いや、だからね、軽い気持ちでそうホイホイと……エッチな事は出来ないっつーか」


「したくないの?」


「したくないというか、出来ないというか……前にホラ、ヤメに話してたの聞いてたでしょ? 失敗したって話。それがトラウマで」


「だからビビッてるの? イリスチュアとの混浴」


「そういう訳じゃ……」


 マズいな。自分でもちょっと嘘臭いと感じてしまっている。きっとシキさんも、過去の経験を免罪符にして事を収めようとしていると見抜いている。


 これじゃダメだ。


 シキさんに納得して貰うには、ちゃんと本心を言わないと。


 俺自身の、誰にも話した事のないコンプレックス。誰にも知られたくなかった醜い部分。


 

 それは――――



「……俺はさ、本当に心から信じてる相手じゃないと、そういう事は出来ないんだと思う」



 きっと、根っこの所では他人を信じる事が出来ない。疑わずにはいられない奴なんだ。


『信用する』『信頼する』『信じる』


 その手の言葉はこれまで何度も使ってきたし、全部本音だった。けど本音と本心とは違う。俺の心は他人を高く評価したり期待したりは出来るけど、純度100%で全てを委ねる事は出来ないんだ。


 ずっと、そんな気はしてた。自分でも情が薄い人間だって自覚はあったし、だからこそ生前はあんな人生になってしまった。誰かを信じる事が出来ないから、人と関わる事を拒んだんだ。


 信頼を得たい。


 これは転生してからずっと、第二の人生のテーマだった。新参者がギルドを運営していくのは勿論、調整スキルを使うにしたってまずは信頼関係が必要だったし、それ自体が間違いだとは思わない。


 ただ……自分が他人を信じられないから、他人も自分を信じてくれないんだろうなって諦めが最初からあったんだ。自分なんかが他人に信頼して貰える訳がないって。だからこそ覆したいって気持ちを持とうとしたんだ。


 だけど俺をはじめ、大半の人間は利己的な一面を持っている。だから悪意がこの世からなくなる事はない。それは性善説や性悪説とは少し違っていて、そもそも善も悪も絶対じゃない。誰かにとっての善は、誰かにとっての悪たり得る。


 簡単に人は死ぬし殺される。簡単に大事なものは壊れるし壊される。


 簡単に滅びるし、滅ぼされる。


 だから……全面的に信じる事は出来ない。しちゃいけないとさえ思う。


「猜疑心の塊なんだよ。だからこそ、辛うじてかもしれないけどギルドマスターが務まってるのかも」 


 もし俺がもっと素直で、もっと世の中をサクッと受け入れられる人間だったら、友達を作るのに苦労はしなかっただろう。もっと人生を謳歌できていたとも思う。


 けど、そんな人間だったらギルドを作ろうなんて絶対思わなかっただろう。俺の周囲にはコレットとかフレンデリアとか、お金持ちが何人かいるからな。その人達のお世話になって借金を返そうとした筈。


 でも俺には出来なかった。他人を信じられないから、甘える事も出来ない。弱さを露呈する事も。安いプライドに縋って見栄を張るのは、自分自身さえ信じられないからだ。


 初体験の失敗自体は本当にあった事だし、トラウマになっているのも事実。でもそれだけが理由じゃない。


「だから俺は――――」


「要するに、イリスチュアの事を全然これっぽっちも信用してないって言いたいの?」


「……あ、いや。そこまでは」


「そういう風にしか聞こえなかったけど。隊長ってたまにヤバいエグり方するよね。結構親しげにしてた相手に酷くない?」


 あれ!? なんか思ってた流れと違う! もっとこう、俺の心の歪みとか弱い部分を掘り下げていく感じになりそうだったのに! 『信頼できない』の対象がイリスだけに集中しちゃってるから単純に人でなしって思われてる!


 おかしいな……伝え方が悪かったのか? もっと心のポエトリーリーディングを名状するべきだったか? でもあんまりベラベラ喋るのもそれはそれで恥ずかしいからなあ……


「まあでもイリスの事は、完全には信用してないよ。急にいなくなったと思ったら急に現れて、その理由も言わないから」


「あ、ぶっちゃけた」


「いや別に陰口とかここだけの話って訳じゃなくて、本人にもそう言ってるし。これは俺の猜疑心の強さとは関係ない」


 イリスの人間性については疑ってはいないけど、例えば『実は転生者でした』とか『精霊でした』みたいな裏があっても驚かない。そういう意味での疑惑だ。


「だから今回の件も、純粋に混浴する為に俺を呼びつけてるとは思ってないんだよ」


「何か別の事情があって、隊長に混浴詐欺を仕掛けたって事?」


「混浴詐欺って表現はどうかと思うけど……まあ概ねそういう感じ。シキさんに来て欲しいって言ったのも、半分はいざって時の備えにね」


 相当紆余曲折はあったけど、伝えるべき事はどうにか伝えられた。


 正直、シキさんが一緒に来てくれると心強い。人気のない場所と時間を選んで俺を呼び出して殺そうとしている……とかはないと思うけど、何かされる恐れがあるとは感じているから。


「それでもし私も一緒に行って、本気でイリスチュアが隊長と混浴しようとしてたら?」


「だからその時は丁重にお断りを――――」


「そうじゃなくて。私が付いて来た事に違う意味が生まれるって言いたいの」


 

 ……?



 ……。



 ああ!



「確かにそこまで考えてなかった。誤解されるよな」


 まずないとは思うけど、もしイリスが俺に好意を抱いていて、混浴する気満々で待っていた場合、俺がシキさんを連れて現れたら『この人と恋人だから混浴は無理。ごめんね』って解釈されかねない。若しくは断る口実にシキさんを連れて来たって思われる可能性もある。


「イリスチュアに誤解されるのもだけど、あの子が曲解してそれをティシエラに伝えたら困るんでしょ?」


「むう……」


 それは確かに困る。何しろティシエラはイリスに対してかなり過保護。『よくもイリスの顔を潰してくれたわね』とか言ってエグい魔法食らわして来そうで怖い。それ以上に純粋に嫌われるのが怖い。


 参ったな……そのリスクまでは頭に入れてなかった。酔ってる影響なのか頭の回転が鈍すぎる。ここまで鈍いとは。


「シキさんにも迷惑かけちゃうよな。恋人って誤解されかねないんだし」


「それは別にどうでも良いけど」


「えぇぇ……」


 せめて照れた顔で言って。マジ無関心みたいな言い方されるとまあまあ傷付くんですよ。


「全く……それじゃ、少し離れた所で気配消して待機しとけば良いの?」


「え、本当にいいの? 明け方だよ?」


「どうせやる事ないし」


 そっぽを向きながら素っ気ない物言いだけど、その返事は決して軽いものじゃない。慰安旅行まで来てこんな面倒事に付き合って貰えるとは……


「御礼言わなきゃいけないトコだけど、申し訳なさ過ぎて謝罪の方が適切だよね。ごめん」


「謝られても嬉しくない。御礼の気持ちは見返りで」


「そりゃ勿論。俺に出来る事なら何でも。何が良いかな」


「……」


 自分で要求していた割に、シキさんは何故か瞬きの回数が急に増した。そんなに驚く事言ったかな。


「今、何でもするって言った?」


「ま、まあ。出来る範囲でだけど」


「本当に?」


「嘘言ってどうすんの」


 ……ここまで驚かれると怖いな。何が望みなんだ?


 シキさんが欲している物ってなんだろうな。ギルマスの地位……って事はなさそうだし。好物とか新装備かな?


 他には……


 あ。


 わかった。わかっちゃった。


 シキさんの願いは――――


「棺桶だったら俺のよりも職人ギルドに新品を発注した方が良いと思うよ」


「なんで棺桶欲しがってるって思ったの」


「……あれ? 違った?」


「全然」


 意外だ。絶対そうだと思ったのに。前にギルドで雨宿りした時とか超気に入ってたっぽいし。


 だったら何を……



「混浴」



 ……。



 ? 



 ???



「混浴……?」


「そ。混浴が良い。混浴にする」


「待って待って! ちょっと何言ってるかわからない!」


「なんで何言ってるかわからないの。混浴? って聞き返したじゃん」


「だからそれがわからないっつってんの! え? 何? 俺の代わりに自分がイリスと混浴するって事?」


「私とイリスチュアじゃ普通の入浴なんだけど」


「いや確かにそうだけど! え? マジでわかんない。どういう事?」


「だから」


 気付かなかった。


 顔にも声にも脚にも出ていなかったから、今の今まで全然気付いてなかった。



 シキさんは――――



「私と隊長が、混浴」 



 実は完全に酔っていた。

 




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